ヘミングウェイの描写でイメージ喚起力があるのは、旅行中の風景描写、釣り、闘牛、狩猟などであろうか。戦争体験に基づく戦場描写もすぐれているのだろう。この小説には出てこないが。
福田恆存氏が面白いことを言っていた。アメリカ人は歴史がない。横へ横へと侵略して行くので空間的な小説が多い、というようなことを何処かで言っていた。
ヘミングウェイもそのせいか、道行きの描写はうまい。レイモンド・チャンドラーもそういえば自動車での移動中の描写が多く、独特の味がある。
日はまた昇る、でパリの退屈でいささかヘミングウェイには似合わない文学青年談義からスペインの闘牛を見に行く第二部あたりから調子が出てくる。途中バスク地方を通ってスペインに入るあたりも記述はさまになっている。
わたしも昔通った道なので、彼のイメージ喚起力に感心した。そして闘牛のある祭りが始まるまでの数日間川釣りをするのだが、この辺も短編で何回も手がけた手慣れた場面で読んでいて安心感がある。
そしてパンプローナでのフィエスタと闘牛、これはもうヘミングウェイの十八番である。ちょっと読み間違えたのは、例のブレットを巡る鞘当てでユダヤ人ボクサーのコーンに叩きのめされた若い闘牛士が闘牛中に事故死するのではないか、と、まあそういう風に想像していたのだが見事に外れた。趣向だね
この作品は出版する前にフィッツジェラルドに原稿を見てもらったそうだ。それで彼の助言で最初の30ページほどを削除したそうである。何れにしても第一部はまとまりがない。ま、福田恒存氏がいうように通俗小説のジャンルかもしれない。
かっちりした構成があるというよりかは、ルポルタージュ風の作品である。
こんなところかしら。書評は。
福田恆存氏が面白いことを言っていた。アメリカ人は歴史がない。横へ横へと侵略して行くので空間的な小説が多い、というようなことを何処かで言っていた。
ヘミングウェイもそのせいか、道行きの描写はうまい。レイモンド・チャンドラーもそういえば自動車での移動中の描写が多く、独特の味がある。
日はまた昇る、でパリの退屈でいささかヘミングウェイには似合わない文学青年談義からスペインの闘牛を見に行く第二部あたりから調子が出てくる。途中バスク地方を通ってスペインに入るあたりも記述はさまになっている。
わたしも昔通った道なので、彼のイメージ喚起力に感心した。そして闘牛のある祭りが始まるまでの数日間川釣りをするのだが、この辺も短編で何回も手がけた手慣れた場面で読んでいて安心感がある。
そしてパンプローナでのフィエスタと闘牛、これはもうヘミングウェイの十八番である。ちょっと読み間違えたのは、例のブレットを巡る鞘当てでユダヤ人ボクサーのコーンに叩きのめされた若い闘牛士が闘牛中に事故死するのではないか、と、まあそういう風に想像していたのだが見事に外れた。趣向だね
この作品は出版する前にフィッツジェラルドに原稿を見てもらったそうだ。それで彼の助言で最初の30ページほどを削除したそうである。何れにしても第一部はまとまりがない。ま、福田恒存氏がいうように通俗小説のジャンルかもしれない。
かっちりした構成があるというよりかは、ルポルタージュ風の作品である。
こんなところかしら。書評は。