穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

111:四人ずれ

2020-06-24 08:39:19 | 破片

下駄顔老人はコロナ騒ぎから職場復帰した三人の女ボイの笑顔に迎えられて店に入ってきた。おや、と彼は店の奥のほうを見た。いつも座るあたりのテーブルに先客が今日はいるのかな、と訝った。大声で話し合う客がいた。客たちの声があまりに大きいので店の一角を支配していたが、よく見るとその奥に常連の卵頭の老人がすでに座っていた。ソシアル・ディスタンスとか言っていつもの席とはテーブル一つが明けてある。ほかに座るわけにもいかないので彼は卵頭の老人に近づいてあいさつをした。

メニューを子細に検討すると、妙な名前のついてドリンクに目がいった。注文を取りに来たウェイトレスに「エスプレッソ・シュリンクって何だい」と問いただした。女ボーイは、エスプレッソに何とかを入れて、それから氷を入れてシェイクして、と長々と説明するのを遮って「じゃそれだ」と彼は言った。ロングですかショートですか、とかおっかぶせるように女は聞いた。
えっ何、小さい奴だ、と彼は叱責するように指示を与えた。

女が去ると下駄顔は隣のとなりのテーブルの一行を眺めた。男女二組の客である。声の大きいのは、この暑いのに上等そうな紺色の夏背広をぴっしりと着込んだ小太りの中年の男である。ソウビレイがどうのこうの、とか背がとても低かったと自慢げによく通る声でしゃべっている。なに、ソウビレイって誰だいと老人は耳を疑った。ソウビレイで俺が知っているのは、名前だけだけどね、蒋介石の婦人か妹だ。百年前いや数十年前に死んでいる。変なことをいう男だと、改めて彼を眺めた。四十か五十くらいだろう。うすい頭髪をびしっと油で撫でつけている。声はよく通るわりにはバカでかくはない。なにか自慢げにほかにも中国人らしい名前を連呼している。高級な詐欺師の類いかフィクサーかかな、と思った。

彼の横に座っているのは四十歳前後の女で戦後金まわりのいい外国人バイヤー相手にあった高給ナイトクラブに勤めている雰囲気の女で声に中国人らしい訛りがある。男の正面に座っているのは年齢不詳、六十前後かもっと上か白髪混じりの太い頭髪を肩まで伸ばした男で、一見アーティスト風で職業不詳である。その連れの女は向かいの女と同年配で顔はまずいが話し方にはちょっと知的なところがあった。話はもっぱらフィクサー風の男が主導して、女二人が時々割り込んでくる。アーティスト風の男は終始顔を伏せて一言も話さない。

いったいどういう連中なのだろう。こちらで話をしても相手の声が干渉してきてゆっくりと話せない。卵頭は朝刊を読んでいた。彼も入り口近くのラックから新聞をとってくると、拾い読みをした。

やがてウェイトレスが乳白色の泡の入った飲み物を持ってきた。ストローをふたの穴から突っ込んで吸ったが全然反応がない。こりゃいかん、と下駄顔老人は顔をしかめると、処女の唇を吸うように力を入れて吸い付いた。数滴コーヒーの味がする物体が口に入ってきた。

 

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