手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

今年はサンふじりんごの当たり年!?

2007-11-29 18:43:53 | グルメ
今の時期、「サンふじりんご」とか「ふじりんご」といった林檎が果物屋さんの店頭を賑わしている。私は数年前から、今頃の時期のりんごの美味しさに気づいて、私にとっては、夏のときのスイカと同じように、りんごが大好物になり、毎日のように、りんごを味わっている。
好きな林檎の種類は、りんごの中でも「サンふじりんご」とか「ふじりんご」と言われているものであるが、店頭に多く出回っているのが、「サンふじりんご」のようで、私はこの林檎のほうを食べている。
ところで、「サンふじりんご」と「ふじりんご」とは、どう違うのか、先日、インターネットで調べたてみたら、両方とも「ふじりんご」の仲間だが、林檎が木になっているとき、袋を被せて熟成させて収穫された林檎が「ふじりんご」であり、一方、袋を被せないで、太陽の直射日光にさらして熟成させたものが、「サンふじりんご」ということらしい。面白いことに、「サンふじりんご」の最初の文字の2文字だけ「サン」としてカタカナを使っているのは、太陽を意味する英語”SUN”の発音をそのまま置き換えて使っているからかな、と、私なりに解釈している。
最近は、毎年のように、今の時期、岩手県に住んでいる知人が、この「サンふじりんご」をダンボール1箱分、送ってきてくれて美味しくいただいている。それでも足りなくて、ときどき、果物屋さんを覗いて、美味しそうなものを見つけると、ついつい買ってしまう。こうして、最近は1日に2個くらい「サンふじりんご」を食べている。今年の「サンふじりんご」には、蜜がいっぱい詰まっていて、特においしく感じる。時期が時期だけに、どこの果物屋さんにも大量に「サンふじりんご」が並んでいて、しかも、大ぶりのものでも1個100円前後で買うことができ、しかも、沢山の蜜が入っていることが多い。
思えば、去年の場合は、今年のような、蜜の入った大きめの「サンふじりんご」は、ほとんど見かけなかった。そこで、去年、林檎の産地の農家の方に電話して伺ったら、カメ虫の被害がひどかった、と言っていた。
こんなわけで、今年はサンふじりんごの当たり年だな、って思う。
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10割の手打ち蕎麦の味に大満足、私なりの10割蕎麦打ちの秘訣

2007-11-28 14:23:46 | 蕎麦・うどん
手打ち蕎麦をやり始めて、いままで、そば粉10割の手打ち蕎麦を打つと蕎麦が切れてしまう、と聞かされていて、超難しいものと思い込んでおり、最近まで打ったことがなかった。
でも、最近、失敗しても、もともと、という気持ちで、10割蕎麦を打ってみた。ところが、なんと、今までの私の先入観念とは裏腹に、蕎麦は切れることなく、非常にうまく打つことができた。そして、この成功って、使った蕎麦粉がたまたま良かったからかな、と思い、その後、別の2種類の蕎麦粉を使って、やはり10割蕎麦を打ってみたが、こちらも大成功。
こうして、今では10割蕎麦打ちに自信を持つことができ、今では、蕎麦打ちは、きまっていつも10割にしている。
昨晩も我が家では、10割蕎麦を打って、その美味しさの醍醐味を十二分に満喫・堪能した。昨日使った蕎麦粉は、車で15分ほどのところの農家で自家栽培しているもので、1kg 1250円で買ってきた新蕎麦を使った。薄い黄緑色をしていて、シコシコとした蕎麦の食感といい、その切れ味といい、のど越しといい、すべてが申し分ない。ただ、ちょっと香りがいまいち足りないかな、というふうに思えた。
さて、今、10割蕎麦が切れずに打てたことを私なりに考えてみたとき、次の2つがポイントだ、と思う。1つ目は、こねるときに使う水の分量を少なめにして、すばやく十分にこねあげること。2つ目は、のした蕎麦を切る時に、使う包丁(いわゆる蕎麦切り包丁)は、できるかぎり切れる包丁を使うこと。(かつて、私は、自分はどうせ素人だ、ということで、包丁として安い3000円ほどのステンレス製包丁を使っていたのだが、最近は鉄製のよく切れる包丁を使っている。素人でも満足のいく蕎麦を打つには、オカネをかけて、やはり、高価な切れる包丁が必要だ、と思う。なお、のした蕎麦を切るために、折りたたむ時には、のした蕎麦に十分な打ち粉をかけることが重要。つまり、打ち粉をケチらないことも大切だ。かつて、私は打ち粉をケチったために、切った蕎麦同士がくっついてしまって何度も失敗したことがある。)
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今の時期こんな歌がピッタリ、無料で手軽に聴けるメロディ音

2007-11-27 12:34:46 | Weblog
私はときどき、インターネット上で無料で手軽に聴けるメロディ音を楽しんでいる。メロディ音を流しているサイトはいくつもあるようだが、私が知っているのは、次のサイトである。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/warabe.html
このサイトには数百という楽曲が収録されていて、自分で選んだ曲のメロディ音が、すぐに、パソコンのスピーカーを通して流れてくる。おまけに、このとき、その曲の歌詞もパソコン画面上に表示されるので、メロディ音を聴きながら口ずさむことができて、重宝して利用させてもらっている。今の時期、私は「里の秋」という曲を選んで、聞いているが、心がしんみりして落ち着く。
こんな名曲がインターネットで無料で、手軽に聴けるっていうことは素晴らしい。いろいろな曲のメロディ音を聴いていると、例えば、昔の想い出なども浮かんできて懐かしい。幼かったあの当時、昔のこと、いろんな事が、歌を聴いて想いだし、時には胸が熱くなったり、時には元気をもらったりする。--ちなみに、”ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む--”で始まる「夕日」という曲、この歌は私が大学2年生のとき、私たちに情熱を込めて英語を教えてくれた柏原教授の急逝に際して、御茶ノ水駅近くにあった大学の校舎の近くで、夕方行われた大学葬の際、流されていたメロディである。このメロディ音は、今も耳に鮮やかに残っており、脳裡に焼き付いた当時の情景も思い出させてくれて、その後、私が大好きになった曲だ。
一方で、心が殺伐としている時などでは、こういった名曲のメロディを聞いていると、きっと誰でもすさんだ心が落ち着くのではないかな、って思う。
なお、このサイトには、昔からの童謡などが数多く収録されていて、特に孫たちが来た時は、いつもこのサイトを開いて、孫たちと一緒にメロディを聞いて楽しんでいる。メロディ音が流れる中、孫たちはカラオケ代わりにして楽しんでいる。
なお、上記のサイトのほかに、次のサイトでも、無料で手軽に聴けるメロディ音を提供してくれている。
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mount_midi.htm
著作権などいろんな制約がある、と思われる中で、こういう素晴らしいメロディを聴かせてくれるホームページが存在していることは、素晴らしいことであり、実に有り難い。このようなホームページを提供していることは、社会に大いに貢献している、と思われ、関係者には心より感謝したい。
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孫娘たちの七五三、楽しいひとときを過ごした

2007-11-25 15:36:46 | 
昨日は予定通り、二人の孫娘の七五三が行われた。まずこの日は朝早く、家内と娘が、来年から小学校に入学する孫娘を連れて、電車で大宮まで出向いた。孫娘に日本髪を結ってもらうことと和服の着付けをしてもらためである。その帰途、日本髪・和服姿に盛装した孫娘の晴れ姿を、その和服を仕立ててくれた方に見てもらおうと、大宮市内にある呉服屋さんに立ち寄ったら、すかさず呉服屋さんがご祝儀を包んでくれたそうだ。
そして、午後、3歳の孫娘と日本髪姿の孫娘の二人の七五三に、近くの神社に参拝に出かけた。私たち夫婦のほか、もちろん娘の夫のご両親も出席した。風も無く晴天に恵まれ、秋の午後の柔らかな日差しを受けた中、みんなして参拝した。
そして、夕方にはみんな揃って近くの料亭に出かけた。そこでは、二人の孫娘の七五三をお祝いして、彼女たちを囲んで、和室での豪華な夕食を味わった。宴の途中では、3歳の孫娘が、2列に並んだ食卓の先頭の場所に進み出て、身振り手振りを交えながら、幼稚園で習ったと思われる、いろんな童謡を声高らかに唄って聞かせてくれて、みんなして大笑い、すごく楽しいひとときだった。
そして、今日11月25日の日曜日、私は来年小学校にあがる孫娘を誘って、車で近くの歴史博物館に行って見学してきた。駐車場に車を止め、孫娘と手をつないで、紅葉に染まる周辺の景色を目にしながら、博物館までの数分の散歩を楽しんだ。
博物館を見学した後、私たちは近くの長谷観音様に足を伸ばして参拝してきた。孫娘は長谷観音様でも、昨日と同じようにおみくじを引き、これまた、昨日と同じように、「大吉」が出て、大喜びだった。
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金太郎あめの入った千歳飴を買いに行ってきました

2007-11-22 10:33:27 | 
今度の土曜日に、2人の孫娘が七五三の行事を行うことになっているので、昨日は、JR上野で地下鉄に乗り換え、千歳飴を買いに行ってきた。今は小学校1年と2年になっている2人の男の子の孫の七五三の時もそうだったように、今回も金太郎あめの入った千歳飴を使うことにした。
私の子供の頃は誰もが知っていた金太郎あめって、今の子供たちは全く知らないので、それを実感して知ってもらうこともあって、あえて金太郎あめにこだわった。
飴を買いに出かけたついでに、帰途、日本橋の高島屋の近くにある山口県の物産館まで、フグ刺しのセットを買いに行ってきた。以前にも買ったことがあり、安いわりには美味しいのだ。丸いプラスチック製の小皿に花びら状に並べられたフグ刺しが、一皿1050円で販売されている。品切れになっていることもあり、昨日は前もって電話していて行こうと思い、物産館のホームページで電話番号を調べて電話したが何度電話しても間違い電話になってしまい、仕方なく、ぶっつけ本番で直接、物産館に行ったら、幸いにして数皿分だけ在庫があってホッとした。そのお店の人に、電話番号を伺ったところ、ホームページ上の電話番号は正確で、ただ、私がその番号を見誤ったことがわかった。パソコンのディスプレー上の「6」と読むべきところを「5」と読んでしまったのだった。帰宅して、電話番号欄を再度よく見たら、電話番号部分が小さい文字で表示されていたので、読み違えてしまったのだった。老眼になってモノが見えにくくなっているって実に嘆かわしい。!
さて、明日は勤労感謝の日で休日、千葉から孫娘たち一家が我が家にやってくる。3歳の孫娘は日ごろから3食の食事とも欠かせないほど、からし明太子が好きだ。6歳の孫娘はマグロの刺身が大好き。彼女たちは、フグ刺しを口にしたとき、いったいどんな表情を見せるだろうか、今から楽しみだ。
なお、埼玉に住む男の子の孫たちのところには、今日、フグ刺しを届ける。彼らはフグ刺しを口にしてどんな舌鼓を打つことだろうか?

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火事の救出ニュース、テレビに向かって拍手

2007-11-20 08:59:00 | 社会
今朝のニュース番組で、火事にみまわれた夫婦とその赤ちゃんの救出のニュースが報じられていた。---昨日のこと、火事で2階に取り残された夫婦とその赤ちゃんが近所の人の気転で無事に救出された、という。まず、2階から放られた赤ちゃんを下で待つ近所の人が見事にキャッチ。次に、その近所の人は、地面に沢山のフトンを積み上げて、その上に、夫婦が2階から飛び降りたのだ、という。こうして、赤ちゃんは無事、母親は軽傷、父親は足を骨折した、とのことだが、とにかく3人がみんな無事だったことは実に嬉しく、心が温まる。最近はめったに報じられないこのような美談ニュースを視聴して私は、テレビに向かって思わず何度も拍手してしまった。もちろん、拍手の音を台所で聞いていた家内からは、「どうしたの?」と訊ねられた。
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バングラデシュでのサイクロン被害に憂慮

2007-11-19 12:42:27 | 社会
昨晩のテレビによると、バングラデシュを大型サイクロン(台風)が襲い、おびただしい数の死者や被災者を出している、という。
バングラデシュと言えば、私が定年まで勤務していた会社の社員だったころ、仕事で一度だけ訪問したことがあって、その際、いろいろな経験や想い出があって、終生忘れることができない国である。
当時、私たち社員4人はタイ経由で、飛行機でバングラデシュに降り立ったが、着陸前に首都のダッカを窓から見下ろした時の驚きは、今でも鮮明に覚えている。街全体が灰色がかって見えて、まるで洪水で水浸しになった後のような光景をしていて、「これは大変な国にきてしまった」と、思った。あらかじめ私はバングラデシュという国を調べていて、世界でも最も貧しい国の一つであることなどの予備知識もあって、まさにそれが現実なものとして直感できたのだ。
やがて、ダッカ空港に着陸、税関を通り抜けると、そこでは多くの裸同然の子供たちが私たち旅行者を待ち受けていて、手を差し出して金品をねだり、私たちにまとわりついてきた。子供たちの中には栄養失調で眼の中が白濁して明らかに失明している子供もいて、そんな子供は目が見える子供の肩に手を置いたまま、あちこち移動してはモノをねだっていた。そんな中、歩を進めると、なんと、空港の係官が空港周辺で旅行者に金品をねだる彼ら少年たちを竹箒で追い散らしているのを目にしたが、これには実に驚いた。まるでニワトリを追い払っている風景そのものだ。この光景、私には終生忘れ得ない光景だ。
やがて、私たちは出迎えに来てくれた日本人商社マンの自動車に乗り込んだのだが、それでも子供たちはドンドンと車の窓ガラスを手で叩いていた。-----私にとっては生まれてはじめてのバングラデシュ訪問で到着と同時にこのようなショッキングなシーンが展開されたので、今では忘れようにも忘れ得ない国になっている。
バングラデシュでは、私たちは電話を主とした電気通信の実情調査の作業をしてきたが、その際、北部方面にも足を伸ばして、地方をも巡回視察した。行く先々では、私たち外国人を初めて見る人々が大人も子供も大勢して集まってきて、なんか大ファンに囲まれた人気スターのような錯覚も味わった。各所では、私たちは多くの人々から一様に親切なもてなしを受けた。そして、彼らの人なつこい瞳に触れ、また、心の温かさに触れて感激した。
このバングラデシュ出張の際、あちこちで撮った写真を見るたび、昨日のことのように当時のことを思い出す。
私がバングラデシュに出張しているとき気づいたことの一つは、同国では、山らしい山が全く無い、ということだった。すべて平坦な土地柄のこの国は大雨などですぐに土地が水びたしになってしまうことは目に見えて明らかだった。事実、出張中にも激しい夕立があると、きまって道路が冠水していた。そんなわけで、私はいつもバングラデシュを大型台風が襲うのを心配していた。テレビで、サイクロン(台風)のため被災している人々の姿を見るにつけ、実に心が痛む。
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小魚たちの華麗な舞いに驚嘆!!JR外房線の鵜原駅近くの海中展望塔を訪ねて

2007-11-17 13:03:01 | 旅行/散歩/ハイキング
一昨日の15日(木)から昨日16日(金)にかけて、千葉県の勝浦に一泊旅行に出かけてきた。小学校以来50年以上の長きに亘り、お付き合いしてきた梅田君と奥様及び私の家内を含めて4人で電車の旅をしてきた。宿泊したのは、私が30年近く勤務してきた会社の保養所で、私にとっては今回が3回目の宿泊になる。
15日は、午後4時前に保養所に到着、周囲の青々とした広大な芝生の中をみんなして軽く散策、それからピンポンを楽しんで、その後、大浴場で疲れを癒した。そして「ピアドール」というワインを飲みながら、豪華な夕食を楽しんだ。そして、1時間以上、カラオケルームでカラオケを競演して、羽毛布団での眠りについた。その折、寝る前に何気なく部屋の窓を開けた梅田さんの奥様が、夜空に輝く無数の星を見て驚きの声を上げた。梅田さん夫妻は東京・駒込に住んでいて、夜空でこんなに沢山の星を見たことは無い、という。こうして私たちは、空気が澄んだ晴天の夜空を見上げ、満点の星空に酔いしれた。
昨日の16日の帰宅の際には、JR外房線の鵜原駅に途中下車。ゆっくり歩いて15分ほどのところにある海中展望塔を見物に出かけた。曇り空で肌寒く、おまけにウイークデーの当日は、見学者はちらほらという程度だった。
丸い筒状になった展望塔の内部には螺旋階段があって、そこを降りたつと、水深7メートルほどの海中の様子がグルッと360度にわたって見渡せるようになった展望窓が、いくつも隣り合わせに設置されていた。展望窓には、展望のためのガラスがはめ込まれてそこから海中の様子が眺められるようになっている。この日は海底の視界が6メートルだそうだが、いろんな方角の窓から海底をみると、そこには鯛やフグなどいろんな魚が展望窓のすぐそばに沢山いるのには実にビックリした。私と家内が、とある窓の近くに来た時、そこでは我を忘れて見入ってしまった光景が展開されていた。なんと、体長が約10センチくらいの同じ種類の小さな魚が数百匹ほど群れになっていて、彼らはなぜか一様に頭部を上に向けた姿勢で、海の波の揺れるがままに身を任せて一糸乱れぬ状態で、右に左にユラーリユラーリと、気持ち良さそうに体を漂わせていたのだった。私には彼らがまるで全員で踊りを披露して私たちに見せてくれているように感じられた。実に見事なショーで圧巻だった。これには、しばしの間、見とれてしまったが、と同時に、こんな光景を孫たちにも是非とも見せてあげたい、と思った。そして、見たときの孫たちの驚きの叫び、はしゃぎ声が耳に聞こえてくるような気がしたものだ。
また、別の展望窓を覗くと、そこには、展望塔の外側から、展望窓を綺麗に磨いて、清掃してくれている作業員の姿が目に飛び込んできた。潜水服を着て海中に潜水して、もくもくと作業をしている、その作業員を見かけて、私たちが展望窓に近づくと、なんと、その作業員が私たちに向かってVサインをしてくれたのは可笑しかった。すかさず私もVサインに応じ、デジカメで撮影させてもらった。美しい海底を存分に鑑賞できるのも、このような作業員がいるからであり、この海中展望塔の入場料が千円近くするのも仕方ないかな、と思ったものだ。
かくして、無事、私たちは、帰宅した。今回の旅もまた、実に楽しい、有意義な旅であった。
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カレンダーには西暦と和暦の併記が必要!

2007-11-14 15:36:02 | 社会
もうすぐ新年。そろそろ新年度のカレンダーを見かける時期だ。毎年、多くのカレンダーを見てきているが、ほとんどのカレンダーの年度表記には、「2007年度」といった西暦年度あるいは「平成19年度」といった和暦表示の年度の、どちらか一方だけしか記載されていないが、これは非常に不便で、片手落ちである、と思わざるを得ない。
カレンダーを見ていて、そこに記載された年度表記-たとえば西暦-とは違った別の年度表記―たとえば和暦―が必要な場合は、その度に換算する必要があり、面倒でストレスを感じるからだ。そこで、カレンダーには西暦と和暦の併記が必要だ、と思う。
この表記に関しては、新聞記事とか、お役所はじめ各所から送られてくる文書などでも、どちらか一方の年度表記が用いられていて、実にややこしい。例えば、同じ新聞記事でも記事によっては西暦表示が用いられ、また別の記事では和暦表示が用いられたりしている。おまけに多くの場合、4桁の西暦表示では下2桁の数字だけが記載され、一方、和暦表示では「昭和」とか「平成」といった元号を省いて2桁の数字が用いられているので、記事を読みながら、それらの数字が西暦なのか和暦なのか迷ってしまうこともあり、非常に不便この上ない。もちろん、新聞記事では、同一記事では、最初に出てくる年度表記を見れば、それ以降の数字も最初に出てきたものと同じ年度表記である、という慣例でわかるのだが、それにしても、二種類の年度表記の存在は実に不便きわまりない。
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政府による叙勲の制度は廃止または大幅縮小したらどうだろう?

2007-11-09 12:00:54 | Weblog
2007年秋の叙勲の受章者数は4061人に上るという。以前から不思議に思っていたことだが、この受章者はどのように選ばれるのであろうか?どんな選考方法があるにせよ、その選考は、選考委員の判断というか、主観が入ってくることは避けられまい。誰の目から見ても、本当に受章するに値する人が選考されれば納得できるとしても、でも、そのような選考方法は現実には不可能であろう。かといって、受章者選出に際して、ある判断基準を設ければ、対象となる受章者が大勢出てきて、どうやってそれを絞り込むのか、これまた選考委員の主観が入ってくることになる。
叙勲の中でも文化勲章を贈られる5人ほどの受章者は、まあまあ、それ相応に納得できないこともない。問題は、それ以外の受章者の選出方法である。受章者の名簿リストを見ると、大企業の重役とか大学の先生、それに自衛官などの公務員の人々の名前がズラリと並んで受章者の大半を占めており、この傾向は春の叙勲の受章対象者でも同じことが言える。
一方で今、政府は莫大な額の借金を抱え、将来年金制度が破綻するかも知れないこと、など、国の財政は危機に瀕している。そして、巷では、働きたくても働き口が無い人々が数多くおり、また、母子家庭など厳しい家計をやりくりしている人たちなど、苦しい生活を強いられている人々が多数存在している。
--以上のような状況を考えるとき、政府は、文化勲章以外の叙勲という制度を廃止したらどうだろうか?叙勲に関わる政府の出費を福祉などに充当したほうが、時宜に適っている、と思う。叙勲に要する出費は、税金の無駄遣いに他ならない、と思えて仕方ない。
以前、どなただったか忘れたが、叙勲されることになった人が、それを断った、という話を聞いたことがある。叙勲という名誉を受けた人の嬉しい気持はわかるが、でも私は、叙勲を断った謙虚さに大いに頭が下がる。人は叙勲を手に入れるために活躍しているのではない!
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