手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

理科離れに思う--自然科学の面白さに興味を持たせることが大切だ

2008-07-26 11:51:44 | 教育
子供も大人も興味を持って面白く見入ってしまうものに手品がある。このように、老若男女、誰だって、不思議なものには興味がある。そして、その裏には何らかの仕掛けみたいなものがあるに違いない、と思う。これと全く同じことが、自然科学の面白さにもあてはまる、と思う。なぜなら、自然科学のいろんな法則も、視点を変えれば、これは、神様が、この世の中で演じている、一種の手品だ、と言えるからだ。
理科離れを防ぐには、高校になってから、というよりも、小学生とか中学生とか、の小さい頃から、科学に興味を持ってもらうようにすることが大切だ、と思う。小中学生時代に理科を面白く感じた生徒は、高校生になっても意欲を持って前向きに理科に取組むはづであろう。もし逆に、小学生時代に理科に苦手意識を感じた生徒は、中・高校生になって理科に取組むときは、苦手意識を感じて、初めから理科に取組む姿勢を後退させることにもなりかねない、と思うのだ。
理科を教えるときには、興味を持たせるような教え方も大切だ、と思う。博士号を取得した人が、単に理科の教員になれば問題が解決する、という問題でもない。出来るだけ易しく教える技術、工夫が必要だ、と思う。私の住む街では、今年から小学校・中学校での土曜教室は中止になったが、昨年まで土曜教室の講師をやっていた私は、どんな教え方、説明の仕方をすれば子供たちがより興味を持ってくれるか、ということを常日頃から考えていた。そこでは、言葉での説明ばかりでなく、目で見て手で触って体感できるよう、"モノ"を持参して手品みたいにして見せたりした。また、人工衛星が打ち上げられて話題になったときには、そのロケットの写真や衛星本体の写真をカラー印刷して持参して見せたこともあった。重さとか長さはどのくらいのものか?、車や電車と比べてどうか?などクイズみたいに生徒たちに問いかけたこともあった。そして、多くの生徒からは、これらの写真を欲しい、とせがまれ、増刷して翌週に配ったこともあった。
ところで、ほとんどの人が万有引力の法則を打ち立てたのは、イギリス人のアイザック・ニュートンだってことは、知っているだろうが、数学の分野に出てくる微分・積分の原理を打ち立てた人も同じく、アイザック・ニュートンだってことは、知らないのではないか、と思う。微分・積分に出てくわして、数学を苦手になる人は多いと思うが、その原理を教わる時、いかに平易に説明されたかによって、好き嫌いが分かれる。これも、教える側の責任だ、と思う。
要は、理科離れ救済のポイントは次の3点に集約されると思う。
◎子供の頃から、自然の不思議さ・面白さに気づかせ、興味を持たせること。見て、触れて体感できるような工夫した教育が必要。
◎理科の不可思議さを分かり易く教えること。数学や理科に苦手意識を感じさせないよう十分にわかり易く教えること。
◎ニュートンなど科学を極めた人たちの苦労話などの伝記を読ませること。


灯油の値段、このままでは2008年末には1リットル150円になるかも

2008-07-23 10:48:30 | 社会
ときどき私は、灯油の購入先である近くのホームセンターの前を通りかかる。その入り口には、その日の灯油のリッター当たりの売値が大きく表示された看板があって、いつもセンターの前を通るたびにそこを見てしまう。我が家では、風呂の給湯などに灯油を使っている関係で、この売値の数値は非常に気になる。以前は、この売値の数値は、2~3カ月に1回くらいの割合で変動していて、変わっていたとしても、せいぜい2~3円以内の範囲にとどまっていて、その範囲内で、時には安くなったり高くなったりしていた。ところが、最近、特にこの2~3カ月間の、値動きは急激で、しかも、上昇の一途を辿っている。2週間くらいのうちに10円ほど上がってしまうのだ。
ちなみに、ここ数年の間に、我が家で購入したときの、リッター当たりの灯油の値段を調べてみた。
2004年
3月4日:35円、 8月6日:38円、 11月8日:50円、 12月7日:47円
2005年
3月17日:52円、 6月27日:55円、 12月26日:68円
2006年
4月26日:67円、 11月29日:64円、 12月20日:65円
2007年
3月10日:61円、 7月6日:75円、 10月24日:79円、 12月11日:93円
2008年
1月8日:90円、 4月7日:91円、 5月21日:98円、 7月22日:125円
このことから分かることは、4年前の同時期に比べて、3倍以上に値上がりしているのだ。2008年に入って、この半年の間に30円も値上がりしており、このままでは、年末には150円になってしまう可能性もある。世間では、石油関連の値上がりは投機マネーのせいである、と言われているが困った問題だ。


引越しで別れるのは子供たちにとっても悲しいこと

2008-07-18 10:49:09 | 家族
私と家内とは、昨晩、車で千葉県の孫娘の家に来て泊まっている。実は、今住んでいる孫娘たちの家からは、電車の駅まで遠くて不便なため、孫娘たち一家が今住んでいる家から、明日の土曜日に、新居に引っ越すため、その手伝いに来ているのだ。
この家は、住宅会社が約4年前に、30件ぐらいの住宅を、カタカナの「コ」の字に並んだような形に配置して、新築・販売した際、娘一家が購入してものだ。目の前が道路で、玄関は南向き、室内も明るく、明るいベージュ色の浴室は広くて、住み心地の良い家だった。周囲の家々の家族も、ほぼ娘一家と同じような年齢の夫婦が住んでいて、彼らの子供たちも、孫娘と同じ年齢であり、住環境としても申し分がない、と言える場所だ。
今朝は、幼稚園の年少組の4歳の孫娘は、午前8時半少し前に、自宅前まで、いつもの通りに玄関前まで迎えにきた幼稚園のバスに乗り込み、車内で手を振りながら、元気に幼稚園に向かった。思えば、こうして、この家からバスに乗って行くのも、今日が最後になる。
今日は、朝食前、布団の上で、4歳の孫娘が、私に、すぐ前に住んでいる家のお友達からもらったという、かわいい封筒に入った2枚の手紙を見せてくれた。それには、「まいちゃんへ ひっこしても ひなのことわすれないでね ひっこしてもげんきでいてね」と書かれ、また、もう1枚の手紙には、「まいちゃんへ まいちゃんとりほちゃんがひっこすっていうはなし きいたらかなしかったけど るなもがんばるから まいちゃんもがんばってね。るなのことわすれいでね るなより」と書かれていた。家を引っ越すのって、子供たちにとっても悲しく、寂しくさせるものなのだ。




凡人とそうでない人との差--切羽詰らないと、・・重い腰が上がらない!

2008-07-15 18:34:43 | 人生
私には、ずっと以前から、何気なく気が付いているが、今もって是正できていない悪い習慣がある。例えば、期限が決められたような仕事の場合、期限ギリギリまで先延ばしにしてしまう!、というような習慣である。
これに関して、昔、こんな想い出がある。中学生時代だった、ある時、数日後に実施される試験に備えてみんなが試験勉強をしている時、級友の峯崎くんが「今、自分たちが試験勉強をしてるみたいに、普段からいつも毎日、猛烈に勉強し続けていけば、すごい人になるんだろうな!」って、言っていた。この言葉は今も耳に残っていて、時々想い出す。
私は、彼の言葉に同感である。この言葉は、物事をやり通そうとする時、"背水の陣"の状態に置いて臨め!という言葉にも通じている。これは、いざ、という時あるいは、差し迫った状態にならないと、凡人って、なかなか本腰を入れて物事に取り組まないものだ、ということを如実に表現している、と思う。普段は試験勉強をしてるときみたいな気持になれない凡人とそうでない人とは、ここで大きな差がつく、と思う。凡人でない人、充実した人生を重ねている人たちは、逼迫した状態に自分の立場を置いて、自身を甘やかすことなく自己実現を目指している人のことを指す、のではなかろうか。
会社を定年退職して、エブリーサンデー状態になると、期日の限られた行動義務があるわけでもなく、この先、死ぬまで、毎日の時間がまったく自分の気の向くままの自由状態になる。この先、寿命が尽きるまでの自分の持ち時間をどのように使って過ごしていくかは、各自の自由である。人によっては、魚釣りとか将棋・囲碁の趣味のレベルアップに励んだり、無農薬野菜作りを手がけてみたり、お遍路さんとなって全国の名所を巡り歩いたり、など人それぞれの価値観や考え方によって様々だろう。
さて、私の場合、定年になってからまもなく10年になるが、振り返ってみると、この長期間に何をやってきたかと自問してみると、自分で納得できるような充実した生き方をしてこなかった、としか言えない。ハッキリ言って、もったいない時間の過ごし方をしてきたな、と思う。これって、今まで、まさに期日の差し迫った試験というものの無い、自由気儘な状態であり、自分を甘やかして過ごしてきたから、ということに起因している。どうやら、恐らく、私の場合、期日の迫った試験に望む時みたいに、逼迫した状態に自分の立場を置くことが必要のようだが、かといって、今さら、そんな窮屈な状態に自分を置くのはイヤダ、というのが本音である。こんな中で、トシとともに私には、時々、いずれ有無を云わせず訪れる"死"というものが逼迫して意識されるようになってきて、なんかしら最近焦り気味でもある。



晴天に恵まれた一昨日と昨日、葬送の儀に列席

2008-07-14 22:32:02 | Weblog
梅雨の為、曇り空が続いていたが、先日亡くなられた、孫娘のひいおばあちゃんの通夜と告別式が行われた一昨日と昨日は、ウソのように好天で、まるで梅雨が明けたみたいな暑さであった。私と家内は、一昨日行われた通夜の儀に続いて、昨日の午前中から行われた告別式に列席した。
90歳をとうに過ぎて亡くなったせいか、式典に出席する人は少なく、小規模の式典ではあったが、印象に残る式典だった。千葉県南部から来ていただいたという、菩提寺のお坊さんのお説法は、お釈迦さまが説かれた生老病死など四苦八苦に関する噛み砕いたお話で、いろいろ考えさせられるものがあった。
焼香の際は、参列した私の孫娘たち二人も、それぞれ幼稚園の制服、小学校の制服に身を包んで、今回生まれて初めての経験となる焼香を、両親を見習って、見よう見まねでしていた。
昨日の告別式では、棺の中に、生前に亡きおばあちゃんと写った孫娘たちの写真などがたくさん入れられた。さらに列席した全員が、棺の中のご遺体の上や周囲に盛りだくさんの生け花を手向けて、あふれんばかりだった。美しく咲きほこる白や薄紫のカトレアの花などを、孫娘たちも手向けていて、故人との別れを惜しんだが、この時ばかりは、私は、万感胸に迫るのを覚えて、涙を禁じえなかった。
どんな人もいつかは必ず、死別する、ということは、わかっているものの、やはり悲しい。


自然はウソをつかない!--私が自然科学系に魅せられた理由

2008-07-12 10:26:09 | 教育
私が高校を卒業して、大学でどんな学科を専攻するかを決める時、自然科学系を専攻したのは、"「自然の法則」って、この世の中で人間が勝手に決める「法律」や「規則」などとは違って、実にスッキリしていて統一がとれている"、という点である。この自然というものの統一感みたいなものに気が付いたのは、中学生時代の恩師である和田先生のおかげである。先生は化学を主として教えてくれた理科の熱血先生で、私はこのとき初めて、理科が面白くて好きになった。
実は高校から大学に進学する際、当時、父は会計事務所での仕事をしていたので、長男である私は、両親から、理工系ではなく経済とか商学系を専攻するよう薦められたのだが、最終的には私の我がままを通してくれた、という経緯がある。
さて、自然科学を学問していくと、自然界には、いろんな不思議なことが無数にあって、それを知りたい、という欲求、というか面白さに引き込まれていく。その面白さには汲んでも尽きることの無い味わいがある。そして、科学する人たちは、不思議なことの中にも、スッキリとした統一感が宿されていることに気づいて、それを数式という便利な道具を使って、表現している、ことは周知のとおりである。例えば、リンゴが木から落ちるのを数式で表現したのが万有引力の方程式であり、電波が伝わるのを数式で表現したのがマクスウェルの方程式である、というように。こうして、自然科学を探求して、自然に宿っている統一した法則のようなものを導く場合には、どうしても数学の助けが必要になるので、科学者には道具としての、「数学」の知識・勉強が不可欠になるのだ。
この世には、科学の法則のような永遠に亘って不変なこと、つまり時代の変遷によってかわらないものが存在することは事実であって、煎じ詰めると、そこには、この世で私たちが称している、いわゆる「神」という存在に行き着くように思う。従って、真理いわゆる自然の摂理を代弁した自然の法則っていうのは、万物を律している"神"の法則に他ならないように思える。諸行無常という自然の法則は、時代を越え、いつの時代にもあてはまる厳然たる事実である。こういった真理は時空を越えて、不変の存在であり、実にスッキリしている。
一方で、この世の中には"法"とか"規則"みたいな名前のつく、人間がその時代・時代に合わせて創った法制度みたいなものが無数にある。また同種類の法制度でも国によって中身が違っていることはザラだ。規制をする法律、規制を解除する法律、どれもこれもあくまでも一時しのぎの法律に過ぎず、時代が変わり、環境が変わってくると、いとも簡単に変えざるを得なくなる。ややこしい!
こういった人間の創った法制度・法律に比べると、真理はいつの時代でも不変であり、ウソ、偽り、ゴマカシが絶対に無い!
"本来なら絶対に学校の先生になれなかったであろう人物が先生になっている"・・など、神の意思に反したことが堂々とまかり通っている、という事実は、現実の世の中ならではの話なのである。



大分県の教員汚職事件、今後は他県でも類似事件が続々と発覚するかな

2008-07-10 18:02:54 | 社会
教員採用汚職が発覚した大分県の事件については、どのTV局のコメンテーターも、異口同音に、他県でも似たような不正・汚職が今後はどんどん出てくるはずだ、と感想を語っていた。私も同じ感想を持っている。でも、今のところ、まだ他県での類似の不正・汚職はニュースに出てきていない。不思議だ。
多くの市町村では、学校の先生とか市(町村)役所の職員に採用される、というのは、採用枠が極端に少ないため採用試験にパスするのが非常に狭き門になっている。私は、友人の息子さんのように、学校の先生になりたくて毎年のように採用試験に受験しているが、未だパスせず、次年度の試験を目指している、など気の毒な人を何人か知っている。
一方、私には、ずっと以前から、不思議に思ってきたものの一つに、学校の先生の息子さんが大きくなって、いとも容易に学校の先生になった、とか、市役所の職員になった、といったような例を目にする、という事実がある。そして驚いたことに、街の年配者とか町内会の有力者のような人たちは、「あそこの家は親父さんが校長先生をやっていたから、狭き門も難なくパスしたんだヨ」みたいな言い方をヒソヒソと話していて、いわば、コネとか縁故が当然のようにまかり通っているのを、黙認しているのである。
また、ある市役所の例では、コネで入所した職員が無能力で、やっかい者になっている、とかの話も聞いたことがあるし、市役所業務の効率化などを積極推進しようとした市役所職員が、頭の固い上層部から憎まれて、ゴミ収集など汚物処理を担当する部署に配置替えさせられた、といった話も聞いたことがある。
居酒屋タクシーで問題になっている霞ヶ関の官僚ばかりでなく、この際、市町村レベルの公務員についても、不正・汚職などのウミを徹底的に出すべきである。


早朝の電話って、きまって良くない知らせ!?

2008-07-09 11:27:44 | 想い出
今朝6時半頃のこと、電話が鳴るのをベッドで聞いた。既に起床している家内が、別室で電話を取ったらしく、ベルの音はすぐ消えた。私はこんな早朝に電話があるなんて、きっと良くない知らせではないかな、と勝手に想像した。もしかしたら、孫娘が高熱を出したのでは?とか、良くないことを想像していた。
やがて、起床して、家内と目を合わせたら、彼女は、開口一番、"娘の嫁ぎ先のおばあちゃんが亡くなった"、と知らせてくれた。案の定、良くない知らせだったのだ。なんとおばあちゃんは孫娘のひいおばあちゃん(曾祖母)にあたる方である。そのひいおばあちゃんは、たしか96歳の方で、今、小学1年生の孫娘が生まれたときには、産院まで足を運んで、ガラス越しに孫娘を見に来てくれていた。最近では、病院の入退院を繰り返した日々を送られている、と伺っていて、娘一家と会うときは、きまって、おばあちゃんの容態が話題になるのが常だった。
先日亡くなった大学時代の恩師に続く、孫のひいおばあちゃんの死、の報に、私は、死というものの厳然たる存在を強く意識せざるを得なかった。普段は何気なく軽く考えていた"死"というものについて、「万物には死がある。死はなんのためにあるのか。もし死が無かったらどうなのか。」など、いろいろと考えを巡らせた。こうして私なりに出した結論は、"死"の存在は、私たちに対して、「現世で良い行いをしなさい」ということを教えているのではないかな、ということだった。


夜明け前の"蚊 退治"、戦果無し!

2008-07-08 09:51:19 | Weblog
今朝、4時前のこと、耳元近くで聞こえた「ブーン、ブーン」という、蚊の飛ぶ音で目が覚めてしまった。目覚める前、暗闇の中で、蚊が飛んでいると思われる耳元あたりを何度か平手打ちしたのだが、それでも、「ブーン、ブーン」という音が消えず、しつこい蚊に腹立って、退治することになった。照明をつけて、部屋中を明かるくして、やがて目を覚ました家内も一緒になって、蚊を探した。手にウチワを持って、あたりをときどき扇ぐなどして、寝室中をくまなく探したが、どうしても見つからない。今までの経験だと、部屋の壁が真っ白いこともあって、こうして簡単に蚊を見つけ出すことができ、退治したことは何度もあったが、今日はとうとう見つけ出せなかった。残念ながら、私たちは照明を消して、明け方までの残り少ない時間を寝入ったのだった。






卒業論文を指導してくれたK先生の想い出

2008-07-04 18:22:37 | 想い出
数日前の夕方、私の大学時代に同じ研究室で卒論をまとめた仲間から、電話がかかってきて、私たちに卒論の指導をしてくれたK先生が亡くなられた、ことを伝えてくれた。
報道によれば、6月30日午前8時50分、急性心不全のため東京都足立区の病院で死去、85歳だった、という。
K先生は、私が大学卒業後に勤務することになった東京・六本木の研究所(現在は国立新美術館に生まれ変わっている!)への就職を世話された方でもある。
私が東京・御茶ノ水の駅から歩いて10分足らずの場所にある日本大学で、電気工学を専攻して過ごしたのは、今から約50年ほど前になる。当時、K先生は必須科目である電気・磁気学の講義をされていた。電気工学の中でも、電気・磁気学という科目は、基本的なわりには難しい科目で、ほとんどの仲間が理解するのに苦労していたようで、私もその一人だった。でも、必修科目なので、どうしてもこの科目で合格点を取らないといけないので、必死だった。私の友達は、大学4年生になって、就職先が決まっていたのに、この電気・磁気学で合格点がもらえなかったため、大学を1年間、留年したほどだった。
私は、卒業をまじかに控えた大学4年生のとき、K先生の研究室に入って、卒論を指導していただいた。当時のK先生は40歳前後の若さバリバリで、太っていてガッチリした体格の持ち主であった。毎日のように、授業が終わると、同じ研究室の仲間7、8人とともに、小部屋の研究室に入ってきて、各自が卒論を書くための実験などの研究にとりかかる。研究室は狭くて、かつて秋葉原で見かけたジャンク店みたいに雑然としていたのを覚えている。研究実験の合間には、時々、K先生とともに外出して、明治大学の裏手に店を構えていた「卓球場」に出向いて、卓球をやったものだった。それから、K先生が四国の高松市出身だった関係で、K先生とともに私たち研究室仲間で四国の栗林公園に旅行したこともあって懐かしく思い出される。
K先生の研究室で私が、もっとも強烈に憶えているのは、ときどき室内で行われる飲み会のことである。飲み会は、みんなが帰宅する直前、夜になって行われるのだが、その席上、きまって、私と仲間のM君--NHKに就職した--が、毎回のように、仲間のみんなやK先生からご指名され、催促されて歌を唄ったことである。私が歌うのは、いつも、三橋美智也さんのヒット曲「古城」で、M君の歌は平尾昌章さんのヒット曲「みよちゃん」だった。今、当時を思い出しても可笑しく笑ってしまうほど、M君の感情込めた唄いっぷりは忘れ難い。
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"みなさん、まー僕の話を聞いてください。僕が高校2年で あの娘みよちゃんも高校2年の時でした"
♪僕のかわいいみよちゃんは
色が白くてかわいくて
前髪たらしたかわいい娘
あの娘は高校2年生♪♪
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さて、K先生に最も最近お目にかかったのは、何年か前に、先生が叙勲の栄誉を受けられたときであり、東京・赤坂のホテルで行われた祝賀式に出席したときのことであった。このときのK先生は、私の学生時代のでっぷりとした先生とはうって変わって、やせ細って小柄な身体つきになっておられていた。