手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

愁活期の資料整理ー日本のロケット開発草創期の頃の想い出の資料が出てきた!

2023-10-31 17:41:10 | 想い出
 日本のロケット開発は、糸川英夫博士が、東大生研(東京大学生産技術研究所)に在籍時に、その突破口を開いたことは、広く知られている。ロケット開発の初期の頃、ロケット発射場は、最初は、秋田県の道川海岸だったのが、その後、鹿児島県の内之浦へと移り変わった。
こうして、日本初の人工衛星実現は、1970年2月11日に内之浦からロケット「ラムダ4S-5号機」で打ち上げられた人工衛星「おおすみ」へとつながった。
その当時、私も東大生研に在籍していたことで、一連のロケット打ち上げプロジェクトに参加する機会を得たのだった。
ロケット発射が円滑に行えるようにするためには、ロケットを発射台と呼ぶランチャーにセットしたり、ロケットから届けられる姿勢やなどの各種テレメトリー信号の受信、飛翔中のロケットの高度や方位角などを特定するためのレーダー、ロケットに指令信号を発する送信など、いろんな操作が必要で、それらの個々の操作ごとに、数人から成る担当班が決めてられていて、それらは、ランチャー班、とかテレメータ班、とかレーダ班、とかカメラ班とか、と名付けられていた。
 さて、私も、そろそろ愁(終)活の時期に入る頃かな、と思って最近は、昔のいろんな資料を整理する機会が増えた。
   【註】昨日(2023年10月30日)のテレビ「徹子の部屋」で、出演していた毒蝮三太夫さんが、”終活”よりも”愁活”の方が、
      いいんじゃないの、って提案してました。!
それで、昨日、何気なく、本棚とか、押し入れなどから、収容していた品物を引っ張り出して、整理にとりかかった。
その中からは、ロケット打ち上げプロジェクトに関わる資料もぞくぞく出てきて懐かしく思った。
例えば、A3版用紙に印刷された、
SESノート   K-NO114  K-9M=15 タイムスケジュール(決定版)   S41.3.18
とか、
SESノート   K-NO。004  Lー3ー3による観測   昭和40年1月
とか、といったような資料が沢山、出てきた。
すご~く、懐かしい思いがして、ちょっと愁活作業の手を休めて、見入ってしまいました。
さらに、これら資料に埋もれた中からは、リコピーでコピーされた紫色がかった一枚のA4版の紙片も出てきた。
その紙片には、「ロケット五万節」というタイトルの付いた歌詞が手書きで記されていた。歌詞の最後には、
作詞 糸川ブラザーズ、歌 糸研ブラジャーズ (註:糸研:糸川研究室の略称)
と書いてあって、こんな歌って、私は、あの当時、聞いたことがあったかな?、って思った次第だ。
参考のために、紙片に書かれた歌の文句は、次の通りでした。
1、学校出てから十余年
 今じゃ東大のロケットヤ
 東京・鹿児島、駅前に
 見送り彼女が五万人
2、学校出てから十余年
 いまじゃヒマなしランチャ班
 角度角度の明け暮れで
 立てたランチャ五万回
3、学校出てから十余年
 今夜が本番のレーダ班
 上に下にと追いかけて
 とったしらみが五万匹
4、学校出てから十余年
 今じゃ純情なテレメタ班
 今日はあの娘とかみ合わせ
 これが本当ならご満足
5、学校出てから十余年
 今じゃノラクラ計測班
 今日もあの娘にのぼせてよ
 はかったお熱が五万度サ
6、学校出てから十余年
 今じゃハンサムカメラ班
 美人探し明け暮れで
 写した彼女が五万人
7、学校出てから十余年
 今じゃアリャサのキロク班
 今日は高山あす鹿屋
 うつした映画は五万回
8、学校出てから十余年
 今じゃグウタラ総務班
 朝に夕にと金まわり
 飲んだショウチュウ
 五万本
9、学校出てから十余年
 今じゃヨワムシタイマー班
 デイトの時間にまた遅れ
 おじぎペコペコ五万回
10、学校出てから十余年
 今じゃ金持ちID班
 おいらの本命はプローブよ
 握った金の玉五万個よ
11、学校出てから十余年
 今じゃ天下の糸川研
 月へ行こうぜ二人して
 それなら彼女も御満悦

窪美澄さんの直木賞受賞作「夜に星を放つ」を読んで思い出した言葉

2023-10-27 12:55:17 | 人生
この受賞作「夜に星を放つ」の中には、五つの独立した小説が収められていて、中でも「星の随に」と「真珠星スピカ」という作品には感動した。私が窪美澄さんの作品と出会ったのは、今回が初めてだったこともあり、すぐに彼女のファンになった。読んでいて、すごく分かりやすい文章だったのも非常に心地よかった。
今回、読んで感動した作品は、私が、かつて読んで感動した、住井すゑさんの作品「夜あけ朝あけ」を思い出させてくれた。住井さんは、この作品のあとがきの中で、次のような言葉を残しています。
”悲しい時に、人は泣くといいます。それは、嘘ではありません。しかし、人は悲しい時だけ泣くものではありません。ふつう、いわれているような悲しさでは、私は泣きません。私は、美しいもの、真実なものの前に泣きます。時には、その美しさ、真実さに感動して、おえつのとまらないことさえあります。”
私としては、そうだよなあ、まさしく住井さんが語ってくれたのは、そのとおりだよなぁ!と思った次第です。
なお、ここで紹介した3つの小説のそれぞれの最後を飾っている、締めくくりの文章の言葉遣いには、何故か特に、私は強く心を惹かれ、心に焼き付いています。参考のために、ここで、これらの文章をご紹介しておきます。
☆「星の随に」の最後の文章は、
  そうしてまた、渚さんと、母さんと、海君と佐喜子さんのことを思った。渚さんが帰ってきたら大きな声で、「母さん、お帰り」と言おう。僕は心のなかで密かに誓った。
☆「真珠星スピカ」の最後の文章は、
  父さんがぽんぽんと私の頭を撫でる。父さんの手は温かかった。小さな虫は満足したように父さんの首筋を離れ、いつの間にか、夜空に溶けて見えなくなった。
☆「夜あけ朝あけ」の最後の文章は、
  川原の七夕笹は、さやさや、風にうたっている。六つの心は、そのうたをききながら、それぞれに泣いた。しかし、泣くのをやめて、みんな、力いっぱいうたってもよかったのだ。あの、”夜の太陽”をたたえてーー。