手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

ウインドサーフィンを横目にサイクリング

2007-04-30 22:17:29 | Weblog
ゴールデンウイーク2日目の昨日は、午後からは我が家の2階の住人としては、私ひとりぼっちになってしまった。昨日の午前中は娘夫婦たちがいて賑やかに過ごしたのだが、彼らはその後、ご主人の実家に行ってしまい、また、ワイフも友人との再会のため東京に出かけたため、私1人が取り残されたのだ。
外を見ると、午後の太陽が燦々とふりそそぎ、風もほとんどないようで、絶好の行楽日和といっていい。そこで、こんな日は、日ごろの運動不足解消のためにも、と思ってサイクリングに出かけた。目的地は谷中湖だ。ここはかつて、福沢諭吉たちの時代に、日本で始めて公害運動を提起した田中正造ゆかりの場所だ。
広大な谷中湖には、その周辺を取巻いて、幅10メートルほどの舗装道路が敷かれていて、散歩コース兼サイクリングコースになっている。また、道路わきの一部分が広大な芝生になっていて、そこでは親子づれなどの家族や仲間が、スポーツに興じたり、また持参したビーチパラソルの下でバーベキューなどをして楽しんでいて、結構賑やかだった。
自転車をゆっくり、のんびりと漕いで、湖面を見ると、午後の太陽の反射でキラキラと眩しかった。その谷中湖の一部場所の湖面では、微風の中をいくつものウインドサーフィンが浮かんでいた。
サーフィンを楽しんでいる湖面周辺には、水際のすぐそばに、幅5メートルくらいの石畳が敷かれていて、私は、自転車でサイクリング道路からその石畳へ降りたってみた。そこは、サイクリング道路と違ってほとんど人がいなくて、たまに若いカップルを目にするくらいだ。石畳に自転車を停めて、私は持参したアリナミンドリンクを飲みながら、しばし湖面をすべるウンドサーフィンを眺めていた。空には所々に雲が出ているが、抜けるような青空で、ひばりの鳴き声がピーチク聞こえる。風は微風ながらも、けっこう湖面には波がたっていて、水際なので、ザザッという音が大きい。そんな折、小学1年生くらいの男の子を伴った若い父親が、サッカーボールを蹴りながら、私の後ろを通り抜けていった。それからまもなく、こんどはさっきの男の子の弟を連れた、ジーパン姿の母親が、「こんにちわ!」と声をかけながら、私のうしろを通り過ぎていった。私もすかさず、その挨拶に応える。
こうして、約2時間におよぶサイクリングを楽しんで我が家に戻った。
夕食には、例によって手打ちのお蕎麦が食べたい、というワイフの希望があったため、午後7時頃、手打ち蕎麦を作った。午後8時過ぎに東京から帰宅したワイフとともに蕎麦を食べた。

日本におけるアメリカの野球熱

2007-04-29 11:20:31 | Weblog
今日の日曜日はひと昔で言えば、天皇誕生日であり、明日の月曜日も休日となるため、我が家には昨日夕方から千葉県から娘夫婦が孫娘二人を連れて泊まりに来ている。今朝は、五月晴れとでも言って良さそうな朝となり、孫娘二人を囲んで賑やかな朝食を楽しんでいた。
そんな折り、テレビをつけたら、日本の選手が活躍するアメリカ野球の話題が取り上げられていた。最近は、レッドソックスに松坂投手が入団したこともあって、日本ではアメリカ野球の動向ニュースで盛り上がっている。特に日本の野球選手が所属するチームの米野球の試合が、NHKや民間放送局からテレビ生中継されることが、よく見られるようになった。
今朝のテレビからは、マリナーズとかデビルレイズとかのチームの名前が出てきて、食事中の私たちの間でも、これらチームの話に花を咲かせた。というのも、数年前に、私たち夫婦と娘夫婦それに孫娘が、アメリカのシアトルに住む私の妹のところに旅行したことがあったが、そのときに、妹の息子が私たちのために野球観戦のチケットを入手してくれていたのだ。そこで、妹それに彼女の息子とみんなして観たのが、シアトルのセーフコスタジアムで行われた、マリナーズとデビルレイズとの試合だったのだ。当時は佐々木投手がマリナーズにいた時分であり、イチロー選手や佐々木投手の雄姿を興味深く見たものだ。

トイレの中にも電話機の持ち込みは必須!!

2007-04-28 13:00:22 | Weblog
最近は、携帯電話が普及して、電話がいつでもどこでも使えて、便利になった反面、一方で、せせこましい世の中になったものだ、と思う。家の中にいても、いつ電話があるか分からないので、私はトイレに入る時はいつも、親子電話の子機とそれに携帯電話機とを持参している。でも意外とそういうときに限って電話がかかってくるものだ。
かつて、数十年前、私が学校を卒業して、大学の研究所に勤務していた時分、あちこちからかかってくる電話に追い回されて超多忙だった教授が、「外出して車などで移動している時が、電話がかかってこなくて、ゆっくりできて非常にいい!」と語っておられたものだが、現在の世の中では、そういうことはまったく通用しなくなってしまった。
緊急事態発生などはいつ起こるか分からないので、そんな場合はいつでもどこでもの電話の存在は有り難いものだが、一方で、電話に追いまくられる生活のため、心の余裕が失われてしまうのはおおいに考えものだ。

今日は、傘を回収して、あわや大事故になるシーンを防ぎました

2007-04-17 22:45:14 | Weblog
夕方、私は買い物をするため、大通りと平行して走る歩道上に、自転車を走らせていました。この大通りはJRの駅からまっすぐ東方に郊外に延びた幅広い通りであり、車がビュンビュン飛ばして走っています。JRの駅からは、だいぶ遠くになった場所にくると、そこは、風も幾分出てきて、肌寒い陽気のせいもあって、歩道上では、歩いている人はなく、ときどき自転車が通るくらいのものでした。で、私はある程度スピードをあげて自転車をこいでいると、歩道と車道との境界付近上に、壊れた大き目のビニール製の洋傘が捨てられているのを目にしました。その傘は、半分ほど開いて、微風に少しそよめいて、すこしづつ場所を車道側に移動させつつあるようでした。私は、ある程度スピードを上げていたこともあって、この傘のすぐ脇を自転車を走らせ、通り過ぎて行きました。でも、数十メートル走らせたところで、「イヤ、待てよ!」と思って、自転車を止めて引き返し、例の壊れた傘を回収して、スーパーへと向かいました。
こうして、スーパーへと行ったのですが、その道すがら、「自転車を止めて引き返し、例の壊れた傘を回収してホントに良かった」、と何度も思ったものでした。--傘が風にたなびいて、車道上に飛び出すことは、ほとんど時間の問題だったので、もしそうなっていたら、自動車がそれを巻き込んで大事故になっていた可能性があったのです。
 でも、世の中には、壊れた傘を所かまわずに、無造作に捨てる人がいるものですね。住み心地の良い、安全な世の中を作るためにも、誰もが、エチケットを心得ることが必須だ、と、しみじみ思いました。

孫娘が急に入院することになってしまいました

2007-04-06 15:51:00 | Weblog
昨日(4月5日)は、すごく大変な1日だった。千葉県に住む娘の2番目の子供Mai(孫娘)が、急に熱性の痙攣(けいれん)をおこして、救急車で病院に行き、入院することになってしまいました。今は入院しており、元気になりつつあるようなので、私は少しは安心している。------
昨日は、こんな1日だった。
朝6時を少し過ぎた頃、千葉県に住む娘から、我が家に電話があり、「Maiの熱がすごく高いので、すぐ来てほしい」とのこと。娘の夫は、仕事のため「どうしても休むことはできない」という。急遽、家内が勤め先の関係者に電話して、その日の仕事・勤務を休みにしてもらい、朝食もそこそこに、私と一緒に、午前8時前には、車で我が家を出発しました。途中、携帯電話で電話したところ、孫娘で6歳になる長女のRちゃんが出て、「ママがずーっつとMaiを抱っこし通しで、朝食も作ってない」という状態で、Rちゃんもまだ食べてない、とのこと。通勤時間帯だったため、娘の自宅には午前9時半ころ、到着。
Rちゃんが話ししていた通り、相変わらず、Maiは娘にだっこされっぱなし。でも、熱は40度Cぐらいですごく高い。Maiが眼を開けていたので、私が、例によって笑わせるような仕草をしたら、いつものようにニコニコ笑って反応したので、私は少しは安心した。
家内はすぐ、朝食を作ってRちゃんに食べさせてから、少し経って、冷蔵庫からチョコレートのアイスクリームを取り出して、Rちゃんと、それにMaiにもたべさせてみた。Maiは、ほんのちょっとだけ、口にしたようだったが、その後は食べようとしなかった。
それから、数分後、私がトイレに入ってるとき、突然、娘が「お母さん、たいへん、たいへん、Maiが、ヘン、Maiがへん!!救急車! 救急車!」と大声を上げたのが聞こえてきた。私は急いでトイレを出た。家内が直ちに電話して救急車の手配をしていたが、彼女も娘も早口で、言葉があせってうまく会話が出来ないみたい。娘の腕の中のMaiは、さっき私が見たMaiとはまったく違って、顔面蒼白、無反応。娘は、必至に「Mai!大丈夫?Mai!!Maiちゃん!!ママよ、分かる?」って、必死に叫ぶ。こんなパニックの状況に、Rちゃんも泣き出す。やがて、電話してから、5分もしないうちに救急車が到着。家内と娘がMaiとともに救急車で、病院へと向かった。私とRちゃんは、留守番。なお、私はすぐ、娘の夫に携帯電話で連絡した。彼も声が上ずっていて、すぐ帰宅する、とのこと。
私とコタツに入って留守番したRちゃんは、絵を描いたり、おとなしく素直に留守番。そんな折、Rちゃんから「むーちゃん!、今日来てくれてありがとう」って言われ、すっごくビックリ、感動!。
夕方、Maiは約1週間くらい入院するという電話が入った。夕方、家内が、病院から娘宅に戻ってきて、手作りのおにぎりなどを用意して病院に持っていったら、娘とともに、Maiもそれをほおばった、という。少しは元気を取り戻したみたい。
昨晩は、娘がMaiに付き添って、一晩泊まった。私と家内は昨晩、娘宅に泊まり、家内は今夜も明日も泊まることにしている。
私は、今日、朝方、Maiを見舞ったが、Maiはベッドで点滴を受けながら寝入っていた。
娘の話では、夜中も熱が40度くらいに高くなった、こともあった、という。血液検査では、白血球がすごく多くて、先生から、身体の中で細菌と戦っているのだ、と聞かされた、とのこと。詳しい病名は、夕方あたり、わかりそうだ、と言っていた。

NHKテレビのスペシャル番組「特攻」を見て思うこと

2007-04-02 11:47:17 | Weblog
先日、作家の城山三郎さんが亡くなった。最近は、私の尊敬する素晴らしい方々が亡くなられ寂しい限りだ。城山さんの小説に最初に出会ったのは「素直な戦士たち」だったが、これは世の中の東大至上主義に警鐘を鳴らした鋭い作品だ。以来、私は城山さんの大ファンになった。ある時は、「東大法科卒が日本をダメにする」と、雑誌の巻頭言に書いてみたり、また政府から授与される叙勲の勲章の受け取りを断ったり、と、すごく気骨の入った行動をされてきた。城山さんのような方にこそ、世直しのために是非とも今後も活躍してほしい、と思っていたので、亡くなられたのは、実に残念。この世にとっても、日本にとっても大きな損失といわざるを得ない。
4月1日の深夜、ベッドにもぐり込みつつ何気なくテレビのスイッチを入れたところ、偶然にも、その城山三郎さんが、太平洋戦争当時の特攻隊をレポートした番組が放送されていた。NHKテレビのスペシャル番組「特攻」という再放送番組だが、夜の更けるのも忘れて最後までを見入ってしまった。
番組の中で、特攻出撃を明日にひかえた、その前日の晩に、隊員たちが夜を過ごした部屋が紹介されていた。その部屋の柱や鴨居など木材部分のいたるところには、ナイフで切られたような痕跡がアチコチに見られたのだが、これらは明日の死を前にして、隊員たちが部屋中、日本刀を振り回したことでできたキズだという。おそらく、彼らは刀を振り回すことで、せつなさ、やるせなさを紛らわせ、発散させたかったのかも知れない。両親や兄弟姉妹それに妻など、愛する家族を想う彼らの心境たるや、いかばかりであったろうか?彼らの悔しさを思うとき、私は涙を禁じえない。城山さんは、それら柱のキズひとつひとつを指でやさしく丁寧になぞっておられた。
有無を言わせず、死を強制された隊員たちの気持ちたるや、どんなだったろうか?20歳前後の若者たちを強制的に死に駆り立てた軍の気違い沙汰の行動、軍の非情さをまざまざと思わざるを得なかった。
戦争、と言えば、私にも記憶がある。小学校に入る前のころ、私は利根川のほとりの茨城県の境町に住んでいた。当時、私は防空壕のそばで、アメリカのB29の飛行編隊がゴウゴウと轟音を響かせながら、夜空をゆうゆうと飛んでいるのを見て、それら飛行機の数を数えていたことを今でもハッキリと覚えている。
現在の日本は、馬鹿げた戦争とは無縁の平和を謳歌している、といえる。でもその一方で、いじめによる自殺、児童の虐待や誘拐、殺人、その他、企業の不正隠しなどなど、馬鹿げた事件が横行している。さらに、世界に目を向けると、なんと今でも内戦など戦争状態にある国がある。知恵ある人間なのにどうしてそういった馬鹿げたことが避けられないのか? 
少なくとも、私たち日本人は、戦争によって「特攻」での壮絶な死を遂げている多くの人たちの存在を今後とも永遠に絶対に忘れてはなるまい。

「幸福」ってこういう風景のことも言うんじゃないかな

2007-04-01 22:08:45 | Weblog
3月の末近くになって、幼稚園も学校も春休みになり、我が家には、先週から、千葉県に住む娘とその子供二人(女の子の孫)が来ていて、賑やかな毎日が続いた。そして、昨日の土曜日に娘一家は千葉県の自宅には戻ったのだが、その帰宅途中で、埼玉県に住む息子の子供二人(男の子の孫)を誘って、千葉県の自宅に戻った。私は、仕事もあって行かなかったが、家内は娘一家に同行した。
そして一夜明けた今日の昼すぎ、家内から電話があって、孫たちの様子を知らせてきた。それによると、お昼の食事には、昨日我が家から持っていった手打ちのウドンを出したそうである。もちろん、それは私自慢の手打ちしたウドンだ。6人分以上の分量だったが、孫たち4人でほとんど食べつくしてしまって、大人たちの食べる分はほとんど無かった、と、家内は驚きのレポートをしてきた。私には、特に育ち盛りの男の子の食欲は旺盛で頼もしく思えた一方で、私手作りのウドンを孫たちが好んで食べている光景が目に浮かんで嬉しく思った。
今回の連休のようなときは、今までにも、孫たち4人が一緒になり、「イチゴ狩り」を楽しんだり、スキーに行ったりしており、彼らは実に仲良しだ。そういえば、昨晩は午後9時半も過ぎた頃、4人の孫たちから「お休みなさい」の元気な電話がかかってきた。もうすぐ満3歳になるお茶目な女の子、まもなく小学1年生になる男の子、小学2年生になる男の子、それから幼稚園の年長さんになる女の子、電話の様子から、みんな「ワイワイガヤガヤ」嬉しくて、楽しくてたまらない様子だ。通常なら、午後8時には、ベッドに入る孫娘たちだが、やはり、嬉しさで相当に盛り上がっているらしく、そんな雰囲気が手に取るように伝わってきて、私も心から嬉しくなった。
このブログ文章を綴ろうとしていた、先ほどにもSkypeによるTV電話の呼び出しがあり、彼らから「お休みなさい」のメッセージが入った。わざとおどけた顔をした彼らのひょうきんな表情が、パソコン画面に映しだされて、私もつられておどけて見せた。彼らからは、「ウワーッ、変な顔!!」なんて言われてしまった。
-----「幸福」ってこういう風景のこともいうんだ、と思っている。