手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

会社のOB会に出席し、和気あいあいのひとときを過ごす

2009-10-29 15:49:57 | 想い出
昨日は、今頃の時期に、毎年一度だけ、行われているOB会という会合に出席してきた。会社を定年退職した人たちで組織・運営しているOBのメンバーが、神奈川県にある、会社の本社ビルの一室を借りて、例年のように会を開催したのだ。10年前に定年になった私としては、今年は、初めて参加してみた。
OB会に所属する人は、9千名を超えている、そうだが、会合の受付で渡された資料には、当日出席を予定することになっている550名ほどの名簿も添付されていて、その中で、私が知っている人の名前を数えてみたら、約40名ほどおられた。会は午後5時から7時まで行われ、最初の15分くらいは、OB会の幹部の挨拶や、現在の会社側トップの挨拶があった。その後は、お酒や料理などが出て、出席したOBのメンバーたちの団欒の場になった。
このOB会は、文字通り、かつての会社の社長や会長などトップを務めた方々はもちろんのこと、かつての上司や仲間も、今やまったく対等なメンバーとして組織されている。昨日の会合では、そういった、かつてのトップだった人たちも多数参加されていて、団欒の場では、メンバー同士が、以前の肩書きを意識せず、談笑しながら飲み食いする光景があちこちで散見され、和やかな雰囲気だった。現役時代に、私がお世話になった、かつて医務室勤務の看護婦さんUさんにも約20年ぶりくらいに逢えて、いろんな思い出話に花を咲かせた。
会場では、現役のとき、私が理不尽な仕打ちを負わされた、私にとっては苦い思い出のある、かつての直接の上司も見かけた。当然ながら、私は、その彼とは話したくないと思った。当の彼も私の存在に気づいているようだったが、やはり私と同じ思いなのか、話しかけてこない。とうとう、会がお開きになるまで、互いに顔を合わせたり、声を交わすことも無かった。

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ドラマを地で行く迫真のシーン!?

2009-10-22 19:13:57 | 人生
今日は、89歳の母が千葉県のお寺に、バスで一泊の団体参拝旅行に出かけていった。午前7時にバスが出発するという、その出発場所が、我が家から車で一時間かかるところに設定されていたので、私と、3歳年下の弟との二人が、弟運転の車で、母を出発場所まで送っていった。
母がバスに乗るのを見届けてから、私と弟は、車中で雑談しながら我が家への帰途についた。そこで、たまたま話題に上ったのは、約40年前ほど前、私が公務員として国立大学の付属研究所に勤めていたときに知り合った、私より13歳ほど年上の先輩-Aさんのことだった。そして、弟に、当時Aさんから伺った、次のような、Aさんの体験話を話したのである。-----
Aさんには、大学生時代に、大恋愛をしていた女性がいた。しかし、まもなく、先の第二次世界大戦で戦争に駆り出され、その後、ソ連(現在はロシア)のシベリアで2~3年間に亘り、抑留生活を余儀なくされた。日本に帰国後、かつて大恋愛していた例の女性を探すも、行方知れず。改めて、大学に入り直したAさんは、教室の一番前の席に陣取って、熱心に講義を聴くなど、猛勉強に取り組んでいた。その様子に感心した大学のT教授という、超有名な先生が、Aさんを国立大学の付属研究所に勤めるよう推薦。研究所に勤務するようになったAさんは、やがてT教授が紹介してくれた女性と結婚することになり、T教授の媒酌のもと、結婚式を挙げ、その後、二人の女の子が誕生した。
研究生活で毎日を過ごす、ある日、Aさんが御茶ノ水の街を歩いていたとき、その橋のたもとで、何気なく目に留まった女性がいた。なんと彼女は、戦後生き別れになっていた、例の大恋愛をしていた女性その人だった!。Aさんは、すぐにその女性と結婚を決意。それまでの平穏な結婚生活を共にしてきた、いままでの奥さんと離婚を決意。この離婚話には、T教授からは烈火のごとく激怒を浴びたが、Aさんは、決してひるむことなく、自分の意志を最後まで貫徹した。最初の奥さんは、泣きながら離婚した、とのこと。そして、戦前に意中だった女性との結婚を実現させた。
-----弟には、こんな話をして聞かせたのだが、弟は「ものすごいな!まさにドラマを地で行く、素晴らしい生き方だな!」って、非常に感心していた。それにしても、Aさんが御茶ノ水の橋のたもとで、かつての恋人を目にしたシーンを想像すると、なんかテレビドラマの1シーンにピッタリの気がする。
現実には、Aさんのような生き方は、なかなか出来がたいものだ、と思う。2度目の結婚の結果、戦前に大恋愛していた女性と悲願の結婚生活を手に入れたAさんは、現在83歳になる。でも、2番目の奥さんになった、大恋愛していた、その女性は、数年前に病死している。現在、Aさんは、友達から紹介された、3番目の奥さんと暮らしている。


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電車内の団体おじさん客、ペチャクチャうるさ過ぎ!

2009-10-20 17:07:20 | Weblog
午後2時半頃、上野に向かう列車に乗った。昼間のこの時間帯はさすがに列車内は空いていて、車内のところどころに空席がある状態だった。
私が車内に乗り込んだときには、既に、車内中央・窓ガラスを背にして10人ぐらいが横並びで座る座席には、70歳前後の5~6人のおじさん達の団体さんが座っていた。どこかハイキングにでも行った帰りのような、彼らは、みな各人各様の帽子を被っていて、ああでもない、こうでもない、と、辺りをかまわずペチャクチャと大きな声を出して、しゃべりまくっていた。電車が動き出すと、彼らの声は、電車の音で少しは、かき消されたが、それでも、聞き取れるほどの、うるささだった。
年齢からして、どうみても分別のわかる彼らのハズだが、周囲の迷惑をまったく無視した、このような行動は、実に不愉快この上ない。彼らの行動を見ていて、私は、絶対にあのような行動は慎まねばならない、と強く心に思った。

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孫娘にお付き合いして過ごした一日

2009-10-12 21:06:40 | 
今日10月12日の月曜日は、体育の日で国民休日の日である。で、今日は、土曜日から続いた3連休の最終日。昨晩は、昨日私たち夫婦が、千葉県の娘宅から連れて来た、5歳の孫娘と一緒になって眠りについた。今日が幼稚園の休み、ということで、彼女は、今回初めて一人で我が家に泊まったのだ。昨晩は、「ママがいい!」なんて、ホームシックになって、千葉のママのところに帰りたい、って、泣き出すかも?、と、ちょっと心配だったが、全くそういうことはなかった。(さすが、お姉ちゃん!だ。)
朝7時頃、私の隣で目覚めた彼女に、私は、フトンに入ったまま、昔ばなしの「ウサギとカメ」と、「浦島太郎」の話を聞かせることにした。
子供たちにいじめられているカメを助けた浦島太郎が、カメの背中に乗って、海の底の竜宮城に行って、乙姫様に迎えられて、鯛やヒラメの踊りを見物して、帰る時には、玉手箱をもらって帰っていき、最後に、空けてはいけない!、と言われていた、玉手箱を空けたら、白い煙が出てきて、おじいさんになってしまう!までの話を、登場人物の声を、面白おかしく巧みに変えながら、お話しして聞かせた。--これには、孫娘も興味を持って聞き入ってくれた。
子供たちには、定番の、この物語は、孫も先刻知ってるかも、と思って、話の途中で、私はいろんなクイズも出してみた。--
・カメさんは、どうして、浦島太郎さんを海の底まで連れていってのかな?
・海の底で、浦島太郎さんのことを出迎えてくれた可愛い女の人の名前は?
・乙姫様と一緒に見た鯛やヒラメたちの踊りの中には、どんな魚がいたのかな?ドジョウとか鯉とかメダカも踊っていたんだよ?っていう質問もしてみた。<--なんと、この質問を発したら、すぐさま、孫娘から、ドジョウとかは海にはいないよ!って、注意されてしまった!!
--こんな、お話やクイズなどで1時間が経過して、その後、起床。その後、朝食。それから、孫娘からは、近くのスーパーマーケットに行きたい、ってせがまれた。スーパーに行って、ユーホー・キャッチャーなど、いろんなゲームをやりたい、という彼女に付き添って、私は、二人でスーパーに行って遊んだ。持って行った小銭を使い果たして、ゲームを終わって家に戻ってくると、既に時刻は正午をとっくに回っていた。

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頑固なお姑さん、どこにもいるもんですね!

2009-10-09 16:26:12 | 家族
先日、友人とメールで話していて、その人の子供の頃の話題を聞かせてもらう機会があった。--
その人の家では、お父さんの母、つまりお姑さんが一緒に暮らしていて、その人のお母さんは、相当に苦労されていたそうなんです。お姑さんは、凄く頭の良いおばあさんだったそうで、我が儘と言うより頑固だったそうです。
当時、子供だった友人から見ても、お母さんは、辛そうだったけれど、でも、愚痴一つ言わず頑張っていたそうです。--
こんな話を聞いていて、私は、頑固なお姑さんて、どこにも身近にいるもんだな、と思った。そして、私たち夫婦の若かった時代を思い出した。そう言えば、かつて、家内が、長女を出産したとき、一時期、家内が赤ちゃんを連れて、私の母や父が住む実家に、世話になっていたことがあった。その際、世間で言われる、嫁-姑の関係問題からくるストレスで、家内は、髪の毛が抜けて円形脱毛になったのです。あの頃、家内の頭髪全体も薄くなってしまっていたのを、私は、今でも鮮やかに憶えている。で、当時、家内のお母さんがカツラを買ってくれて、しばらくの間、家内がそれを被っていたものでした。
現在、家内のお母さんは、パーキンソン病を患って、病院に長期入院を余儀なくされていて、ほとんどの時間、眠っている状態であり、意識も朦朧としている状態だ。ときどき、私は家内とともに病院にお見舞いに行っているが、現在の最新医療技術でもパーキンソン病の全快は難しいらしい。実に残念でならない。小学校4年生の男の子をはじめ、私の4人の孫など、家内のお母さんが、意識をハッキリさせて、彼らを見ることができたなら、どんなにか喜ぶことであろう。

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孫娘の通う幼稚園の運動会を楽しむ

2009-10-05 23:02:27 | 家族
昨日の日曜日、5歳の孫娘が通う幼稚園の運動会が行われた。この日は、最近のぐづついた天候の中にあって、この日だけは、まあまあの良い天候に恵まれた。
運動会では、かけっこあり、綱引きあり、遊戯などもあり、いろいろ楽しんで見物した。
昼食時には、例によって、園児たちが、ぎっしりつめかけた応援席のお父さん・お母さんたちのところに来て、地面に敷いたビニールシートの上で、思い思いのお弁当を広げて、ワイワイガヤガヤ言いながら食べていました。心地よい風、眩しい太陽の下での、このような光景っていうのは、たしか私も、幼い頃に経験したのと変わらないんだなァ、って、しみじみ懐かしく思い出していました。
両親や兄弟姉妹、それに、おじいちゃん、おばあちゃんなどと一緒に、おにぎりとか果物など持参した食べ物をニコニコ顔で頬張る園児たちは、どの顔も明るく、みんな楽しそうで、溌剌としていて、「生きている」って言うことの喜びを発散しているように思えました。ほんとに、彼ら、彼女たちは可愛いです。こんな時、私は、そんな園児たちを見ていて、「これから先も、ずーと、現在のような幸せ感に満ちた時間を過ごして欲しい!、過ごせるようになって欲しい!」って心から祈る気持ちになります。「未来に栄光あれ!」って心の中で叫んでいます。
運動会の会場から戻って、娘宅で、家族揃ってカレーライスを食べてから、7時過ぎに、家内が運転する車で帰宅したのですが、娘宅を出発する時は、私にとっては、最近は、いつものように、ちょっと、悲しくなることがあるのです。
と、いうのは、特に家内になついている幼稚園児の孫娘が、「帰っちゃイヤ!」って、いっぱい涙をこぼしながら、メソメソ泣かれてしまうこと、なんです。このときばかりは、私も悲しくなります。心が痛みます。最近は、娘宅に滞在して、そして、帰宅する時は、いつもこのような光景が繰り返されるので、辛い気持ちになるのです。

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嬉しくない!-"誕生日"

2009-10-03 22:52:03 | 人生
今日は、とうとう満70歳の誕生日を迎えた日だ。いつだったか数年前に、先輩から、70歳台は、60歳台とは、全く感覚が異なり、相当にトシとった、というイメージを感じるものだ!っていう言葉を聞いたことがあって、そのとき、私も、恐らく自分が70歳になったら、そのように感じるだろう、と思ったものである。
で、実際に、その70歳を迎えた今日、やはり、そう感じている。たまたま、孫娘の運動会がある関係で、現在、千葉の娘宅に来ていて、今晩は、夕食後に、娘一家が誕生日を祝う祝賀会を開いてくれた。私の名前が記入されたデコレーションケーキと7本のろうそくが、用意され、火を灯されたケーキを囲んで、みんながハッピーバースデーの歌を唄ってくれた。その後、両脇に座った孫娘と一緒になって火を吹き消すと、娘夫婦から、私に誕生日プレゼントが贈られた。洒落たカシミヤのセーターとその上に羽織るジャケットで、着てみると、ピッタリで、私好みのものだ。
なお、今夜は、この祝賀会の前に、日頃は全く私に電話をかけてこない、息子から電話がかかってきて、なんのことか、と聴いたら、私への誕生日おめでとう、との祝福を伝える電話だった。それに続いて、息子のお嫁さんや、孫も電話口に出て、誕生日おめでとう、との祝福の言葉をもらった。
家族みんなして、祝福されること自体は、ほんとうに有り難く、嬉しいことなのだけれど、でもトシをとった私の身からすれば、一抹の寂しさを感じざるを禁じ得ない。祝福それ自体は嬉しいけれど、祝福の中身が70歳を意識させてしまうので、矛盾するようだけれど、贅沢ながら、あまり嬉しさを感じない。現実問題として、日本人男性の平均年齢が78歳くらいであることを考えると、私の場合、その年齢まで、もうすぐ、ということを意識してしまう。でも、その一方で、今でもお付き合いしている、私の公務員時代の10人ほどの仲間の中では、私は下から数えて2番目の若さであり、80歳を越えた人も二人いて、みんなが元気で溌剌している。
たった一度の人生、残された人生を、これからも健康に十分留意して、介護などで周囲に迷惑をかけないようにしながら、生きがいを感じつつ、出来る限り長生きして、毎日を楽しく過ごしていきたいものである。

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