手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

しまった!JR電車の無賃乗車に協力してしまった、かも?!

2008-03-31 09:50:55 | 社会
つい先日、ホームで電車待ちしていた男性が、理由もなく問答無用で、18歳の若者によって、背後から強引に押されて、レール上に転落、電車にひかれて死亡した事件が起きた。なんとも実にやりきれない事件だ。こうなると、誰でも人間不信に陥るのではないか、と思う。
さて、去る28日の晩のこと。私は、いつもの下車駅で電車を降り、出口の自動改札口へと向かった。すると、改札口の手前にうろついていた一人の若者が、無言で、私のところに近づいてきた。私はとっさに、「刺されるかも知れない」なんて、イヤな予感がして、危険を感じて足を早めて改札口を通り抜けようとした。そこで、私は急ぎ足で、自動改札口の機械にsuicaの定期をかざして、ドキドキしながら、改札口を通り抜けた。でも、改札口を通り抜ける時は、なんと、その若者が、私のすぐうしろに、ピッタリ密着するようにしていたので、なんとも怖さでいっぱいだった。
改札口を無事、通り抜け、私は右手へと急ぎ足で歩を進めたが、ほどなく、背後に若者の気配を感じなくなったので、後ろを振りかえったら、若者は左手へと向かっていった。でも、その彼は、さっきとは違って、ユックリとした足取りだ。
私は、どうして、彼は、改札口を通り抜ける時に限って、急ぎ足だったんだろう?って、思った。
そこで、私は、思った。---きっと、彼は、乗車キップを持っていなかったのか、または、乗り越し料金の支払いを踏み倒すため、私のすぐ後について、瞬時に自動改札口を通り抜けたのではないか?、と。
だとしたら、私は、JR電車の無賃乗車に協力してしまった、ことになる。私はなんともイヤな気分であった。

サッカー:アンゴラA代表とのU―23日本代表の戦いぶりは、なかなか良かった

2008-03-28 14:28:05 | スポーツ
昨晩の27日、国立競技場で行われたアンゴラA代表とのサッカー親善試合をTV観戦した。今回は、事前にU―23日本代表の反町監督が、従来から起用してきたフォワードの平山選手を「一皮剥けてない!」として、代表から外すなど大胆な策を打ち出し、注目を集めていた。
アンゴラA代表を相手にまったくたじろぐことなく、U―23日本代表の堂々の戦いぶりは、非常に迫力があり見ごたえがあった。特に後半に入っても、日本代表は疲れを感じさせること無く、攻め続け、アグレッシブな戦いを見せてくれた。相手にボールを奪われてもすぐにしつこくそれを奪い、後半でのボールの支配率は、日本側の方が多かったように思う。特に、日本の得点に貢献した長友選手は、非常に良かった
一緒に観ていた家内は、このU―23日本代表のメンバーは、ワールドカップ出場を目指す日本A代表に入れ替わってもいいぐらいだ、と感想を漏らしていたが、私もそれに同感だ。
実は、前晩には、バーレーンでワールドカップ出場を目指す日本A代表がバーレーン代表と戦っていて、その試合をTV中継で観ていたのだが、その時の日本A代表の戦いぶりが私には不満で、途中TVを切って眠ってしまった。後で、0-1で日本が敗れたのを知ったが、さもありなん、と思ったものである。
今回のU―23日本代表と日本A代表を比べたとき、そのヤル気というか戦いぶりに大きな差があったが、なにがそうさせたのだろうか?
監督の違いだけだろうか?
選手の質の問題なのか?
選手のヤル気の問題なのか?
とにかく、選手には、常に「必死にプレーをやっている」という姿勢を、私たちに見せ続けてほしいものである。それが、日本を代表する、ということなのだから。

毎朝のように爆音のようなエンジン音で目が覚める

2008-03-28 09:43:30 | 社会
近所に住む若い人が、午前7時過ぎ、毎朝のように、爆音のような車のエンジン音を響かせている。マフラーを外すなど車に何らかの改造を加えていることは明らかだ。短い時間なら気にならないかもしれないが、数分間それが続いていて、そのために、いつも、このエンジン音で目が覚めてしまう。夜型人間の私には、朝もう少し寝たい、と思うことが多く、迷惑を感じている。おそらく彼のすぐ隣りに家を構えている人たちは、もっと爆音がひどいはずで、さぞ迷惑を受けているのではないか、と思う。おそらく、隣接する住人たちは、彼の家との摩擦を避けるため、あえて、彼の家への迷惑抗議をせず、泣き寝入りしているのでは、と思われる。
もしかして、轟音のエンジンを響かせている本人(それに両親までも?)は、周囲の人が迷惑を感じている、とは思っていないのかも知れない。しかし、このように自分が気がつかないでも、自分の行為が他人に迷惑をかけている場合がある、おうおうにしてあり得るものなのだ。なので、私は、折りにふれて、このようなことを他山の石として心するようにしている。
それにしても、あれだけの轟音に、若い人の両親は、どう感じているのであろうか?そういえば、彼の父親は、若い頃から車大好き人間だった、ことを知っている。
閑静な住宅街、静かな朝に、突如この轟音は、実に不釣合いだ。

久しぶりの従兄弟/従姉妹たちとの再会、海外旅行から帰った気分(2)

2008-03-26 16:44:55 | 家族
昨日(3月25日)の告別式は、正午から執り行われた。少し早めに会場に着いたので、その玄関前でうろうろしていたら、やがて高級車「レクサス」で、(若い)お坊さんが、会場に乗りつけた。
告別式には、前日の通夜とほぼ同じ顔ぶれの親戚の面々が出席していた。私の母には妹が二人いて、うち一番下の妹は既に他界していて、この度亡くなった八三郎おじさんは、その他界した妹のご主人だ。私の母のもう一人の妹さんは、腰を90度近くまで前のめりに曲げつつも出席、彼女の子供たち夫婦ともども3組がそろって出席していた。それに、孫までも出席していた。また、昨晩、私たちを自宅によんでくれた従兄弟の家では、彼の母は脳梗塞のため出席しなかったものの、彼女の子供たち4組の夫婦が出席していた。2日間にわたる葬儀では、母の姉妹の子供やその孫までもが大勢出席していたのに比べ、我が家では、母に子供が7人もいるのに、出席したのが私たち夫婦だけであり、肩身の狭い思いを感じた。
私の母には、お姉さんが3人いる(一番上の姉さんは故人)が、すぐ上のお姉さんは、元気に出席していて、告別式の後の会食の際は、偶然近くに座っている私を含む3人の男のいとこを前にして、家の相続問題にまつわる処世術を話してくれた。--相方を亡くして一人になった親は、自分と同居している子供に、家屋敷100%を即、相続させるべきだ、っていうことを話を口をすっぱくして強調していた。--後で、従兄弟の一人から伺ったところによると、こう話してくれたおばさんは、その昔、結婚したときは、酒癖わるく/横暴なご主人につかえて、食事もろくに食べさせてもらえないような、ひどい暮らしをしてきた、という経験の持ち主だ、という。ご飯のおかずは、食べ残した魚の骨を焼いて食べていた、のだ、という。そして、彼女は、私の母、女姉妹6人のうちではもっとも苦労してきた人だ、という。
告別式の当日、終盤には、お寺に行き、お墓への納骨の儀までも行われた。このお寺は、私にとっては2度目の訪問である。1度目は、約20年ぐらい以前に、私の母の母が亡くなったとき、葬られた時であり、当時は石塔もなく、地面をシャベルで掘ってお骨が埋葬されたのを記憶している。つまり、このお寺に葬られたのは、私の母の母が最初だった。しかし、現在では、その墓所には、この度、亡くなった八三郎さん建立の立派な石塔があり、それに、周囲の墓所の景観も20年ぐらい前とは、比較にならないほど、敷地も広く、綺麗に整備されていた。また、お寺の本堂も20年前とは見違えるほど豪華絢爛なものになっているのには驚いた。
かくして、私と家内が自宅に帰りついたのは、午後6時だった。この日は、日中は風もないうららかだった天候も、帰りつく頃には、小雨が降り出していた。
今朝は、二日間に亘る疲れのせいか、午前8時近くに目が覚めた。久しぶりに大勢の親戚、従兄弟/従姉妹たちと歓談し、何かしら、今日は、海外旅行から帰った気分がしている。

久しぶりの従兄弟/従姉妹たちとの再会、海外旅行から帰った気分(1)

2008-03-26 16:43:17 | 家族
一昨日と昨日の二日間に亘って、去る3月22日に亡くなった親戚の八三郎おじさんの葬儀が行われた。両日とも私は家内とともに、車で1時間ほどの場所にある葬儀会場へと行き、参列してきた。
亡くなった八三郎おじさんは母の妹のご主人にあたる方なので、本来なら当然、母も出席するべきなのだが、母は、"足がわるくて、転んだりしたら危険だから"と、いう理由で欠席、「お前たちで行ってきてほしい」と言う。
実は、つい先だって、母は、檀家としてお世話になっている、お寺の主催による一泊のバス旅行に参加しており、また来月にも参拝旅行に出かけたい、と言っているので、私は、母に、「参拝旅行には行けるのだから、葬儀にも出ることは、できるハズでは、?」と、話したら、母は目をむき出して怒りをあらわにして、「参拝は別格で、エネルギーが湧いてくる」のだ、と主張。
さて、一昨日は、午後6時から通夜の儀が行われた。会場は、入りきれないほどの大勢の参拝客でごった返した。なので、用意された椅子席は満杯で、後部には多数の人々が立って会場に臨んでいた。
約1時間ほどして済んだ通夜の後、食事がふるまわれた。その後、車で帰宅しようとすると、久しぶりに再会した従兄弟から、「家が近くなのでお茶でも飲んでいって」と、誘われたので、お言葉に甘えた。私たちを誘ってくれた'いとこ'は、私の母のお姉さんの子供で、私より2歳若い男性で、彼とは昔よく遊んだ仲である。彼は、脳梗塞を患っている母(私の母のお姉さん)と一緒に住んでいて、奥さんとともにその母のお世話をしている。堀ゴタツのある和室に通された私と家内は、彼と奥さん、彼の妹ご夫妻、それに彼の母も同席する中で、一升瓶の「越乃寒梅」なるお酒を飲みながら、いろんな話で盛り上がった。話題の中で、"葬儀のような機会でしか、従兄弟/従姉妹たちが再会できないのは寂しいことだ"、という彼の言葉に、みんなが賛同。私も、通夜の席で、たまたま同じ考えが浮かんでいたので、これって偶然の一致だった。そこで、そのうち、那須や鬼怒川とか近くの温泉に一泊旅行に行こう、という話でまとまった。
こうして、夜9時過ぎまで、話が弾み、私と家内は帰途についた。

まもなく満開の桜、見るのが楽しみ

2008-03-22 14:06:45 | 家族
今日は土曜日。一昨日は仕事の締めの都合で、その夜は、3時間くらいしか睡眠をとってなかったので、昨晩は熟睡し、今朝は目を覚ましたのが午前7時を過ぎていた。寝室の窓には厚手のカーテンが敷かれているとはいえ、その隙間からは強烈な陽の光が射し込み、今日の天気の良さを物語っていた。
と、まもなく、今年4歳になる孫娘が一人で寝室に入ってきて、ニコニコしながら私のフトンにもぐり込んできた。実は、昨晩、娘一家が、わが家に来て泊まっていたのだ。こうして、私は孫娘と二人して、お話したり、「ちびマル子ちゃん」の録画をテレビで観たりして過ごした。
8時頃。既に朝食の準備をしている家内が、寝室の私に、「今朝方、"八三郎さん"が脳梗塞で倒れたらしい」という、ニュースを伝えにきた。今朝がた、私の母のところに八三郎さんの親族からその旨、電話があったらしく、それを母から伝え聞いた家内が、私に知らせたのだ。八三郎さんは、母の妹のご主人で、80歳をとうに過ぎた方で、以前から、脳梗塞気味で病気がちなことは、私も伺っていた。
その後、私は、着替えて、娘一家とともに、みんなで賑やかに朝食。
そして、まもなく、母のところに、今度は、「"八三郎さん"が無くなった」旨の電話が入った。これにはビックリ。母は、急いで八三郎さんが彼の息子夫婦たちと一緒に住む家へと出かけていった。
八三郎さんといえば、かつては、私の父と、しょっちゅう将棋をやっていて、父とは親しい間柄であった。公務員だった昔、母の妹のお婿さんになった方で、謹厳実直な人柄で、温厚そのものの方だった。
春爛漫、まもなく桜が満開を迎えようとするこの時期、アノ世に逝ってしまった八三郎さんは、満開の桜を見ることができず、残念だ、と思っているのではないだろうか。
年にたった一度、それもほんの数日しか見られない満開の桜を堪能できる、というのは、じつに幸福なことだ。そうすることができる、というのも、「この世に健康で在る」から、である。八三郎さんの訃報を知り、私は、ますます、健康で在る、ことの有難さを、しみじみ気付かされた、という思いを感じる。

イラクから帰還した米兵の現状映像を見て思う

2008-03-21 19:13:36 | 社会
先日、NHKのテレビでイラク戦争から帰還した米兵の特集番組をやっていた。私にとっては思いもよらない実態が映しだされていて、米兵たちの苦悩の様子に愕然とした。
開始から5年を経たイラク戦争では、これまでに米軍の死者数は約4000人にのぼり、一方、イラク人死者は10万人とも15万人ともいわれているそうだ。このイラク戦争に巻き込まれている当事者のすさまじいばかりの実態に対し、実に悲しいこと、と思わざるを得ない。
帰還した米兵の多くは、精神的異常を訴える、というが、私たちの想像を絶するイラク現地では、まさにそうなってしまうのも無理からぬことのように思える。いままで、普段のなにげない日常生活を過ごしていた人が、イラクの最前線に行って、戦車に乗った場合、あるときは、そこいらじゅうに横たわる多くの死者を目にしたり、また時には、息も絶え絶えの敵兵を目にするのは、日常茶飯事であったろう。また、時には、相手からの奇襲攻撃にさらされたりして、突然にして、親しい友人を失ったり、するであろう。また、わが命を守るため、どうしても相手敵兵を殺害した経験をもつ兵隊さんもいるはずだ。-----このような現場に居合わせた人が、精神異常を訴えるのは当然だろう、と思う。
戦争って実に馬鹿げたものだ。毎日のように、イラクでの自爆テロで死者が出た、と言う記事が新聞を賑わしているが、実に不幸だ。赤ちゃん時代から、大切に育てられ、学校に言ったり、旅行したり、いろんな人生経験を持ってきた人が、馬鹿げた戦争で、命を落とす、って、ほんとうに嘆かわしい。その人の周囲には、親や兄弟、恋人など、数え切れないくらいの大切な人たちが日常生活で関わってきたはずで、その命の尊さは、筆舌に尽くしえないものがある。一方で、自分が殺害した相手敵兵といえども、自分と同じに、親や兄弟、恋人や、かわいい子供たちなど、数え切れないくらいの大切な人たちがいるはづで、こんなことを考えただけで、精神異常をきたさないほうがおかしいくらいだ。
最近では、イラク戦争開戦時と様変わりして、帰還した兵隊さんには、米国世間は冷たい、という。というのは、開戦時と違って、米国の世論は、イラク戦争に反対する人が大多数を占めたから、という。テレビでは、働き口を必死にさがす帰還兵にも言及していたが、実に惨めだ。
この世に二人といない、大切な大切な夫や恋人、あるいはお父さんを戦場で亡くした家族や知人などの深い深い悲しみは、米兵側だけでなく、米兵と戦う相手側にとっても、まったく同じことがあてはまる。
戦う両者ともに、大切な悲しみに包まれている!こんな馬鹿げた戦争、いつになったら終焉するのだろうか?

無線LANの接続の不具合、旧型のスイッチングハブが原因だった!!

2008-03-19 17:24:54 | パソコン関連
パソコンを使っていると、いろんな不具合、故障みたいないろんな問題にしょっちゅうぶつかる。毎日なにげなくインターネット閲覧とか表計算、文書作成などに使っていても、時として、突然ハングアップしてしまったりすることもあって、そんなときは、私は、どうしようもなくなって、CtrlキーとAltキーとDeleteキーの3つをいっぺんに10秒くらい押したままにして、急場をしのいでいる。もし、こうしても、ハングアップしたままになったり、パソコンの電源が切れないような場合には、最後の手段として、パソコンの電源ボタンを押しっぱなしにして電源を切る、という操作を行っている。
さて、最近、数ヶ月に亘って、私を悩ませてきた問題に、無線LANによるインターネット接続の不具合があった。ADSLモデムからLANケーブルでスイッチングハブにつなぎ、同ハブに無線LANのアクセスポイントをつないだ。そして、無線LAN子機をつないだパソコン(XPパソコンおよびVISTAパソコン)でインターネットに接続しているのだが、子機側パソコンの電源を入れても、しばしば、XPパソコンおよびVISTAパソコンともに、インターネットにつながらないことがあった。こんなときは、子機側パソコンで何度も接続を試みており、時々はつながるときもある。そして、一度つながると、パソコンの電源を落とすまではつながりっぱなしになるのだ。
これって、無線LANが不調なのかな、と思って、無線LANを使わず、有線LANの構成にすることとした。そこで、スイッチングハブ端子とVISTAパソコンをLANケーブルで有線でつないでみたのだが、インターネット接続できなかった。調べたら、VISTAパソコン側の有線LAN端子のアクセスランプが、正常なら点滅しているはずなのに、点滅していなかった。そこで今度は、LANケーブルが異常なのかな、と思って、同LANケーブルをXPパソコンの有線LAN端子につないでみた。すると、こちらは正常にアクセスランプが点滅して、もちろんインターネット接続ができた。--こうなると、VISTAパソコンに組み込まれた有線LAN機器が異常かも、ということになる。そこで、VISTAパソコンのメーカーにクレーム電話して、1時間以上にわたって異常の有無の検査をしたところ、正常だ、という。そして、クレーム電話の最後に、メーカーの人から、スイッチングハブを介さずに、ADSLモデムのLAN端子とVISTAパソコンとをLANケーブルで直接つないだらどうか?と質問された。そこで、そうしてみたら、なんと、今度はVISTAパソコン側の有線LAN端子のアクセスランプが、正常に点滅し、インターネットも接続できていた!!。
こうして、今まで使ってきたスイッチングハブが異常なのだ、ということが判明した。そこで、すぐに近くのパソコンショップに出かけて、3000円くらいの8ポートのスイッチングハブを購入してきて、スイッチングハブを入れ替えてみた。--そしたら、なんと、それだけで、以前と同じ無線LAN構成のまま、無線LANがまったく問題なく、いつでも正常にインターネット接続ができるようになった。

2007年度の土曜教室が無事に終了した

2008-03-14 20:11:48 | 社会
先週の土曜日に、小学校4,5,6年生を対象として、昨年5月から行われてきた土曜教室が最終日を迎えた。最終日なので、出席する生徒が少ないのでは、と思っていたが、そういうことはなく、4年生、5年生ともそれぞれ30名くらいの生徒さんが出席していた。ただ、3月19日に卒業式を控えた6年生は、出席者が少なく、5名ほどが出席していた。
土曜教室は、通常の学校の授業と違って、生徒たちが自由出席制である。私が担当した小学校では、生徒の自主学習に任せて、わからない箇所を質問させてそれに応える、というようなスタンスをとっていると、残念ながら、生徒たちが、通常の学校の休み時間と同じくらいに騒いだり、あるいはそれ以上に、ふざけ合ったりするのが普通であった。
そんなわけで、私は、土曜教室に臨むときは、しょっちゅう、学校の授業や塾ではやっていないような、ちょっと変わった話題を提供して、知らず知らずのうちに、なんらかの学習効果が得られるような工夫をしてきた。最終日の土曜日には、私は、単1から単4までの乾電池4種類を持参して、生徒に見せ、電圧が何ボルトなのか、とか、プラス・マイナスの極性とか、などを質問した。意外なことに、5年生でも電圧が1.5ボルトであることなど、知らないのには驚いた。また、電圧や抵抗値なども計測できるテスターも持参したが、これには生徒さんみんなが興味を示して、目を輝かしてくれた。ついでに、家庭での電源コンセントの電圧のこととか、それが、乾電池と違って、時間とともにプラス・マイナスの極性が変わることなど、丁寧に説明したらみんな目を丸くして驚き、聞き入ってくれていた。--かくして、先週、土曜教室は終わった。
最終の土曜教室を終えて、帰宅するとき、たまたま学校の用務員をつとめる方に会って、廊下で立ち話をする機会があった。その方の話では、生徒たちは、土曜教室での授業の態度と普段の学校の授業の態度はまるっきり違う、と言う。つまり、学校での授業では、生徒たちは、先生の話は素直に聞くなど、日ごろの態度が通知表にじかに反映されるので、土曜教室のようなふざけ気味の態度をとることは無い、そうだ。--こんなことを伺っていて、私には「やっぱり、そうだったのか」という思いがした。
毎週、毎週、土曜日に出ていくのは、ある程度のトシの私には、ちょっと面倒に思うこともしばしばあった。けれど一方で、強制でもない土曜教室に登校する生徒さんには、なんらかのレベルアップをしてほしい、という思いが私には強く、私なりに努力して教材作りをやってきたつもりである。実際、目を輝かせて聞き入ってくれていた生徒さんもいたので、土曜教室が終わった今は、私の話が、少しでも彼ら、彼女たちに役立ってもらえたなら、と思っている。

確定申告-税務署員のやってくれる作業を単に鵜呑みにすることは危険

2008-03-11 17:20:10 | 社会
先週、確定申告を行ってきた。税務署に書類を提出する前に、私は例年のように、「所得税の確定申告の手引き」を参照して、書類の記載内容を十分に吟味し、途中の計算間違いなどないように何度も見直して、完璧な内容にした下書き書類を作った。そして、税務署では、税務署員の係官に内容をチェックしてもらい、清書するだけでよいような状態にして、税務署に向かった。
昨年の場合は、このやり方で手続きを行い、その結果は、下書き通りの内容に間違いが無く、最終の数値までピタリ合っていた。
さて、今年の場合も、同じような手順を踏んで、税務署に提示するので、下書きの内容がすんなりと受け入れられるのでは、と期待した。ところが、この下書きに目を通した税務署の女性署員は、少ししてから、手にした電卓を使って、下書きの中の数値をなにやらチェックしていた。そして、顔をあげた彼女は、私に向かって「この数値、違ってますよ。このような数値になるはずです!」と言う。私が不審そうに思っているのを察したらしく、彼女は、再度、同じ箇所の数値を電卓で計算してくれたが、やはり彼女から、同じ言葉が飛び出した。私は、もし彼女の言う通りなら、この箇所以降の申告書の中の数値は、すべて計算し直し、変更になるので、非常にやっかいになる、と思った。
そこで、彼女に、署内のパソコン端末を使って、申告書を作成してもらうやり方を提案したら、彼女は別の女性署員を紹介してくれた。この2番目に応対してくれた署員は、私が持参した年金とか保険などの書類を見ながら、テキパキと、必要数値をパソコンに打ち込んでくれた。途中、最初に応対した女性が"間違いです"と指摘していた箇所は、なんと、パソコンのシステムでは、私の下書きと同じ数値になっていたので、これには、ビックリ。最初に応対した女性が、2度にわたって電卓で弾いた数値の方が間違っていたのだ。
やがて、打ち込みが一通り済むと、自動計算により、納税金または還付金の最終金額が算出されてきた。ここで、私がその最終金額を見てみたら、なんと、私の下書きの最終金額と違っていたのでガックリ。"オカシイナ"と、思いつつ、私はパソコンでは間違うハズないから、仕方ないかな、と思っていた。やがて、パソコンを操作してくれた女性署員は、私の持参した書類を適当に仕分けしてホッチキスで留めた後、パソコンからの出力帳票とともに私に手渡すと、「税務署の出口近くに陣取る係官に渡してください」と言い、そして「申告作業はそれで終わりです」と言う。
私は、税務署の出口近くまで歩く間、自分で計算した下書きの最終金額が、パソコンから出てきたその金額とどうして違うのか、不思議に思い、立ち止まって、その場で、パソコンからの帳票と下書きとを見比べてみた。そして気づいた!パソコンを操作してくれた女性が、私の持参した書類のうちの1枚を見落として、打ち込んでいなかったのだった。そこで、私はすぐ、近くにいた男性署員にこのことを話したら、彼は「申し訳ない!」と言って、すぐにパソコンに向かい、2番目に応対してくれた女性と同じ作業をしてくれた。
こうして、パソコンから出てきた最終帳票の内容は、今度は、私の下書きとピタリ一致した。
私は、今回の確定申告で、税務署員のやってくれる作業を単に鵜呑みにすることの危険さ、それに、確定申告は「手引書」で自分でじっくり計算してから、税務署に提出することが大切であることを体験した。