手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

薬師寺といえば、高田好胤さんを思い出す。薬師寺展を見学

2008-05-23 23:37:46 | Weblog
上野の国立博物館で、6月8日まで開催されている薬師寺展を見に行った。今日は天候も良く、それにウイークデーなので、人出も少ないかな、ということで、夕刻近くに入場した。あらかじめ、インターネットのホームページで、今日の金曜日は午後8時まで開館していることがわかっていたので、ゆったりした気分で入場、1時間以上にわたって、見物した。圧巻はなんといっても、日光菩薩像と月光菩薩像である。身の丈、3~4メートルもあろうか、どっしりとした巨像に驚愕した。像を見物したときはそんなに混雑していなくて、像のまわりを2~3回ほどまわって、しかも像のすぐそば、1メートル以内ぐらいの距離で、じっくりと見ることができた。
薬師寺には、まだ行ったことはないが、もう10年以上も前になるが、薬師寺といえば、127代目の管主をされていた高田好胤さんのことがすぐに思い出される。高田さんが、入門当時の薬師寺には、江戸時代末期に仮再建された<金堂>と、<講堂>があるだけで、創建当時の建造物は<東塔>だけであったそうだが、薬師寺には檀家制度がなく、金堂を再建するにも困窮を極めたそうだ。そこで、高田さんは、一人1000円の写経納経(般若心経)の供養料を集める勧進を行うなど、いろんな活動をして、浄財を集めて、金堂の再建事業達成に尽力された方である。かつて私は、高田さんが日本橋の三越で行った法話を伺ったことがあった。お話の内容がとても分かり易く、物腰柔らかそうな人柄で、誰からも親近感をもたれる、その姿が、今でも私の目に焼きついていて、懐かしい。高田さんは、現代の世の中に対して、「モノで栄えて心で滅ぶ!」と、叫び続けて、警鐘をならし、「心」など数多くの本を執筆する傍ら、講演のため全国を飛び回った方で、文字通り、世の中を、社会を良くするために、粉骨砕身、努力されてこられた方だ。
その高田さんは、平成10年(1998年)に亡くなられて、早や10年。現在、高田さんに匹敵するような、社会の最前線に出て、住み良い世の中実現のために活動されているお坊さんがおられないのは、実に残念である。
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