手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

夏の猛暑、毎年のように40度超えの気温!、数年後には40度超が普通に?

2024-08-14 18:33:24 | 想い出
最近では、毎年のように日本のどこかで40度を超えた気温が観測されていて、このまま推移すれば、数年後には日本の大部分の地域で、連日40度超が観測されることが普通になってしまうと予想され、実に心配だ。最近では、関東地方でも、連日、就寝時には一晩中、クーラーを稼働させていないと熱中症になってしまうのは確実だ。
そこで、今日ふと思い出したのは、約50数年前に公務員をしていた頃のことだ。当時、私は年に数回、鹿児島県大隅半島の内之浦町に出張してロケット打ち上げのプロジェクトに参加していた。あの当時、毎回、「中俣旅館」という名前の民宿のような宿舎に十数人の仲間と共に宿泊した。あの頃、夏場の就寝時には、仲間とともに畳の部屋にふとんを敷き、蚊除けのための蚊帳を吊って、一晩中、雨戸を開けっ放しにして寝ていたものである。当時、部屋には、今のようなクーラーは無かったものの、南国の夏にも拘わらず、結構、涼しい夜を過ごせたものだった。
なお、今でも思い起こされるのは、毎日、早朝、寝室に響き渡るニワトリの「コケコッコウ」の時の声だ。当時、私には、ニワトリ達が、部屋に向かって、”もう夜が明けたよ!早く起きてェ”って、大合唱しているように思えた。
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エーッツ!!園まりが亡くなった!!

2024-08-02 11:07:03 | 想い出
今日、朝食後、いつものように何気なく新聞に目を通していたら、「園まりさん死去 三人娘、「逢いたくて・・」」との記事が目に飛び込んできて、驚きのあまり、釘付けになった。記事によると、7月26日に急性心不全で亡くなった、とのこと。
振り返れば、私が大学卒業後、当時、六本木にあった研究所(現在は、その地が国立新美術館に生まれ変わっている)に勤務していた頃、何をおいても大好きだった唯一無二の女性歌手が、園まりだった。もちろん、彼女のレコードは、「逢いたくて逢いたくて」など何枚も買っていて、今でも残っている。
当時、私の”園まり好き”は、私の家族や勤務先の仲間までもが知っているほど有名だった。あの頃、園まりがテレビに出ていたときなど、私の一番下の弟は、「むーちゃん、園まりがテレビに出てるよ!」って、二階にいた私に声をかけてくれていて、今でもその声が聞こえるほだ。
それに、園まりの親族が赤坂見附近くで、確か、お花屋さんをやっているらしい、というのを週刊誌かなんかで知って、実際にその場所に足を運んだこともあって、研究所仲間からも冷やかされたものだった。
最近では、彼女は、テレビにはまったくといっていいほど出ていなくて、そんな中、たまたま、たしか、つい2~3カ月前に、「徹子の部屋」に出演していて、それを見た私は、相変わらずの若さ、可愛さを保っているなぁ、と思ったものである。
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初めて三社祭を見物し、生きてること実感!一方で、この世に神様ってホントにいるの?って思った

2024-05-21 18:28:39 | 生活
18日の土曜日、この日は天気も良く、家で燻ぶってても能が無いと思い、電車でどこかに行ってみることにした。大宮とか東京に行ってパーティ・ダンスに参加しようとも思ったが、やはり室内よりも外の空気に触れたほがいい、と思って、浅草のかっぱ橋問屋街に行くことにした。日頃、手打ちうどんを打っているので、そのうどんを効率よく切るのに便利な道具を見つけようと思っていたからだ。午前11時過ぎ、自宅を出てJRで上野に行き、そこから銀座線で田原町にて下車。その駅近くのセブンイレブンのイート・インにて昼食のおにぎりをパクついた後、問屋街をぶらついた。ところが、この日が浅草・三社祭の二日目だったこともあって街は大賑わい!!私にとっては今まで見たことない三社祭。折角だから、と、問屋街をぶらつくのはやめて、お祭りを見物することにした。近くで交通整理していたお巡りさんに、浅草寺への道順を伺ったら、世界ツリーが真正面に見えるこの道をまっすぐ行けばいい、と教えてくれた。歩いていくと、道すがら外人観光客が多いのに驚いた。浅草寺に近づくにつれて人混みがすごくなり、その人波にただただ驚くばかり。浅草寺に参拝してから、いくつものお神輿とそれを担ぐ人たちの威勢のいい掛け声、そして大勢の見物人の人混みをかき分けながら、雷門へと向かった。いやあ、すごい雑踏だった!!この三社見物は、私の心に何かしら活力を吹き込んでくれた。
ところで、昨日20日の月曜日、テレビ各局は19日まで続いた3日間にわたる三社祭の熱狂の模様を熱く報じていて、現場に行っていた私も興味持って見たものだ。
そんな中、私はテレビ各局が報道番組で連日のように報じている、ロシアによるウクライナでの侵略戦争やイスラエルによるパレスチナ領への飽くなき攻撃を思い出したものである。特に、パレスチナに暮らす何百万人もの市民が、イスラエルによる無差別攻撃で逃げ惑う光景が毎日報じられていて、実に痛ましい思いで気持ちが暗くなる。
三社祭では、お神輿の担ぎ手もそれを見ている観衆もまた、みんな楽しんで、この世を謳歌していた。同じ地球上なのに、地域の違いだけで、人々は楽しく過ごしており、一方では、人々が毎日、命の危険にさらされている!-----この違いって何なのか?神様がこの違いを演出しているのだろうか?

最近も妙を

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民意を聞かぬ自民政権

2024-05-19 11:29:50 | 政治とマスコミ
現在の岸田自民政権は、自民党議員が国会の過半数を占めていることを背景にして、したい放題・やりたい放題をやっている。このことは、選挙で自民党がこれだけ多くの議員を獲得したのだから、「自民政権がやろうとしていることはすべて、国民の民意を反映したものだ!」と考えているからだ。つまり、国会の過半数の議席を獲得しているのだから、岸田自民政権がやっていること・考えていることは正しいのだ、と思っているのだ。でも、明らかにこの理屈は民主主義に反している、ことは誰の目にも明らかだ。
元をただせば、今のように自民議員を過半数にしてしまったのは、選挙民である国民自身に責任がある、問題があるのだ。でも、多くの国民が選挙の時に、自民党議員に投票してしまう、というのは、何故なのか?それは、選挙を有利に闘って当選を勝ち取るには多くのカネがかかる、という事実があるからだ。自民党はこれまで、議員数に応じて支給される政党助成金や政治資金パーティで集めた多くの裏金を蓄えているほか、企業献金を集めたり、などして、選挙資金を貯めこんでいて、これらの資金を使って、日ごろからより多くの自民党員を増やしている。そうして、選挙のときには他党を圧倒する、より多くのカネをつぎ込んで候補者を派手に応援しているのだ。こうして、選挙では、どうしても自民党候補者の当選につながりやすくなるのだ。端的に言えば、これって買収に似た行為そのものなのだ。
現在の自民党政権は、国民からの大阪万博の実施見直しとか、あるいはその規模縮小、沖縄の米軍基地に関わる海の埋め立てをはじめ、民意を踏みにじって強行実施している。
次回の総選挙のときには、再び、自民党が過半数とならないよう国民は十分留意して投票しようではないか。
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19日まで上野で開催中の「大吉原展」を見にいってきた!

2024-05-10 13:17:11 | 社会
昨日は、久しぶりに上京することにした私は、東京・八重洲口にも行った。駅を出て街頭に出ると、高層ビル群や新築中のノッポのビルが目に飛び込んできた!お昼には、八重洲地下街で昼食を取ろうとしたが、午後一時を過ぎてる、というのに、どの店も入口に何人もの人が行列作って並んでいて、とても並ぶ気にならなかった!仕方なくコンビニで、おにぎりを買って食べることにした。
既に、この日は、かねてから上野の東京芸大美術館で開催されている「大吉原展」を見に行くことに決めていたので、入館前に、上野公園あたりで、青空の下、おにぎりを食べることにした。
JR上野駅で下車、その公園口の出口に向かったが、いつもの場所に出口の改札は見当たらなくて「アレッ?」とちょっと焦った。少しの間、周辺をさまよううち、改札出口を見つけた。--実は、最近、まったく上野にも行ってなかったので、何十年も昔からあった出口が、いつのまにやら別の場所に変更になっていたのだった。--これって、まさに世の中の移り変わりが綴られている「方丈記」そのものだなぁ、ってつくづく実感した!!
改札を出て歩いて数分も経たないうちに、いつもの見慣れた公園の広場に出た。桜の季節では、桜見物で賑わう、この広場。両側に桜の木が植えられた広い通りでは、おにぎりを頬張れるベンチがあるかも、と期待したのだが見当たらなかった。仕方なく、桜並木の両側に沿って敷かれた縁石に腰を下ろして、広場をチラホラ行き交う人影を眺めながら、おにぎりを一人頬張った。午後一時半頃だろうか、初夏の陽気で風もなく、人影もまばらな広々した通り、桜の木陰でおにぎりを食べるのには絶好の場所だった。ただ、周囲には、私みたいに縁石に腰を下ろす人はほとんど見当たらず、住所不定・無職のオジサン風にも見えるかもと、ちょっピリ恥ずかしい思いもした。また、数十メートル先には、派出所も見えて、注意されるかも?とちょっとだけ心配もした。そんな折、私の座った縁石の数メートル離れた場所に外人の夫婦らしい人が腰を下ろしたので、ちょっと安心した。
さて、おにぎりをパクついているとき、ふと足元をみると鳩が一羽、ひょこひょこと歩み寄ってきて、私を見やって、明らかに「なんか食べ物、くれないかなぁ」と言ってるような恰好。--それに応えようと思ったのだが、なかなか上手くごはん粒の塊を掴めなくて、残念ながら鳩の願いに応えられなかった。で、鳩はまもなく足元からどこかへ消えた。
それから数分後、ふと気が付くと、今度は2羽の鳩が足元に来ていた。これにはビックリ!--きっと、先ほどの鳩が仲間を連れて、食べ物を無心しに来たのだ、と思った。そんな中、立ち止まった一羽の鳩が、首を斜め上方に傾けて、上側になった眼で私の方を凝視して、「どうして食べ物、くれないの?」と言っているようなそぶりを見せた。でも、この時も、申し訳ないと思いつつも彼らの期待には応えられなかった。
この後、近くの派出所で、今回初めて行く「東京芸大美術館」への道順を伺って徒歩で会場に向かった。--入館して観覧料2,000円を支払うと、地下の最初の観覧会場に案内された。薄暗い会場は見物客でいっぱい!大半が中年過ぎの男女でごった返していて、部屋の壁一面に展示された展示物(昔の画家たちの絵が大部分!)作品とその脇の解説文を一点・一点づつ眺めていくのだが、そこで立ち止まって見入る人々の歩みが各人・各様で遅く、時にはおしくらまんじゅうみたいな状態の中、なかなか思った通りに前進しない。こうして無意識状態で全神経を尖らしたまま、1時間以上閲覧していると、途中、ド-と疲れが意識され、その場にぶっ倒れそうになったものだ。そして、観覧途中からは、ろくすっぽほとんど展示物を見ないまま、会場を出ることにした。というのも、観覧途中で、係員から、今回の展示物に関わる解説書が会場出口で販売中であることを伺ったので、それを買って帰宅することにしたからだ。でも、3500円もする解説書だったが、厚みが3センチもある豪華なもので、中身は充実していた。これを読んだら、展覧会場で見る解説文はじめ、もっと詳細内容も解説されているので、今では買って正解だった、と思っている。

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2日前に行われた東京など衆院3補欠選挙で自民が全敗!立民が完勝、島根・長崎も

2024-04-30 13:10:20 | 政治とマスコミ
4月28日に行われた東京15区、島根1区、長崎3区の衆院3補欠選挙で、いずれも立憲民主党の候補者が当選した。この結果は、最近の自民党の裏金など政治資金の問題が大きく足を引っ張った影響であることは間違いない。その証拠に、1996年の小選挙区制導入から自民党が守り続けた「保守王国」だった島根1区の選挙民の一部は、「自民にお灸をすえる意味があった」と言及している例を見ても明らかだ。
今回の自民党の敗北を受けて、岸田首相は、「総裁として政権与党としても課せられた課題にひとつひとつ取り組み結果を出していくことで責任を果たさないといけない。自民党改革、政治改革、内外における課せられた課題、賃金であったり物価対策であったり、こうした課題にひとつひとつ答えを出していかなければならない、それにより国民の信頼回復に努めていかないといけない」と語っているが、どこまで有限実行となるかは、過去の実績を見ても甚だ疑問だ。
国民の生活をより良くしていくためには、自民党議員が国会の過半数を占めた現状では不可能だ、と思わざるを得ない!!その意味で、今回選挙で3議席を獲得した立憲民主党には今後の更なる議席数増大に大いに期待したい。
東京15区で立憲民主党から出馬して初当選した酒井菜摘さん、今日(4月30日)、当選証書を受け取ったそうだが、テレビ放映された、その時の彼女のヤル気に満ちた姿には大いに頼もしさを感じたものだ。

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報道記者の質問に「バカヤロウ!」とすごんだ自民党元幹事長の二階俊博氏、その息子が衆院選に出馬だってエ?!!

2024-04-25 12:46:15 | 政治とマスコミ
元幹事長の二階氏には、彼の政治団体の不記載額は3526万円。幹事長時代の5年間で、党から50億円もの政策活動費を受け取っていた問題も残っている。
こうした中、最近持ち上がった自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件をめぐり、二階氏はその責任から身を引こうとして次回衆院選には不出馬を表明した。ところが、なんと彼の三男息子が出馬するのだという。まさに世襲そのものだ!!あまりも国民を舐めている!呆れてモノが言えない!とは、このことだ。世襲議員と利権の国会。実にウンザリだ!
去る3月25日、二階俊博元幹事長が次期衆院選への不出馬を表明したことを受け、自民党は二階氏に対する党の処分を見送る検討に入ったそうだが、従来の先例をみてもウヤムヤで幕引きとなるのは、目に見えている。この日、行われた二階氏の会見では、衆院選不出馬の理由が裏金問題なのか、年齢なのかを尋ねた記者がいた。これに対して、二階氏が、記者をにらみながら、「お前もその年が来るんだよ。バカヤロウ」と吐き捨てた姿は、旧態依然とした自民党を象徴する場面だった。この場面、今もテレビでニュース番組を見ていた私の脳裏に焼き付いている。
ついでながら、-----
さて、この“バカヤロウ発言”を引き出したのは、毎日放送(MBS)の大八木友之記者兼解説委員(49)とのこと。その彼は、昨年7月から国政取材を始めたばかりだというが、自身に向けられた二階氏の“暴言”について何を思うのか。記者と政治家との関係はどうあるべきだと考えているのか。二階氏から「バカヤロウ」と言われた経緯について、八木記者本人は次のように語っている、という。--
 最初は、「このタイミングで、次の衆院選の不出馬を決められたのは、やはり政治資金パーティーの問題、不記載であったことの責任を取られたと考えていいのですか? それとも二階先生のご年齢の問題なのでしょうか?」と聞きました。
 すると、「年齢の制限があるか?」と返ってきたので、あ、怒ったなとは思いつつ、「年齢制限はないですが、お年を考えてということですか?」ともう一度聞いたら、さらに怒った調子で「お前もその年が来るんだよ」「バカヤロウ」と。
 実は、「バカヤロウ」という言葉は、私の耳には届いていなかったんです。二階さんとは8メートルくらい離れていたし、顔の向きを変えて捨てぜりふのように言われたので。後で、会見の映像を見ていた人から「バカヤロウって言われてましたよ」と聞いて、初めて知りました。
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久しぶりに虚空蔵菩薩堂で御祈祷を受けました

2024-04-14 21:52:24 | 生活
数日前のこと、運動不足解消を兼ねて、自転車で総合公園付近に行ってきました。近くの虚空蔵菩薩堂にも立ち寄りました。
この虚空蔵菩薩堂は、私が毎年、新年元旦に初詣として、自転車で御祈祷に訪れる市内の3か所のうちの一つの名所だ。他の二つは、雀神社、長谷観音、である。この虚空蔵菩薩堂、実は私の末の弟が小学生だったころから、母がしょっちゅう参拝に訪れている由緒ある場所なのだ。それで、その頃から菩薩堂のお上人様やその奥様とは親しくさせていただき、母は、亡くなるまでは毎年のように年賀状のやり取りもしていたのだ。
さて、その日の虚空蔵菩薩堂の入口で、4月12日に御祈祷の会が主催される、と書かれた紙片を目にしました。
そこで、この4月12日当日、早速、自転車で虚空蔵菩薩堂に行き、御祈祷の会に参加しました。午前十一時半頃から開かれる、と書かれていたので、その時刻のちょっと前に伺ったところ、既に御祈祷が始まっていました。
私は、すぐに靴を脱ぎ、受付のところで御祈祷の代金2000円を支払い、祈祷を受けている人々に加わろう、としたところ、受付の中年女性が、私を見て、「お名前」を書いてください、って、紙片を渡されました。
ピンと背筋を伸ばして、色白・丸顔のモンペ姿のその女性、一目見て私は、ここ10年以上もご無沙汰しているのだが、ここ虚空蔵菩薩堂のお上人様の奥様だと気付きました。私のほうは彼女が誰だか分かっているので、彼女が私のこと分かっているハズと思っていたがそうでもないらしい。きっと、私もトシとったせいかも、と思わざるを得なかった。それで、○○と名前を書いた紙片を彼女に渡したところ、それを見て彼女は「アラッ、○○さん!?」と言葉を発してビックリされた様子!。
実は、私の母は、老人ホームに入るまでの何十年もの間、しょちゅう虚空蔵菩薩堂に参拝に通っていて、お上人さまや奥様にお会いしていたので、奥様は母とは周知の仲でしたので、すぐ私のこと、母の息子と気付かれたようです。
それから私は、既に始まっていたお上人の読経を聞き入る、15人くらいの参拝者の列に加わりました。見ると、お経を唱えているお上人様は、かつて私がお目にかかったことのある、奥様のご主人ではなかったので、世代交代されたのかな、と思っていました。
ところで、お経が済んだ後、奥様からは、参拝者の方々に、ちょっとしたお言葉が発せられました。-----「ここ虚空蔵菩薩堂の境内にある、あの枝垂桜は、何十年も前に、○○さんのお母さまが寄贈されたものです」と。以前に、母から、この事実を聞いていたのですが、この奥様のお言葉には、ちょっぴり誇らしく思いました。
この後、お寺本堂の裏手にある広々とした和室で、お赤飯の昼食が振舞われました。
帰宅時、私は奥様に以前のお上人様のこと伺ったら、2年前に亡くなられた、とのことでした。
また、その折、奥様からは、「お母さまの仏前にお供えしてくださいネ」と言われて、特別にお赤飯の折り詰め弁当をいただきました。
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ノーベル賞を取り損なった(?)男、今じゃ予備校の先生

2024-01-20 18:37:15 | 人生
東京新聞は、去る1月17日と18日と2回に亘り、「100年の残響」として「1969・9・5 全国全共闘連合結成大会」に関わる記事を掲載していた。
記事では、1960年代後半の学園紛争の際に全国各大学で結成された全共闘(全学共闘会議)を全国連合とすべく、1969年9月5日に日比谷野外音楽堂で結成大会が開かれたが、直前になって、議長として選出されることになっていた東大全共闘(東大闘争全学共闘会議)の山本義隆議長が逮捕され、一方、副議長として選出されることになっていた日大全共闘を主導した秋田明大さんも逮捕されていて、同大会は、中核派など主要8派のセクトが軸となって仕切られ、日米安保条約の粉砕といった政治色が強いものになった、などについて書かれていた。
さて、山本義隆さんと言えば、1960年代当時、東大の大学院での物理学研究者であり、あの当時、彼は京大の湯川秀樹博士から、「ウチへ来ないか?」との招請を受けていた、と言うことを私は、なんかの書物で読んだことを覚えている。
そんなことがあって、一時は、あの東大全共闘の山本義隆議長と物理学研究者の山本義隆さんとは別人かとも思ったことがあったのだが、その後、ネットで調べたら同一人物であり、現在、彼は駿台予備校の物理課講師をされていることを知って驚いた。
山本さんのそのことを知ってから、日ごろから物理の基本的な事柄に興味を抱いている私は、これまでに、山本さんの著作
「新・物理入門」(駿台文庫、2007年3月刊、1100円)、
および
「力学と微分方程式」(数学書房、2008年10月刊、2300円+税)
を購入して、時々暇つぶしに読んでいる。
やはり、物理学の研究者だけあって、他の物理の類書本の内容とはハッキリ違っていて、文章の書き方・内容に深みがあって緻密性があるなど、さすがだなあ、と感心しながら読んでいる。
かつては、湯川さんから誘いを受けたほどの能力の持ち主の山本さん、物理研究に専念されていれば、ノーベル賞も夢では、ないのに・・、と思わざるを得ない
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障害児!、分かっていても敢えて出産!!

2024-01-15 17:48:29 | 家族
今年、令和6年の正月明け、間もなくの頃、温湯を家中に供給するためのノーリツ社製の給湯器が故障してしまい、急遽、同社のフランチャイズ店の業者にお願いして新品のものと入れ替えてもらった。
話しは、約3年ほど前のことに遡るが、当時、それまで使っていた給湯器が故障し、業者の技術者Sさんに来てもらって、修理してもらったことがあった。それは、忘れもしない母が亡くなる2日前のことだった。
さて、その修理後、Sさんは、給湯器は寿命を超えて使い込んでいるので、今回の修理は応急的なものなので、できれば早い時期に買い替えたほうがいいですよ、と話ししてくれた。
しかし、その後、買い替えることもせず、時々、不調になりながらも、だまし、だまし、この正月まで何とか、寿命を保ってきたのだった。
今回の故障では、何もしないのに給湯器の電源が自然と落ちてしまうなど、素人目にももう買い替え時期なのかな、と思わせる状態だった。
それで、寒さ厳しい時期なこともあって、早速、3年前にきてもらったSさんの事務所に電話したら、早速、3年前のときと同じ、そのSさんが駆けつけてくれた。
そして、彼に新品の給湯器の設置をお願いしたところ、すぐ手配をしてくれて、約半日ほどの工事で設置が完了したのだった。
この寒い時期、今回の故障で、まる一日だけは風呂に入らなかったが、それだけで済んだのはラッキーだった、と思っている。
工事が済んで数日後の今日、支払いのために我が家を訪れたSさんとコーヒーを飲んでもらいながら、雑談する機会を持った。Sさんの奥さんは保育士だということも伺った。
雑談の中では、Sさんのお子さんの話題も持ち上がって、彼は、何気なしに、「うちには、二人の男児のうち、上の子が障害児で、・・・・・」などと明るくさっぱりして口調で言及されたのには、ビックリ!だった。
私は、聞いてはいけないことを聞いてしまった!という思いであっけに取られたのだが、傍で聞いていた家内も同じ思いだった。
その後、私は、あえて、臭い物に蓋をする、ということは避け、”何かと大変だろうなあ”という気持ちで話しをつないだのが、36歳のSさんは、しっかりと明るい口調で、時折、笑顔を浮かべながらも、堂々と、
「知能指数がすごく低くて、私みたいに丸々と太っていて・・」などと明るく、わが子のことを説明してくれるのだった。
このSさんの言動には、私も家内も圧倒されたのだった。さらに彼は、その子が誕生する前から、障害をもって誕生してくることが分かっていた、と話されたので、私たちには2度のビックリだった。
体育大学を卒業した、というSさん、なんにでも挑戦し、好奇心旺盛なSさんと会話する中で、私は、なんかしら恥ずかしい思いでいっぱいになった。
そして、Sさん夫妻に対して、「今後の未来に栄光あれ!!」と心から応援したい気持ちになったのだった。
次回、Sさんが我が家を訪れたなら、Sさんが、”先日いただいた手打ちうどん、子供たちは、すごく喜んでいたよ!”と、先日、私に電話で語っていたので、
私は、また、私が打った手打ちうどんを持ち帰ってもらおう、と思っている。
それにしても、障害児を持つ親御さんには、有名人で立派な方々がいらしゃいますね。SONY創業者の井深さん、それと大江健三郎さんも、そうでしたね。
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