手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

エキサイティングだった沖縄旅行-また訪ねてみたい!

2009-05-31 12:13:36 | 旅行/散歩/ハイキング
ちょうど一週間前の今日、生まれて初めて沖縄を訪れた。2泊3日のツアーは、今思い出すにつけ、すごくエキサイティングだったな、と思う。先週の日曜日の早朝、沖縄ツアーに参加した私たち46人は、羽田空港に集合、JALのジャンボ機に搭乗、沖縄の那覇空港に到着、ちょうど今頃の時刻は観光バスに揺られている頃だ。見るもの聞くもの、すべて珍しいものばかりで、非常にエキサイティングなものだった。
街路樹の「鳳凰木」という濃い橙色の花が美しく、特に目についた。
私にとって、ツアーでのハイライトは、なんといっても、到着したその日に訪れた、「ひめゆりの塔」への見学であり、特に印象深かった。バスガイドさんの詳細な話を聞くにつけ、第二次世界大戦末期に、戦場と化した沖縄の悲惨さが想像されて、胸が締め付けられた。見物の途中で、バスガイドさんに、ひめゆり部隊のことを質問したとき、言葉に詰まって、「女子学生」という言葉が口から出てこなくて、一時、絶句してしまったほどだった。
また、バスガイドさんは、戦時中、捕虜になるのを恐れた沖縄住民は、断崖から身を投じて自殺した、という話をされたが、その時、戦時中だったかどうかは忘れたが、私は、戦争のさなかに断崖から身を投げている沖縄の女性の写真が、新聞に大きく掲載されていたのを、思い出していた。
日本の最南端に位置する沖縄、羽田から2時間ちょっとで行ける沖縄、戦時中は広島、長崎とともに、日本で最も深い傷を負った沖縄。今回駆け足で旅した沖縄だが、何故か沖縄が好きになった。そして、再度、また沖縄を訪ねたい、と思う。那覇市内の国際通りという名所を歩いたが、今度来た時は、またゆっくり散策したい、と思った。
ツアーの最終日に、沖縄空港で添乗員さんと別れしな、私は彼女に、「また沖縄に来たい!」と言い残したほどであった。



作詞家 石本美由紀さんの訃報に接し寂しく思う

2009-05-28 16:38:16 | 想い出
昨日27日、「憧れのハワイ航路」「悲しい酒」などで知られる作詞家の石本美由紀(いしもと・みゆき、本名石本美幸=いしもと・みゆき=)さんが亡くなられたそうだ。85歳だったという。私が好きな「人生一路」(美空ひばりさんが唄って大ヒットした歌)など数々の歌の作詞も手がけた方だ。昨今は、なんかしら急に昭和を代表する作詞家・作曲家が次々とこの世を去っていってるような感じがしてならない。実に寂しいことである。
例えば、
1998年6月には、吉田正さん(戦時中に流行した「異国の丘」や橋幸夫さんの唄う「潮来笠」などの作曲家)
2006年9月には、市川昭介さん(都はるみさんの唄う「大阪しぐれ」などの作曲家)
2007年8月には、阿久悠さん(全国高等学校サッカー選手権大会のときに歌われる歌「ふり向くな君は美しい」などの作詞家)
去年(2008年)の12月には、遠藤実さん(千昌夫さんの唄う「星影のワルツ」や「北国の春」などの作曲家)
などといった方々が亡くなられ、そして、つい先日には、三木たかしさんが亡くなられている。
平成の世も21年目に突入し、今や、"昭和は遠くなりにけり"ということなのだろう!



沖縄へのツアー旅行で、「ひめゆりの塔」を訪問して感慨無量!

2009-05-27 18:46:15 | 旅行/散歩/ハイキング
先日、ずっと以前から、必ず行ってみたい、と思っていた沖縄への旅を実現させることができた。それで、昨日、東京に戻ってきた。沖縄は今は梅雨ながら、現地では、3日間の旅程のうち昨日の午後に少しばかり雨に遭ったものの、旅にほとんど支障なかった。
私にとって生まれて初めての沖縄旅行であり、ツアーでの旅行なので格安料金で行って来ることができた。これで、ずーっと以前から、「ひめゆりの塔」の地を是非とも訪問して、参拝したい、という、長年の願いを実現できた。
第二次大戦における太平洋戦争では、広島/長崎への原爆投下と、沖縄での激戦による悲惨さが、私の心の中に最も大きく印象強く残されている。昭和20年の当時まだ小学生に上がっていなかった私は、夜の防空壕から這い出て、夜空を編隊飛行するB-29の飛行機の数を数えていたことを、今も鮮明に思い出すことができる。
戦争が終わってから、沖縄で、傷病兵の看病を寝る暇もなく続けた、女学生たちによる「ひめゆり学徒隊」の悲話を聞かされた。それで、ずーっと、慰霊に出かけたい、という思いでいっぱいだった。
今回の沖縄ツアー旅行に参加したのは、「ひめゆりの塔」やその資料館、さらに、平和祈念公園への訪問が組み込まれていたから。現実にこれらの地を訪ねて、参拝することができて、今回の旅行は大いに満足いくものだった。
ひめゆりの塔に隣接する資料館の中の、いくつもの展示室では、200余名の犠牲者の遺影や、米軍上陸後首里陥落までの戦況地図、写真、現物資料などが解説文とともに展示されていて、その悲惨さで胸が痛くなる。
今、この文を書きながら、思うことは、戦争をやって互いに殺し合いをする人間て、なんてバカなんだろう、ということだ。文化の発達を謳歌する現在の世の中でさえも、各国が軍事拡張を進めており、人間て本当は知恵の無い、情けない、バカな動物だな、と思わざるを得ない!!




作曲家 三木たかしさん出演のビデオを見つけた

2009-05-21 14:33:50 | 想い出
今朝、起き掛けにテレビをつけたら、先日亡くなった作曲家の三木たかしさん(本名=渡辺匡、享年64)の葬儀・告別式典の模様が報じられていた。式典は昨日(20日)、東京都港区の増上寺で営まれたそうで、タレントの萩本欽一さんら約700名が参列したそうだ。画面の中で、欽ちゃんが、悲痛な面持ちで「きょうで友達やめます。三木先生、ずーっとありがとう!」って弔辞を述べているシーンは、見ていて私までも胸が痛くなる思いだった。
テレビを見終わってから、何気なく、過去に録画しておいたビデオレコーダー内のビデオクリップを整理しよう、と思って操作していたら、なんと今年1月13日(火)にNHKからライブで放送された歌番組の中に、三木さんが妹の黛じゅんさんと共に、出演しているシーンがあることに、偶然、気がついた。見てみると、ギターを抱えたお兄さんの伴奏により、自分の作った曲「さくらの花よ 泣きなさい」を妹の黛じゅんさんがしんみりと唄っていた。唄の途中で、兄妹が互いを見つめあうシーンもあった。それと、ギターを弾きながら、兄の三木たかしさんは、泣いていたように見えた。司会者によると、兄妹が共演したのは、この日40年ぶりだった、と言う。また、このとき、三木たかしさんは、咽頭がんのため、声を失っていたそうだ。傍らで熱唱する妹を優しいまなざしで見つめつつ演奏するお兄さん--。私は、このようなシーンを見ていて、涙が出てきてしまった。
今は亡き、三木たかしさん、アノ1月13日の番組のとき、どんなお気持ちだったんだろうか。がんの苦痛に耐えていたのかな。でも、それよりも妹と共演する嬉しさで、いっぱいだったかも・・。
若くして逝った三木たかしさん、きっと、晩年は苦痛やら、声を失ったことの悔しさやらで、すごく辛かったのでは、ないだろうか?
私たちにたくさんの名曲を残してくれた天才作曲家の三木たかしさん、ご冥福を心から祈っています。


久しぶりにプールで泳いできた

2009-05-20 17:09:57 | スポーツ
夏の陽気を思わせる今日は、午後2時から4時にかけて、プールに出かけて泳いできた。車で15分くらいの場所に総合運動公園があって、そこには一年中、冬でも泳げる温水プールがあって、たまに出かけることがある。
たしか去年は、このプールに行ってないので、久しぶりだ。ウイークデーの午後とあって、泳いでいる人たちは、全部で20人ぐらいで、皆、おじさん、おばさん、といったところだ。フグのお腹みたいな体形をしたおばさん(失礼!)も散見された。
私は25メートルの競泳用プールで、自己流の自由形で泳いできた。自己流なので、なかなか息継ぎがうまく行かない。ま、それでも、なにもかも忘れて一心不乱に泳ぐのは、なかなか楽しい。水泳は、身体の運動に非常に良い、と言われているので、これからも、できるだけ泳ぐ機会を増やそう、と思う。

三木たかしさんの訃報に接し、彼の作曲した「ふり向くな君は美しい」を思い出す

2009-05-16 13:38:14 | 想い出
去る5月12日に、作曲家の三木たかしさんが亡くなられたが、三木さんと言えば、すぐに思い出すのが、彼の作曲した「ふり向くな君は美しい」という歌だ。女性歌手である黛じゅんさんのお兄さんとしても知られている、彼が作ったこの歌は、ひと頃、高校サッカーの試合会場で、非常にしばしば耳にしていた曲だ。
http://www.youtube.com/watch?v=7UU35rxBZ9s
私は、かつて、西が丘サッカー場とか大宮サッカー場に何十回となく足を運んで、高校サッカーの試合を見ていたが、そのとき、応援団のブラスバンドがきまって、この曲を演奏していたものだった。最近は足を運んでいないが、もしかすると、今でもそのような光景が見られているのかも知れない。この曲、私にはすごく若さ溢れる、すがすがしい感じがして、初めて聞いたときから、大好きになった。そんなわけで、私は、携帯電話というものを初めて持ったときから、今日までずっと、着信を知らせる呼び出し音の曲として、この「ふり向くな君は美しい」というメロディを使わせてもらっている。


身延山久遠寺の五重塔の落慶法要式典に出席

2009-05-15 18:35:59 | 家族
日蓮宗の総本山である身延山久遠寺に、この度、五重塔が建設され、同寺から私の母宛に落慶法要式典の招待状が届いた。今年89歳になる母の、"是非出席したい"、との希望に応えて、三男が車の運転をかってでた。私と次男は、それにお付き合いの形で同乗、かくて母および私たち3兄弟を含めた4人で、5月13日に出発し、昨日の5月14日の落慶法要式典に列席してきた。同式典は、13日から5日間に亘って行われ、昨日は、その第2日目である。
昨日は、快晴の中、午前11時から始まった式典は、約一時間で終了した。
ところで、私たち家族は、母が熱心な信者であることから、これまでに何度も身延山の参拝に訪れている。たしか私たち家族が最初に訪れたのは、私が大学生だったころだった、と思うが、当時は今は亡き父が車を運転して参拝に訪れていて、以来、私が身延山を訪れたのは、10回近くになるかな、と思う。最初に訪れたときには、当時、墨染め衣に身を包んだ身延山高校の学生との偶然の出会いがあって、その彼と私たちが、祖師堂の壁のバックに写真を撮らせてもらったことがあった。何故か今でも、「保坂 喜久男(夫?)」さんという彼の名前を覚えていて、懐かしく、恐らく今では、彼は60歳前後で、どこかのお寺の住職になられているのであろう。
母は、檀家の壇信徒として、毎年のように主催される、お寺の団体参拝に参加している関係で、ここ数十年は毎年欠かさず身延山への参拝を続けている。
長男である私や弟たちにとっては、たしか前回、身延山に参拝したのは、父と一緒に訪れたときであり、今回の身延山参拝は、亡き父を想い出す旅でもあった。参拝には、いつも後ろ向き父は、篤い信仰心に燃える母の意向に押されて、車を運転して、私たちを身延山はじめ、池上本門寺や中山法華経寺などに、たびたび連れていってくれたものだった。


蒸し暑い夜はスイカが一番!!

2009-05-12 23:23:59 | グルメ
今日は、日中も蒸し暑くて、夕食に予定していた焼きそばを取りやめることにした。こんな日の夕食は、脂っぽいものが食べたくなかったからだ。
で、風呂から上がって、楽しみにしていたスイカを食べた。このスイカは先週末に、私と家内が千葉に住む孫娘のところに泊まりに行ったとき、いただいてきたものだ。孫娘の母である我が娘夫婦が私のために買って来てプレゼントしてくれたのである。
時々、スイカを果物と勘違いして、みんなから笑われる私だが、果物といえば、「清見タンゴール」という、私には今まで聞いたことのなかった、みかんに似た果物が、最近食べた果物の中で、特に美味しかった、という印象を持っている。この「清見タンゴール」は、約2ヶ月近く前に、深夜のテレビの"ショップチャンネル"で、PR放送されていて、これを見て、すぐに電話して取り寄せたものである。皮はみかんよりも固くて剥きづらいが、実はみかんよりも濃い橙色で、その甘さは抜群だった。今はもう、時期を過ぎているだろうが、またいづれ、時期が来たら、再度取り寄せよう、と家内と話し合っている。

スポーツ少年団の過熱気味な活動に喝!指導者に一考を望む

2009-05-07 10:47:48 | スポーツ
私の息子が小学生だった頃もそうだったが、野球やサッカーなど、主に小学生を対象にしたスポーツ少年団が、あちこちで活動していて、そこのチームに所属する子供たちやそれを応援する親たちを熱く燃えさせている。当時もそうだったが、今でも毎休日は、すべて練習や試合を組んでいるスポーツ少年団があって、余りの加熱ぶりには考えさせられる。すべてのスポーツ少年団のチームが皆、そうとは言い切れない、と思うが、一部チームのやり方には、どう見ても、活動し過ぎ、やり過ぎ、と思わざるを得ない。
現在、埼玉に住む、小学4年と3年の私の孫は、小学校に入る前から、サッカーのスポーツ少年団に所属しているが、このゴールデン・ウィーク中、彼らは一日の休みも無くずーっと、練習やら試合、更には合宿さえもが組まれていて、休日を家でゆったり過ごすことも無い有様だった。一年を通してすべてサッカー漬けになっているのだ。こんなことで良いのか、と思う。孫に聞いたら、将来サッカー選手になりたい、と言うし、親も積極的に全面的に協力している。
実は、千葉に住む二人の孫娘は、このゴールデン・ウィークには、埼玉に住む、小学4年と3年のサッカー少年の孫たちと久しぶりに会って、バーベキューをやるのを楽しみにしていた。--でも、それは適わなかった。
家内は、孫娘から、埼玉の孫たちと会えない理由を質問された時、「サッカーの試合が負ければ、翌日は試合が無くなるから会えるかも・・」と答えていたが、すかさず小学2年生の孫娘が、「サッカーの試合が負ければいいのに・・」とヤケ気味に不満を言っていたが、隣にいた私も孫娘の言葉には賛成だった。
ほぼ一年を通して、休日をすべてサッカー漬けになっている、なんていう指導方針をとっている少年団の指導者は、この際、考えを改めてほしいものだ。子供たちに対して家庭団欒の場として、ゴールデン・ウィークとか、月に数回の休日は、サッカー漬けからの解放が是非必要である。これくらいの休日を設けても、チームの戦力強化が落ちるとは思えない。
子供たちが大きくなったとき、小学校での想い出が"サッカー"だけ、だとしたら、余りにも寂しい、情けない、と思う。
たまの休日には、子供たちを、サッカーから切り離して、彼らに家庭団欒の機会を与え、映画を観たり、遊園地で過ごさせたり、博物館を見学させたり、親戚の子供たちとのふれあい、などといった幅広い経験をさせることが必要だ。



昨晩のプロ野球の楽天、野村監督が「咲いた咲いた、白星咲いた」

2009-05-02 09:03:45 | スポーツ
今朝は起きがけに、ベッド上でテレビをつけて見ていたら、スポーツニュースの中で、昨晩のオリックスとの試合で、楽天の勝利シーンが放映されていた。今シーズン最多の12得点をあげて、パ・リーグ首位をキープしている、とのこと。
この試合後、ダッグアウトから出てきた野村監督が、なんて言うのか見守っていたら、「咲いた咲いた白星咲いた」と、ほとんど無表情に見える顔で、語っていた。私は、実に可笑しく、思わず独りニヤリと笑わずにいられなかった。もちろん、同監督は、「最多、最多、白星最多」っていうのと、引っ掛けて、発言したことは、間違いなく、内心は、笑いが止まらないほど、相当に嬉しかったに違いない。それにしても、よくもまあ、ああいうコメントが即興で出てくるもんだなァと感心している。
シーズンの優勝目指して、頑張れ!楽天