手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

会社を定年退職して、早や10年!

2009-12-31 10:39:01 | 人生
今年2009年(平成21年)の去る12月20日は、会社を定年退職してから、ちょうど10年が過ぎた日だった。忘れもしない、10年前のあの時、私の勤めていた会社は、JR武蔵小杉駅の近くにある「小杉タワープレイス」という名前のビルに入居していて、退職した当日の夕刻、ビルに横付けされたタクシーに乗り込んで、会社の同僚が見送る中、会社を後にしたのだった。
その日、私はタクシーで、JR川口駅まで送ってもらって下車した。というのは、駅近くのレストランで、家族が慰労の食事会をしてくれることになっていたからである。で、家内のほか、娘、息子と、私を含めた家族4人が勢ぞろいして、豪華なグルメに舌鼓をうったのだった。
今でも、私の寝床の枕元には、あの日、レストランで、店長に撮影してもらった、家族4人の写真が置いてあって、しょっちゅう目にしている。
あの定年の日から、10年たった。この10年間、いろいろなことがあったな、と思い起こす。最も大きな変化は、なんと言っても、時間というものを、自分で自由に使える、というものだった。振り返ってみると、大学を卒業して就職して、それから、というもの、退職するまでの40年間近くの期間は、自分のために時間というものを。誰にも拘束されず、気兼ねなく、好きなように、自由に使える時間というのは、休日に限定されていた。例えば、ウイーク・デーのある日に、急に、気の向くまま、どこか旅行とか、ハイキングに出かける、なんていうことは、有り得ない話なのだ。
退職してから今までの10年間、私の周りでは、悲喜こもごも、いろんなことが起こった。孫が3人誕生して、合計4人になったこと。父が亡くなったこと。退職後の私の生き様が朝日新聞の一面欄に掲載されたこと。失業中の人たち向けの職業訓練の一環としてのパソコン講座の講師を務めたこと。小・中学生を対象とした土曜教室の先生をしたこと。それから、手打ち蕎麦をやりだしたこと。-----いろいろあった。
今日は、2009年の大晦日。昨晩は深夜にかけて、14人分の手打ち蕎麦を打ち、寝床のベッドに入ったのは、今朝方午前2時近くだった。今、家内は、それらを持参して、車で、友人、知人宅や息子宅に配達してまわっている。
まもなく、あと12人分の手打ち蕎麦を打つことにしている。同じ市内に住む、友人、知人向けと、それに、私たち家族向けのものである。


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見応えあった! 23日にTBSテレビ放映の「プロ野球戦力外通告」

2009-12-28 19:22:47 | 人生
去る12月23日の夜10時15分からTBSテレビで放映されていた「プロ野球戦力外通告」という番組は、実に見応えがあった。このような素晴らしい番組をこそ、もっと誰もが観やすい午後8時前後の時間帯に放映してほしかった。私は、翌日TBSに電話して、同番組の再放送の有無を尋ねたが、いまのところ再放送の予定は無い、とのことだった。残念である。
その日、私は同テレビの番組紹介欄を参照したので、参考のため、そこに記載されていた同番組の内容記事を紹介しておく。(原文のまま)
     □□□□□□□□□□□□□□□□
プロ野球界でも、選手たちに残酷な現実が突きつけられた。
それは非情なる 「戦力外通告」。
彼らが生き残りを懸ける合同トライアウトは、
かつてない緊張に包まれ、筋書きのないドラマを紡ぎ出した。
人生の瀬戸際に立たされた男達の新天地への思い。
そして、男達を献身的に支える家族の存在。
果たして、運命の扉は開かれるのかー。
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元オリックス 山口 和男
日本人最速158キロ投手が戦力外通告に・・・
速球ピッチャーの行方は?!
1999年、逆指名・ドラフト1位でオリックスに入団した山口は、3年目には日本人最速タイの158キロを記録。投球のほとんどをストレートで押すピッチングは、見る者を魅了した。
しかし、その球速はときに危険を伴った。2005年、巨人の清原和博の頭部に直球を当てた時は日本人最速であるがゆえに、そのデッドボールが大きな話題にのぼることもあった。
しかし、3年前から出場機会が激減。プロ10年目の今年、山口は一度も一軍に上がることなく、山口は戦力外通告を言い渡された。
35歳になった今も山口の投球は全く衰えていない。“一度でも一軍で自分の力を試すチャンスが欲しかった” その思いを胸にトライアウトを受ける事を決心した。
トライアウトに向け、山口は2人の娘と妻を自宅に残し、単身である場所に向かった。
再びプロのマウンドに戻るため…山口の過酷な戦いが始まった。
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元阪神タイガース 今岡 誠
ミスター阪神タイガースが味わった
戦力外という屈辱
シーズン終了を待たずして戦力外を宣告された今岡誠。2006年以降、右手中指の腱鞘炎に悩まされ2軍暮らしが続いていた。今シーズンは不動のポジションだった三塁を追い出され、一塁へコンバート。心機一転、再スタートをきったが、出場試合数は23試合にとどまり全盛期の力が戻ることはなかった。
首位打者、打点王のタイトルを獲得し、リーグ優勝に大きく貢献したスター選手。
このまま野球人生を終わらせるわけにはいかない。
これだけ実績のある選手がトライアウトを受ける例は極めて少ない中、今岡はプライドを捨て、トライアウトの会場に姿を現した。そして、その場所は皮肉にも13年間お世話になった甲子園の室内練習場。史上初の室内でのテストとなったトライアウト・・・そこで今岡は力を出す事が出来たのか?
妻と子供もいる今岡の野球人生は、果たしてこのまま終わってしまうのか?
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元ソフトバンク 的場 直樹
妻は妊娠7ヶ月・・・
立ちはだかる絶対的正捕手・城島、そしてついには戦力外通告男にポジションを奪われた男の運命
1999年、的場はドラフト3位でダイエーに入団。その頃、ダイエーは初の日本一に輝き、城島は正捕手として不動の地位を確立し始めていた。“自分なら城島と対等に渡り合える…”それは野球のエリート街道を歩んできた的場の大きな誤算だった。長きに渡り、2番手捕手として甘んじるしかなかった的場に最大の転機が訪れたのは2005年。城島がFAでマリナーズへ移籍。2006年、先発マスクを任されたのは的場だった。しかし、的場はそのチャンスをものにすることが出来ず、なんと中日から戦力外を受けた田上秀則に正捕手の座を奪われてしまう。そして今年のオフ、ついに球団から戦力外通告を突きつけられた。
人生最大の屈辱・・・このままでは終われない。
そして的場には、野球を諦めきれない理由が他にもあった。妻・佐也香さんのお腹には新たな命が宿っていたのだ。妊娠7ヶ月の妻にこれ以上心配をかけたくない。妻に一刻も早く吉報を届けたい。的場はすべてをかけてトライアウトに臨んだ。
家族をも巻き込んだ冷酷な戦力外通告。果たして的場の運命は・・・?
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元ソフトバンク 山田 秋親
契約金1億円投手
期待の星が“契約金ドロボー”とよばれ・・・
再起を懸けた1年間の浪人・無収入生活
・・・その時、妻は?
2000年度、ドラフト会議。当時、日本一の球団に登りつめたダイエーに、山田は逆指名で入団を決めた。契約金は、最高条件の1億5千万円。山田は1年目から2ケタ勝利を期待されるも、そのプロ野球生活は思い描いていたものとは、まるで違っていた。1年で10勝どころか、3年経ってもその数字には届かない。そして聞こえてくる“契約金ドロボー”という非難の声…。後輩たちが次々と活躍を見せる中、度重なるケガにも苛まれた山田は、ついに1年前の2008年10月13日、ソフトバンクから戦力外通告を受けた。
山田は妻・里紗さんと2人の子供の4人家族。野球を諦めるか、それともケガを克服し、もう一度挑戦するのか?山田の現役続行、それは1年間の無職・無収入生活を意味していた。家族のためには一刻も早く無職の状態を抜け出したい…しかし山田はクビになって初めて自分の内に秘められた野球に対する情熱に気づいていた。そんな山田の下した決断とは・・・?

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鳩山首相!、失業して食う米無い人たちに億単位のポケットマネーを!

2009-12-28 18:44:48 | 社会
鳩山内閣の支持率が、最近は急激に落ちているようだ。これは、首相自身の偽装献金疑惑や沖縄の米軍基地移設に関わる指導力の無さ、それに、首相が実母から多額の資金提供を受けていたことが明らかになって、今になって、約6億円の贈与税を納付した、ことなど、が大きく影響していることは確実であり、当たり前の結果だ。これは、数十年続いてきた自民党政権にピリオドを打たせて、民主党政権を実現させた国民大多数の期待を裏切る行為であり、国民大多数を失望させた結果だ。
報道によれば、現在、300万人以上の失業者がいるそうだ。その多くが、失業保険給付の期間が終わり、ハローワークに行っても、職探しもままならない、という。その一方で、来春卒業予定の大学生の就職内定率が、現在60%ぐらいなのだ、という。つまり、世の中、かくも不況であり、これでは、自殺者数の年間3万人突破や犯罪増加は、十分頷ける、というものだ。
ところが、他方で、運のいい人、成功者もいる。野球選手で実績を挙げた人が、年収3億円で契約更改した、というのは、好例だ。
まあ、それにしても、鳩山首相への実母からの資金提供は、一般人からすれば、想像を絶する破格の金額だ。つい先日(25日)、偽装献金問題で、国民に陳謝した首相は、この際、現在、寝床も食う米も無い、失業中の人々の為に、ポケットマネーとして、数億円を ポン と、寄付してばらまくくらいのことがあっても、いいと思う。そのくらいな事しても、莫大な資産を持つ首相なら、全く腹は痛まないハズであり、どうして、それができないのかな?不思議な気がする。もし、私が首相の身だったら、そのくらいのことは、当然する、と思う。それとも、鳩山首相は、そのような善意に気がつかないのかな?もし、鳩山首相がそのような善意を実行したとしたなら、支持率がちょっぴりは、上がるかもネ?


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クリスマスは、孫娘たちを連れて東京タワーなどを見物

2009-12-26 19:27:20 | 家族
昨日の12月25日のXマスの当日、家内と私とで、二人の孫娘を誘って、クリスマス・イルミネーションを見物するため、都内に出かけた。男の子の孫は、サッカーの練習などの都合で、誘えなかった。最近は、休日はいつも、サッカーのスケジュールが組まれていて、4人の孫が揃う機会が少なくなっているのが、私にとっては非常に残念だ!。
さて、昨日、私たち4人が夕方、4時過ぎ頃、新宿に降りたち、地下鉄の大江戸線で最初、六本木に行って、そこのミッドタウン・イルミネーションを見物した。特に、そこの、スターライトガーデンは、約17万個のLEDの光が、銀河の庭をイメージしていて、見る人たちを楽しませてくれた。孫娘も驚きの歓声を上げて喜んだのは言うまでもない。
この後、大江戸線で赤羽橋に行き、そこから少し歩いて、東京タワーに行った。展望台に乗るチケットを買うのも、エレベーターに乗るのも、どちらも、大勢の人でごったがえしていて、長い行列だった。エレベーターで展望台に着くと、これまた、ひどい混雑。外の夜景を見下ろすのも、人垣の間から覗いて見るほどだった。でも、金銀の砂を散らしたような素晴らしい夜景は見ごたえ十分だった。小学2年生の孫娘は、夜景の中に国会議事堂の頭部分を見つけて、叫び声を上げていた。エレベーターで展望台から下ったころ、5歳の孫娘がお腹が空いた、というので、急遽、食事をすることにした。食堂では、食券を買うのも、食事するテーブルの空き席を確保するのも、ひどい混雑の為にひと苦労!。結局、マクドナルドの店で、紙袋に入った食べ物だけをテイク・アウトして、この店の階下にある、待合室みたいな場所に行き、そこのテーブルで、簡単な食事をした。食事を終えて、外にでると、タワー名物のノッポ君がいて、列を作った子供たちとの写真撮影にポーズを取っていた。ノッポ君を見つけた5歳の孫娘は、歓声上げて大喜び。我が孫娘も、ノッポ君を挟んで、写真におさまった。それにしても、タワーの真下から、上を見上げるとオレンジ色のタワーの雄姿がすごく美しかった。!橋脚の近くには、大型のXマスツリーもあって、人々を魅了させていた。
東京タワーから徒歩で、赤羽橋の駅まで戻る途中、ときどき後方の東京タワーを振り返ると、タワーの照明が、いろいろに変化していて実に美しい。時には、ハートの形をしたピンク色のライトが点灯して、孫たちや道行く人たちも、大歓声!。
本来なら、小学2年生の孫娘の希望で、引き続き、赤坂サカスを訪れる予定だったが、5歳の孫娘が眠そうなので、大門駅で下車して、JRの浜松町駅から、秋葉原に行き、そこから、筑波エクスプレスに乗って、孫娘の自宅に向かった。自宅に着いたのは、午後9時半少し前くらいだったが、孫娘は二人とも車中で一睡もすることなく、家内との会話に花を咲かせていた。早速、私たち4人は、お風呂に入って眠りについた。普段なら、午後8時頃には、眠りにつく5歳の孫娘だが、この日ばかりは、午後10時頃まで元気に目を覚ましていた。この日も、普段、私たちが泊まる日と同じように、5歳の孫娘は、私と家内との間に入って、3人が川に字になって、フトンで寝入った。

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孫娘から、「来たよ、来たよ、サンタさんが!」との電話

2009-12-25 08:57:37 | 
今朝、起床したら、私は家内から、朝一番に孫娘から電話がかかってきた、ということを伝えられた。千葉に住む二人の孫娘から、今朝早くに、「来たよ、来たよ、サンタさんが!」と、大声の電話がかかってきたそうだ。
私は、これを聞いて、彼女たちの驚き、喜んでいる姿が目に浮かんで、すぐに千葉に電話してみた。私は彼女たちに、「何をもらったの?」、「サンタさんと逢った?」「プレゼントはどこに置かれていたの?」など矢継ぎ早に聞いてみた。
それによると、眠っていたので、サンタさんと逢えなかったけど、り○ちゃんたちの部屋のタンスの前にゲーム機が置かれていた、という答えが返ってきた。特に、大きな声で答えていた幼稚園生の孫娘の笑顔が目の前にあるように思えた。



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毎年恒例の忘年会が、いつもの日にいつもの場所で

2009-12-24 09:28:14 | 仲間・友達
天皇誕生日に当たる昨日12月23日に、私が30年以上に亘ってお付き合いしている仲間と一緒の忘年会が開かれた。メンバーは全員で12名いて、昨日は全員が出席した。メンバーは、30年以上も前、六本木にあった国立大学の付属研究所に勤務していた仲間だ。なお、その研究所の建物は、今では国立新美術館に建て替えられている。
当時、私たちの仲間は、電気通信の研究開発の業務をしていたので、私たちの仲間の会の名称は、「ウェーブの会」という名前がついた、という経緯がある。
昨日の「ウェーブの会」の忘年会は、例年と全く同じに、12月23日午後5時から新宿のレストランで開かれた。実は、この23日という国民祝日は、クリスマスの直前でもあり、毎年のように私たち夫婦は、孫娘の家に行って、みんなとクリスマスを祝うイベントを行う日とも重なっている。でも、昨日は、私は、「ウェーブの会」の忘年会のため、孫娘たちとのクリスマス・イベントには参加できなかった。そんなわけで、毎年のように、家内やみんなから、苦情を言われ、私としても、これまで、「ウェーブの会」の忘年会が、どうして祝日に開かれるのか、別の日に設定できないものか、など、幹事さんに不満を漏らしたことがある。でも、相変わらず、毎年同じ日に同じ場所で開かれているので、なんか非常に能が無いなァ、なんて、思っている。
「ウェーブの会」では、毎年、旅行もやっていて、今年は長野方面への旅行が行われたが、その時は私は都合が悪くて旅行に行かなかった。昨日の忘年会では、その旅行の話題も出て、旅先では、手打ち蕎麦をみんなで食べた、と言う。そして、手打ち蕎麦を食べてる時は、私の名前が持ち上がった、と、いうことを聞かされた。と、いうのも、仲間が、私が手打ち蕎麦を打っているのを周知しているからだが、それは、私が手打ち蕎麦を始めた頃に、仲間に蕎麦の話をしたのがきっかけになっている。その後、仲間には、自宅に招待して、手打ち蕎麦をご馳走しましょう、と話しているが、まだ実現していない。来年こそは、是非、実現させたい、と思っている。


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生後4ヶ月の赤ちゃんがやってきた!

2009-12-14 13:39:49 | 家族
一昨日の土曜日(12月12日)に、我が家に生後4ヶ月の赤ちゃんを連れた若夫婦がやってきた。若夫婦とは、私たち夫婦が今年の半ば頃、沖縄にツアー旅行をしていた時に、知り合った間柄で、その当時、若夫婦の奥さんは妊娠9ヶ月ほどで、大きなお腹をかかえて、旅をしていた。沖縄旅行最終日に宿泊したホテルで、偶然に話するチャンスがあって、知り合ったのだ。
その後、千葉県にお住まいの若夫婦から、家内の携帯電話に連絡があって、私たちは男の子の赤ちゃんが誕生したことを知った。そのときに、彼らと、我が家に遊びにくるよう約束を交わしていて、今回、電車で2時間あまりかけて、来訪してくれたのだ。
思えば、我が家に赤ちゃんが来るのは、久しぶりだ。現在 幼稚園年中児の5歳の孫娘の赤ちゃん時代以来であり、懐かしい。
若夫婦の赤ちゃんの名前は、「暖」(ひなた)くんと、言うそうで、例によってまるまると太った顔を見ると、奥さんに似ているようだが、若夫婦に伺うと、奥さんのお父さんにそっくりだ、と言われるそうだ。
私は、この日のために、奥さんが大好きだというので、2日前に北海道から届いたばかりの新蕎麦粉を使って、手打ち蕎麦を打って、ご馳走した。このときに打った蕎麦は、ことのほか、上手く打てたのは、なによりだった。
私たちは、メーン・デッシュの鍋物や手作りのお菓子などを食べながら、夕方暗くなるまで、いろんな話題に花咲かせたが、その間中、「暖」(ひなた)くんは、まったく泣くことなく、時々は眠ったが、穏やかな顔をして、雰囲気を和ませてくれた。
赤ちゃんがいてくれるって、こと自体、いいもんだな、ってつくづく思う。未来がある。明るい。幸せ感いっぱい。・・・・・・

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幼稚園の発表会って楽しく、面白くて元気も貰える!

2009-12-11 13:27:34 | 
一昨日、家内とともに、千葉に住む孫娘のところに行き、彼女の通う幼稚園の発表会を見物してきた。今年の発表会では、新しく建て替えられた、幼稚園の講堂のお披露目も兼ねて行われた。ウイークデーなのに、見物客の中には、園児たちのお母さんのほか、お父さんの姿も多く見受けられたが、きっとお父さんたちは、この日、会社を休暇を取って来場したのだろう。わが子を思う親たちの気持ちって、みんな一緒だなぁ、ってつくづく思う。
年中児の我が孫娘が出演した発表会を見ていて、仲間のお友達に比べても、彼女も背丈も大きくなったなぁって感じたし、キビキビした踊りも、堂々としていた。もちろん、いつものことながら、この日も、ビデオカメラで発表会を撮影してきた。最初は、孫娘の出場する発表会だけを撮影するつもりだったのだが、いろいろな発表会場面を目にして、どれも、あまりにも可愛く、楽しく、そして、元気に踊る子供たちの姿を見ているうちに、孫が出演していない発表会シーンも撮影する気になった。発表会で、子供たちが踊る音楽の曲目はどれも、明るく、元気を出させるもので、聞いていて、そして、踊りを見ていて、すごく楽しい気分にしてくれる。まさに元気を貰える。踊っている子供たちも実に楽しそうだ、っていうのが、見ていて十分に伝わってくる。--こういうシーンって、素晴らしい!と思う。私は、発表会を見ながら、子供たちの未来も、この発表会で見せてくれたのと、まったく同じように楽しくあって欲しいって心から願わずにいられなかった。



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浦島太郎とアインシュタイン

2009-12-02 17:45:38 | 教育
先日、娘夫婦一家が我が家に泊りがけで来訪した際、私が、先だって5歳の孫娘に話しした昔話の"浦島太郎"が話題になった。そのとき、30歳代半ばの娘は、浦島太郎が、亀の背中に乗って、龍宮城から、自分の住んでいた街に戻ったときに関して、「どうして、自分の友達たちが、おじいさん、おばあさんの姿になって年老いていたのだろう?」とか、「どうして玉手箱を開いてしまったのだろう?」って、私に疑問を投げかけてきた。
私は、この2つの疑問に対して、私なりに勝手に推測して、その理由を、以下のように考えて、娘に答えておいた。
最初の疑問--浦島太郎が、自分の住んでいた街に戻ってみたら、そこで目にしたものは、なんと、自分のお友達たちがみんな、おじいさん、おばあさんの姿になって年老いていた、という点。このことは、浦島太郎が龍宮城に行って過ごしていた期間は、浦島太郎が光の速さで進んでいるロケットに乗っていた状態に相当しているのではないかな、と思われるのだ。現代物理学に出てくるアインシュタインの相対性理論では、光の速さで進んでいるロケットに乗っている人は、トシを取らない!という理論があるからだ。
二番目の疑問--乙姫様から「玉手箱を絶対に開けないでね!」って言われた浦島太郎は、通常の人間とまったく同じ気持ちを持ち合わせていたのではないかな、と思う。普通誰でも、"絶対に開けないで!"と言われると、大抵の人がそうするように、なんとなく開けてみたくなってしまうものなのだ。
・・と、まあ、このように考えると、"浦島太郎"の話って、意外と現在の世の中でも十分に通用する内容になっているんだなあ、って考えられるのだ。




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