手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

サッカーの我那覇選手の日本代表としての勇姿を早く見たい

2008-05-30 18:15:01 | スポーツ
元日本代表の我那覇 和樹選手(川崎フロンターレ所属)が、2007年4月に体調不良によりチームドクターから受けた点滴治療がドーピング問題として注目されてきた事件は、スポーツ仲裁裁判所 (CAS)にまで持ち込まれ、2008年5月27日、CAS は、無罪を叫ぶ我那覇選手の訴えを全面的に認めた、という。
私は、事件当初から、我那覇選手を信じてきて成り行きを見守ってきただけに、CASの裁定結果は当然だと思っている。
ところで、私は今日、たまたま、彼の公式ブログ
http://ameblo.jp/ganakazu/
を発見し、読ませてもらって、彼の真摯な態度と相まって、ますます彼を応援したくなった。
彼は、沖縄県那覇市出身。小学生の頃に宇栄原(うえばる)FCでサッカーを始め、小禄(おろく)中学校から沖縄県立宜野湾高等学校を卒業後、川崎フロンターレに入団した。その彼は、2006年の活躍を認められ、日本代表監督に就任したイビチャ・オシムにより沖縄県出身者としては初めて日本代表に初選出され、同年9月6日のアジアカップ予選、イエメン戦(サヌア)では後半途中から出場し、ロスタイムに決勝点となる代表初ゴールを決めている。
私は、今後は彼が早く日本代表に返り咲くことを祈り、その勇姿を、そして、彼のゴールシーンを一刻も早く見てみたい。

昼食時に傘を間違えらた。愛用の傘には何らかの目印が必要

2008-05-29 18:12:44 | Weblog
今日は早朝から雨が降り続いていて、昨日までの晴天の暑い陽気と打って変わった天候になった。昼食は、弟夫妻と私および家内の4人で、JR大宮駅の近くの寿司屋さんに出向いて食べた。
昼食を済ませて、その寿司屋さんを出るとき、店に入るときに傘立てに入れておいた私の大きな傘が見あたらなかった。私の傘は、10年以上も使い込んだもので、傘立てに入れるとき、他の客人のどの傘よりも背が高いことがわかったので、間違えて持っていかれる心配はない、と思っていた。
お客の誰かが、私の大きな傘を取り違えて持っていってしまったらしい。外は雨が降っていて、仕方なく、傘立ての中に残っている一番大きめの傘を選んで、弟とともに店を出た。ところが、店を出て歩いていくうち数分後、私は、後ろから傘をさした中年の男の人に呼び止められた。彼は、私が持ち帰った傘が、彼自身のものだ、という。私は、彼に謝って、傘を彼に渡した。そして、彼がこの時さしている傘が私のだろう、ということで、その傘を私に渡してくれた。
普通、傘に名前を入れておくのは、めったに見かけないことだが、やはり大切な傘には、その柄の部分などに間違い防止のために誰にも判別がつくような、何らかの目印が必要だな、と思った。

四川大地震での甚大な被害、オリンピックどころではないのでは?

2008-05-27 15:08:09 | 社会
中国の四川省で5月12日午後2時半(日本時間同午後3時半)に発生したM8.0の大地震。連日の被害報道を目にしていると、これでは、オリンピックどころではない、と思わざるを得ない。オリンピック委員会と協議して、中止するか、延期するか、したほうが良いのではないか、と思う。
強行するなら、何百万人の被災者には、あまりにも残酷すぎる。

定年になって充実感を味わえる時って--

2008-05-26 12:47:09 | Weblog
私は、定年を迎えて、娘たちからは"サンデー毎日"とか"エブリ・サンデー"なんて、ひやかされている。でも今は、以前勤務していた会社からは、時々メールで、ほんのチョッピリだが仕事が舞い込む、など、今のところは完全なる"サンデー毎日"ではない。
とは云うものの、以前、毎日早朝から混雑した電車に揺られて会社勤めをしていた時に比べると、ほとんど"サンデー毎日"状態である。
会社にいるときと最大の違う点。それは、不特定の多くの人間と関わりが無くなったことだ。今の環境は、上司と部下、といった人間関係などで、気を使わないで済む、ということで、神経を使うことなく精神的ストレスが無く、快適だ。で、気の合った友人たちと何でも、好き勝手に、心置きなく語り合ったり、旅行に行けたり、など、できるのが楽しい。
でも、時として、気分が乗らないでいるときなどは、定年て、社会が自分を必要の無い人間として大海原に放り出したようにも思えて、寂しい、うつ状態の気分になることもある。
そんな一方で、最近では、遠い昔に習った、物理などの教科書を読むこと、などの贅沢な趣味、にも取組んでいる。それというのも、会社員時代と違って、時間に束縛されず、ユッタリ気分で時間を贅沢に過ごせるからに他ならない。技術者のはしくれとして、以前から、私は自分が専門としてきた電気通信関係の基本原理の徹底的理解など、にも興味があって、こういった専門書を読んでいると、次から次へと疑問が生じてきて、それこそ酌んでも尽きないものであり、考え出すと結構、時間が瞬く間に無くなってしまう。
2、3年前のことになるが、ヒマで何気なく気晴らしに飛び込んだ古本屋さんで、微分、積分に関する小冊子が目にとまり、105円で購入したことがあった。これには、微分、積分についての原理が素人向けに分かり易く書かれていて、一気に読破できた。でも、読んでいる時は、なるほど、と、分かった気持ちになるが、その後、ちょっとひねった応用的事例にぶつかると、たちまち、躓いてしまって、正直悔しい。これって、私の中で、完全に微分、積分が消化されてなくて、未だ血となり肉となっていない、のだ。そこで、その後、同書を隅から隅まで5回くらい繰り返して読み返しているが、なかなか理解できがたい。かえって、新たな疑問が涌き出てきてしまう面も出てくる有様。--でも最近は、図書館で同類の本を何冊も借りてきて熟読した結果、やっとのことで、微分、積分のことが分かりつつあって、その面白さの虜になりつつあって、楽しい。微分、積分の原理もそうだが、このような真理に直結するような法則って、理解が深まるほど、ますます気持ちがハマッてしまって実に面白い。そういう時って、言うに言われぬ充実感を味わえる!。
書店に行くと、理数系の書棚には、微分、積分の解説書が数多く並んでいるが、これは、微分、積分が分からなくて困っている人やもっと深く理解しようと思っている人たちが、大勢いる、という証拠だ。
日本でいえば、かの「関が原の戦い」があった、400年前の頃、万有引力に気が付いたアイザック・ニュートン(英)とか、ライプニッツ(独)という人が、微分、積分の考えを編み出したそうだ。今や、微分、積分の考えなくして現代文明が発達し得なかったことを考えると、私は、「微分、積分」こそは、理数系の学生のみならず、すべての専門分野の学生にとって、理解しておくべき必須のことのように思えてならない。

「ウチに来て!」との孫娘から電話、断れなくて、またも遠征

2008-05-25 20:34:12 | 
昨日の土曜日、この週末には、どこにも出かけることなく、ゆったり自宅で過ごそうと思っていた。ところが、昨日の午後、急に、小学1年生の孫娘から電話がかかってきて、「ウチに来て!」と、電話で懇願された。こう言われると、メロメロになる私は、またしても、意志がゆらいで、「行くよ」と返事。こうして、昨日の夕方、家内とともに車で遠征、孫娘のところに行き、一泊してきた。
今日は、午前中は、手打ちうどん1Kgを打ち、その後、娘一家とみんなして家電量販店に買い物に出かけた。帰宅して、昼食に手打ちうどんを食べ、その後、私は、二人の孫娘からいつものように誘われ、二階の孫娘の部屋で遊んだ。夕方早めに、自宅に帰るつもりでいたのだが、なかなか孫娘が私を引きとどめて、解放してくれない。もっと遊んでいたい、という二人の孫に逆らって、あえて「帰るよ!」と言うのは、実に気がひけてなかなか言い出しずらいものがあった。
かくて、孫娘の家を出て、自宅に向かったのは、午後4時半近くになってしまった。

薬師寺といえば、高田好胤さんを思い出す。薬師寺展を見学

2008-05-23 23:37:46 | Weblog
上野の国立博物館で、6月8日まで開催されている薬師寺展を見に行った。今日は天候も良く、それにウイークデーなので、人出も少ないかな、ということで、夕刻近くに入場した。あらかじめ、インターネットのホームページで、今日の金曜日は午後8時まで開館していることがわかっていたので、ゆったりした気分で入場、1時間以上にわたって、見物した。圧巻はなんといっても、日光菩薩像と月光菩薩像である。身の丈、3~4メートルもあろうか、どっしりとした巨像に驚愕した。像を見物したときはそんなに混雑していなくて、像のまわりを2~3回ほどまわって、しかも像のすぐそば、1メートル以内ぐらいの距離で、じっくりと見ることができた。
薬師寺には、まだ行ったことはないが、もう10年以上も前になるが、薬師寺といえば、127代目の管主をされていた高田好胤さんのことがすぐに思い出される。高田さんが、入門当時の薬師寺には、江戸時代末期に仮再建された<金堂>と、<講堂>があるだけで、創建当時の建造物は<東塔>だけであったそうだが、薬師寺には檀家制度がなく、金堂を再建するにも困窮を極めたそうだ。そこで、高田さんは、一人1000円の写経納経(般若心経)の供養料を集める勧進を行うなど、いろんな活動をして、浄財を集めて、金堂の再建事業達成に尽力された方である。かつて私は、高田さんが日本橋の三越で行った法話を伺ったことがあった。お話の内容がとても分かり易く、物腰柔らかそうな人柄で、誰からも親近感をもたれる、その姿が、今でも私の目に焼きついていて、懐かしい。高田さんは、現代の世の中に対して、「モノで栄えて心で滅ぶ!」と、叫び続けて、警鐘をならし、「心」など数多くの本を執筆する傍ら、講演のため全国を飛び回った方で、文字通り、世の中を、社会を良くするために、粉骨砕身、努力されてこられた方だ。
その高田さんは、平成10年(1998年)に亡くなられて、早や10年。現在、高田さんに匹敵するような、社会の最前線に出て、住み良い世の中実現のために活動されているお坊さんがおられないのは、実に残念である。

ガソリンと同様に灯油の値段もウナギ登り

2008-05-21 22:30:54 | Weblog
今日は朝から天気も良く、私は最近、我が家の灯油タンクの中の灯油がそろそろなくなりかけていて、気になっていたので、給油することを思いたった。最近の急激な石油の値上がりで、ガソリン同様、灯油ももちろん値上がりがひどい。私は、灯油はいつも自動車にポリ容器3個を積んで買いに行っている。
今日はパイナップルを買いに行く用事もあったので、まず、自転車でその大型八百屋店に向かいながら、途中、いつも灯油を買っているスーパー・マーケットの前を通って、今日の灯油の価格をチェックしてみた。すると、なんと1リットル当たり102円だった。そこで、そのスーパー・マーケットより少し先にある、灯油も販売しているガソリンスタンドに行ってみたら、そこでは98円だった。
そんなわけで、今日は自宅とそのガソリンスタンドの間を、車で3往復して、灯油タンクへ給油した。

またも起こった大相撲の殴打事件--今回は、間垣部屋と陸奥部屋で

2008-05-19 16:47:57 | スポーツ
最近の大相撲のニュースで2件の事件が明るみにされた。
相撲協会の理事でもある間垣親方(55)=元横綱二代目若乃花は、両国国技館で開催中の夏場所4日目(14日)の朝げいこで序二段力士を竹刀で殴打し、顔や手、太ももに1週間の打撲などを負わせた、という。当日の取組を見た審判が力士のけがに気づき委員会に報告したそうだ。親方は「(力士が)やってはいけないことをしたから立ち直らせようと思ってやった。しごきがなくなったら相撲界じゃない。かわいいからやったんだ」と暴行を肯定するかのような発言をした。ところが、翌日、態度を一転。「やりすぎたなと思って(弟子に)謝った。本人は『オレが悪いから怒られていると両親に伝えている』といっていた。オレらの育った時代とは違うし、これからは口で言って聞かせないといけない」として、暴行肯定の態度一転させた。
一方、陸奥部屋では、豊桜が今年1月、けいこ前に生活面を教育しようとして力士の頭を調理器具のお玉で約10発殴り、すぐ救急車を呼んだが、8針縫うけがを負わせた。陸奥親方(49)=元大関霧島には報告しなかったそうだ。親方は、この力士が首を痛め5月初旬に入院したとき頭の傷に気付いたそうだ。力士は殴られたことを隠そうとしたが両親に電話し確認、事件を把握した。陸奥親方と豊桜は記者会見を開き、豊桜は「時津風の事件を軽く思っていたところがある。これまで以上に気をつけていきたい」と頭を下げた。親方は豊桜と力士の実家を訪れ、謝罪し、実家の両親と和解した、という。
これら2件の事件を聞くにつけ、またか、という思いが強い。この度の2件は、たまたま明るみに出た事件の一角にすぎないようにも思えてしまう。特に、事件を起こした当事者である間垣親方は、今後も相撲協会の理事職を続ける意向も示している、というが、責任の取り方が甘い。相撲協会の指導力が問われる。先が思いやられる。

昨日は孫娘の運動会を見学、今日は孫娘たちと公園で遊ぶ

2008-05-18 21:39:29 | 
去る16日の夕方、家内の運転する車で、千葉の娘宅に出かけた。昨日の土曜日に開催された、孫娘の通う小学校の運動会を見物するためである。当日は早朝、娘の夫の両親も車で駆けつけて、全員で運動会を見物した。雨で一週間延期された運動会だが、当日は陽射しが強かったが、心地よい微風も吹いていて、ちょうど良い日和だった。孫娘の通う小学校は東京にある私立小学校だが、運動会は会場は千葉県にある。見学席は、直射日光を遮るテントやビーチパラソルでさながら、ともすると、海水浴場にでも来てるような風景であった。
昼食は、生徒たちが各自、見学する親たちのところでお弁当を楽しく食べた。どの生徒たちもテントやビーチパラソルの中などで、両親など家族とワイワイガヤガヤ言いながら食事を楽しんでいて、みんな幸福そのもの、といった感じが伝わってきて、こういう風景は見ていて、心和む。でも一方で、こんな時、私の脳裏に、ふと中国の地震やミャンマーのサイクロン被害のことが浮かんで、その悲しさ・辛さの深さを思わずにいられなかった。
当日は、夕方私は家内と共に帰宅する予定だったが、孫娘たちから"泊まっていって!"って、言われて泊まることになった。
で、今日は、日中は、手打ち蕎麦や手打ちうどんを打った。午後2時過ぎからは二人の孫娘がそれぞれ自転車に乗り、私は彼女たちを含めた3人で、近くの公園に行った。公園には、多くの親子連れが来ていて、結構賑わっていた。そこでは偶然にも、上の孫娘がバレエ教室で一緒だった女の子と会った。真っ白い帽子とスラックスを身につけた、その女の子のお母さんは、ベンチで本を読んでいて、ときどき顔を上げては、愛娘の方を見やっていた。一方、下の孫娘は幼稚園で同じクラスのお友達3人と会った。こうして、みんなニコニコ、滑り台に乗ったり、鉄棒をやったり、お話などしたりして、楽しく休日の午後を過ごした。そして、私たち3人は、5時過ぎ頃、帰宅。家中そろって、みんなして早めの夕食をとった。その後、私と家内は車で帰途につき、我が家には午後7時半過ぎに到着した。

仰天--白鳥など7羽を殴殺した「反省の言葉ない」男子中学生2人

2008-05-16 15:48:06 | 教育
茨城県水戸市の千波湖で4月28日、コクチョウやハクチョウ計7羽が頭を殴られるなどして死んでいた事件で、同市内に住む男子中学生2人は「抵抗する鳥を殺すのが楽しかった」と言い、反省の言葉を口にしていない、という。実に、仰天、ショッキングなニュースだ。実に恐るべき、身の毛のよだつ、そして情けない、悲しい事件と言わざるを得ない。彼らの親や小・中学校を通じての先生たちの指導・躾けはどうだったのだろうか?
文部科学省はこういう事件をきっかけに、その背景を徹底的に検証して、何が原因でこういう考え方の子供に成長するにいたったのかを追及して、今後の教育方針に十分反映させるべきである。
そして、この際、これを契機に、各小・中学校は、先生が教室で生徒たちと、この事件について語り合うのもいいことではないか、と思う。その中では、愛とか優しさとかの議論も出てくるであろうし、これにより、生徒たちの反応を見たり、各生徒の考え方などを探ることもできる、と思う。
学校側は、子供の素行・躾けは学校よりも、親の躾けできまってくる、なんて構えることなく、学校の先生も、生徒一人一人の親になったつもりで、親身になって真剣に教育し、躾けてほしいものである。