手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

麻生首相による追加経済対策はバラマキそのものだ!

2008-10-31 17:22:55 | 社会
昨日の10月30日、麻生太郎首相は、総額で2兆円に上る定額給付金を全世帯に支給することや、高速道路料金の大幅な引き下げ、住宅ローン減税の拡充などの追加経済対策を発表したが、今朝の新聞各社はそろって、これについて社説に触れている。
中でも際立ったのは、毎日新聞が、「究極のばらまき」である、と断じていることである。一方、読売新聞は全くのノーコメントでこれを報じている。以前からいつもそう感じてきたことだが、こういうことを知るにつけ、読売新聞って、政府与党の自民党政権に肩入れしているな、と思わざるを得ない。
2兆円に上る定額給付金は全世帯に支給するらしいが、例えば、夫婦と子供2人の家庭では、6万円が支給される、らしい。私は、こうした政府の対策は、政権与党である自民党政権の選挙を意識したバラマキであり、毎日新聞の指摘する通りだ、と思う。同じ給付金を支給するにしても、大金持ちをも含めた全世帯一律に配布する、というのは、真に政府の行う施策として、的を得ている、とは到底思えず、バラマキとしか思えない。
冷え込みつつある景気の中で、突然に会社をクビになったり、身体の病のため働くこともままならず子供二人を抱えた夫婦が健康保険料を滞納して健康保険証も取り上げられた、など、昨今のテレビで毎日のように報じられている。定額給付金を支給するのであれば、こうした社会の弱者に対して、手厚く支給するのが政府の役目だ、と思う。例えば、年収がある限度額以上の世帯には支給する必要は無い、と思う。その代わり、現在無職の世帯とか、低収入の世帯に対しては、ある期間に亘って、毎月一定額を支給して家計を支援する、といった施策を取った方がよっぽど血の通ったお金の使い方であろう。

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小学生に鶴亀算を出題して活性化した授業

2008-10-30 17:46:19 | 教育
昨日の読売新聞をパラパラとページをめくって見ていたら、「鶴亀算 答えより解き方」という大見出しの記事が目に付いた。この記事は、同新聞が、"教育ルネサンス"として、ほぼ連日のように連載してきているシリーズの一環だ。
「鶴亀算」といえば、かつて私が、街の土曜教室の講師をしていたときに、中学校や小学校の生徒たちに、この鶴亀算を出題したことがあって、当時、生徒たちが非常に興味を持って、問題に取り組んでいた時のことを思い出す。
さて、昨日の新聞記事によれば、東京都の御茶ノ水小学校の先生が、戦前に使われていた小学校算術の教科書に紹介されていた「鶴亀算」にヒントを得て、子供たちに「考える算数」を経験させたい、として特別授業に臨んだ、という。そして、その結果は、子供たちから「考えるのが楽しかった」など、好評だったようだ。
なお、同新聞によると、ここで取り上げた戦前の教科書は、表紙の色から「緑表紙」と名づけられ、1935年から10年近く使われ、当時は、その斬新さから大きな反響を呼んでいたそうだ。そして、この伝説の教科書を見直すことが「考える力」を育てるのに有効だとして、昨秋、大阪の出版社「啓林館」が復刻版を出した、という。
で、私は今日、早速、その復刻版「緑表紙」を手に入れるため、近くの書店に取り寄せてもらうよう頼んできた。

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最近、新聞を購読しない家庭が増えているように感じる!!

2008-10-28 18:32:19 | 社会
10月半ばの新聞週間に合わせて、読売新聞社が世論調査をしたところ、新聞の必要性が90%にのぼったそうだ。ところで、私の身の回りを見渡すと、以前から気になっていたことだが、新聞を購読していない家庭が多いように感じる。私の息子の家庭でも新聞を購読していないし、家内の友人の息子さんの家庭でも購読していない、など、予想以上にアチコチの家庭で、購読していないみたいだ。もちろん、新聞の購読そのものは、個人の自由であるが、私は、新聞の有用性をいつも感じており、できる限り、どの家庭でも新聞の購読を薦めたい。
新聞を購読しなくても、テレビのニュースを見聞したり、インターネットなどのメディアで、いつでも情報が得られる、と反論する人がいるが、新聞には、他のメディアに無い良さを沢山持っている。ニュースから始まって、趣味の欄、読者投稿の欄、人生案内や、求職、趣味、小説、スポーツや広告の欄など、日常の常識を身につける上で参考になる事柄が、紙面の中で要領よく整理されていて、必要なら、すぐ切り取って保存できるなど、ものすごく便利だ。
新聞を購読していない家庭を考えた場合、ともすれば、テレビなどのニュースを見逃してしまうこともあるだろう。例えば、今、重大な話題になっている、子供に関わる事件や事故のニュースを知らずに、我が子が同類の事件や事故に巻き込まれる、などの可能性も十分考えられる。新聞を読んでいれば、見出しも大きい記事で、すぐに親が、我が子に注意を喚起できるのだ。
私は、家に新聞があるかないかによって、子供たちの国語の能力にも差が出てくるように思う。親が、新聞の見出しを指さして、この文字は何て読む?、と質問するだけでも勉強になるのだ。このように、子供の身近に、新聞が置かれているか、いないかだけでも、教育の面で非常な差が出てきてしまう、と思う。
新聞を購読しない家庭が多くなってしまうことは、日本の将来に影を落とすことにもなりかねない、重大問題である、と思えてならない。
願わくは、どこの家庭も、子供たちが、"昔、毎朝、新聞をポストに取りに行くのが、自分の役目だった"、などの想い出を持つ、そんな環境になってほしいものだ。

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国民宿舎「鵜の岬」に泊まり、五浦海岸と六角堂を巡るドライブ旅行

2008-10-24 19:23:54 | 旅行/散歩/ハイキング
今月は、たまたま、旅行に恵まれている月である。一昨日(10月22日)から昨日(10月23日)にかけては、家内のお友達のSさん夫妻と茨城県の日立周辺に一泊旅行に出かけた。10年以上も前から、私たちはSさん夫妻と、これまでにも、何度かドライブ旅行を楽しんできて、お互い気心が知れた仲である。
今回は、Sさん夫妻が、全国でも、人気度ナンバーワンと言われる、茨城県立国民宿舎「鵜の岬」が予約できた、というので、誘いを受け、出かけた。私たちもSさん夫妻も、そこは初めてなので、どうしてそんなに人気なのか、非常に興味があった。
1日目の10月22日は、Sさんが運転する車が、午前8時半過ぎに我が家の前に来て、同乗させてもらい出発。最初は、国営ひたち海浜公園に行った。この公園には、数年前にも、今回と同じく、Sさん夫妻と私たちで訪れたことがあって、2度目である。当日は天候は良かったが、平日のせいで、入園者は少なく、来園者のほとんどが、お年寄りだった。秋のうららかな日差しを浴びて、コスモスが美しく咲いていたのが印象的だった。
次に、日立市内の小高い丘にある、吉田正音楽記念館を訪問した。年中無休で、日立市が運営しているそうだが、まあまあ見学者が来ていた。最上階の4階では、夜9時まで営業している喫茶ルームがあって、コーヒーをすすった。
その後、茨城県立国民宿舎「鵜の岬」へと向かった。夕方6時前に到着したが、冬も近く、辺りは真っ暗になっている。でも、この国民宿舎の建物の大きさといい、豪華さにはビックリした。8階建てで、食堂専用のしゃれた円形の建物もあって、作りは、まさにホテルそのもの、と言っていい。温泉の入浴の大浴場は、建物の最上階の8階にあって、見晴らしも抜群だ。湯船は、10mx3mほどの長方形を少し扇形に曲げた形をしている大きなものだ。それにサウナもついている。県の開発公社の社員でもある従業員の接客態度も、とても好感が持てて素晴らしい。やはり、全国でも、ピカ一の国民宿舎だ、と思えた。帰り際、受付のカウンターのお嬢さんに予約方法などを伺ったら、予約は、3ヶ月前の各月の1日の午前8時半から、電話のみで受付が開始される、とのこと。電話は6回線ほど用意されているそうだが、全国から、いっせいに予約の電話が入るため、ほとんどつながらず、何十回となく電話をダイヤルするほかない、と言う。そして、運良く電話がつながった、としても、3ヶ月先の1ヶ月分の予約は、その日の夕方近くまでには、すべて満杯になってしまうそうだ。そして、キャンセル待ちは、なんと、常時260人以上もいるそうだ。
2日目には、北上して、五浦海岸と、岡倉天心ゆかりの六角堂を見物した。この六角堂は、海に突き出た断崖上にある赤い建物で、天心が建てたそうだ。彼は、明治時代に日本美術の復興・保存に励み、日本文化を広く海外に紹介し、自らも創作活動を行ったそうだ。その彼は、ここで太平洋を眺め、波の音を聞きながら、思索にふけったと言うが、ここの景色の素晴らしさには、実に感動した。しばし我を忘れて見物して帰る途を歩きながら、再度、また景色を見たくなって、引き返して、見に行ったほどである。
その後、野口雨情記念館と野口雨情の生家を見物して、帰途に着いた。自宅に到着するまでの間に、雨が降りだしたが、夕方、6時半前に到着した。


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雷滝や壮大なスケールの紅葉に圧倒された七味温泉への旅(その2)

2008-10-20 18:28:43 | 旅行/散歩/ハイキング
そして、午後4時過ぎ、私たちは、七味温泉の"ホテル渓山亭"に到着。そこでは、先ず、源泉かけ流しの温泉で、身体を休めた。露天風呂からは、紅葉に染まった山々が一望でき、その鮮やかさには、うっとり。一緒に湯船につかる弟が、思わず「幸福だな」とか「健康の有難さ」など、の言葉をつぶやいたが、私もまさに同感だった。
6時から、専用の個室で夕食をほおばったが、その豪華メニューと種類の多さには、ビックリ。途中、仲居さんが一個8千円するマツタケを焼いてくれた。馬刺しや柔らかいステーキ、マツタケの混ぜご飯など、出されたメニュー全部を残らず平らげることは、私には、お腹を壊しても絶対に無理だった。結局、出されたメニューのうち、半分以上も残してしまった。4人のうち、一品残さず、平らげたのは、弟の奥さんだけだった。
翌日の、日曜日は、"ホテル渓山亭"の駐車場に車を停めたまま、私たちは軽装で、徒歩で、七味大滝の見学に向かった。深い渓流に沿って、歩を進めるうち、途中の山々の紅葉が、実に絶景で、しばしば脚を止めて、写真撮影をした。こうして歩み進めるうち、行けども行けども、七味大滝の場所に辿りつかず、途中で、行き会った人に伺ったら、なんと、七味大滝に至る登り口を通り過ぎていたことがわかった。そこで、今来た道を戻って、七味大滝の登り口の看板を見つけて登った。(その看板の指し示す方向は、本来、山側の急な狭い道を、ガサ藪に分け入って登っていくように、指示してあるハズなのだが、実際は、そういう意味には受け取れず、曖昧な表示方法だったのだ。現に私は、当初、この看板の存在に気づいていたのだが、まさか、山側を登るというふうには、思いいたらなくて、通り過ぎてしまったのだ)。熊やイノシシが出そうな、狭くて急な山道を、400メートルほど登り詰めると、藪に囲まれた、大人5人ほどがやっと立てる、七味大滝の展望台スペースがあった。この滝は、展望スペースから数十メートル先に見えるもので、岸壁に垂れ掛かる絹のスカーフを思わせる滝だが、前日に見た、雷滝のスケールには足元にも及ばないものだった。
こうして、私たちは、一通りの旅の工程を終えて、午後5時前には、弟の自宅に無事到着した。

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雷滝や壮大なスケールの紅葉に圧倒された七味温泉への旅(その1)

2008-10-20 18:19:20 | 旅行/散歩/ハイキング
一昨日の土曜日(10月18日)から、昨日の日曜日(10月19日)の2日間にわたって、弟の運転する車で、弟夫妻それに私と家内の4人で、長野県の七味温泉への一泊旅行を楽しんだ。両日とも絶好の行楽日和に恵まれて、大満足の旅であった。
弟夫妻から、今回の旅を誘われるまでは、私も家内も「七味温泉」という名前は、聞いたことがなかった。弟の奥さんが、先日、テレビの旅番組で紹介されていたのを見て、この七味温泉の"ホテル渓山亭"を予約したのだそうだ。
紅葉の今の時期は、車の混雑を避ける必要があるため、朝早くに出発せねばならず、土曜日には、午前5時半には、埼玉県の弟の自宅を出発した。かくして、車の渋滞もなく、スムーズに現地に到着した。この1日目には、山田温泉に、途中、車を停めて、無料の足湯を楽しんだ。それから後、七味温泉に至る途中の沿道に停車して、"雷滝"を見物する為、道路わきの狭い下り道を降りて行った。"雷滝"も、私には初めて聞く名前だったが、これを見物してビックリ!その凄まじい迫力には、度肝を抜かされた。別名、裏見の滝とも呼ばれるそうで、滝のすぐ裏側からも、流れ落ちる姿を見ることができるのだ。滝の裏側から、私が手を伸ばすと、手に滝からの水しぶきがかかってきた。日光の華厳の滝や茨城県の袋田の滝など、いろいろ見てきたが、すぐ目の前を落下する激流が眺められる、この雷滝には、魅了された。
その後、車は、奥山田温泉を経由して、白根山の湯釜の見学に向かった。そこでは、山麓のレストハウスに車を止めて徒歩で10分(ゆるやかな登り約500m)、山頂にある湯釜の展望スポットまで登った。そこからは、山頂にある神秘的なエメラルドグリーンの水をたたえる湯釜が一望できたが、壮大な光景には、これまた感動した。

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新そば粉を使って10割そばの手打ち蕎麦を賞味する

2008-10-16 17:57:42 | 蕎麦・うどん
昨晩は、この秋に収穫されたばかりの蕎麦の粉だけを使って、手打ちで蕎麦を打ち、賞味した。つなぎの粉など一切使わず、そば粉だけ100%を使った手打ち蕎麦は、打つのに難しい、と言われているが、そんなことは無く、成功した。茹でる前後でも、お蕎麦が切れることなく、食べてみて、香りの良い、腰の強い蕎麦を堪能できた。食べながら、これなら、時々、街のそば専門店で食べている蕎麦に十分に太刀打ちできるのでは、と思えるほどの出来栄えだった。恐らく今まで打ってきた10割そばの中では、昨晩のものが最も上手くできた、と思えた。
そういえば、昨晩は、そば切り包丁として、先日3万円で購入したものを始めて使ったのだが、そのことが、満足のいく手打ちそば作りに影響している、のだと思う。のした蕎麦生地を切っているときの、手に伝わる切れ味が、今まで使っていた安物の包丁とは、全然違っていた。
やはり、満足のいく手打ち蕎麦を作るのには、ある程度、値段の高い、良質の包丁を使うことも、大きな条件になっている、と思った。
手打ち蕎麦、と言えば、先日、アメリカのシアトルに行った時、現地に住む妹やその息子のアンソニー君が手打ちのうどんや、蕎麦が好きだ、というので、うどん粉のほか、そば粉も日本から持っていった。そして、現地で、妹やアンソニー君の眼の前で、私は、手打ちうどんや2-8の手打ち蕎麦を打って、食べてもらい大好評だった。そのときに、アンソニー君がうどん打ちや蕎麦打ちを習いたい、と言うので、教えるつもりで、一度だけ、二人で一緒に300グラムづつのうどんを打ったら、その後は、彼は、上手く手打ちうどんを作れるようになり、「今後は食べたいときにいつでも作れる!」と、本人も妹もすごく喜んでいた。そして、今日、妹からインターネットで、私のパソコンに届けられたメールによると、アンソニー君が、なんと、手打ちで2-8蕎麦を打ち、それが非常に美味しかった、とのことであった。私がアンソニー君の前で打った2-8蕎麦作りの要領を身につけていたらしい。どうやら、妹もアンソニー君も、手打ち蕎麦の通になったようだ。


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手打ちうどん教室の先生役を初体験

2008-10-14 16:09:59 | 蕎麦・うどん
昨日の13日、千葉県に住む娘一家の近所で行われた手打ちうどん教室で、私は先生役を初体験した。このうどん教室は、娘一家が購入した建売住宅会社が、付近に建てた50戸ほどの世帯の住民の親睦を図るために企画したものだ。同住宅会社の販売センターの事務所の一角が急遽、うどん教室に模様替えされ、定員の5組分の、手打ちうどんのための道具類が用意された。午前10時に、始まることになっていた教室には、5組の夫婦が出席していた。
娘宅から、歩いて1分もかからない所の会場には、私も10時少し前に到着して、すぐに分かったことは、私が想定していなかった、準備不足だった。まず、うどんをこねる時に欠かせない塩水を作るための、塩が用意されていない、ことだった。こういうことは、前もって、この教室を企画し、私に先生役の話を持ちかけてきた、同住宅会社の担当の営業マンには、話しておいたはずなので、非常にあわ食った。そこで、すぐに娘宅から、塩を持参して、塩水を作ることから始めねばならなかった。
その後、定刻の10時から少し遅れて始まった、手打ちうどん作りの講習は、家内のほか、娘一家が総出で、応援してくれた。
参加してくれた5組のメンバーは、各組すべて一見して、夫婦とわかる方たちばかりで、うどん作りの際の仲睦まじい光景は、見ていて、実に微笑ましく思った。
こうして、まあまあ、午後2時くらいまでには、各自めいめいが打ったうどんの試食を終えるまでの工程すべてを無事に済ますことができた。
なお、うどん教室の最後では、私は、企画した側の建売住宅会社のどなたかが、参加した5組のメンバーに対して、締めくくりの挨拶とか、そして私も何らかスピーチして、散会するもの、と思っていた。ところが、建売住宅会社の数人の営業マンがいたにも拘わらず、何ら挨拶をすることもなく、私が後片付けをやっている時に、5組のメンバーは、各自めいめいが勝手に帰宅してしまい、流れ解散となってしまった。この点、なんか締りの悪いものになってしまったことは否めず、残念に思っている。

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私の英会話の勉強術

2008-10-09 18:16:16 | 教育
この度、アメリカに観光を兼ねて、行ってきたが、外国に行くたび、いつも苦労するのは、英会話だ。現代のグローバル化時代にあって、英会話が必要なことは分かっているつもりなので、私は、これまで、そして今でも、折に触れて、NHKテレビの英会話を視聴してきている。でも、日常生活では、英会話はまったく使わないので、絶対に英会話をマスターしてやるぞ、みたいな決意を持つ必要が無く、どうしてもいい加減な取り組みしかできない。
しかしながら、スケジュールが決まって、いざ外国に行ってくる、という段になると、気持ちの上で、どうしても英会話に本気で取り組まないと!、という気構えになる。-----こんな時、かつて私がサラリーマンをしていた時にやっていた取り組みは、会話で使う基本文章を丸暗記するものだった。基本文章はNHKの英会話番組や英会話の本などから、日常生活で重要なものとして、私が自己流で選んだ文章だ。挨拶文や依頼文など、日常会話で遭遇する、と思われる、いろんな場面を想定した文章である。
これらの文章は、ノートの左側と右側にそれぞれ、日本文と英文で書いておき、右側の英文欄を伏せたまま、左側の日本文を見て、すぐ英文が口をついて出るように何回も練習するのである。この練習を外国に出発するまでの間、毎日、ヒマがあるたびに、最初から最後まで、何回でも繰り返し繰り返し、反復練習するのだ。
これら丸暗記する基本文章は、その後も、折に触れて、便利そうな会話文に出会う度に、これを追加するので、雪ダルマ式に膨らんでいて、今では200をとっくに超えている。でも、反復練習のおかげで、最初から最後の文章まで、ひととおり実行するのに、それほど時間をかけずに済むようになってくるものだ。
今回、アメリカに行くのに際しても、私は、サラリーマン時代から、使ってきた愛用の基本文章集をひもといて英会話の反復練習に役立てたのはもちろんである。
会話では、相手のしゃべる英語を聞く脳力も大切なので、それには、日頃からヒヤリングをやっておく以外、うまい方法は無い。このヒヤリングの練習には、今、流行の携帯音楽プレイヤーi-Podなどを使うのが最適である。

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"時差ぼけ"がなかなか治らない

2008-10-09 17:08:18 | 旅行/散歩/ハイキング
去る10月5日にシアトルから日本に到着して、もう4日目になるが、まだ時差ぼけが続いているみたいだ。今日もそうだったが、昨日も、その前の日も、午前3時とか4時頃に自然と目が覚めてしまう、という状態が続いている。今日あたりは良くなったが、2~3日前の夜明け前の時間帯には、頭が朦朧として、頭の芯が何かしらジーンとなっているような、言葉では表現できない、独特な状態になっていた。
まあ、今は、この時差ぼけは、自然に治るまで、待つことにしよう、と思っている。

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