私は、定年を迎えて、娘たちからは"サンデー毎日"とか"エブリ・サンデー"なんて、ひやかされている。でも今は、以前勤務していた会社からは、時々メールで、ほんのチョッピリだが仕事が舞い込む、など、今のところは完全なる"サンデー毎日"ではない。
とは云うものの、以前、毎日早朝から混雑した電車に揺られて会社勤めをしていた時に比べると、ほとんど"サンデー毎日"状態である。
会社にいるときと最大の違う点。それは、不特定の多くの人間と関わりが無くなったことだ。今の環境は、上司と部下、といった人間関係などで、気を使わないで済む、ということで、神経を使うことなく精神的ストレスが無く、快適だ。で、気の合った友人たちと何でも、好き勝手に、心置きなく語り合ったり、旅行に行けたり、など、できるのが楽しい。
でも、時として、気分が乗らないでいるときなどは、定年て、社会が自分を必要の無い人間として大海原に放り出したようにも思えて、寂しい、うつ状態の気分になることもある。
そんな一方で、最近では、遠い昔に習った、物理などの教科書を読むこと、などの贅沢な趣味、にも取組んでいる。それというのも、会社員時代と違って、時間に束縛されず、ユッタリ気分で時間を贅沢に過ごせるからに他ならない。技術者のはしくれとして、以前から、私は自分が専門としてきた電気通信関係の基本原理の徹底的理解など、にも興味があって、こういった専門書を読んでいると、次から次へと疑問が生じてきて、それこそ酌んでも尽きないものであり、考え出すと結構、時間が瞬く間に無くなってしまう。
2、3年前のことになるが、ヒマで何気なく気晴らしに飛び込んだ古本屋さんで、微分、積分に関する小冊子が目にとまり、105円で購入したことがあった。これには、微分、積分についての原理が素人向けに分かり易く書かれていて、一気に読破できた。でも、読んでいる時は、なるほど、と、分かった気持ちになるが、その後、ちょっとひねった応用的事例にぶつかると、たちまち、躓いてしまって、正直悔しい。これって、私の中で、完全に微分、積分が消化されてなくて、未だ血となり肉となっていない、のだ。そこで、その後、同書を隅から隅まで5回くらい繰り返して読み返しているが、なかなか理解できがたい。かえって、新たな疑問が涌き出てきてしまう面も出てくる有様。--でも最近は、図書館で同類の本を何冊も借りてきて熟読した結果、やっとのことで、微分、積分のことが分かりつつあって、その面白さの虜になりつつあって、楽しい。微分、積分の原理もそうだが、このような真理に直結するような法則って、理解が深まるほど、ますます気持ちがハマッてしまって実に面白い。そういう時って、言うに言われぬ充実感を味わえる!。
書店に行くと、理数系の書棚には、微分、積分の解説書が数多く並んでいるが、これは、微分、積分が分からなくて困っている人やもっと深く理解しようと思っている人たちが、大勢いる、という証拠だ。
日本でいえば、かの「関が原の戦い」があった、400年前の頃、万有引力に気が付いたアイザック・ニュートン(英)とか、ライプニッツ(独)という人が、微分、積分の考えを編み出したそうだ。今や、微分、積分の考えなくして現代文明が発達し得なかったことを考えると、私は、「微分、積分」こそは、理数系の学生のみならず、すべての専門分野の学生にとって、理解しておくべき必須のことのように思えてならない。
とは云うものの、以前、毎日早朝から混雑した電車に揺られて会社勤めをしていた時に比べると、ほとんど"サンデー毎日"状態である。
会社にいるときと最大の違う点。それは、不特定の多くの人間と関わりが無くなったことだ。今の環境は、上司と部下、といった人間関係などで、気を使わないで済む、ということで、神経を使うことなく精神的ストレスが無く、快適だ。で、気の合った友人たちと何でも、好き勝手に、心置きなく語り合ったり、旅行に行けたり、など、できるのが楽しい。
でも、時として、気分が乗らないでいるときなどは、定年て、社会が自分を必要の無い人間として大海原に放り出したようにも思えて、寂しい、うつ状態の気分になることもある。
そんな一方で、最近では、遠い昔に習った、物理などの教科書を読むこと、などの贅沢な趣味、にも取組んでいる。それというのも、会社員時代と違って、時間に束縛されず、ユッタリ気分で時間を贅沢に過ごせるからに他ならない。技術者のはしくれとして、以前から、私は自分が専門としてきた電気通信関係の基本原理の徹底的理解など、にも興味があって、こういった専門書を読んでいると、次から次へと疑問が生じてきて、それこそ酌んでも尽きないものであり、考え出すと結構、時間が瞬く間に無くなってしまう。
2、3年前のことになるが、ヒマで何気なく気晴らしに飛び込んだ古本屋さんで、微分、積分に関する小冊子が目にとまり、105円で購入したことがあった。これには、微分、積分についての原理が素人向けに分かり易く書かれていて、一気に読破できた。でも、読んでいる時は、なるほど、と、分かった気持ちになるが、その後、ちょっとひねった応用的事例にぶつかると、たちまち、躓いてしまって、正直悔しい。これって、私の中で、完全に微分、積分が消化されてなくて、未だ血となり肉となっていない、のだ。そこで、その後、同書を隅から隅まで5回くらい繰り返して読み返しているが、なかなか理解できがたい。かえって、新たな疑問が涌き出てきてしまう面も出てくる有様。--でも最近は、図書館で同類の本を何冊も借りてきて熟読した結果、やっとのことで、微分、積分のことが分かりつつあって、その面白さの虜になりつつあって、楽しい。微分、積分の原理もそうだが、このような真理に直結するような法則って、理解が深まるほど、ますます気持ちがハマッてしまって実に面白い。そういう時って、言うに言われぬ充実感を味わえる!。
書店に行くと、理数系の書棚には、微分、積分の解説書が数多く並んでいるが、これは、微分、積分が分からなくて困っている人やもっと深く理解しようと思っている人たちが、大勢いる、という証拠だ。
日本でいえば、かの「関が原の戦い」があった、400年前の頃、万有引力に気が付いたアイザック・ニュートン(英)とか、ライプニッツ(独)という人が、微分、積分の考えを編み出したそうだ。今や、微分、積分の考えなくして現代文明が発達し得なかったことを考えると、私は、「微分、積分」こそは、理数系の学生のみならず、すべての専門分野の学生にとって、理解しておくべき必須のことのように思えてならない。