手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

大晦日の今日は、10割蕎麦を20人前打った

2007-12-31 13:51:12 | 蕎麦・うどん
最近はもっぱら10割蕎麦を打っており、年末の今日ももちろん10割蕎麦を打った。蕎麦を伸す時の"のし台"が小さいので、10人分づつ2回に分けて打った。お蕎麦を食べてくださる、親戚や知人の人たちの顔を思い浮かべながら打っていると、疲れはまったく感じない。でも、打ち終わると、結構疲れを感じる。
今日は、大晦日ということもあり、最上の蕎麦粉で10割蕎麦を打った。茨城の常陸秋蕎麦の粉と北海道から取り寄せたばかりの私お気に入りの蕎麦粉とを50%づつブレンドして打った。まだ、食べていないけれど、蕎麦粉をこねながら、プーンと蕎麦特有の香りがしてきて、この分だと、今までで、一番美味しそうな気がしている。

健康なとき、時々忘れてしまう大切な事

2007-12-30 10:14:58 | Weblog
年末になると、忘年会などいろんな事にかこつけて飲んだり、食べたりすることが多い。
先日(27日)、うな重を食べる機会があった。食べていて、タレもほどよい味で、それに、養殖うなぎでは無い、と、すぐに、わかるほどの久しぶりの美味しさに舌鼓をうった。でも、それからがいけなかった。盛りだくさんの量だったのにも拘わらず、もったいない、と思って、お腹にムリかけて大食いしてしまった。
翌日からは、胃の調子が悪く、薬を飲んでも、まだまだ良くならない。
そういえば、私の場合、旅行に行くと、ほとんどの場合、お腹の調子を悪くしてしまう。これは、ホテルや旅館で出される料理が、私のふだん食べつけていないものなので、無理して、食べ過ぎてしまう、ことによるものである。
胃の調子が悪くなると、きまって思い出すのは、私が昔から、自分が胃下垂であり、それに、慢性胃炎と医者から言われている、ということである。こんなことが判っていながら、健康なときには、忘れてしまって、ついつい暴飲暴食してしまう。我ながら、実に情けない。

孫と「馬鹿丸出し」の多い年末テレビ番組

2007-12-28 12:11:39 | 社会
一昨日、二人の男の子の孫を預かってほしい、と頼まれたので、私は彼らを、東京・お台場に連れて行った。最初は「科学博物館」とか「船の博物館」のような場所に連れて行こうと思ったが、孫は小学校1年生と2年生なので、見学するのにはまだ早い年齢かな、と思い直した。それで、JR新橋で下車し、そこからモノレール「ゆりかもめ」に乗って、東京・お台場で降り、3人で周辺を散策してきた。
私にとっては、久しぶりに男の子の孫たちとのふれあいだったが、彼らの傍若無人ぶりには、あきれはて、実に疲れた。電車の中では彼らを二人並べて座らせると、お互いにちょっかいを出しては、ふざけあい、身体をゆすって隣に座る人にぶつけたり、また、履いてる靴が隣に座る人に当たるのも全く気にかけずにふざける、など、目に余るものあった。その度に、私は、厳しく叱り飛ばすが、彼らは少し経つとまた、同じ行動をとる始末。彼らを見ていて、その親たち(息子夫婦)の普段の躾けが垣間見えるようだった。新橋にて「ゆりかもめ」に乗車するため、エスカレーターに乗っている最中にも、孫はふざけ、おどけた行動を取ったので、そのときも私は注意したのだが、とうとう、私たちの後ろに乗ってきた、見るからに立派なビジネスマン風の男の人から「危ないじゃないか!」って、大声で一喝されてしまった。
今日は、たまたま年賀状を書いていて、息子への年賀状には、”子供たちへの厳しい躾けを願う”旨のコメント文を書き添えておいた。
ところで、今、テレビをつけたら、今の時期、年末特別番組とやらで、どのチャンネルでも一様に、お笑い芸人もどきのタレントが出演していて、笑いを振りまいていた。まったく面白くもない、ネタを口に出したり、超オーバーな身振り手振りで、ふざけたり、おどけて見せたり、しては、笑顔を振りまいていた。私は、見ていて吐き気を感じるほど情けないないこれら番組にあきれて、すぐにスイッチを切った。思えば、年末の今の時期、しかも小学生など生徒が休み入っている時期に、子供たちの多くが見るであろうテレビ番組が、このような番組を流しているのは、子供たちへの影響は計り知れないものがある、と思う。テレビで見る、ふざけやおどけたりする素振りは、私の孫がやっている行動そのものだった。
昔流で言えば、「馬鹿丸出し」の番組を流すテレビ局には、日本の将来を担う子供たちへの影響のことを熟慮した上で、番組内容を厳選してほしいものである。

忘年会で出た話題(2)--マイクロソフト社の新版office等にブーイング

2007-12-26 16:20:30 | 仲間・友達
忘年会では、いろんな話題が出て、時間を経つのも忘れて盛り上がった。その中では、今年マイクロソフトから発売されたOSである「Vista」や「Microsoft office 2007」も話題に上がり、この話題では、誰もがマイクロソフトの横暴に腹を立てていた。これには、私も同じ意見である。
例えば、私は10年以上、Microsoft officeのソフトを使ってきており、最新バージョンの「Microsoft office 2007」を購入して、その中のWordを使おうと試みたのだが、操作法が以前のバージョンに比べてものすごく違っていて面食らった。これでは、恐らく私ばかりではなく、他の多くのOfficeユーザーにとっても、今までいろんなワザを身につけてきた操作法や知識がまったく、といっていいほど役立たないハズだ!第一、今までのWord用に販売されてきた解説本や雑誌のWordの連載記事の内容は、全く使い物にならず無用の長物そのものに過ぎないのだ。
従来のMicrosoft officeソフトの場合には、バージョンが新しくなっても、機能が新規に付け加わるくらいで、基本操作法自体は古いバージョンを使っていた時に身につけた知識が、そのまま通用していたものだった。それが、2007年版では、かくも違っているのは、どうしたわけか?そして、どうして、こうまで違わせる必要があるのだろうか?
かくして、2007年版で操作法が激変したのは、パソコンのOSソフトやオフィス用ソフトで世界の超メジャーな地位を不動なものにしたマイクロソフト社による横暴そのものだ、と言いたい。この横暴で益するのは、パソコンハードメーカーや、マイクロソフト社のVista対応のソフトを売ろうとするソフトメーカー、それに、新しいバージョンに対応したMicrosoft officeソフトの解説書を販売する出版業界であり、一般ユーザーには、何らメリットが無いばかりか、余分な神経と出費を強いるだけである。
忘年会の席では、東京大学名誉教授のFさんも口角泡を飛ばして腹を立て、非難の言葉を吐いていたが、そのお気持ちは十分に理解できる。

クリスマス・イブに届いた贈り物に孫たちは大はしゃぎ

2007-12-25 21:37:57 | 
昨日のクリスマス・イブには、私たち夫婦は千葉の孫娘のところに招かれ、泊まってきた。その晩、夕食時には、シャンパンに見たてたジュースでみんなして乾杯してクリスマス・イブを楽しんだ。その後、二人の孫娘たちはお風呂に入ることになったが、入る前から、「今夜、サンタクロースのオジサンはホントに来てくれるかなァ?、何を持ってきてくれるのかな?」と、サンタの話で持ちきり。
やがて、ママと一緒にお風呂から出てきた彼女たちに、パパが「お風呂に入ってる時、サンタさんが、スズの音を鳴らしてトナカイのソリに乗ってきた音が聞こえなかった??」と、質問。すると、彼女たちが興奮気味に「なんか聞こえたみたいだったヨ!、聞いたよ!」との応え。そこで、パパが「もしかすると、玄関にサンタさんがプレゼントを届けてくれてるかも知れないね!」と言って、孫たちを誘って玄関を開けたのだった。すると、そこにはピッカピッカの子供用自転車など、山盛りのプレゼントが置いてあった。プレゼントを目にした孫たちは、今までに見たこと無いほどの大はしゃぎ。来年には小学校に入学する6歳の孫娘には、「キッズ用携帯電話機」などもプレゼントされていて、その喜びようは最高潮。私にとっては、子供たちの喜んでる姿、笑顔の姿を見るのは、ほんとに嬉しい。
さて、二人の孫娘たちの通う幼稚園では、今は小学校なみに冬休みに入っていて、今朝はゆっくり起床した。ゆっくりした朝食のひととき、私は彼女たちに「クーイズ、クイズ!!」って言って、「"早い"の反対って、なーんだ?」とか「"右"の反対は、なーに?」「"南"の反対って、なーんだ?」「"動く"の反対は、なーんだ?」など、いろんな種類の反対の言葉を答えさせる問題を出題して、答えさせた。彼女たちも面白がって応じ、ほとんどは、6歳の孫娘は正解していた。こうして盛り上がっていく中で、「"上"の反対は、なーに?」という問題を出して、答えさせてから、次に私が「ウエノ動物園に行ったことある?」と訊くと、彼女たちは、「行ったよ!」という返事。すかさず私が「じゃあ、シタノ動物園に行ったことある?」と訊いたら、とたんに6歳の孫娘が、ケラケラと笑い転げていた。どうやら私の質問の真意をすぐに理解したみたいだ。

忘年会で出た話題(1)--息子夫婦と別居している親たちの嘆き

2007-12-23 23:39:15 | 仲間・友達
昨日の22日(土),新宿で昔の仕事仲間12人で構成する忘年会があり、私も出席してきた。その名を「ウエーブの会」という。昭和37年~40年の頃、東京六本木にあった国立大学の付属研究所(その建物は現在は取り壊されて、国立新美術館に様代わりしている)に勤務して、電気通信関係の研究業務についていた仲間で作った会である。12人で構成されているが、昨日の忘年会では、珍しく全員出席だった。当時から大分、年月も経っているぶん、仲間で最高齢の方は82歳で、大部分は70歳代、それでも私ともう1人の二人だけが、かろうじて60歳代である。
12人のメンバー全員は皆、研究所生活を経験してきた関係もあって、大学の教授となった人も5人ほどいる。
ところで、昨日の忘年会では、私の隣に座ったOさんといろんなことを話しているうちに、たまたま、Oさんが別居している息子夫婦のことを私に話してくれた。--Oさんは、別居して暮らす息子夫婦は、親であるOさん宅には、全くといっていいほど来てくれない!、孫の顔も時々は見たいのに、見ることもできない!と、こぼしていた。それに続けて、Oさんは、近頃の息子夫婦っていうのは、息子の親元には行かない代わりにお嫁さんの実家にはしょっちゅう入り浸っている、というのが一般的傾向だ、って力説していた。Oさんによると、これまで、息子夫婦を持つ数多くの親たちと意見を交わしてきて、ほとんどの場合、このような傾向にある、と語っていた。Oさんから、この話を伺いながら、私も、その傾向は確かなようだ、と納得して聞いていた。そして、私の家内からも、以前に、家内の複数の友人もまた、自分たちの息子の夫婦が自宅に寄り付かず、孫の顔も見られない!といって、息子のお嫁さんに関して不平不満のグチを言っていた、という話を聞かされた、ことを思い出した。
更に、今日も、たまたま、昨日の忘年会とは関係ないが、現在も特許庁で審査官をしている友人Sさんと10年ぶりぐらいに久しぶりに電話で話す機会があって、彼の近況を伺ううち、彼もまた偶然にも、別居して暮らす彼の息子夫婦の話におよんだとき、Oさんとまったく同じく、こぼしていた。また、こんな話もときどき聞く。--親が、車に食料品やらお土産などを積んで、仕事で出張中の息子の家に届けたら、たまたま奥さんが留守だったので、隣りの家の人に、渡してくれるようお願いして預けてきたそうな。でも、その後、息子のお嫁さんからは、品物を受け取った、との連絡がなかった、という。そしてその後も、このようなことが一度ならず何度もあったそうだ。--
以上のような、息子の親たちの不満・嘆きって、昔からこれほどまでにあったのだろうか?私には、そうは思えない。最近の若いお嫁さんの育ち方は、昔と違ってきているのだ、と思う。あるお嫁さんは、用があって夫の実家まで車で孫を乗せて連れてきても、孫を下ろすことなく、用事が済み次第、そそくさと車で帰ってしまい、夫の親は、あっけにとられた!、なんて話を聞いたこともある。
このような態度のお嫁さんて、なんか変だ、と思う。人間としての常識、それに血の通った温かさがあっていいはずだ。将来、嫁ぐことになる娘さんを持つ親は、温かい人間愛に満ちた過ごし方をできるような、そんな娘さんに育ててほしい、と思う。

元気に過ごす秘訣--103歳の元気な人が発した言葉

2007-12-22 11:09:26 | Weblog
土曜日の今日、朝食のときに、午前8時から放送のTV朝日の番組「朝だ生です旅サラダ」っていう番組を見ていた。今日の番組では、歌手の小柳ルミ子さんが『京都の旅』として、常寂光寺などいくつかの名所を紹介しているコーナーがあり、彼女が西陣織の機織り職人の山口安次郎さん方を訪問したシーンもあった。
山口安次郎さんは、現在103歳で、目も足腰もまだまだ健在で、毎日7~8時間は機織り機にむかっているそうだ。そして、現在手掛けているのは豪華絢爛な能装束で、その美しい織物も番組で紹介されていた。
訪問した小柳ルミ子さんに対して、機織り機を操作中の山口安次郎さんが、なにげなく口にした言葉が「・・何しても楽しいことはいいですワ・・」だった。私は、これを聞いて、すごくいい言葉だなって、感じた。素敵な言葉だなって思う。これこそ、山口さんが、健康で元気で過ごされている秘密なのだ、と思われてならない。
さらに、山口さんは、趣味としてビーズのネックレスも作られていて、それも番組で紹介されていたが、素晴らしくセンスが良く、若い女性が気にいりそうなものだ。
山口さんみたいな生き方してみたいな、とつくづく思った。今日は、朝からすごくいい気分になった。

佐世保市の散弾銃乱射事件、実に痛ましい

2007-12-19 22:48:39 | 社会
12月14日午後7時すぎに発生した、長崎県佐世保市のスポーツクラブでの銃乱射事件では、犠牲者2人が出て、非常に痛ましいかぎりだ。この世で、これから十二分に楽しい人生を謳歌できるはずだった、尊い二人の命が奪われたことは、当人にとってはどれだけ悔しい思いをしていることだろうか、さぞ無念であろう。もちろん、遺族にとっても筆舌で表現でき得ない悲しいことであろう。
私は、この世で絶対に犯してならないことは、人の生命を奪う、という行為だ、と思う。どんな理由があっても、人の命を奪うことだけは、犯してはならない。もし、人の生命を奪う、という凶悪人がいたなら、彼は、彼自身の生命を奪われてしかるべき義務を負うのが当たり前だ、と思う。
最近は、今回のような凶悪事件が以前に比べてあまりにも多いが、私は、この傾向は社会の風潮と無関係ではない、と思う。政府は、今回のような事件に際して、背景にあるものを十分検討して、同樣な事件が発生しないよう対策を構ずべきであろう。
この度の佐世保市の事件の容疑者は定職につくことなく、親の援助で暮らしていたというが、経済的に追い詰められるなどして社会から孤立していたのでは、と考えられる。
昔は高校や大学を卒業すれば就職や結婚など社会のレールに乗りやすかったが、就職氷河期以降の、現在の30歳代半ばの層には希望が持ちにくいと感じている人が多い、という。
今回のような事件の再発を防ぐには、銃の規制の強化はもちろんのこと、大企業優遇策、弱者切捨て、などといった、政策のあり方を含めて、いかにしたら住み良い社会になるかを政府は真剣に取組むことが不可欠であろう。

年賀状を書く時期になって寂しいこと

2007-12-12 18:26:29 | Weblog
今年もあと、2週間あまり、年賀状を書かねばならない時期となった。このころになると、毎年のように、何通かの喪中のハガキが届けられる。
友人のお父さんとか、お母さんが、亡くなられた、というような内容が多いが、昨日届いた喪中ハガキでは、かつて私が会社でお世話になった方、そのご本人が亡くなった、との知らせだった。その内容を読んで、ハガキは亡くなられたご本人I.Mさんのご子息が出してくださったものだった。亡くなったI.Mさんは、今年のお正月にも私宛に年賀状を書いてくださっていて、私の会社員時代には、仕事以外の面でも、すごく親切にしていただいた方である。私が、モーツアルトの有名な曲を聴きたい、といえば、すぐにオーケストラ演奏によるモーツアルトの曲をカセットテープにダビングしてきてくれたこともあった。I.Mさんは、89歳で、まあまあのご高齢で亡くなられたそうであるが、それにしても、寂しい。いま、I.Mさんを想い出すとき、なんか、今でも、元気な、お声が聞こえてきそうな、そんな気がしてならない。

料亭「船場吉兆」の謝罪記者会見、見ていて思わず吹きだしてしまった!

2007-12-11 18:03:02 | 社会
今朝のテレビ報道番組では、同社が起こした牛肉産地偽装事件で、同社湯木社長の妻の佐知子取締役(70)と、長男の喜久郎取締役(45)との両人による、昨日の謝罪記者会見の模様が放映されていた。
その会見の席で、報道陣から喜久郎取締役に浴びせられた厳しい質問に対して、同取締役が答えるシーンが何度かあったが、実は、その答える内容を右隣に座っていた母親の佐知子取締役が、逐一、耳打ちして伝えていたのだ。会見の場のシーンでは、何やら息子にヒソヒソとささやいて話しかける母親の佐知子取締役の物腰とともに、その話し声の中身がハッキリとマイクに収録されてしまっていて、それが放映されていた。なんと、喜久郎取締役は、母親がしゃべったその言葉通りのことをオウム返しに記者に答えていたに過ぎなかったのだ。--これには、ビックリ、馬鹿馬鹿しさを通り越して、アッケにとられた、というより、笑ってしまった。
なんか、お母さんに付き添われた幼児が、一緒に面接試験を受けているような風景を連想して、可笑しかった。