科学哲学に取って形而上学は天敵でした。今でもそうだと思いますが。それなのに、形而上学に学べ、なんてとんでもないことをいっちゃって、ただじゃ済みそうもありません。
ウィトゲンシュタインの口吻などを聞いていると、まるで世の中の形而上学すべてを殲滅しなければいけないという剣幕でした。当時の論理実証主義者や分析哲学者の目標も間違いなくそこにあったでしょう。
一方、形而上学者のほうはどうだったでしょうか。無視でした。軽侮のまなざしを投げかけてね。で半世紀後はどうなったでしょうか。形而上学の一掃は無理でした。しかし、科学哲学の認知度は非常に高くなりました。哲学業界での縄張りも飛躍的に広がりました。
大型書店に行くとよく分かります。アカデミズムの世界では教員の数とか、学生の数とか、論文の数などがおそらく当時に比べて飛躍的に増大しているでしょうが、私はアカデミズムをはなれているので、書店の売り場面積で計るより他に無いのです。
大型書店の哲学関係の売り場で分析哲学、今は論理実証主義はないので、の売り場は30パーセントかもっとありますかね。ヤクザの世界で言えば、形而上学の大親分に殴り込みをかけた新入りが一定のシマを手に入れて押しも押されもしない大一家になったというところでしょう。
少し寄り道をしてしまいました。本論は次号以下で。
ウィトゲンシュタインの口吻などを聞いていると、まるで世の中の形而上学すべてを殲滅しなければいけないという剣幕でした。当時の論理実証主義者や分析哲学者の目標も間違いなくそこにあったでしょう。
一方、形而上学者のほうはどうだったでしょうか。無視でした。軽侮のまなざしを投げかけてね。で半世紀後はどうなったでしょうか。形而上学の一掃は無理でした。しかし、科学哲学の認知度は非常に高くなりました。哲学業界での縄張りも飛躍的に広がりました。
大型書店に行くとよく分かります。アカデミズムの世界では教員の数とか、学生の数とか、論文の数などがおそらく当時に比べて飛躍的に増大しているでしょうが、私はアカデミズムをはなれているので、書店の売り場面積で計るより他に無いのです。
大型書店の哲学関係の売り場で分析哲学、今は論理実証主義はないので、の売り場は30パーセントかもっとありますかね。ヤクザの世界で言えば、形而上学の大親分に殴り込みをかけた新入りが一定のシマを手に入れて押しも押されもしない大一家になったというところでしょう。
少し寄り道をしてしまいました。本論は次号以下で。