手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

先日、弟と二人で一泊で諏訪峡へのハイキングを楽しんできた

2023-12-10 17:20:39 | 旅行/散歩/ハイキング
11月下旬のこと。水上温泉に旅行した。弟から「旅行にでも行かない?」との誘いを受けて、すぐに翌日分の旅館を予約した。早速、翌日はJRを乗り継いで出かけた。当日は、関東地方全般も晴天に恵まれて快適な気候だった。その日、自宅を午前11時半ごろ出発、JR宇都宮線に乗って、JR大宮駅で乗り換えて、高崎駅に向かう途中で弟と合流した。高崎駅から、いくつかの電車を乗り継いで、JR水上駅に着いたのは午後3時を過ぎていた。水上駅の前に降り立つと、そこには、宿舎であるKKR水上 水明荘からの迎えの車が来ていて、それに乗って宿舎に着いた。こじんまりした簡易宿舎で居心地のいい宿舎だった。水上といえば、今から50年以上も前に、たしか私の公務員時代に、親睦旅行としてバス旅行したことがあった、という記憶があるのだが、今では、詳しい思い出はない。宿舎で水上近辺のハイキング先を尋ねたところ、諏訪峡という場所のハイキングコースがあることが分かって、パンフレットをもらったので、翌日はそこへ行くことにした。
さて、水明荘での翌日は、午前10時にチェックアウトして、車でJR水上駅まで送ってもらった。駅からは、私たち二人は、徒歩で諏訪峡へと向かった。駅から諏訪峡まではユックリ歩いて40分くらいかかった。駅から諏訪峡にいたる途中には、水上温泉街があって、その先に諏訪峡があり、時間的には、駅から温泉街までが約20分、さらにそこから諏訪峡までは約20分ほどだった。諏訪峡では、渓流の両側にもみじなどの紅葉が、今や真っ盛りの状態で、すごーく見ごたえがあった。散策コースはゆっくり歩けば2時間はかかるほどで、ハイキングには、うってつけの場所だ。私たちが散策した当日は、晴天で無風だったので、心地よい運動を存分に楽しめた。素晴らしい紅葉シーンがあちこちで見られたので、写真の撮影スポットは枚挙にいとまがないくらい多かった。こんな素敵な場所なのに、途中、ハイキングをしている人たちに出会ったのは、ほんの数人ぐらいだったので、なんか、実に勿体ない気持ちがした。-----そういえば、先日のこと、テレビ朝日の朝の番組で、水上温泉が昔ほどの賑わいがなく寂れてしまっていることの特集を報じていたが、この番組を見て、諏訪峡を訪れる人が少ない、という理由が分かった。


オーストラリア旅行から帰って早や一カ月

2010-05-10 17:33:43 | 旅行/散歩/ハイキング
オーストラリアへのツアー旅行から戻って、既に一カ月が過ぎ去った。アッという間であり、時間の経過が実に早く感じられる。今回の旅行で、私のオーストラリア観は大いに変わった。行く前には、オーストラリアって、日本から遠く離れた大陸で、夏と冬の暦が日本と正反対の国、と、いうこと、コアラが生息していること、それと、観光では、グレートバリアリーフとエアーズロックが有名、というくらいの知識を持っている程度だった。
そんな中、家内と彼女の友人とが企画してくれた今回のツアー旅行では、私のオーストラリア観をすごく好印象づけてくれた。海といい、山といい、そのケタ外れのスケールの大きさには、圧倒されたし、それとこのような広大な大自然が実に美しい。今回訪れたブルーマウンテンズやゴールドコーストの美しさは、生涯忘れ得ないであろう。現地を案内してくれた日本人のガイドさんも言っていたが、オーストラリアでは、自然をすごく大事にして、人と自然との調和を図っていこう、とする政府の政策が行き届いているように感じられた。
私を含めた全部で34人のツアー旅行者もまた、大部分が、私と同じような感想を抱いたのではないかな、と思う。34人の中には、2組の新婚さんもいたが、それでも全体の平均年齢は、60歳代後半のような感じがした。シドニー湾のクルージングでの夕食時などでは、隣り合ったツアー仲間と話する機会がたびたびあったが、そんなとき、最初に決まって話題になるのが、今までにどんな所を海外旅行されたのか、ということであり、ナイアガラの滝が良かった、とか、ヨーロッパが良かった、とか、また、ある人は毎年のようにハワイに旅している、という人など様々だった。皆さん揃ってある程度おトシをめされた方々であり、なんか冥土への土産話を作っている、という印象を受けたが、私もまた、このような方たちの一人であることには変わりない。
日本に帰る最後の二日間は、ゴールドコーストのすぐ近くの、ホテルに泊まったが、そこの地下で、私たちは、粋な洒落たバッグやら、お土産用の小物などを売っている小さなお店を見つけた。中国人をご主人に持つ日本人の奥さんが、ご主人とほぼ一日交代で、お店に立っている、このお店を、家内は、すごく気に入ったみたいで、二晩続けて、ここで買い物をした。
日本に帰国して、成田飛行場から、友人夫妻が運転する車に同乗させてもらって自宅に向かったが、車中では、ゴールドコーストみたいな、素敵な所に住めたらいいね!と、いった、非現実な夢物語に花を咲かせたものだった。実は、私たちも、友人夫妻も、共に、母親を面倒みている、という現実の壁がある。



オーストラリア旅行から帰国、桜が待っていてくれた!

2010-04-11 17:43:29 | 旅行/散歩/ハイキング

4月始めに、私たち夫婦は、友達の佐○さん夫妻と共に、オーストラリアへのツアー旅行に出かけた。出発の2~3日前に、桜が満開に近い状態だったので、約一週間のオーストラリア旅行から帰ったときには、今年の桜は、もう見られないかな、と思っていたら、まだまだ満開に近い状態で私たちを待っていてくれた。今日は、夕方、自転車でいつものスーパーに買い物に出かけたら、途中の桜並木では、桜吹雪に見舞われた。まるで、吹雪の中にいるような気分に浸った。
ところで、この度の、生まれて初めてのオーストラリア旅行、すごく快適に楽しめた。行った場所は、シドニー近郊、それと、ブリスベン近郊の2箇所だけだが、それぞれに印象深い場所であった。特に、印象に残っているのは、ブルーマウンテンズの観光、コアラを抱っこできたこと、それと、ゴールドコーストの観光だ。このツアーでは、34名が参加して成田飛行場から飛び立ち、全員無事に帰国、みんな楽しい思い出を胸に刻むことができただろう、と思われる。

弟の仕事にお供して東北・秋田にドライブの旅

2009-09-14 17:10:11 | 旅行/散歩/ハイキング
先週末の金曜から日曜にかけて、3男の弟に誘われて、彼が運転する2トン・トラックに同乗して秋田県は横手市や鹿角市などに行ってきた。彼が約40年に亘って経営する会社が、秋田の顧客先に資機材を搬入する、という作業にお付き合いしたのだ。本来、彼一人でこなせる作業なのだが、彼から「ドライブを兼ねて行ってみよう」と強く誘われたのだ。そこで、私は「私が行くことで、運転する弟の眠気防止の役目をはたせるかな」と、考えて、行くことにしたのだ。
こうして、私たちは金曜の正午ごろ、埼玉を出発し、東北自動車道を北上した。さて、秋田県の宿泊先に落ち着いて、彼が西川口に住む2男の弟に電話を入れた時、私も2男と電話で話をした。その話で分かったことは、3男に対して、秋田に行こう、と強く私を誘うように仕向けたのは、2男の弟だった、ということだった。2男は、母と同居して住む私のストレスを少しでも解消させるのには、旅行も良いのでは、と考えたのだそうだ。
3男との秋田へのドライブで、私はトラックの荷台に積んだ荷物を降ろすだけのお手伝いしかしなかったものの、お陰で、秋田県の湯瀬温泉郷の豪華ホテルに宿泊して、源泉賭け流しの露天風呂に入るなど、楽しんできた。



沖縄へのツアー旅行のときのバスガイドさんから電話

2009-07-21 16:33:55 | 旅行/散歩/ハイキング
数ヶ月前に家内とともに沖縄に旅行したとき、ひめゆりの塔や水族館など、あちこちを見学して廻ったが、そのときの模様を、私は旅行のときにきまって持ち歩いているビデオカメラで撮影していた。これら見学先で案内してくれたバスガイドさんの姿も、ビデオカメラに収めていた。それに、見学先では、途中、時には、私たち夫婦がバスガイドさんと個人的に会話を交わす機会もあって、バスガイドさんと私たち夫婦とが一緒にデジカメに収まった写真もある。
私たちのツアー旅行を担当してくれた、この女性バスガイドさんは、その最初の自己紹介挨拶で、既婚で、大きなお子様もおられる、とのことだった。小柄ながら、彼女の話しぶりは、面白、可笑しく、経験豊富を思わせるに十分だった。バスに揺られながら、彼女から、「パイナップル」の語源が、「パイン」(松、松の木)と、「アップル」(リンゴ)とを合わせたものの造語である、との説明を聞き、私はビックリ、なるほど、と納得したものだった。そういえば、パイナップルって、松かさのような形をしていて、リンゴのように甘い。誰が名づけたのか、まさに上手い造語だ。
旅行を終えて、数日後、自宅で、沖縄旅行のビデオを編集してDVDを作成したら、一時間以上の長編になった。そして、デジカメ写真と一緒に、DVDを、記念として、バスガイドさんに郵送した。--それから、しばらく経って、私たちの所に彼女から電話があったが、あいにく私たち夫婦は留守だった時で、その時に電話口に出た私の家族の話では、例のバスガイドさんから、しばし入院していた、との話を伺った、という。
その後、私も家内も入院のことで案じていたが、昨日、バスガイドさんから、「マンゴー」の詰め合わせが郵送されてきたのでビックリ。早速、今朝、家内がバスガイドさんに「マンゴー」のお礼の電話をかけた。でも、ガイドさんは不在だったようで、留守番電話に録音した。
そして、午後2時頃、今度は、バスガイドさんから電話がかかってきた。彼女はひどい腰痛だったそうだが、私は、元気そうな声を聞いて安堵した。彼女からは、"お母さんの働いている姿をDVDを通して、子供たち家族に見せられてすごく嬉しかった!"って、喜びで弾んだ声が返ってきた。
たまたま、作成したDVD、私は、こんなにも喜んでもらえる、って思ってもみなかった。でも、喜んだ声を聞くのは嬉しい。

台湾への旅行を決行、エキサイティングだった!何しろ街中がオートバイで溢れかえっていた

2009-07-04 10:47:09 | 旅行/散歩/ハイキング
今週の半ばに私は、家内と、それに、私たち共通の友人夫妻、の計4人で、私たちとっては生まれて初めての、台湾への3泊4日のツアー旅行を楽しんできた。そして、昨晩、我が家に戻ってきた。
ちょうど、私たちが台湾に到着したその日(6月30日)が、台湾では梅雨が明けた日で、天候にも恵まれた。
実は、今回の旅行の前に、私はひどい風邪に悩まされ、旅行に行けないかな、と心配だったが、いざ、旅行に出かけてみると、風邪のことは全く忘れてしまっていた。
今回の旅行では、首都の台北とその周辺のみを旅したが、実にエキサイティングだった。オプションの旅程を入れても、総額4万円とちょっとで、3泊4日の旅を楽しめたのは、ものすごく割り安だ。添乗員に聞いた話では、台湾への旅行客のうち、最も多いのは日本人だそうだ。道理で、行く先々では、必ずといっていいほど、日本人と会った。私たちとは一部分で見学先が一緒だった、ちょっとお年を召した二人のオバサンは、2泊3日の旅行をしている、とのことで、1万9800円で、旅行中、なのだそうな。-これでまる1日と半日を見物できるのだから実にお得だ。
街で出合った人々、添乗員さんなど台湾人の心温まる人情味にも触れることもできて好印象を持てた。なので、私のみならず、友人たちも、再度、台湾に行ってみたい気持になった。
今回に旅行では、龍山寺、中山記念堂、故宮博物院、九分、それと、現在世界一の高層ビルである台北101展望台といった所を見て周った。
旅行の第一日目、成田飛行場から3時間後、台北の飛行場に到着、旅行会社の大型バスに約1時間弱揺られて、ホテルに到着したのだが、その際、今回の旅行で最も印象に残った、度肝を抜かされた光景に出合った。というのは、ホテルがある台北市内では、四輪車も相当数、走っていたのだが、それにも増して、これら車の隙間を縫うように猛スピードで走るオートバイ(二輪車)の数の多いこと、多いこと!!これには、ビックリ。オートバイに乗っている人たちは、ほとんど若い人、そして、せいぜい40歳台ぐらいの人たちで、女性も多い。二人乗りのオートバイも目立つ。そして時々、3人乗りのオートバイも目にしていて、バスの車窓から、私はハラハラ・ドキドキしながら眺めていたものだ。


エキサイティングだった沖縄旅行-また訪ねてみたい!

2009-05-31 12:13:36 | 旅行/散歩/ハイキング
ちょうど一週間前の今日、生まれて初めて沖縄を訪れた。2泊3日のツアーは、今思い出すにつけ、すごくエキサイティングだったな、と思う。先週の日曜日の早朝、沖縄ツアーに参加した私たち46人は、羽田空港に集合、JALのジャンボ機に搭乗、沖縄の那覇空港に到着、ちょうど今頃の時刻は観光バスに揺られている頃だ。見るもの聞くもの、すべて珍しいものばかりで、非常にエキサイティングなものだった。
街路樹の「鳳凰木」という濃い橙色の花が美しく、特に目についた。
私にとって、ツアーでのハイライトは、なんといっても、到着したその日に訪れた、「ひめゆりの塔」への見学であり、特に印象深かった。バスガイドさんの詳細な話を聞くにつけ、第二次世界大戦末期に、戦場と化した沖縄の悲惨さが想像されて、胸が締め付けられた。見物の途中で、バスガイドさんに、ひめゆり部隊のことを質問したとき、言葉に詰まって、「女子学生」という言葉が口から出てこなくて、一時、絶句してしまったほどだった。
また、バスガイドさんは、戦時中、捕虜になるのを恐れた沖縄住民は、断崖から身を投じて自殺した、という話をされたが、その時、戦時中だったかどうかは忘れたが、私は、戦争のさなかに断崖から身を投げている沖縄の女性の写真が、新聞に大きく掲載されていたのを、思い出していた。
日本の最南端に位置する沖縄、羽田から2時間ちょっとで行ける沖縄、戦時中は広島、長崎とともに、日本で最も深い傷を負った沖縄。今回駆け足で旅した沖縄だが、何故か沖縄が好きになった。そして、再度、また沖縄を訪ねたい、と思う。那覇市内の国際通りという名所を歩いたが、今度来た時は、またゆっくり散策したい、と思った。
ツアーの最終日に、沖縄空港で添乗員さんと別れしな、私は彼女に、「また沖縄に来たい!」と言い残したほどであった。



沖縄へのツアー旅行で、「ひめゆりの塔」を訪問して感慨無量!

2009-05-27 18:46:15 | 旅行/散歩/ハイキング
先日、ずっと以前から、必ず行ってみたい、と思っていた沖縄への旅を実現させることができた。それで、昨日、東京に戻ってきた。沖縄は今は梅雨ながら、現地では、3日間の旅程のうち昨日の午後に少しばかり雨に遭ったものの、旅にほとんど支障なかった。
私にとって生まれて初めての沖縄旅行であり、ツアーでの旅行なので格安料金で行って来ることができた。これで、ずーっと以前から、「ひめゆりの塔」の地を是非とも訪問して、参拝したい、という、長年の願いを実現できた。
第二次大戦における太平洋戦争では、広島/長崎への原爆投下と、沖縄での激戦による悲惨さが、私の心の中に最も大きく印象強く残されている。昭和20年の当時まだ小学生に上がっていなかった私は、夜の防空壕から這い出て、夜空を編隊飛行するB-29の飛行機の数を数えていたことを、今も鮮明に思い出すことができる。
戦争が終わってから、沖縄で、傷病兵の看病を寝る暇もなく続けた、女学生たちによる「ひめゆり学徒隊」の悲話を聞かされた。それで、ずーっと、慰霊に出かけたい、という思いでいっぱいだった。
今回の沖縄ツアー旅行に参加したのは、「ひめゆりの塔」やその資料館、さらに、平和祈念公園への訪問が組み込まれていたから。現実にこれらの地を訪ねて、参拝することができて、今回の旅行は大いに満足いくものだった。
ひめゆりの塔に隣接する資料館の中の、いくつもの展示室では、200余名の犠牲者の遺影や、米軍上陸後首里陥落までの戦況地図、写真、現物資料などが解説文とともに展示されていて、その悲惨さで胸が痛くなる。
今、この文を書きながら、思うことは、戦争をやって互いに殺し合いをする人間て、なんてバカなんだろう、ということだ。文化の発達を謳歌する現在の世の中でさえも、各国が軍事拡張を進めており、人間て本当は知恵の無い、情けない、バカな動物だな、と思わざるを得ない!!




陽春の高尾山をハイキング

2009-04-24 16:54:45 | 旅行/散歩/ハイキング
昨日は、朝、目覚めたら、ベッド上に早朝から太陽光線がふりそそいでいて、風も無く穏やかな一日となりそうな気配を感じた。こんな日には、家の中にくすぶっているのは、もったいないことだ、といつも思うのは、私の以前からの習性である。
かつて、サラリーマンだったとき、会社の窓から、外を眺めたとき、風も無く、穏やかな快晴の日の時には、室内で過ごすのは、実にもったいない、と、よく思っていたものだった。
そこで、昨日は、気心の知れた友達のK君に電話したら、トントン拍子に話が進み、高尾山でハイキングを楽しむことになった。今まで高尾山に行ったことがない私としては願ってもないことだった。
早速、軽装で電車に乗り込み、東京方面に向かった。到着した新宿では、ゆっくり時間も取れないので、こんな時に、いつも利用する立ち食い蕎麦の店で、腹ごしらえをした。そして、新宿を12時半発の準特急の京王線に乗車、「高尾山口」駅に向かった。終点の同駅には、1時間もかからないで到着したが、到着後5分もしないうちに、ここで、あらかじめ待ち合わせの約束をしていたK君と合流できた。
同駅から、少し歩いていくと、高尾山へと登るケーブルカーとリフトに乗車する駅があり、私たちは、この清滝駅という場所からケーブルカー(片道470円、往復切符なら900円)で山腹の高尾山駅に向かった。最大斜度31度という日本一急斜面を登るケーブルカーから外を眺めると、新緑の木々が美しく目に眩しい。約6分ほどで高尾山駅に到着。ここからは、標高599メートルの山頂目指して散策した。途中、薬王院経由のコースをゆったりと歩いていくうち、先生に引率された大勢の小学生たちと遭遇した。山頂では、ジュースを飲むなど、しばし休憩。山頂からの帰路は、いろいろなコースが設けられていて、私たちは、途中につり橋がある4号路を選んだ。こうして、つり橋を渡り、もとの高尾山駅にたどり着き、ここからは、午後5時発のケーブルカーで清滝駅まで下山した。そして、近くの手打ち蕎麦のお店で、2-8蕎麦を味わった。
終日、穏やかな日和に恵まれた中、のんびりユッタリとハイキングを楽しめて、私もK君も満足感いっぱいだった。



小学生の孫と都内漫遊、孫のタフさに脱帽

2009-04-01 17:45:52 | 旅行/散歩/ハイキング
学校が春休みの時期、孫娘を東京の名所に案内しようと思いたち、昨日は、まもなく小学2年生になる孫娘を連れて、東京に行ってきた。彼女は、彼女の母である私の娘と、幼稚園年中さんのもう一人の孫娘の3人で、待ち合わせ場所である北千住の駅に来て、私と合流。こうして、私と小学2年の孫娘と二人が連れ立って都内に向かった。娘とともに留守番することになった幼稚園年中さんの孫娘は、私たちに一緒について都内に行きたい!なんて泣き出すのかな、なんて心配したが、来週の月曜日に、私が東京タワーに連れて行く、という約束をしたら、納得して、喜んで私たちを見送ってくれた。
最初に向かったのは、TBSテレビでおなじみの赤坂サカスだ。私も孫娘も初めてなので、行き方が分からず、とりあえず、地下鉄の赤坂見附駅で下車して、そこからTBS方面に向かって歩いた。途中、近くのお店でサカスの場所を尋ねて、正午頃、サカスの広場に着いた。なんと、そこには東京メトロの地下鉄-千代田線の「赤坂駅」があったのにはビックリ。広場にはメリーゴ-ランドなどがあり、子供向けの楽しいミニ広場といった感じだ。孫娘はここで、ゲームを2つばかりやって楽しんだ後、彼女の希望で近くのさぬきうどんの専門店で昼食をした。セルフサービスのその店では、大中小の盛り付けのうち、私も孫娘も「中」を注文した。食べてみると、思いのほか量が多くて、彼女が全部食べるのは無理かな、と思っていたら、ちょっと時間がかかったものの、なんと全部たいらげてしまったのには、驚いた。
その後、六本木の東京ミッドタウン、更に六本木ヒルズに行き、それから、新宿都庁にも行って、ビルの最上階に足を伸ばした。この頃には、私は歩きつかれてグロッキー気味、でも孫娘はなんともなさそうで平気な顔。帰りは、JR新宿駅から電車に乗り、帰途に着いた。途中の電車の車内では、私はなんども居眠りしたが、孫娘は眠ることなく、全く疲れてない様子。かくて、私たちは千葉県の孫娘の自宅に6時半頃到着した。
今回の都内漫遊では、孫娘のタフさを実感させられて実に驚いた。