穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

空間作家ヘミングウェイ

2014-08-25 21:23:56 | 書評
アメリカ作家には時間的あるいは歴史的なものがない、空間的に広がって行くだけだと言う趣旨の解説を書いたのは福田恆存である。翻訳「老人と海」の後書きに書いている。

アメリカ作家と一概に普遍的に決めつけるのはチト酷のような気がする。しかし、ヘミングウェイは間違いなく空間作家である。彼の描写で迫力のあるのは道行き部分である。もっとも道行きだって時間的な要素はある。移動には時速何キロというやつがあるわけで、それまで時間的というならば話が混乱する訳である。

もっとも福田恒存は「老人と海」を時間的としてはじめてヘミングウェイを認めている。多分大物カジキと何日間も格闘した老漁師の物語を時間的と捉えたのだろうが、この議論には首を傾げる。

なぜなら、福田が時間的云々の欠如をアメリカ文化の欠点として上げているのは欧州の批評家の説を援用しているのであるが、その趣旨は「老人と海」には当てはまらない、ピント外れだと考えられるからである。

彼の【武器よさらば】を読んだ。第一次世界大戦にアメリカが参戦する前に赤十字の要員として最前線で勤務したヘミングウェイの体験を下敷きにしている。

第一部は主人公が砲弾で負傷するまで、第二部は治療の為にミラノの病院に後送される。第三部は傷癒えて前線に復帰する。この辺りはさして筆の冴えは見られない。

とくに会話部分に難があるようだ。これは「日はまた昇る」の始めのパリのカフェでの交遊の部分にも言えることだ。

第三部の後半は史実でもあるイタリア北部戦線(カポレット)でドイツ、オーストリア軍の攻撃を受けて、イタリア兵が算を乱して敗走する場面であるが、この部分は秀逸である。ある橋を渡ったところでは、イタリア憲兵が敗走する将校を片っ端から捕まえて短い尋問の後全員を銃殺していく場面がある。敵前逃亡を問われればどの軍隊でも非情な措置が取られる訳だ。

主人公も憲兵に連行されて尋問を待っている間にも佐官、尉官の将校は片っ端から川岸で憲兵に銃殺されていく。

主人公には敵前逃亡の罪の他に、アメリカ人でイタリア語になまりがあるということでドイツのスパイと間違えられて処刑される可能性があるとおもった主人公は川に飛び込んで九死に一生を得る。そして軍用貨車に無賃乗車してミラノに入り、恋人のイギリス人看護婦に再開する。

この大混乱する敗走場面の描写はすぐれている。もっとも主人公も捕まる前にトラックに同乗させた敗残兵を命令不服従のかどで銃殺しているのである。ま、戦争とはそういうものだ。それにしてもイタリア軍というのは国民性というのか、第二次大戦でも真っ先に崩壊したし、いざとなると規律も何も無くなる軍隊らしい。多かれ少なかれどの国の軍隊でも起こりうることだが、イタリアはちょっと桁外れのようでもある。

以上で第三部まで触れた。その後四部、五部と続くのだが、それは次回に述べるとして、ヘミングウェイが空間作家である証左として、小説の中でギミックとして出てくる芸術に絵画、建築の話はあるが時間芸術である音楽の話題は出てこない。