手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

ガソリン税などの暫定税率復活法の再可決には、あきれた

2008-04-30 19:33:55 | 社会
ガソリン税(揮発油税など)の暫定税率を復活させる租税特別措置法改正案が、今日午後の衆院本会議で、与党の3分の2以上の多数で再可決、成立した、という。
民主党など野党は、連日のように、過去のガソリン税などの巨額に上る無駄遣いを暴きだし、先ずは、このような無駄を根絶することが先決問題だ、として改正案には反対しており、これこそ、筋が通った議論だ。一方、最近のメディアによるニュース報道でも、民意は暫定税率復活に反対している。今日の再可決は、衆院での「3分の2」勢力をほこる自民、公明両党が、数の力で強引にねじ伏せた、という感が否めない。まさに暴挙と言えよう。
それにしても、世論も、自民、公明両党から甘く見られたものだ。昔なら、学生や主婦連などが大デモを起こしていただろう。現代の若者はじめ、人々は、昔に比べ、実におとなしくなったな、と思う。民主党などは、今や衆院を解散して、総選挙に持ち込もうとしているようだが、自民、公明両党は、今の民意が両党にとってマイナスに作用することが分かっているので、すぐには解散せず、再可決ショックのほとぼりが冷めた頃を見計らってから、という計算ずくでいる、というスタンスが見え見えである。
ガソリン税の無駄遣いはもちろん、各省庁の呆れた無駄遣いの自浄作用は、今のままでは到底望み得ない。今後も、次々と、無駄遣いがあぶり出されるであろうが、国民をないがしろにするのもいい加減にしてもらいたい、ところだ。
詰まるところ、国会議員にしても、各省庁のお役人にしても、最近、生起している問題は、彼らのモラルの欠如に起因している、ということは間違いない。このような情勢が、最近の犯罪多発にも関係しているのではないか、と思う。国政を担う彼らこそが、モラルに基ずく行動を取ることこそが、明るく住みよい社会建設の第一歩であることを肝に銘じてほしいものだ。

TBSテレビの「朝ズバッ!」-終盤はコマーシャルのオンパレード!

2008-04-28 10:01:36 | 社会
毎朝のように、午前8時半まで放映されている、みのもんたさん司会の同番組は、終盤近くの午前8時半近くになるにつれて、俄然、番組途中でのコマーシャルの挿入本数が多くなっていて、これには、飽き飽き、実にいただけない。それも、この頃の時間帯になると、政界の大御所などが出演していたり、など、視聴者にとっては、番組をじっくりと視聴したいところなのだが、TBS側は、それに逆らうように、頻繁に、意外と長いコマーシャルを入れて、番組をブツ切りにしてしまっている。テレビ局側にとっては、コマーシャルの効果アップを狙っての作戦のようだが、私からすれば、それって、返ってマイナスだ、と思う。恐らく、私と同じような意見を持っている視聴者も大勢いる、と思う。私は、"朝ズバッ"を見てるとき、午前8時を過ぎて、コマーシャルが、頻繁に入りだすと、きまって他局へチャンネルを切り替えることにしている。
私は、"朝ズバッ"のコマーシャル構成に関しては、TBSテレビにもっと工夫をしてもらいたい、と思う。例えば、終盤近くに、どうしてもコマーシャルを数多く入れたいのなら、視聴者が見てる番組をコマーシャルで完全にカットするのではなく、小画面のウインドウにした無音声のコマーシャルを番組に挿入する、といったやり方なども考えられよう。あるいは、折角、出演してもらっている政界の大御所などの出番の放映時間帯を、コマーシャルがさほど入らない、もっと早めの時間帯-午前7時半前後-に移動する、という措置なども考えられよう。こういった工夫が、TBSテレビ側の視聴者への真の配慮というものだ、と思う。

偶然というか、歯医者さんで流れていた曲は、「テネシーワルツ」

2008-04-25 00:34:15 | Weblog
昨日は、歯医者さんに行く日であった。そこで、昨日は、電車を利用して武蔵野線の南越谷駅まで出向いた。そして、その改札口を出た頃だったろうか、どういうわけか、私の脳裏に、なんとはなしに、「テネシーワルツ」のことが浮かんだ。この曲は、昔、江利チエミさんが唄っていて、好きになった曲であり、私は、歯医者さんに向かって歩く道すがら、彼女が雄大に唄いあげる姿を思い浮かべていた。
歯医者さんでは、私の治療時間が20分以上と少し長めだったせいもあり、軽音楽が流れているのに気が付いた。なんかしら、オルゴールに似た演奏で、心静まるメロディであった。と、ある時間になって、どこか聞き覚えのある曲が、耳に響いてきた。なんと、それは、先刻、南越谷駅を降りたった時に、脳裏をかすめた、あの「テネシーワルツ」だったのだ。これを聞いて、私は、不思議なことってあるものだな、と思った。偶然というか、それとも、虫の知らせ、とでも云うのだろうか?

小学校、中学校レベルでの有料の塾は、無くなってほしい

2008-04-24 11:44:57 | 教育
私は、義務教育である小学校、中学校レベルでの有料の塾は、無くなってほしい、ことを望んでいる。
私は、過去数年に亘って、毎週土曜日に、学校で子供たちに補習授業を行ってきた。そこでは、同じクラスに、塾通いしている生徒と塾通いしていない生徒が混在している環境では、同じことを教えるにも、塾通いしている生徒が、「そんなのわかってる!」とか「簡単ジャン!」とか、なにかと出しゃばるなど、非常に教えずらいことを経験した。
思えば、私の少年時代には、小学生や中学生のための塾なんて存在していなかったし、そういう存在すら考えられなかった。
でも、最近では、どんな小さな街に行っても、学習塾がやたらと目に付く。そして、ますます小学生の塾通いの低年齢層化も目立ってきた。こうなると、子供の親にとっては、教育費の負担はますます深刻にならざるを得ない。近年の物価高とも相俟って、家計にとってはダブルパンチであり、こういったことも、少子化に拍車をかけている要因になっている、と思う。恐らく、小学校によっては、塾通いしている生徒の人数の方が多い、というケースもある、と思う。例えば、クラスの大半が塾通いしている環境の中では、教師は無意識のうちにも、教え方のリズムが変わってくる、ことは避けられない、と思う。そうなると、塾に通っていない少数派の生徒は、「自分には、もうついていけない!」などから始まって、心に問題を抱え込む引き金にもなりかねない。
私は、こういったことは、義務教育の機会均等に反したものであり、重大問題である、と思う。教育行政を統率する文部科学省は、この問題をどうするつもりなのか、私は以前から疑問を持って見守ってきている。
折りしも、2008年3月12日の読売新聞には、「激戦! 塾・予備校」と銘打った記事が掲載されていて、その中で、塾の講師が中学校に出張して、受講料2万4000円の”夜スペシャル”の事例が紹介されていた。--私は読んでいて、母子家庭など、”夜スペシャル”に出たくても余裕の無い家庭にとっては、その子供たちは置いてけぼりにされ、差別が生まれてしまうのは明らかではないか、と疑問を感じた。
私は、ときどき、塾に対抗して、無料の塾を開講したい、なんて思うときがある。

缶詰のプルトップの「ふた」の部分は、即刻改良の余地あり!

2008-04-21 18:05:56 | 社会
シーチキンなどの缶詰では、多くの場合、プルトップ式のアルミ製の「ふた」が、数十年来採用されている。
先日も、このタイプのシーチキンを開けたが、「ふた」の裏側には、その切り口で怪我をしないよう、プルトップ式の「ふた」の開け方が印刷されていた。
私は、いつもながら、「ふた」を見ていて、その切り口が鋭利な刃物そのものになっているので、これをゴミとして出す場合も、十分気をつけないと、手や指を切ってしまう危険性がある、と思っている。
で、私は、誰が触っても怪我しないよう、「ふた」の周囲の切り口部分をまんべんなくペンチを使って、押しつぶしてから、ゴミに出すようにしている。
このような危険極まりないプルトップ式の「ふた」が、これまで、数十年にもわたって採用されていて、今でも、改良されることなく使い続けられているのは、実に不思議、というほかない。
プルトップ式の「ふた」を持つ容器を採用している、シーチキンや海苔など、のメーカー各社は、一刻も早く、プルトップ式の「ふた」に改良を施したり、あるいは、別のタイプのものに置き換えるなど、安全面に十分配慮した製品を世に送り出してほしいものである。

日曜日、なのに騒音のダブルパンチで、早朝目が覚めた

2008-04-20 08:52:42 | 社会
今日は日曜日、いつもより朝寝坊をしよう、と決め込んでいたにも拘わらず、2種類の騒音のせいで、6時頃には目が覚めてしまった。
その騒音の一つが、私の寝室の下の階から聞こえてくるテレビの音だ。これって、今日は、母がお寺の行事に参加するため、外出することになっていて、こんな日は、母は必ず、外出するまでの間じゅう、つけっぱなしにしているテレビの音だ。音量を小さくしてくれればいいのだが、耳が聞こえにくい母には無理なのかも知れない。今年、88歳をむかえる母にとって、お寺への参拝は、なによりの健康法になっていることは理解でき、長寿の秘訣になっている、と思う。
もう一つの騒音が、近所に住む若者の発する、爆発音に似た自動車エンジン音だ。
これらの騒音って、どれも当事者の"自分勝手"のなせる仕業である。これらの騒音が、周囲に迷惑をかけていることには、当事者たちが、まったく気が付いていない、のは困りものだ。
毎度のことながら、実にニガニガしく思いながら、服を身につけた。

アイドルではなくて、歯科医師の追っかけ!

2008-04-17 15:07:43 | Weblog
ごく普通には、"追っかけ"って言えば、アイドルの追っかけだが、私の場合は、歯科医師を追っかけている。
私は、この1ヶ月近く前まで、近所の歯医者さんのところに何度も通い、歯の痛みの治療を受けてきた。でも、歯の痛みの原因がどこからきているのか、分からないように思われた。担当の医師の説明もあまりなく、やみくもに何回も通っても無意味かな、と思い、思い切って、電車で1時間かかる場所にある、別の歯医者さんに通うことにした。
今回の歯医者さんのところの歯科医師のTさんは、実は、3年ほど前まで、近所の歯医者さんに勤務していた方である。私は、3年前のその当時、Tさんの治療を受けていて、治療中には、いろいろと事細かに説明やらアドバイスをいただいて、私なりに自分にピッタリの医師だな、と感じていた。その上、今痛んでいる歯の部分は、確か3年前にも、そのTさんに診てもらったことがあった。そんなわけで、わざわざ電車で1時間の歯医者さんに行くことにしたのだ。
で、Tさんは私のことをよく覚えていてくれて、彼の治療を受けだしてから、現在は、確実に痛みが取れてきている。私は、歯医者さんを替えて正解だったな、と、思っている。
今は、まだ、歯の最終治療が済むまでにいたっていない段階であるが、ところが、今週、そのT医師から、彼自身、別の歯医者さんに勤務先が移動することになった、と言われた。そこで、私は、Tさんが来週から勤務することになる新しい歯医者さんに通うことにして、予約をとった。
-----これって、まさしく歯科医師の追っかけに他ならない!

妙に耳に残っている、おばあさんの生きがい、に関する話

2008-04-15 18:23:56 | 仲間・友達
私が川崎の会社に勤務していた当時、上司であるKさんから聞いた話が、今でも妙に耳に残っていて、ときどき思い出すことがある。そのKさんは、私の結婚式の時、乾杯の音頭をとってくれた方で、飄々としたその物腰は、昔の良寛さんそっくりなイメージで素晴らしい方だ。
たしか青森県出身だった、と、私が記憶している、そのKさんは、以前、彼のお母さんに関して、こんな話を私に聞かせてくれた。--
当時、Kさんのお母さんは、青森の実家で、ひとり暮らししていて、毎日のように、家の周りに生える雑草を刈り取るのに、忙しく過ごしていて、結構、そのことが、お母さんの生きがいになっている、との、ことであった。
で、お母さんは、家を取り囲むように生えた雑草を、端から毎日、少しづつ刈り取っていき、翌日には、それに続く、となりの雑草を刈り取る、というやり方で、過ごしていて、1周分ぐるっと刈り取るのに、一ヶ月くらいかかる、という。ところが、一ヶ月くらいかけて、1周分刈り取るのが終わる頃になると、最初に刈り取り始めた場所には、再び雑草が生えていて、お母さんは、その後も毎日のように、額に汗して「忙しい、忙しい」を繰り返して、雑草取りを繰り返ししているそうな。
こうして、いつになっても終わらない、お母さんの雑草取りは、その後も毎日のように続いていて、結構、お母さんは、充実感に満ちた、「生きがい」ある生活をエンドレスに送っているのだ、という。
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この話、何故か今でも、妙に耳に残っていて、ときどき思い出す。でも、Kさんは、67歳の若さでこの世を去ってしまい、実に残念である。

学校教育の目的とそれにふさわしい先生像

2008-04-14 18:17:30 | 社会
私は、過去数年間に亘り、小学校や中学校の土曜教室の講師として、先生役を仰せつかったが、この経験から、いろんなことに気がつかせてもらって、大変有意義に過ごせた、と思っている。その一つに、学校の先生の資質の問題がある。
元来、学校教育は、学校教育法の第21条にあるように、次に掲げるような目的を達成することである。
1.学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
2.学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
3.我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
4.家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。
5.読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。
6.生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
7.生活にかかわる自然現象について、観察及び実験を通じて、科学的に理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
8.健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。
9.生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと。
10.職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。
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 このような目的達成を考えたとき、私には、大学を卒業したばかりの人が、すぐに小学校や中学校の先生になれる、という現在の制度には、どうにも疑問を感じる。大学で教職課程を履修した程度で、真に、学校教育法の目的を達成するための"先生の資質"が備わるのだろうか?
そこで、私は、先生というのは、大学を出てすぐの人を充てる、よりも、一度社会に出て、働いた経験を持つ人を充てるべきだ、と思う。社会に出て働いた経験もなく、単に大学を卒業したばかりの人が、すぐに学校の先生になれる、現在の制度は改める必要があるように思う。学校教育の場に相ふさわしい先生というのは、社会の荒波にもまれ、社会の辛酸を味わった人、人生経験豊かな人をこそ、最適である、と思う。
インターネットをはじめ、最近の複雑な社会環境の中で、昔では考えられなかった事件が起こっているのは、先生の資質の問題、教育現場の荒廃にも起因しているように思う。子供たちの一生を左右する重大な教育の場に、真にふさわしい先生の出現が望まれる。

携帯音楽プレイヤーのおかげで電車の中でも幸せ気分

2008-04-10 22:15:27 | Weblog
以前からアップル社が、すごく薄くて、軽量、小型なiPodなる携帯音楽プレイヤーを販売していることは知っていて、最近まで、性能や使い心地もあまり良くないのでは、と勝手に思い込んでいて、興味をもたなかった。でも最近、新聞で、小型のわりに、音楽など数千曲も収容できるなど、を知り、興味をかきたてられた。
そこで、昨日、近くの電器店に足を運んだ。例のiPodは知名度も高いせいか、2万円前後と値段が高く、同類の製品としての携帯音楽プレイヤーを購入した。私が購入したのは、iPodと同じように、小型、軽量で、数百曲の音楽が収容できるほか、録音ができることや、静止画や動画やFMラジオも楽しめる、などiPodには無い機能も備わっていて、9千円台で売っていたものだ。その重さを量ってみたら、なんと45グラムだった。
その昔、私が川崎に電車通勤していたころは、音楽などを聴くのに、ウオークマンを使って、カセットテープを聴いていたものだが、なんと技術の進歩の早いことか。携帯音楽プレイヤーでは、モ-ターなど一切使っておらず、パソコンに使われている固体のメモリーを使っているので、振動にも強く、巻き戻しなど一切いらない、すぐれものだ。
早速、今日は、パソコンに取り込んである歌謡曲-太田裕美さんの曲で私のお気に入りの曲「木綿のハンカチーフ」とか「失恋魔術師 」を、プレーヤーにダウンロードして聴いた。
ものすごく音質もよくてビックリ。帰宅途中の混雑した電車の中で聴いて、実にハッピー、幸せ気分に浸った。これらの曲は、両方とも、失恋に関した曲だが、「木綿のハンカチーフ」の方は、都会に出て行った恋人への切ない女心が見事に描かれている素敵な曲だ。また、「失恋魔術師 」の方は、彼女の唄っている歌詞を聴いていると、歌詞そのものが物語になっていて、楽しい曲で、心を浮き浮きさせてくれる。
混雑した電車の中など、手持ちぶさたなときには、携帯音楽プレイヤーは、手放せなくなるのは間違いない。今からでも、少しでも英会話上達に取組もうと、思っているので、英会話のヒヤリングにも活用しよう、と思っている。