手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

Shall We Dance? ひょんなことがきっかけで始めました!

2009-11-29 18:09:06 | スポーツ
毎年、年末が近づくと、年越し蕎麦にちなんで、「手打ち蕎麦作り」の講習会が、公民館で開催される、というのが、私の住んでいる街の慣わしである。今年も、また、手打ち蕎麦のほか、パン作り、初級パソコン講座など、各種の講座に参加する人の募集が行われた。
で、私は、プロの蕎麦打ちが教えてくれる、という、「手打ち蕎麦作り」の講習会に参加申込みをしてみた。すると、なんと、この講習会は、申込み初日に、受付開始後すぐに、募集人員が埋まってしまった、という。それで、仕方なく、その時に未だ募集が締め切られていなかった、「初心者の社交ダンス」の講習会に参加申込みをした。社交ダンスは、私にとっては、30年以上も前に、少しだけ習っただけで、少しはできるかな、と軽い気持ちで申し込んだ。ダンスは運動による老化防止やボケ防止のほか、姿勢が良くなるなど、健康にも、すごくいいそうだ。
で、今まで、週に一回のペースで行われている、この講習会に参加してきたが、以前の勘を取り戻すのがやっとなことと、以前に習ったことがいい加減だったこともあって、参加者のみんなと歩調を合わせてダンスをマスターしていくことに、意外に苦労している。で、最近は、インターネットのYou Tubeに出ている、ダンスの動画像を見ながら、身体を動かしたり、ダンス教習の本を数冊買い込んで、首っ引きで、過ごしている。今のところ、ブルースやスクエア・ルンバ、マンボ、ジルバなどは完全マスターしたい、と思っている。
はてさて、この先、どうなることやら・・。



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車のナンバープレート隠しは禁止--今頃、やっと!!

2009-11-28 12:52:06 | 社会
国土交通省が、このほど、自動車のナンバープレートにかぶせるカバーを取り付けることなどを、全面禁止することにしたそうで、違反者には罰金50万円が科される、という。私は、以前に、このブログで、ナンバープレートを故意に見にくくしている車について、どうして、取り締まりや規制をしないのか疑問を投げかけてきた。
ここにきて、やっと、規制が実施されることになった。あまりにも遅い措置である。それにしても、規制実施は、2009年度中に省令を改正してからで、実際に施行されるのは、2010年秋から、という。どうして、今すぐ、施行できないのか、これまた、不思議だ。
本来、ナンバープレートは、人に見られるように、取り付けられているものであり、ナンバーを見えにくくする行為は、道徳的にも違反した行為である。このような行為をする人は、事故や事件を起こした際などに、車の特定を欺く魂胆が隠されている、と見られても仕方ないだろう。
街で、ナンバーを見にくくした車を、しょっちゅう見かけるが、このことは、いかに道徳をわきまえない人が、たくさん存在しているかを物語っている。情けない世の中である。


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七五三参りの5歳児が車の衝突で・・・

2009-11-27 14:03:44 | 社会
去る11月22日午前9時45分頃、埼玉県八潮市の信号機が無い市道交差点で、2台の乗用車が出会いがしらに衝突した、という。この事故で、車の後部座席に乗っていた、5歳の男の子が死亡した、とのこと。彼は、28歳のお父さんの運転する車で、お母さんとともに、都内の神社に七五三のお参りに行く途中だった、という。実に悲惨でやり切れない思いだ!。亡くなった男の子のご冥福を心より祈りたい。なお、交差点では、彼のお父さん側に一時停止の標識があった、という。で、両親や、相手の自動車の乗員は、軽傷だったそうだ。
このような報道を知って、改めて、車の事故の恐ろしさを思い知らされた。この事故のように、信号機が無い交差点では、衝突事故が大いに起こり得ることは想像できる。特に、同じくらいの道幅の交差点では、どちら側の道路が、優先走行できるのか、判断できず、勝手に自分の走っている道路が、優先通行できると思い込みがちだ。そして、一時停止の標識を見過ごして、強引にかなりの速度で交差点に突入してしまい、それで事故を起こす、と思われる。それに、交差点の四つ角に家などが建っている場合、左右方向の道路に車がいるのかどうか分からないので、一時停止を怠ると、衝突するのは必至である。
現に、私の家から少し離れた場所にも、四つ角に家が建っている信号機の無い交差点があって、時々、衝突事故が起きている。
そこで、私は、このような事故を無くすためには、道幅が同じくらいの交差点では、直進する側とそれを横切る側の両方向ともに、交差点に一時停止の標識なり、徐行の標識を設置したら、と思う。私は、このような交差点を直進するときは、一時停止の標識が無く優先通行できる場合でも、徐行しながら交差点を通行するようにしている。

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いじめ問題--被害に遭った子を持つ親は、教育委員会等に問題提起が大切!

2009-11-25 17:42:34 | 人生
数年前、いじめ問題が大問題になって、連日のようにマスコミを賑わしていたが、その後、最近は、まったく、と言っていいほど、マスコミで報道されなくなった。このことは、文部科学省や教育委員会、それに学校や子供の親たちによる同問題解決に向けた必死の努力が実った結果かな、と思わせるものだった。しかしながら、つい数日前の11月17日、またも、いじめ問題が発生し、中学生の男子生徒8人による暴行で、一人の生徒の尊い命が奪われる事件が発生した。今回の事件は、沖縄県うるま市で起こったものだ。こうしたことは、いじめ問題が今でも、深く静かに潜航していることを思わせるものだ。従って、教育関係機関は、今後とも絶えず、同問題の根絶に努めるべく取り組んでほしいものだ。
また、子供の親は、わが子がイジメの加害者側または被害者側になる可能性について、その兆候-サインを絶えず把握すべきことが大切だ。思えば、私には、息子が中学生のときに、苦い経験があって、今から思うと、後悔の念が残る事態があった。-----当時、息子が上級生にいじめられて、怪我を負わされたことがあったが、その晩、息子の担任教師と体育の教師とが、そのことを詫びるため、夜、我が家を訪問したのだった。そのとき、私たち夫婦は、両先生の訪問で、初めて息子へのイジメを知った。しかし、事態を穏便に収めようとする両先生の意向に賛同して、教育委員会に報告するなど、事態を大げさにすることなく、事態を丸く収めてしまった。今、考えると、私たち夫婦の取った行為は間違っている、と思わざるを得ない。両先生に賛同することなく、教育委員会に報告するなど、事態を重大視する必要があったのだ、と思う。もちろん、怪我を負わせた上級生の親には、謝らせるのが当然だったのだ。"いじめ問題を穏便に収めよう"、と、する学校側の言いなりになってしまうと、数日前に起こったような重大事件にも発展しかねないからだ!要は、いじめに遭った子を持つ親は、毅然として、教育委員会や警察等にも問題提起が大切なのだ。------
数日前に起こった、いじめによる集団暴行死事件では、暴行されて死亡した母親からは、事件発生前に、いじめに関して学校側に何度も相談があった、と云う。つまり、学校側は、いじめを知っていたのだ。にも拘わらず、学校は教育委員会に報告していなかったそうだ。今回の事件は、学校の責任であり、文部科学省は、校長を、直ちに辞職させるなどの措置を取るべきだろう。もちろん、加害者の少年たちや彼らの親たちは、生涯かけて犠牲になった少年を弔う義務があるのは当然である。



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買った「ほうとう・うどん」よりも手作りの方が美味しい!

2009-11-10 12:44:34 | 蕎麦・うどん
先週、千葉に住む娘一家から、私が作った(打った)「ほうとう・うどん」が、近くのスーパーで買ったものより、ずっと美味しかった、っていう報告があった。
最近、娘がスーパーで「ほうとう・うどん」を買って、子供たち(私の孫たち)に食べさせたそうだ。その時に、子供たちは、すかさず、「ムーチャン(孫たちは私のことを、こう呼んでいる!)の作ったもののほうが、ずっと美味しい!!」って、言っていた、という。
これから寒くなる時期、「ほうとう・うどん」は、食べると、身体が温まり、特に美味しく感じられる。
で、一昨日、私は、娘のところで、早速、「ほうとう・うどん」を打ってきた。作り方は、伸すところまでは、通常のうどんの作り方と同じだが、その後が少し違うだけだ。
うどんを包丁で切るときに、通常のうどんにする切り幅(通常のうどんの幅)よりも2倍から2.5倍くらい、幅広く切ってやればよい。そして、その後、その幅の広い麺を数本(3本~5本くらい)、のし台の上に、縦に、少し間隔を空けて数列に並べておき、その上を、麺棒でローリングさせて、麺の厚みを均一に薄くしてやれば、それで、「ほうとう・うどん」は完成だ。
一昨日は、麺棒でローリングする作業を、二人の孫娘にやってもらった。二人とも面白がって、作業に励んで、小学2年生の孫娘は、10本目の「ほうとう・うどん」を作り終えたころには、その後、私が手を加える必要が無いほどのものを立派に完成させたのには、驚いた。



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問題集の模範解答をそっくり書き写した孫娘がママから大目玉

2009-11-05 16:01:28 | 
千葉に住む娘宅では、二人の子供たちが、夕食後、毎晩のように、勉強の一環として、学習塾の問題集をやっている。先日のある日の晩のこと、家内がいつものように、娘と電話で話していたら、この勉強に関して、こんなことを娘から聞かされたのだそうだ。--
私たちの孫である、娘の二人の子供、つまり、小学2年生の長女の孫娘と、幼稚園年中組の次女の孫娘とが、各自の問題集を解いて、その成績を比べたら、次女の孫娘の方が長女の孫娘よりも良かったそうだ。負けず嫌いな長女の孫娘は、次の問題集に取り掛かるとき、なんと塾の問題集に添付されてきていた模範解答を、こっそりと書き写したそうな。その後、このことを娘が見つけて、長女の孫娘をひどく叱りつけた、とのこと。--
--こんなことを聞いて、家内は娘に対して、「そんなに怒らなくても、いいんじゃないの?」と言ったそうだが、私もそう思った。
負けず嫌いな長女の孫娘が苦肉の策として、模範解答を書き写して、ずるく立ち回って、ある意味、要領よくふるまったわけで、ま、決して褒められた行為ではないものの、なんかしら可愛らしさをも感じさせる行為に思えて仕方ない。

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ロケットOB/現役の仲間たちとの懇親会に出席し、生きて在ることの幸せを実感

2009-11-01 11:16:26 | 仲間・友達
昨日、「ロケットOB及び現役懇談会」が東京のホテルで開かれた。午後1時から4時までの3時間に亘って、開かれた会には、もう40年以上も前から、国産ロケット開発に向けて携わってきた多くの諸先輩などに混じって、私も参加した。
日本のロケットは故 糸川英夫先生が先陣を切って開発に取り組まれ、昭和45年2月11日には、日本初の人工衛星「おおすみ」を実現、その後、開発体制が現在のJAXAに至るまで、幾多の変遷を経て、育ってきた。
私は、昭和37年(1962年)4月から45年(1970年)12月まで、公務員として国立大学付属の研究所(註:当時のこの研究所の建物は、現在解体され、現在は国立新美術館になっている!)に勤務していた折、ロケット打ち上げ時のレーダーやテレメーター絡みの作業に従事してきた。私が研究所にいた頃は、糸川英夫先生をはじめとした大学の先生方が中心になって、ロケット打ち上げを推進していた関係もあって、昨日の会合でも、大学の教職員が大勢出席していた。
昨日のような会合は、今までも、3年おきとか不定期的に行われてきているが、会を重ねるごとに、会員の高齢化で、亡くなる方や病気で療養されるなどで、出席人数が減ってきているのは寂しいかぎりである。
昨日は、約150人くらいが列席した中、私はいろいろな人たちと言葉を交わすことができて、楽しかった。
かつて、郵政省からの諮問を受けて、現在の地上デジタルテレビ移行の推進の答申を行った、というY先生、とか、かつて、南極越冬隊長をされたEさんなどとも言葉を交わした。Eさんとは、かつて4人ほどの仲間と伊香保温泉に一泊旅行して、ホテルで「星影のワルツ」を熱唱したことがあった。彼もそのことをよく憶えていて、近況を聞いたら、今は毎日、朝風呂に入って、体重管理に気を配る一方、4人の孫娘(たしか、4歳の孫娘と2歳の孫娘3人(3つ子ちゃんだそうだ!))と遊ぶのが日課だ、ということをニコニコしながら語ってくれた。
会場では、研究所時代に私を指導してくれた二人の恩師とも親しく話をさせていただけた。最初に指導してくれた、今でも最も尊敬するK先生、それと、その後、指導してくれたH先生だ。H先生は、研究や仕事に非常に厳格・厳密に取組まれる先生で、周囲から恐れられていた方で、私も当時非常に苦手意識を持ちながらも、研究作業に明け暮れたものだった。昨日、先生にご挨拶したら、H先生自ら、手を差し伸べてこられて、堅く握手。そのH先生は終始ニコヤカな顔で、当時の苦労話などを懐かしみつつ、笑いながら語り合うことができた。
また、会場で、私に声をかけてきた人がいたが、お顔を拝見しても、最初どなたか思い出せず、胸の名札を見て思い出せた方にも出逢えた。Nさんとわかった彼とは、昨日がなんと約40年ぶりの再会だった。彼は、研究所時代に私が、よく研究用の部品などを発注していた商社(たしか田丸商会と言った)の社員だった方で、あの当時よりも、ずっと横に太っていて貫禄たっぷりだ。彼は、柏に住んでいて、今は週2回ほどピアノのレッスンに通っていて、時々ピアノ発表会にも出ている、と顔を輝かして話してくれた。
懇親会が済んだあと、私は同じ研究所時代を過ごした友人二人とともに、近くのロッテリアに入って、コーヒーをすすりながら、しばし、いろんな話題に花を咲かせた。その中のひとつとして、私が日頃疑問を感じている問題--円の周の長さは、どうして直径に円周率を掛けたものなのか?--なども含まれている。
以上のように、そんなわけで、昨日の会合では、当時の仲間と久しぶりに再会し、旧交を温めることができて、すごく楽しかった。こういうことも、健康で長生きできているからこそ、であり、生きて在ることの幸せをつくづく実感できた一日であった。


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