手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

原発事故と科学者の怠慢--原発の実用化は時期尚早!

2011-05-26 17:42:58 | 社会
東日本大震災によって発生した津波が引き金となって、福島県の原発が事故を起こしてしまった。その後、時間の経過とともに、事故の詳細が把握されるにつれ、この事故が、かつて世界中を震撼させたチェルノブイリの原発事故と同等あるいはそれを上回るような規模の大事故だったことが明らかになっている、という。実に恐ろしいことだ。炉心溶融と言う、とんでもない事態になっているそうだ。原発事故では、原発から撒き散らされる放射能が、生物をはじめ、あらゆる物に悪影響を及ぼすので、特に事故を起こした原発の近くに住む人たちの不安は、十二分に理解できる。
この福島県の原発は、津波などあらゆる事態を想定して、十分余裕を持って設計・設置されていたそうだが、今回の津波では想定を越えたものだったので事故になった、という。日本中に、いまや50を超える原発があるそうだが、地震国のわが国では、たとえどんな大げさな想定をして設計・設置された、としても、今回のように、想定外の事態に見舞われて、大事故を起こす危険性・可能性は十分ある。原発では放射能の影響があるため、その大事故の収拾には、数十年をはるかに凌ぐ年月を要するので、実に厄介だ。
数十年前のこと、世界各国は、石炭、石油といった過去の資源に頼る火力発電では、将来の資源枯渇が目に見えているとして、原発の本格導入が行われたのだが、この導入・実用化こそ、あまりにも安易な考え方だった、と言わざるを得ない。私には、科学者が、これまで、電気エネルギー生成には、原発以外に無い、として、原発以外の電気エネルギー生成についての本格的研究をやってこなかったのではないか、と思われてならない。原発に関わっていた科学者は、ひとたび事故を起こすと、人類の生存をも脅かす原発の恐ろしさを当初から認識していたはずである。それにも拘わらず、最悪の事態を想定して設計・設置したから、大事故は起こり得ない、として実用化してしまったのが誤りだったのだ。本来は、いかなる大事故になった場合にも、安全でしかも短期間での収拾策が十分に検討・把握されてから実用化すべきだったのだ。
折りしも、先日の東京都知事選で再選された石原都知事は、今後も原発を積極導入すべき、と発言しているが、私には、東京には、原発が無いから、そのような発言が出来るのだ、というふうに思えてならない。もし、東京に原発が設置されたなら、都民はどう反応するだろうか?