カマトトの語源というか由来である。現代の児女は切り身しかみたことがない。捌いた後スーパーのパックで売られているものが魚だと思っている。魚屋のご用聞きが持ってきた魚を母親が台所で捌くところを見たことが無い。だからパックされたものしか魚の知識がない。
戦争についての現代日本人の概念も似たようなものである。真実を理解しないものにはどんな危険がまっているかしれない。
前に「風とともに去りぬ」を書評した。銃後に残された女性達の視点から南北戦争を描いた小説である。不埒、理不尽なアメリカのwar guilty プログラムで中枢神経に永久麻酔をかけられた日本人には銃後の生活がいかなるものであるか、世代から世代に正しく継承された知識が無い。
さて、ヘミングウェイの「武器よさらば」である。この小説は前線の兵士の視点で描かれたもので、戦場の性の実態が記述の相当部分を占めている。おおよそ真実を反映しているだろう。主人公は中尉である。経験をもとにノンフィクション風に書くのがヘミングウェイである。構成では前作と比べてフィクション化の腕前はあがっているが、ネタには加工が加えられていない。
最前線のすぐ後方に待機し、死傷者を戦場から輸送車で後送する部隊に主人公は属している。かれ(フレドリック・ヘンリー)の宿舎では軍医達と一緒である。神父も夕食に加わる。いうまでもなく、従軍神父は死亡して行く兵士に最終処理を施すのである。
戦闘が始まらない間、神父を除き彼らは夕食後毎晩のように娼婦を買いに出る。いわゆる慰安所である。将校専用と兵士専用の慰安所は分かれている。ちなみに、戦後アメリカ軍が進駐してきた時に、日本にも彼ら用の慰安所が設けられた。アメリカ軍の命令で日本の医師が性病検査をやらされた。わが町にも将校用の慰安所があった。グリーホテルとふざけた名前がついていて、日本人立ち入り禁止であった。慰安所があるにも関わらず、一般市民の子女はタダであるし、性病の心配がないというので、毎晩多数の米兵による婦女暴行事件が発生した。新聞は米兵による婦女暴行と書くとたちまち発禁処分をうけるので、現場に32文いや16文だったかな、の大きな靴の足跡が残っていたと書いた。また、犯人はよく日焼けしていたとか身長が六尺以上(180センチ以上)あったとか比喩的に書かざるをえなかったのである。
イタリア軍の監視、保護のもとにこれらの慰安所はある。兵士のあいだでは、その実態から政府が経営していると思われていた。新潮文庫313ページに兵士の会話がある。「あの慰安所は法外な値段を吹っかけるんだから、おれたちから金をまきあげているんですよね、政府は」。
慰安婦達はその経営者と一緒に軍隊と一緒に移動する。
これが戦場の性の実態である。イタリアだけの特殊例ではない。なかにはかってのソ連のように兵士に女が買えるような給料を与えていない軍隊では飢えた兵士を一般婦女子の暴行へオオカミの様に兵士をおっ放したところもある(満州の惨状)。このように放任、黙認すれば政府、軍首脳は監督責任を問われることがない。ソ連流の知恵というべきか。
日本の戦争小説に戦争の真実に肉薄した作品があるのかどうか知らない。日本の若い人たちは「武器よさらば」を読んで勉強するといい。
戦争についての現代日本人の概念も似たようなものである。真実を理解しないものにはどんな危険がまっているかしれない。
前に「風とともに去りぬ」を書評した。銃後に残された女性達の視点から南北戦争を描いた小説である。不埒、理不尽なアメリカのwar guilty プログラムで中枢神経に永久麻酔をかけられた日本人には銃後の生活がいかなるものであるか、世代から世代に正しく継承された知識が無い。
さて、ヘミングウェイの「武器よさらば」である。この小説は前線の兵士の視点で描かれたもので、戦場の性の実態が記述の相当部分を占めている。おおよそ真実を反映しているだろう。主人公は中尉である。経験をもとにノンフィクション風に書くのがヘミングウェイである。構成では前作と比べてフィクション化の腕前はあがっているが、ネタには加工が加えられていない。
最前線のすぐ後方に待機し、死傷者を戦場から輸送車で後送する部隊に主人公は属している。かれ(フレドリック・ヘンリー)の宿舎では軍医達と一緒である。神父も夕食に加わる。いうまでもなく、従軍神父は死亡して行く兵士に最終処理を施すのである。
戦闘が始まらない間、神父を除き彼らは夕食後毎晩のように娼婦を買いに出る。いわゆる慰安所である。将校専用と兵士専用の慰安所は分かれている。ちなみに、戦後アメリカ軍が進駐してきた時に、日本にも彼ら用の慰安所が設けられた。アメリカ軍の命令で日本の医師が性病検査をやらされた。わが町にも将校用の慰安所があった。グリーホテルとふざけた名前がついていて、日本人立ち入り禁止であった。慰安所があるにも関わらず、一般市民の子女はタダであるし、性病の心配がないというので、毎晩多数の米兵による婦女暴行事件が発生した。新聞は米兵による婦女暴行と書くとたちまち発禁処分をうけるので、現場に32文いや16文だったかな、の大きな靴の足跡が残っていたと書いた。また、犯人はよく日焼けしていたとか身長が六尺以上(180センチ以上)あったとか比喩的に書かざるをえなかったのである。
イタリア軍の監視、保護のもとにこれらの慰安所はある。兵士のあいだでは、その実態から政府が経営していると思われていた。新潮文庫313ページに兵士の会話がある。「あの慰安所は法外な値段を吹っかけるんだから、おれたちから金をまきあげているんですよね、政府は」。
慰安婦達はその経営者と一緒に軍隊と一緒に移動する。
これが戦場の性の実態である。イタリアだけの特殊例ではない。なかにはかってのソ連のように兵士に女が買えるような給料を与えていない軍隊では飢えた兵士を一般婦女子の暴行へオオカミの様に兵士をおっ放したところもある(満州の惨状)。このように放任、黙認すれば政府、軍首脳は監督責任を問われることがない。ソ連流の知恵というべきか。
日本の戦争小説に戦争の真実に肉薄した作品があるのかどうか知らない。日本の若い人たちは「武器よさらば」を読んで勉強するといい。