穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ヘミングウェイの描写力

2014-08-16 15:32:58 | 書評
ヘミングウェイの描写でイメージ喚起力があるのは、旅行中の風景描写、釣り、闘牛、狩猟などであろうか。戦争体験に基づく戦場描写もすぐれているのだろう。この小説には出てこないが。

福田恆存氏が面白いことを言っていた。アメリカ人は歴史がない。横へ横へと侵略して行くので空間的な小説が多い、というようなことを何処かで言っていた。

ヘミングウェイもそのせいか、道行きの描写はうまい。レイモンド・チャンドラーもそういえば自動車での移動中の描写が多く、独特の味がある。

日はまた昇る、でパリの退屈でいささかヘミングウェイには似合わない文学青年談義からスペインの闘牛を見に行く第二部あたりから調子が出てくる。途中バスク地方を通ってスペインに入るあたりも記述はさまになっている。

わたしも昔通った道なので、彼のイメージ喚起力に感心した。そして闘牛のある祭りが始まるまでの数日間川釣りをするのだが、この辺も短編で何回も手がけた手慣れた場面で読んでいて安心感がある。

そしてパンプローナでのフィエスタと闘牛、これはもうヘミングウェイの十八番である。ちょっと読み間違えたのは、例のブレットを巡る鞘当てでユダヤ人ボクサーのコーンに叩きのめされた若い闘牛士が闘牛中に事故死するのではないか、と、まあそういう風に想像していたのだが見事に外れた。趣向だね

この作品は出版する前にフィッツジェラルドに原稿を見てもらったそうだ。それで彼の助言で最初の30ページほどを削除したそうである。何れにしても第一部はまとまりがない。ま、福田恒存氏がいうように通俗小説のジャンルかもしれない。

かっちりした構成があるというよりかは、ルポルタージュ風の作品である。

こんなところかしら。書評は。



命より大切なものを捧げた男の物語

2014-08-16 07:06:24 | 書評
日はまた昇る、の語り手は25、6歳のジェイクである。プリンストン大学を出てアメリカかカナダの新聞社のパリの特派員ということになっている。三人称一視点というのかな、難しくいうと。

彼は大戦に参加して命より大事な機能を大義に捧げたのである。すなわちお珍珍を捧げたのである。インポテンツである。この彼と性なき愛を結ぶのが34歳の大年増イギリスのアシュレー卿夫人ブレットである。彼女はすでに二度離婚しており、現在はジェイクのグループの二人とさらに闘牛士と性的関係にある。ウィキペディアは「ふしだらな」女と書いているが、端的に言えば「高級移動式公衆トイレ」である。

彼女が口癖の様にいうセリフがある。「あたし、お風呂に入らなくっちゃ」というのだが、前後から相当浮いたセリフなのでヘミングウェイは意図的に挿入している。「あたし、準備しておくから今晩OKよ」と言うサインなのだろう。日本でも芸者は朝風呂に入るというし。

これってジェンダー主義者によると開放された現代的な女性の理想像ということになるらしい。

ただ、貴族だから取引に正札をつけたりするようなはしたないことはしない。おここころざしでいいのである。ジェイクに対するのとは異なり他の男との関係はウィキペディアによれば「愛なき性」である。見事に対句になったようで。もっとも19歳の闘牛士に対する関係はもそっと愛情らしき雰囲気が出ている。

ロバート・コーンはジェイクのプリンストン大学の同窓生である。彼はミドル級のボクシング学生チャンピオンである。第一部冒頭にそう出てくる。それがどういう伏線でそんなことを書くのかな、と思っていたら第二部の終わりで伏線が顕在線となる。彼は作家希望で第一作を出し、好評だったが、二作目に難渋している。

コーンはユダヤ人である。ブレットと短い性愛旅行を楽しんだ。その後もブレットにつきまとい、「ユダヤ野郎」と仲間にいわれる。

ブレットは現在イギリス人かスコットランド人のマイクと婚約している。だからコーンとの関係は不倫だった訳だ。マイクはイギリスで破産宣告を受けているが、あちこちから借金しまくり派手な生活をしている。

あとはアメリカ人でビルというのが途中で加わる。この役割は判然としない。枯れ木も山のにぎわいという役どころか。

他にブレットと性的関係にあるのは、第二部の後半に出てくるパンブローナ(スペイン)の闘牛士ロメロ19歳である。

第三部で彼女はロメロを捨て、あるいは捨てられて、マドリッドの安ホテルにいるところを何時もこういう時に白馬の騎士のように現れるジェイクに救われる。

この物語はインポの傷痍軍人と純情なところのある「ふしだらな」大年増との悲しくも優しいプラトニック・ラブの物語と粉飾することも出来る(これは出版社宣伝用)。



ヘミングウェイのもっとも重要な作品

2014-08-16 00:45:06 | 書評
これから色々と感想を書いてみようと思うのだが、雲霞のごとく存在する研究家がすてに述べていることならあえて書くこともないので、一応英文Wikipediaで調べてみた。要領よくまとめているが、まだ書く余地はあるなと感じたのである。

専門のヘミングウェイ読みによると、「日はまた昇る」は彼のもっとも偉大な作品だそうだ。また別の研究者によると本書は彼のもっとも重要な作品であるという。このシリーズの冒頭でも書いたように徒然なるままに書き始めた理由の一つに彼は加齢劣化型の作家ではないか、という仮説を確認したいということだったが、上記の専門家の意見はやはり加齢劣化型の作家であるということであろうか。

前回軽快な作品であると書いたがそれは後半であって、前半のパリのカフェにたむろして怪し気なる欧州の「貴族」と主人公達が交わったりするところは退屈だし、とくに会話の不自然さが鼻につく。

頭でっかちの父ちゃん坊やや、鼻持ちのならない文学少女が身に付かない人工的な、本から引っ張ってきたような、きいたような口を聞く会話の連続で読み続けるのは忍耐力が必要である。

第一次大戦後のパリには大変な数のアメリカの若い遊民が集まったようである。ま、彼らの青春群像の描写と思えばいいのかも知れない。彼らを引きつけたのは第一次大戦後の為替事情がある。戦勝国であり、しかも戦渦を受けていないアメリカはいわゆるドル高でちょっとした小金を持って行けばパリで遊べた。

この事情は大戦の戦勝国である日本でも同じで、この時期日本人の金持ちの桁外れな豪遊の逸話にはことかかない。欧州でも敗戦国であるドイツやオーストリアにいけばもっとドル高、円高でアメリカ人、日本人はいい目を見られたのである。

親戚に当時ドイツに留学した者がいたのでその辺の事情は聞いていたが、フランスでも似たような状態であったようだ。

次回は「遊民」群像について。