手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

2011年(平成23年)を振り返る

2011-12-31 22:32:52 | 社会

近年にない、ものすごい自然災害に襲われた、2011年がまもなく暮れようとしています。
この年末、例年のように私は、ここ数日、忙しく、昨晩などは、手打ち蕎麦を4回も打ちました。
それに、今朝もその続きで蕎麦やうどんも打ちました。これらは、友人・知人の皆さんに届けるためのものです。

さて、年末にあたり、今年を振り返ってみようと思う。

この2011年ほど、日本にとって、最近になく激動の年でした。なんといっても、東日本大震災は、実に痛ましい、悲しい出来事でした。その上、それに伴う原発事故は、これまた、絶対に忘れえない、衝撃的な出来事でした。
あの、地震のときは、私は、市内のアリーナという名前の公共の、多目的体育館で、運動不足を解消するために始めた、社交ダンスのレッスンを受けていました。突然の激しい揺れに、私はその非常口のドアを開けて、仲間とともに屋外に飛び出して、すぐ近くの空き地の地面に腰を下ろして揺れのおさまるのを待っていました。ものすごい揺れで、地面がグラグラと揺れる中、巨大なアリーナの建物が、ガシャンガシャンと音をたてながら、左右に大きく揺さぶられるのを見ていて、まもなく倒壊するのかな、と思ったほどでした。(でも、倒壊せずに済んだのは幸いでした。)

後になって、この地震で、東北地方に巨大な津波が襲い、それで多くの人たちが犠牲になっていることを知り、津波の恐ろしさをまざまざと感じたものでした。あの津波で亡くなった人たち、ほんとに気の毒だな、と、つくづく思います。人為的でない、自然がひき起こした災害だが、どうして、家族を引き裂くような、むごい結果をもたらしたのだろう、と、今なお、亡くなった人たち、肉親や尊い友人たちなどを失った人たちを思うと、実に悲しい気持ちになります。

原発事故では、政府や東電の間違った事故処理のため、あのロシアのチェルノイリ事故と同じかそれ以上の惨状になってしまったことは、実に情けないものでした。私は、特に日本のような地震が多い国では、原発の設置は不適当だと思っています。

さて、一方、国内政治に目を向けると、かつては国民から圧倒的支持を得ていた民主党が、政権を取って、一時は、長年続いてきた自民党政権には無かった、新鮮でみんなに納得できる政治をやってくれるかな、と期待されていました。ところが、現実は、自民党政権時と同じような官僚主導の政治が行われていて、国民の期待を裏切っているようにしか見えないのは、実に困ったものです。このままでは、次期選挙では、民主党もかつての自民党と同じような惨敗になるのは、目に見えています。今の政界には、明治維新の時のような、決断力ある、真に国民を思う、立派な政治家が見当たらないように思えてなりません。

まもなく、あと1時間とちょっとで、2011年が過ぎ去ろう、としています。
来年は、そして、それ以降も、自然災害が起こらない年であってほしい、と切に願わずにはいられません。

新年も、そして、それ以降もが良い年でありますように。

音楽発表会を見物してきました

2011-12-07 16:31:35 | 家族
数週間前に、小学4年生になる孫が、今日(12月7日)、同じクラスの生徒たちとともに音楽発表会に出場する、との連絡が入っていて、私は、行く事にしていた。
で、昨晩、孫の家から我が家にFaxが届いて、発表会の開催場所や、開催時刻などを知らせてきた。
発表日の今日は、朝から好い天候に恵まれ、私は一人、自宅から1時間半ほどの場所の発表会場に電車で行った。
午前10時半頃、会場に到着。1000人近く入場できるような市民会館の発表会場には、そこに出場する、各小学校の生徒や父兄の人たちが、大勢詰めかけていた。
発表会は、私が座席に着席して、ほどなくして始まった。こうして、孫が出場する器楽部門の発表会をゆったり見物できた。もちろん、今日も、今回みたいなイベントがあるときには、いつも持参するビデオカメラで、発表会を撮影した。でも、私の座席が孫のいる舞台からかなり離れていることと、私のひどい老眼のせいもあって、孫たちの発表の際、30人以上もいる生徒の中、孫が舞台のどの場所に立って演奏しているのか、どうしても把握できなかった!のは、残念だった。
さて、孫が出場した発表会が済んだら、すぐに席をたって帰ろうと思っていたのだが、せっかくの機会だから、と、午前の部の最後まで、見物した。孫たちが演奏した曲目は、私が知らない曲目で、音楽のことにまったく無知な私には、上手・下手の区別が分からない。でも指揮される先生のタクトに従って、みんなが一糸乱れず、熱心に演奏されているのがよく分かって、たまには、このような雰囲気に包まれるのもいいなあ、と思ったものである。
午前の部の発表が終わって、会場内のみんなが座席を立って、外へ出ようとしたとき、孫のお母さんである私の息子のお嫁さんと彼女のお母さんと出会った。それに、その頃ちょうど、担任の先生に先導されて会場外に出てきた、孫たちとも出会うことができ、私たちは、孫にも声をかけることができた。