手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

旅先から届いた孫娘の手紙に思わずニンマリ

2010-05-29 12:48:05 | 
昨日は、自転車で20分くらいの場所にあるスーパーに行き、朝食後は、毎回、少量のワインを飲みながら、食べているグレープフルーツを15個ほど、買ってきた。最近は、ひと頃より値段が上がり一個100円くらいになっていたが、昨日の特別販売では77円になっていたからだ。なお、今、出回っているグレープフルーツはアメリカ産で甘く、もうじき、それに代わって出回るアフリカ産のすっぱさよりも、お気に入りである。
買い物から自宅に戻って、郵便受けを開いたら、千葉県に住む孫娘からのハガキが届いていて、思わずニンマリしてしまった。宛先の欄に、私と家内の名前が、丁寧にきちんと書かれた、そのハガキを見てみたら、小学3年生の彼女が、今週はじめに、2泊3日で学校から旅行した長野県蓼科から投函してくれたことがわかった。蓼科では、田植えをして楽しかった、と、いう文章とともに、田植えをしている絵も描かれていて、彼女が、お友達みんなと楽しく過ごしている様子が目に浮かび、私までもが楽しく、嬉しい幸せ気分になった。



布団を捨てるのをイヤがる母

2010-05-12 18:30:32 | 家族
週に一度はゴルフをやっている弟は、ゴルフ場からの帰途、最近はちょくちょく、我が家に立ち寄ってくれる。その度に、弟は、母を車に乗せて、近くのスーパーに買い物にでかけて、野菜や果物など食料品を買ってくれている。
今日も、弟が我が家に来てくれて、母と買い物に出かけようとしていた。そんな折、弟が母に「コタツに使っている布団がカビが生えているから、捨てた方がいいよ」と進言をしていた。これを聞いた母は、その布団に愛着を感じているからか、捨てるのには絶対反対で、布団を打ち直してもらう、と言う。
この二人の近くにいた私は、10年以上も押入れで眠ったままになっている、母お抱えの綿入り布団があるのがいつも気になっていたので、ついでに、母に対して、弟と同じような提案をしてみた。実は、私の提案は今日が初めてではなくて、これまで何回も母に言ってきたが、いつも母は反対した。想像するに、10年以上もの間、布袋に包んだままの布団って、虫がわいたり、カビが生えたり、など、相当に傷んでいる、と思われる。でも、母は、「虫がわいたりするなど、絶対にあり得ない!!」って言い張り、捨てるのには絶対反対した。
古い布団、虫がわいているような布団は健康に良くない、など、いくら説明しても、私たちの考えを受け入れようとしない母。で、こんなとき、いつもの事だが、結局は、私も弟も、提案を引っ込めざるを得ない、のである。

困った親と同居する子供夫婦たちの嘆き

2010-05-11 19:08:49 | 家族
昨日、私の4歳下のいとこのT君から、彼のお姉さんが嫁いでいる先で、そのお姉さんのご主人が亡くなった、という連絡を受けた。そんな関係で、今日は、雨の降りしきる中、母を車に乗せて、一時間ほどのところで暮らすT君の自宅に伺った。彼の家には、奥さんと子供夫婦、孫たちのほか、彼の母を含め、総勢8人が住んでいる。彼の母は、私の母の姉さんにあたる人で、今日は、たまたま不在だった。それと、T君の奥さんは買い物に出かけていて留守だった。
で、居間に通された私たちは、久しぶりにお茶を飲みながら、T君と雑談を交わした。雑談の話題のほとんどは、93歳になる彼の母のことで占められた。彼からは、その母が自分勝手で、わからず屋で、その横暴ぶりに、翻弄されて、困り果てている、という実情が紹介された。そんなわけで、彼の奥さんや、子供夫婦など家族みんなが呆れ果てて、家族の誰からも口を聞いてもらえなくなっている、という。実は、私が、T君から、このような嘆き節を聞かされるのは、今日が初めてではない。今まで、親戚で不幸があったときなど、彼と顔を合わす機会があるたびに、聞かされてきた。いつだったか、T君と彼の母とが、食事のときに口論になった際、怒った母が、料理の載った食卓を無理やり、ひっくり返してしまった、という事件もあったそうだ。最近、T君の母は、腹を立てると食事するのを拒んで、ハンガーストライキの行動にも出る、という。そんなときは、彼の奥さんや子供の奥さんが、食事を拒む母を、見るに見かねて、なんとかなだめすかして食事を食べてもらうよう、頼み込んでいる、という。
たまには、T君の兄や姉たちが、彼の家に遊びに来るそうだが、彼らと母との接触時間は、ごく短時間なので、彼らと母との関係はすごく円満、良好そのもの、だそうだ。で、彼は以前にも言っていたが、今日も、私に、「オレと違って、オフクロと同居してない兄姉たちは、オレたちみたいに苦労しないでいいから、いいよナア」って、しみじみ語っていた。--この彼の言葉、私には十二分に分かる。

オーストラリア旅行から帰って早や一カ月

2010-05-10 17:33:43 | 旅行/散歩/ハイキング
オーストラリアへのツアー旅行から戻って、既に一カ月が過ぎ去った。アッという間であり、時間の経過が実に早く感じられる。今回の旅行で、私のオーストラリア観は大いに変わった。行く前には、オーストラリアって、日本から遠く離れた大陸で、夏と冬の暦が日本と正反対の国、と、いうこと、コアラが生息していること、それと、観光では、グレートバリアリーフとエアーズロックが有名、というくらいの知識を持っている程度だった。
そんな中、家内と彼女の友人とが企画してくれた今回のツアー旅行では、私のオーストラリア観をすごく好印象づけてくれた。海といい、山といい、そのケタ外れのスケールの大きさには、圧倒されたし、それとこのような広大な大自然が実に美しい。今回訪れたブルーマウンテンズやゴールドコーストの美しさは、生涯忘れ得ないであろう。現地を案内してくれた日本人のガイドさんも言っていたが、オーストラリアでは、自然をすごく大事にして、人と自然との調和を図っていこう、とする政府の政策が行き届いているように感じられた。
私を含めた全部で34人のツアー旅行者もまた、大部分が、私と同じような感想を抱いたのではないかな、と思う。34人の中には、2組の新婚さんもいたが、それでも全体の平均年齢は、60歳代後半のような感じがした。シドニー湾のクルージングでの夕食時などでは、隣り合ったツアー仲間と話する機会がたびたびあったが、そんなとき、最初に決まって話題になるのが、今までにどんな所を海外旅行されたのか、ということであり、ナイアガラの滝が良かった、とか、ヨーロッパが良かった、とか、また、ある人は毎年のようにハワイに旅している、という人など様々だった。皆さん揃ってある程度おトシをめされた方々であり、なんか冥土への土産話を作っている、という印象を受けたが、私もまた、このような方たちの一人であることには変わりない。
日本に帰る最後の二日間は、ゴールドコーストのすぐ近くの、ホテルに泊まったが、そこの地下で、私たちは、粋な洒落たバッグやら、お土産用の小物などを売っている小さなお店を見つけた。中国人をご主人に持つ日本人の奥さんが、ご主人とほぼ一日交代で、お店に立っている、このお店を、家内は、すごく気に入ったみたいで、二晩続けて、ここで買い物をした。
日本に帰国して、成田飛行場から、友人夫妻が運転する車に同乗させてもらって自宅に向かったが、車中では、ゴールドコーストみたいな、素敵な所に住めたらいいね!と、いった、非現実な夢物語に花を咲かせたものだった。実は、私たちも、友人夫妻も、共に、母親を面倒みている、という現実の壁がある。



人間って、一人一人この世の旅人に過ぎない!

2010-05-06 19:01:12 | 人生
今年のゴールデン・ウイーク期間中は、連日すべて天候に恵まれた。そんなわけで、行楽地はどこでも人で混雑したようだ。第一、期間中は高速道路の混雑が激しく、あちこちで、20kmとか30kmとか大渋滞が起きている、というニュースが今年もまた例年のごとく、テレビなどで報じられていた。
近年は、私は、ゴールデン・ウイークみたいな、混雑が予想される日には、そんな混雑する場所へは、まったく行く気がしない。折りしも、中国では万国博覧会が開かれて、大混雑しているそうだが、この万博にも行く気は毛頭ない。
ところで、ゴールデン・ウイーク最終日の昨日は、用事で池袋近辺に出かけた。午後1時を過ぎたころ、用事が済んだのだが、このまま自宅に帰るのも能が無いかなと思って、池袋の街を散策することにした。まづは、駅の北口にある「富士食堂」で腹ごしらえをした。立ち食いそば屋と言っていい、狭いスペースのこのお店は、以前にも、時々利用していて、昨日は、ミニカレーライス付きの盛りそば=450円を食べたが、まあまあのおいしさだった。お蕎麦は手打ちではないが、蕎麦粉は石臼引きだ、と書いてあったので、そのせいかも知れない。
昼食後は、サンシャイン60で、なんかのイベントをやっているのかな、と思って行って見た。そこに通じる道路は、人でいっぱいだし、サンシャイン60の建物の中でも、大混雑。そんなわけで、早々とそこから脱出した。
たまたま、サンシャイン60に通じる道路の途中で、古本チエーン店のBook-Offを目にしていたので、なんらか、面白い本でも探してみようと思いついて入ってみた。街をぶらついた昨日もそうだったが、最近は、私には、人間って、この世の旅人に過ぎない!、って思う気持ちが強く湧き上がっていた。「旅人」と言えば、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士が、数十年も前のこと、当時の朝日新聞に、「旅人」というタイトルで連載を執筆していたことが思い浮かんだ。今の私からすれば、湯川さんが、ご自分の生涯を記述するのに、何故か、「旅人」としたのは、もしかして、私と同じように、人間って、この世に生まれ出でた旅人である・・、と思われたからかも知れない、と勝手に想像した。そこで、この想像が当たっているのかどうか、確かめたくなって、湯川さんの「旅人」を是非読みたくなった。多分、新聞連載の文章が、単行本になっているだろうし、Book-Offで手に入るかもしれない、と期待しながら、店に入って探した。ぎっしり詰まった単行本の書架を、探していたら、なんと偶然にも、目的の単行本「旅人」が見つかったのだ。それも105円で入手できた。勝手に想像していたことが今や現実となり、実に奇跡だ、不思議だ!。
帰宅のため、ごった返す人なみの中を歩きながら、人間って、どの人も皆、この大宇宙の中で、ほんのごく短期間の間だけ、この世を旅している旅人に過ぎないんだなあ、って思いつつ、JR池袋駅へと向かった。