手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

「サンデー・ジャポン」でTBSテレビへの抗議電話、やっとつながった!!

2007-09-30 11:59:05 | Weblog
テレビを見てて偶然チャンネルを回したら、TBSのサンデージャポンが始まったばかりだった。冒頭の話題は、最近大きなニュースとして世間を騒がせている、大相撲の序ノ口力士・時太山(当時17、本名斉藤俊=たかし=さん)が急死した問題が取り上げられ、これに関して数人のコメンテーターが意見を言いあっていた。コメンテーターの一人、テリー伊藤さんは、「今の相撲協会はカルト集団だ!」など辛口発言をしてたが、その彼のすぐ左側に座っていた女性タレントは、"シゴキは良いこと"として、時太山がシゴキにあって死んだとしてもそれを完全に容認する過激な発言をしていた。この発言を聞いた、テリー伊藤さんが彼女に向かって、「あんた、シゴキって、どういうことなのか知ってるの?悪意を持った言葉だよ!!」って、語気を荒げて怒りをぶちまけていた。
--これを見ていて、私もテリー伊藤さんに同感、彼女に対して怒りを禁じえなかった。そして、どうしてこの女性のような、世の中を不幸にする危険な思想を持つ人を、コメンテーターとしてTBSテレビが採用してるのか、TBSの常識を疑ってしまう。そこで、私はTBSテレビへの抗議の電話をしてみた。最初は、"混雑しててつながらない"と、いうメッセージが流れてつながらなかった。しかし、数十分後に再度電話したら、やっとつながったので、"マスコミにあるまじき放映だ、として厳重抗議した。
特に今の日本では、道徳教育など心の問題の大切さが、叫ばれているにもかかわらず、今日のような日曜日、しかも多くの家族が視聴していると思われる時間帯に、このTBSのような番組を放映するのは、大問題だ。いかに言論の自由が保障されているとはいえ、マスコミでこのような番組を流すのは、レッドカードものだ。それに、今日の番組、もし生放送ではなくて、録画されたものを放映していたのだとしたら、TBSは彼女の発言を承知の上で、敢えて放映したわけであり、ますますTBSの罪は大きいといえる。
なお、念のため私は、過激発言をした女性がどういう人なのかを、フリー百科事典で有名な「ウィキペディア」のホームページで調べてみた。その中の一部分を抜粋して紹介すると、次のように書かれていた。
・日本テレビ系「恋のから騒ぎ」第3期生として出演したという経歴
・テレビ等のメディアでは、高慢かつ高飛車なキャラクターとして知られており、美貌や男性の年収等に関するシビアな発言を多く行っている。
・「ブサイクは生きる価値なし」と発言し、これを放送したテレビ朝日やホリプロに「医師が『生きる価値なし』と発言することは如何なものか」として抗議が殺到した。後にこの発言を「ルックスのことだけを指したのではなく、きれいになろうと努力をしないことを指して発言した」と釈明した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電話で、孫娘の最初の言葉が「お誕生日おめでとう」

2007-09-28 21:46:53 | Weblog
午後8時半過ぎ、夕食を終えて、家内と、"11人家族のハワイ旅行"を放映していたテレビ番組に見入っていたとき、千葉県に住む、6歳の孫娘から電話がかかってきた。パソコンを立ち上げてほしい、というものだった。いつもなら、電話がかかってくる前から、我が家ではパソコンを立ち上げて、孫娘たちとのパソコンによる無料TV電話に応じられるよう待機しているのだが、今日にかぎって、テレビに見入ってしまって、パソコンを立ち上げていなかったのだ。
最初に受話器を取った家内に代わって、私が電話に出て孫娘に話しかけたら、彼女からの最初の言葉が「ムーチャン、お誕生日おめでとう」っていうものだった。思いもよらなかった言葉に驚いた。誕生日を迎えてトシ取るのはイヤな反面、一方で、彼女が私の誕生日が今日であることを覚えていてくれたのが嬉しかった。
彼女からはその後「ムーチャン、いくつになったの?」って聞かれたので、"6○歳 タス 1だよ!"って答えたら、すぐに「カンタンだよ、6□でしょ」と正解が返ってきた。
ところで、私は、自分が「オジイチャン」なんて呼ばれるのがイヤなので、孫たちには、いつも、私が子供時代に周囲から呼ばれていた愛称「ムーチャン」を使って、私のことを呼んでくれるよう、日頃から彼らに教え込んできた。その甲斐あって、今ではどの孫からも、ごく自然に、私は「ムーチャン」って呼ばれている。(ちょっとヘンかな~??)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嫁姑の問題は同居しなきゃわからない、と思う

2007-09-27 13:40:50 | Weblog
昨日は3番目の弟が経営する会社に行ってきた。そこでは、家内が働いているが、たまたま偶然にもそこに2番目の弟が訪ねてきて、お昼の時間にもなるので、「じゃあ」と、いうことで、近くの「銀座アスター」にて、みんなで昼食をともにした。昼食時に主に話題になったのは、母と同居する我が家の近況だった。長男の私は、最近我が家に現れた蟻の問題でてんてこ舞いだった騒ぎや、傍若無人/自分勝手に振舞う母のことなど、離れて暮らす弟たち二人に普段の実情を説明した。弟たちには今までにもたびたび、母との同居の難しさを説明しているが、二人の弟が一緒の前で話すのは珍しい。
食後でもあり、時間に余裕もあったので、話題は昔のことにも及んだ。
--私の脳裏には今も鮮明に刻まれているが、かつて、家内は姑である私の母から受けたストレスの影響で、連日のように大量に頭髪が抜け落ち、あたかも原爆の放射能を浴びた人の頭のように髪の毛が少なくなってしまい、それを見かねた家内の母がカツラを買ってくれたことがあった。これって、私たちが川崎の虹ヵ丘団地に住んでいた30年ほど前の頃のこと、長男が生まれてまもない時分だった。当時、赤ちゃんの面倒をみる、という私の母から呼ばれて、家内は私の実家で姑と一緒に同居したことがあって、その時に受けた過度のストレスが原因だったのだ。
このようなエピソード話や、ときどきそれを補足説明してくれる家内の話を、二人の弟は少しはうなずいて聞いてくれるものの、半信半疑で聞いているようだった。彼らは、私と家内が思っているほどの、その実情のひどさには、まったく信じられない、といったようだった。やはり、たまにしか我が家を訪れない弟たちには、実情を心底理解できないようだ。嫁姑の問題って、同居しなきゃわからない、と思わざるを得ない。
なお、最近私は、嫁姑などの問題を専門に扱う興味深いホームページがあるのを知った。嫁姑問題で悩んでいる人が愚痴をぶつけあったり、励ましあったり、勇気をもらったりでき、必要なら文句や発言も書き込める、など、素晴らしいホームページだ。嫁姑問題を抱える人には必見のホームページだ。アドレスは次の通りです。
嫁の立場向上委員会
http://yometati.chu.jp/
嫁姑問題攻略会議
http://homepage3.nifty.com/yometati/kaigi.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嫁姑の問題は永遠に続きそう

2007-09-26 10:11:00 | Weblog
昨日の午後、私は東京に向かう電車の中で、携帯電話の呼び出し音が鳴ったのを聞き、聞いてみると家内からだった。彼女は「今、どこにいるの?」と訊ねたあと、「今日、医者にいったら、ストレスによる帯状疱疹と、言われた」とだけ伝えて電話を切った。
私は、帯状疱疹って、どこかで聞いた名前だな、と思い、しばらくして「皇太子の奥さんの雅子様の病名では」と思い出した。
4~5日前に、急に彼女の左側の臀部には直径3センチほどの赤みがかった発心ができて、彼女は蟻に食われたのかな、と言い、気にしていたようだが、2~3日前には今度は身体の左半身全体がしびれ出してきて、とうとう心配して医者に行ったそうだ。医者が言うには、彼女の症状を見て、即座に帯状疱疹だ、と即答した、という。彼女のこの病気の原因に医者が挙げた原因として、"ストレス"といえば、大いに思い当たることがある。
--2週間ほど前から、我が家の1階のアチコチの部屋に、どこからともなく大量の小さな茶褐色をした蟻が現れたため、その退治や駆除について、1階に寝ている母にとっては重大問題で、私も家内ともども手こずっていた。家内が駆除の薬を買ってきたりして、いろいろ手をつくした結果、最近はやっとのことで蟻が出なくなった。でもこの、退治や駆除を巡っては、88歳になる母は、今回もまた独自論を言い張り、これまで私や家内の意見と衝突することは何度もあった。--そんなわけで、家内がストレスを受けたであろうことは間違いない。相手の考えに聞く耳を持たず自分の考えをあくまでも押し通す母には、いつも私たち夫婦は手こずっている。でも、いっぽう、たまに我が家を訪れる弟や妹の意見をいとも簡単に聞き入れ、自分の考えを豹変する母にはあきれるばかりだ。嫁姑の間を取り持つ私としては、自分を生み育ててくれた母に組したいところだが、あまりもの母の横暴ぶりにはどうしてもfollowでき得ないものがある。
我が家に限らず、昔から言われてきた嫁姑の問題は、社会の発展に関わらず今後も永遠に続きそうな気がしてならない。
なお、家内はつい10日ほど前には、身体全体の痛みを訴えていて、整形外科の医者にかかったが、そこでは椎間板ヘルニアだと診断をくだされていて、治療中だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塾通いの生徒やそうでない生徒もいる中、学校の先生は教えずらいのでは?

2007-09-23 09:31:38 | Weblog
土曜日の昨日は2週間ぶりの土曜教室だった。先週は学校の運動会のため中止だった。土曜教室が始まって数ヶ月もすると、生徒たちと講師の先生方とのコミュニケーションもよくなる反面、大声をあげるなど騒いだりする生徒も出てきている。極端な時には、教室で鬼ごっこしてるような場面も出てきて、土曜教室に遊びに来てるような生徒たちも目に付くようになった。もちろん真面目に勉強に取組む生徒も半数以上はいるので、私は騒ぐ生徒には「土曜教室は勉強の場だ」「静かに勉強している生徒に迷惑をかける」など、厳に言い聞かせている。
ところで、生徒の中には塾に通っている者もいる。私は、時として、現在学校の授業で勉強中の基本的な事柄を解説したり、その応用問題を出題するのだが、するときまって、彼らが出しゃばって得意げに率先して黒板に書き付けたり、大声をあげるなどする状況になる。ひどい生徒になると、塾で学んだ難しい問題を講師の先生に「これわかる?」なんて言い出す生徒も出てきて、教える側としては、非常にやりにくさを感じる。昨日の小学4年生のある生徒などは、塾で5年生後期程度の問題も難なく解いていた。このように、塾通いの生徒やそうでない生徒が混在する中、先生って相当教えるのがむつかしいのではないかな、なんて思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間一髪でセーフ!下車した女性が指を挟まれたまま電車が動き出す

2007-09-21 09:49:50 | Weblog
去る9月20日の午前10時ごろ、堺市東区の南海電鉄高野線萩原天神駅で、普通電車(6両編成)の2両目から下車した母親が、1歳男児を乗せたベビーカーを降ろそうとしたところドアが閉まってしまい、電車はベビーカーの取っ手をドアに挟んだまま発車。そして、電車は男児の乗ったベビーカーを車外に宙づり状態にして約130メートル走行、乗客が車内の非常通報ボタンを押したことで、ブザー音を聞いた運転士が緊急停止させ、ホームから約50メートル先の踏切で緊急停止した、という。男児にけがはなかったが、母親はホーム上を数メートル引きずられて転倒し、腕などに軽傷をおった、という。
このニュースを聞いてすぐに、私は自分の会社員だったころに目の前で起こった危なかった情景が思い浮かんだ。--もう10年くらいに前になるが、夜7時は過ぎていたと思う。私がJR高崎線の電車を桶川駅で沢山の通勤客とともに降り、ホーム上の階段を登ろうとしていたとき、下車した女性のひとりが指をドアに挟まれてしまっていた。彼女が必死にドアから手を引き抜こうとする中、なんと電車が動き出してしまったのだ。幸いなことに、動き出してすぐ後で手を抜くことができた。--とっさの出来事で私はなにも出来なかったのを今もって後悔しているのだが、でも当時のことを振り返ると身の毛がよだつ思いがする。電車の最後部でドアの開閉をする車掌のずさんさに腹が立った。今はどうかわからないが、当時はホームの明かりもそれほど明るくはなく、また、ホームには駅員はいなかった。私は、桶川駅で起こったこのような事件が再度起こることのないよう注意を促すため、その後すぐに桶川駅及び上野駅の係員にこの状況を説明した覚えがある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中学校での土曜教室の受講生徒が激減した理由を推測してみた

2007-09-20 10:11:11 | Weblog
数年前から土曜日に学校が休日になっており、それを境に私の住む街では小・中学校では土曜教室が開催され、以来、私はその講師を勤めてきた。当初は中学校の講師を勤めていたのだが、昨年(2006年)度は受講生徒が激減したため、今年度(2007年度)からは中学校の土曜教室は中止された。
土曜教室が始まった最初の年、私が担当した中学校では土曜教室に応募した生徒が優に100人を越していたのだが、昨年度はなんとその1/10くらいに激減してしまっていた。
そこで、何故、中学校での土曜教室の受講生徒が激減したのか、この数年間、土曜教室の現場に携わった経験から、私なりにその理由を考えてみた。
◎部活の問題
昨年度、実際に生徒から聞いた話によると、部活に入っている生徒は、土曜教室に出席したいが為に部活を休む、というのが出来にくい状況にあるようだ。中学一年生の場合、土曜教室が始まったばかりの4、5月頃は、部活も本格的な活動に入っていない時期で、10人前後の生徒が出席していた。ところが、その後2~3週間が経過して部活が本格的に活動してくるにつれて、土曜教室に出席する生徒は激減した。例えば、テニス部やサッカー部などに所属している生徒は、天気の良い土曜日は屋外での部活が可能な為、間違いなく土曜教室を欠席していた。
◎学校側の土曜教室への理解と協力の問題
土曜教室が行われる前日、つまり金曜日の下校時に、校内放送で明日の土曜教室開催を知らせる、といったような学校側の配慮が必要だ、と思うのだが、そういう配慮は行われておらず、土曜教室への協力が不足しているように感じられた。学校側が「土曜教室は勝手におやりになったら?」なんていう雰囲気を持っていることを感じ取ったのは私ばかりではなく、別の講師もまったく同様な感想を持っていた。また、学校の教師にも土曜教室を理解してもらうことも必要だ。
具体的には、こんなことがあった。
・ある土曜日など、土曜教室専用に割り当てられている教室に入ろうとしたら、その教室が部活のために教師と生徒とにより占拠されていた。
・土曜教室が行われている時間帯に、すぐ近くの教室で音楽関係の部活が大音響で楽器演奏をしていて、土曜教室授業での会話に支障をきたした。
・土曜教室が開催される当日の同時間帯に、学校側が校舎の設備などの工事を実施していて、照明器具や冷暖房器具が使えなかった。
--こういった事例は、学校側や現場の教師が、土曜教室の存在意義をまったく無視していることを如実に物語っている。
◎教育委員会の学校側への指導力の問題
学校側は教育委員会の意を汲んで、土曜教室の意義を十分に理解してほしいものだが、そのためにも教育委員会が学校側への指導力を十分に発揮してもらいたいところだ。
 以上、中学校での土曜教室の受講生徒が激減した理由を私なりに推測したが、本当の理由は、個々の生徒たちにアンケートを実施すれば明らかになるであろう。
私としては、土曜教室を実施するからには、学校側には、
「日ごろの授業での先生とは違った講師陣、"塾"とは違って、無料、気楽に教えを乞える、といった特徴ある環境を備えた土曜教室を、能力を伸ばす絶好のチャンスとして、生徒たちに対して、その活用・出席を積極的に推奨するような呼びかけがあってもいいのではないか」と、言いたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頭がいい!ってどういうこと?小学生に聞いてみた

2007-09-18 17:46:08 | Weblog
かつて土曜教室で、小学生たちに「頭がいい!ってどういうこと?」って尋ねたことがある。ほとんどの生徒からは"難しい問題が解けること"なんていう答えが返ってきて、中には"わからない"っていう生徒もいた。そして、4年生から6年生までの生徒の中に、私が期待するような答えを発言した生徒は一人もいなかった。
その後、私は生徒たちに私の考えを言い聞かせた。
「頭がいい!って言うのは、君たちが自分の未来のことを真剣に考えて、勉強の大切さを分かった人のこと、しかもその大切さに"早く"気がついた人のことでは、ないかな」って解説した。まだ、小学生の年頃では、お母さんやお父さんが"勉強しなさい"っていうから、とにかく、仕方なく勉強している、なんていう生徒が大部分だろう、とは思う。しかし、私としては、少年・少女たちに、できるだけ早い時期に、勉強することの大切さを理解してもらいたい、と思うのだ。勉強することは、彼らの無限の可能性を秘めた扉を開くものなのだ。そればかりでなく、現代の激烈な競争社会で、落ちこぼれ、落伍者にならないため、という観点でも意義のあることだ。
世の中には、勉強したくても、勉強する環境に恵まれていない子供たちがたくさんいる。例えば、開発途上国の多くの子供たちがそんな状況にあり、実に残念に思う。かつて私が出張で訪れたバングラデシュの子供たちの多くもそんな状況にあった。そして日本の国においてさえ、勉強したくても満足に勉強できないでいる子供たちがいる。ときどき、テレビで、両親が離婚するなどして、母親ひとり、あるいは、父親ひとりで育てられている家庭にいる子供たちのことが紹介されている。私はそれを見ていて、日夜頑張って働く親のひたむきな姿勢に心うたれ、そんな逆境の中にいる子供たちにこそ、温かい手を差し伸べてあげたい気になるし、ボランティアとして今すぐにでも応援したい、と思う。
地球上の子供たちみんなが平等に勉強できて、平和な生活を享受しあえるような世の中が一刻も早く到来してほしい、と願わずにいられない。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小学校の運動会を見物、昔とはだいぶ様変わり

2007-09-15 22:19:21 | Weblog
埼玉県に住む息子は、いま、今から30年近く前に、私たち家族4人が神奈川県から移ってきて、住み始めた家に住んでいる。今日は、その息子の子供たち、つまり私の孫たちが通う小学校の運動会を見に行ってきた。心配された天候も運動会日和で、むしろ陽射しが思いのほか強烈で、家に帰ったら、真っ先に、顔が陽に焼けたことを指摘されたほど。二人の孫は小学1年生と2年生の男の子で、私が会場に着いたときには、残念ながら、彼らの出る競走のプログラムは既に終わっていた。
この学校は、私たち夫婦が埼玉県に住んでいた当時、娘と息子も通っていた学校で、いろいろな思い出が詰まっている小学校だ。中でも、息子が小学生時代に、彼がサッカークラブに入っていて、ときどきこの小学校の校庭でサッカーの試合が行われていたが、私はほとんどの試合を見に行っていて、当時は、試合をビデオで撮影もしていた。
会場の校庭には、息子夫婦のほか、お嫁さんのお母さんも見に来ていて、お母さんと話ししながら、見物していたのだが、なにしろ陽射しが強くて、お母さんのさしてくれた日よけ傘の下で見物したのだが、とにかく、いたたまれないほどだった。
元気に遊戯などをしている孫を見つけて、これからも元気にすくすくと育ってほしい、と願わずにはいられなかった。
ときどき見物席をあちこちぶらつきながら、子供たちを見ていると、自分の子供時代やら、わが子の幼かったころの記憶がよみがえってきて、実に懐かしい。
昼食後の最初のプログラムに組まれた小学6年生全員によるマーチングバンドの演奏の際は、小学校の校歌も演奏され、それを聴いていて、胸が熱くなるのを覚えた。
息子と見物していて、息子も同じ意見だったが、今日の運動会では、なんか盛り上がりに欠けていて、物足りなさを感じた。息子の時代と違って、地区対抗リレーとか、学級対抗のリレーとかもなく、また、先生方による仮想行列などがなかったからかな、と思う。おそらく、こういうプログラムがあれば、今日の運動会はずーっと盛り上がっていたはずだ、と思うのだが、どうして、このような、昔人気だった種目が無くなってしまったのか、不思議だ。残念に思う。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私にとっては孫って自分の命よりも大事だ

2007-09-14 22:35:27 | Weblog
今週の月曜日は、娘から、留守番を頼まれて、千葉県の娘宅に出向いた。翌日の火曜日は、私は別に用事がなかったので、その月曜日はそこに泊まることにした。で、翌火曜日の朝は、もちろん、お揃いの制服に身を包み、お揃いのカバンを背負って、幼稚園のバスに乗り込む、二人の孫娘を玄関先で見送った。見送ったあと、娘は、長女のほうの孫娘について、「今日はなんか身体が熱く、熱があるみたいだった」と、ちょっと心配なことを言っていた。その後、午前11時頃、幼稚園から電話がかかってきて、"40度近い熱が出ている"とのこと。心配が現実になってしまった。
早速、娘は幼稚園に長女の孫娘を迎えに行き、帰宅途中に病院によって診察を受けてきた。医師の診断によると、ウイルス性の風邪だ、とのことで、「今夜は熱がでるだろうが、明日には下がるだろう」、とのこと。帰宅して、水枕などして、寝かせた。火曜日に自宅に帰えることにしていた私は、大事をとってその夜も娘宅に泊まることにした。熱はなかなか下がらず、食欲はほとんどなく、ヨーグルトといっしょに、喉の消炎薬を飲んだのがせいいっぱい、という状況だった。熱でホッペが真っ赤で、顔を見てるだけで、孫の中で病魔とたたかっている様子がはっきり見て取れて痛々しいほどだった。そして夕方、孫は、突然目を大きく見開いて、震えながら「怖いヨ怖いヨ!」と言い出し、なんか、怖い夢でも見てうなされてるようだった。私と娘とはすぐに孫を真ん中にして両側から必死に強く抱きしめながら、「心配しなくていいんだよ!みんなが付いてるんだからネ」って、元気付ける言葉をなんども発しながら対応。数分後、このような発作がおさまった。ところがその夜も、深夜、このような発作が2回あって、私たちは大いに心配した。
翌日の水曜日の朝には、医師の予言どおり、熱はほぼ平熱にさがった。でも、この日は大事をとって、幼稚園は休ませ、妹のほうの孫娘だけがバスに乗り込んで幼稚園に行った。で、私は、この日の午後、車で自宅に帰宅した。そして、水曜日にやっているいつもの仕事を集中力を込めてこなした。(普段なら、この仕事はまるまる一日をかけてやっとのことで仕上げていたのだが、今日ばかりは合計2時間半くらいで出来てしまった!)
ところが、夜も9時を過ぎたころだろうか?千葉の娘から突然電話がかかってきて、長女の孫娘がまたも「怖いヨ怖いヨ!」と言い出した、と言う。詳しく聞いてみると、この夜、いったんは眠ったものの、数十分ほどして目覚めてしまい、前日と同様に怖がっている、とのこと。熱はなかった、というが、私は心配になり、残っていた仕事を集中して終わらせて、家内とともに、午後11時頃、自宅を出て、深夜の道を車で千葉県に向かった。
私たちは深夜0時過ぎに、娘宅に到着。怖がっていた長女の孫娘は、私たちが来るのを知って安心したのか、既に眠りについていた。で、その夜は、私と家内とは、孫娘をはさんで寝た。この時ばかりは、私はフトンの上で、孫のお顔の直ぐそばに顔を近づけて寝た。前日の夜のような熱は無く、普段と変わらぬ寝息をたてて寝ている孫を見て安心できた。孫ってホントに可愛いい。いつも思っているのだが、私は、孫って自分の命よりも大切だ、ってつくづく思う。この先、90年以上も長生きできるだけの寿命を持つ孫が、今後も元気に楽しく生きていってほしい、って心から願わずにいられない。
一晩を通して、ときどき私は目を覚まし、孫の様子を注意深く見守ったが、幸いにして、孫は明け方まで目覚めることなく、ぐっすり熟睡できているように見えた。
かくして、翌日の木曜日の朝を迎えた。二人の孫たちは、お揃いの制服を着て、元気な姿で、迎えにきた幼稚園のバスに揺られて幼稚園に出発した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする