手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

メダカと東大出身の先生

2015-06-19 17:23:23 | その他
一昨日のこと、孫娘の家を訪れたとき、小学5年生の孫娘が、金魚などを入れる、プラスチック製の水槽に水道水を入れていた。聞けば、孫娘の通う学校のクラスでは、生徒全員にメダカ6匹づつが配られて、自宅に持ち帰って、各自が家で育てるのだ、という。クラスの先生からは、6リットルの水を入れた水槽を準備するように言われたそうで、孫娘は、500ミリリットルのペットボトルの空き容器を使って、12回にわたって、水道水を水槽に入れていた。
さて、昨日のこと、孫娘がメダカを持ってくる、というので、私は、メダカを見物するために、この日も、夕方、孫娘の家に行った。家に着いて見てみたら、既に水槽には、6匹のメダカが気持ちよさそうに泳いでいた。
私は、メダカ、といえば、一時、たしか数年前だったか、世間では、メダカが絶滅危惧種に指定されていた、というのを思いだしながら、元気に泳ぎ回るメダカに見入った。
休むことなく、せわしなく泳ぎ回るメダカを眺めながら、私は、メダカにエサを与えよう、と、近くに置いてあった粉末のエサに手を伸ばした。すると、孫娘からは、「だめ!だめ!、さっき、やったばかりなんだから!」って、反対されてしまった。私は、「こんなに動きまわってるんだから、もう疲れてお腹がへってるかもしれないよ!」と言ったが、聞き入れてもらえない。そして、孫娘が言うには、「だって、東大を出た先生が、何度もエサをあげちゃ、いけないって言ってたんだもん!」とのこと。私は、孫娘って、東大を出た先生のこと、すごく信頼してるんだなぁ、って妙に感心したものだった。
ところで、メダカといえば、娘(孫娘の母親)が、小学生だった頃のこと、家族で近くの川に行って、メダカを捕ってきて、草花用のプランターを水槽代わりに使って、数年間もの間、メダカを飼育したことがあった。もちろん、メダカの赤ちゃんも生まれて、メダカの数も増えた。で、最終的には、家族みんなで、自動車で、それらメダカを、元の川に放流しに行った、という懐かしい思い出がある。考えてみると、今から30年くらい前のことになる。