穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ウサイン・ボルトは脚萎え老婆を追い越せない(1)

2022-09-05 07:14:45 | 哲学書評

 古代ギリシャの哲学者ゼノンのパラドックスとして知られたこの話にはいろんな呼び名がある。
 イソップ物語ではたしか、ウサギと亀の競争、古代ギリシャではもともと、アキレウスと亀だったらしい。というのはゼノンの言葉は残っていなくて伝聞や後の哲学者(アリストテレスのような)の引用文としてしか残っていないのだ。要するにウサギは亀を絶対に追い越せないというのである。
 筆者はウサインボルトとミミズとしたいが、ミミズは気持ちが悪いとオバさんが言いうのでウサイン・ボルトと足萎え老婆とした。第一現代の若造はミミズなんか見たことが無いだろう。
 世の中にはインチキ商法おっと間違えた、インチキ学説で自慢げにこれはパラドックスだという詐欺師的学者が多いが、ほとんどは箸にも棒にもかからないテイの物である。この「ウサギと亀」は真正のパラドックスである。
 その証拠に以来2500年にわたって名だたる哲学者が大真面目で汗をかきながら、いじくりまわしている。
 

 パラドックスとはなんぞや?
論理上は、あるいは言説上は、瑕疵がないが、現実にはあり得ない場合のことである。
 ウサギと亀の話は三才の幼児でも現実にはあり得ないことを瞬時に喝破する。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ベルクソンの生霊についての... | トップ | ゼノンのパラドックスに対す... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

哲学書評」カテゴリの最新記事