手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

今日、我が家は車を新車に買い替える

2014-11-07 21:17:53 | 生活
かねてからの予定通り、大安吉日の今日から、いままで約10年間に亘って我が家の生活にサポートしてくれたトヨタ自動車製のラウムに替えて、ホンダ自動車製のフリード・スパイクを使用することになった。
一昨日、綺麗に水洗いしたラウムの車体は、昨日、小雨が降ったため、ちょっとホコリが付着してしまったのが残念だ。昨日の小雨、きっと、あれはラウムの涙雨かな、なんて思えてしまう。
今朝は、少し風が吹いていたが、天候は晴で、朝方、門のところで、ラウムの傍らで記念撮影。その後、家内がラウムを運転し、買い替えのため、本田自動車のディーラーの店に行った。ラウムの全走行距離を見てみたら、8万3千888kmになっていた。
ディーラーでは、早速、事務手続きを行って、ラウムを引き渡し、替わりに、新車フリードを受け取った。
なお、家内がフリードを運転して、我が家に向かう時、ディーラーの駐車場に置かれたラウムを見たら、ラウムがなんとなく寂しそうな感じに見えて、ちょっとセンチメンタルな気持ちになった。今は、「有難う!ラウム」という気持ちでいっぱいだ。
さて、新車フリードはラウムとは、車体の横幅はほぼ同じだが、長さは20センチほどラウムより長い、という。ラウムと大幅に違っているところは車高がフリードの方が断然高い、ということだ。
今後はフリードを愛車として、おつき合いしていくことになるが、ラウムのときと同じように、慎重な運転をすることを心がけていく決意である。フリードに対しては、「これからは我が家の一員として、しっかり頼むよ!」って言いたい。

車の買い替えで愛車との別れ、さびしい!

2014-11-05 16:21:00 | 生活
この度、今まで便利に使っていた我が家の愛車であるトヨタ自動車製のラウムは、購入してから10年間が経過していて、今回、ホンダ自動車製のフリードの新車に買い替えることになった。
さて、新車フリードの納車日は、明後日の11月7日(金)であり、同日、ラウムを手放すことになる。で、今日は、今までの10年に亘って、私たち家族の生活に尽くしてくれた感謝として、愛車ラウムの洗車をした。ホースで水をかけ、その後、真新しい手ぬぐいで、ボディの隅々までを丁寧に拭き掃除した。
愛車ラウムは、10年間無事故で、故障らしい故障はまったく無かった。ただ、愛車を自宅の駐車場に入れる際などの時に、私の不注意で、車体前方の側面部を擦ったりしたため、ボディの一部をへこませてしまったので、愛車に対して申し訳ない気持ちでいっぱいである。
思えば、愛車ラウムは、運転もし易く、私たち家族のために、雨の日も風の日も、よく活躍・機能してくれて、愛着を感じている。それで、新車の買い替えで愛車と別れることになるのは、実に寂しい気持ちになる。この先、愛車ラウムは、業者の手で、どなたかの人の手に渡るであろうが、十分に愛され、丁寧な運転・使い方をしてもらいたい、と願っている。



「生きてこの世に在ること」、命の大切さを思う

2014-11-02 12:08:12 | 人生
めっきり寒くなった今日この頃です。
起床してまもなく、朝の陽光がきらめく中、母の寝室がある縁側の雨戸を開けながら、
その金属製の雨戸に頬をあてると、日光で熱せられたせいで、ものすごく熱くなっています。
太陽光ってすごいな、って感じます。これが自然なんだなぁ、って思い知らされます。
ふと振り返ると、庭の南天の実がすっかり赤く色づいてきています。
もう今年も残すところ、あと2カ月。月日が経つのは早いですね。
今は、相変わらず、94歳の母の介護にせわしない毎日を過していますが、
そんな折、つい最近、母の姉が98歳で永眠されました。老衰だったそうです。
で、2日間に亘って行われた、お葬式に行ってきました。
式場には、昔、遊んだいとこたちが大勢出席していて、昔話で大いに賑やかでした。
なんと50年以上も会ってなかった、いとことも会えたし、彼らのお子さんやお孫さん
とも会えました。このような法事の席でないと、いとこたちと会うチャンスがないのは、
残念な気がします。
今朝は、起床するときは、何ということなく、人間が亡くなるって、
大変なことなんだな、って思う気持ちが湧きおこりました。
この世に生れてせいぜい、100歳まで生きた後、その後は、この世から永遠に
去ることになるのですから、「生きている」、ということは、その人にとって
非常に、ものすごーく大切なことです。ここに、「生きている」ということ、
命というものの大切さがあるのだ、と思わざるを得ません。
自然界では、永遠不滅というものがあり得ない以上、生きている間は、一日一日という時間は
非常に貴重であり、よほど大切に過さないといけないな、って思うのです。
今、生きていることの大切さ、命の大切さを思うと、健康でいられることの有難さに
感謝せざるを得ない気持ちになります。
日頃は、毎日くり返す日常生活をほとんど、惰性的に過している私ですが、
先日みたいな、お葬式のようなイベントを契機として、ふっと、
今回みたいに、生きてこの世に存在することの尊さを、気付かせてくれます。
つい先だって、朝日新聞(2014年10月25日付け朝刊)に、人を殺すのはいやだ!
と言って、韓国で兵役を拒否して、フランスに亡命した23歳の青年が紹介されて
いましたが、彼の気持ちは十分に理解できます。
戦争やテロなどのほか、いろんな動機による殺人のニュースが頻繁に飛び交っていて、
そんな報道に接するたびに、やりきれない気持ちになります。