手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

2日前に行われた東京など衆院3補欠選挙で自民が全敗!立民が完勝、島根・長崎も

2024-04-30 13:10:20 | 政治とマスコミ
4月28日に行われた東京15区、島根1区、長崎3区の衆院3補欠選挙で、いずれも立憲民主党の候補者が当選した。この結果は、最近の自民党の裏金など政治資金の問題が大きく足を引っ張った影響であることは間違いない。その証拠に、1996年の小選挙区制導入から自民党が守り続けた「保守王国」だった島根1区の選挙民の一部は、「自民にお灸をすえる意味があった」と言及している例を見ても明らかだ。
今回の自民党の敗北を受けて、岸田首相は、「総裁として政権与党としても課せられた課題にひとつひとつ取り組み結果を出していくことで責任を果たさないといけない。自民党改革、政治改革、内外における課せられた課題、賃金であったり物価対策であったり、こうした課題にひとつひとつ答えを出していかなければならない、それにより国民の信頼回復に努めていかないといけない」と語っているが、どこまで有限実行となるかは、過去の実績を見ても甚だ疑問だ。
国民の生活をより良くしていくためには、自民党議員が国会の過半数を占めた現状では不可能だ、と思わざるを得ない!!その意味で、今回選挙で3議席を獲得した立憲民主党には今後の更なる議席数増大に大いに期待したい。
東京15区で立憲民主党から出馬して初当選した酒井菜摘さん、今日(4月30日)、当選証書を受け取ったそうだが、テレビ放映された、その時の彼女のヤル気に満ちた姿には大いに頼もしさを感じたものだ。


報道記者の質問に「バカヤロウ!」とすごんだ自民党元幹事長の二階俊博氏、その息子が衆院選に出馬だってエ?!!

2024-04-25 12:46:15 | 政治とマスコミ
元幹事長の二階氏には、彼の政治団体の不記載額は3526万円。幹事長時代の5年間で、党から50億円もの政策活動費を受け取っていた問題も残っている。
こうした中、最近持ち上がった自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件をめぐり、二階氏はその責任から身を引こうとして次回衆院選には不出馬を表明した。ところが、なんと彼の三男息子が出馬するのだという。まさに世襲そのものだ!!あまりも国民を舐めている!呆れてモノが言えない!とは、このことだ。世襲議員と利権の国会。実にウンザリだ!
去る3月25日、二階俊博元幹事長が次期衆院選への不出馬を表明したことを受け、自民党は二階氏に対する党の処分を見送る検討に入ったそうだが、従来の先例をみてもウヤムヤで幕引きとなるのは、目に見えている。この日、行われた二階氏の会見では、衆院選不出馬の理由が裏金問題なのか、年齢なのかを尋ねた記者がいた。これに対して、二階氏が、記者をにらみながら、「お前もその年が来るんだよ。バカヤロウ」と吐き捨てた姿は、旧態依然とした自民党を象徴する場面だった。この場面、今もテレビでニュース番組を見ていた私の脳裏に焼き付いている。
ついでながら、-----
さて、この“バカヤロウ発言”を引き出したのは、毎日放送(MBS)の大八木友之記者兼解説委員(49)とのこと。その彼は、昨年7月から国政取材を始めたばかりだというが、自身に向けられた二階氏の“暴言”について何を思うのか。記者と政治家との関係はどうあるべきだと考えているのか。二階氏から「バカヤロウ」と言われた経緯について、八木記者本人は次のように語っている、という。--
 最初は、「このタイミングで、次の衆院選の不出馬を決められたのは、やはり政治資金パーティーの問題、不記載であったことの責任を取られたと考えていいのですか? それとも二階先生のご年齢の問題なのでしょうか?」と聞きました。
 すると、「年齢の制限があるか?」と返ってきたので、あ、怒ったなとは思いつつ、「年齢制限はないですが、お年を考えてということですか?」ともう一度聞いたら、さらに怒った調子で「お前もその年が来るんだよ」「バカヤロウ」と。
 実は、「バカヤロウ」という言葉は、私の耳には届いていなかったんです。二階さんとは8メートルくらい離れていたし、顔の向きを変えて捨てぜりふのように言われたので。後で、会見の映像を見ていた人から「バカヤロウって言われてましたよ」と聞いて、初めて知りました。

久しぶりに虚空蔵菩薩堂で御祈祷を受けました

2024-04-14 21:52:24 | 生活
数日前のこと、運動不足解消を兼ねて、自転車で総合公園付近に行ってきました。近くの虚空蔵菩薩堂にも立ち寄りました。
この虚空蔵菩薩堂は、私が毎年、新年元旦に初詣として、自転車で御祈祷に訪れる市内の3か所のうちの一つの名所だ。他の二つは、雀神社、長谷観音、である。この虚空蔵菩薩堂、実は私の末の弟が小学生だったころから、母がしょっちゅう参拝に訪れている由緒ある場所なのだ。それで、その頃から菩薩堂のお上人様やその奥様とは親しくさせていただき、母は、亡くなるまでは毎年のように年賀状のやり取りもしていたのだ。
さて、その日の虚空蔵菩薩堂の入口で、4月12日に御祈祷の会が主催される、と書かれた紙片を目にしました。
そこで、この4月12日当日、早速、自転車で虚空蔵菩薩堂に行き、御祈祷の会に参加しました。午前十一時半頃から開かれる、と書かれていたので、その時刻のちょっと前に伺ったところ、既に御祈祷が始まっていました。
私は、すぐに靴を脱ぎ、受付のところで御祈祷の代金2000円を支払い、祈祷を受けている人々に加わろう、としたところ、受付の中年女性が、私を見て、「お名前」を書いてください、って、紙片を渡されました。
ピンと背筋を伸ばして、色白・丸顔のモンペ姿のその女性、一目見て私は、ここ10年以上もご無沙汰しているのだが、ここ虚空蔵菩薩堂のお上人様の奥様だと気付きました。私のほうは彼女が誰だか分かっているので、彼女が私のこと分かっているハズと思っていたがそうでもないらしい。きっと、私もトシとったせいかも、と思わざるを得なかった。それで、○○と名前を書いた紙片を彼女に渡したところ、それを見て彼女は「アラッ、○○さん!?」と言葉を発してビックリされた様子!。
実は、私の母は、老人ホームに入るまでの何十年もの間、しょちゅう虚空蔵菩薩堂に参拝に通っていて、お上人さまや奥様にお会いしていたので、奥様は母とは周知の仲でしたので、すぐ私のこと、母の息子と気付かれたようです。
それから私は、既に始まっていたお上人の読経を聞き入る、15人くらいの参拝者の列に加わりました。見ると、お経を唱えているお上人様は、かつて私がお目にかかったことのある、奥様のご主人ではなかったので、世代交代されたのかな、と思っていました。
ところで、お経が済んだ後、奥様からは、参拝者の方々に、ちょっとしたお言葉が発せられました。-----「ここ虚空蔵菩薩堂の境内にある、あの枝垂桜は、何十年も前に、○○さんのお母さまが寄贈されたものです」と。以前に、母から、この事実を聞いていたのですが、この奥様のお言葉には、ちょっぴり誇らしく思いました。
この後、お寺本堂の裏手にある広々とした和室で、お赤飯の昼食が振舞われました。
帰宅時、私は奥様に以前のお上人様のこと伺ったら、2年前に亡くなられた、とのことでした。
また、その折、奥様からは、「お母さまの仏前にお供えしてくださいネ」と言われて、特別にお赤飯の折り詰め弁当をいただきました。