min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

打海文三著『灰姫 鏡の国のスパイ』

2008-07-30 15:56:31 | 「ア行」の作家
打海文三著『灰姫 鏡の国のスパイ』角川書店平成5.5.25  第1刷 1,600円 
オススメ度★★☆☆☆

昨年、心筋梗塞で急逝された打海文三氏のデビュー作で第13回横溝正史ミステリ大賞優秀作を受賞した作品。
ひとりの打海ファンとしてかねてよりこのデビュー作を読みたい、読みたいと思って探していたのであるが、地元の図書館にあったではないか!

いやはや、デビュー作にもかかわらずなんとも読みづらい作品を書いたものだ。また、よく優秀作に選ばれたものだ、と変に感心してしまったのが偽らざる本書に対する感想である。
打海文三の選考委員の中でも評価が真っ二つに割れたそうであるが、さもありなん!と思わせる内容ではある。

実際、物語の大半が民間の調査会社、実態はある種の諜報機関とも言える謎の組織における魑魅魍魎の諜報戦を延々と描いており、退屈と言えば極めて退屈としか言いようがない物語である。
だが、デビュー作にして打海文三が描く独自の世界がうかがわれ、例え読者が彼の描く世界について来ようが、あるいはそうでなかろうが、そんな事にお構いなく独自の孤高の世界を遊弋する姿がありありと現れている作品である。
その後の諸作品の“核”とも言える元素のようなものが、このデビュー作という“原石”の中に埋もれているような気がする。
本作の調査会社という組織の中での「諜報、謀略戦」は後の『ハルビン・カフェ』における警察組織の中で同じような展開を示しているし、登場人物の中で女性の特性ある描き方は全ての後の作品の女性の中に容易に見いだされる。
しつこいようであるが、もしも横溝正史ミステリ大賞で受賞しなかったならばこの作家は果たしてデビュー出来ていたであろうか?
それだけに彼の持つポテンシャルに気がついた選考委員諸氏に感謝の意を表したい。

今、未完の遺作となった『覇者と覇者』の刊行が切に待たれる。

谷克二著『黄金の報酬』

2008-07-28 08:35:13 | 「タ行」の作家
谷克二著『黄金の報酬』徳間書店 1988.12.31  1,200円

谷克二氏は今ではドイツを中心にした紀行文作家としての活動が多いと聞くが、同氏はかって狩猟小説・冒険小説作家としてその辣腕をふるった時期があった。
本作は経済サスペンスものとしての色彩が強い。扱った内容が国際的なM&A、いわゆる企業買収であり、今ではすっかり我々の耳にも慣れ親しんだ言葉となってしまった感があるものの、当時(1988年頃)ではまだ馴染の無いテーマであったと思う。
日本が円高ドル安を背景に一挙に世界の金融業界に進出しようとした時期であり、本編はある米国の企業(乗っ取りのプロとも言える企業)が同国の石油企業を乗っ取ろうと画策、その資金的バックアップに日本の銀行が関与しようというもの。
そのM&Aの水面下で行われる企業間の壮絶な攻防戦を描くと共に、陰で進行する殺人を含めた謀略があり物語は月並みな表現ではあるがスリルとサスペンスに満ちた展開となる。
この辺りは並みの経済小説作家とは違う谷克二氏であり、あたかも冒険小説のマイスターの如く鮮やかにエンターテインメント小説に仕上げてくれる。
約20年前の作品とは思えない、というよりも企業買収の何たるかを身近に感じられる時代となった今読んでこそ、面白みのある作品となっている。

ドッグファイト

2008-07-25 11:52:28 | 「タ行」の作家
谷口裕貴著『ドッグファイト』徳間書店2001.05  第1刷 
オススメ度★★★☆☆

SF小説というのはめったに読まないのであるが、先月米国のエリザベス・ベアなる作家のSFを読んでから、日本のSFも長らく読んだことがないなぁ、ということから手にしてみた一冊が本書だ。
どうせ読むなら未読の作家がいいかなということで選んだのであるが、2001年度の“日本SF小説新人賞”なるものの受賞作だそうだ。

「ドッグファイト」といえばすぐ頭に思い浮かべるのは戦闘機どうしの接近空中戦である。本書はSF小説ということから近未来の航空機同士のそれかと思って読み始めると全然違った。
文字通り犬たちの「ドッグファイト」であった。それも時代は明らかではないが遙か宇宙のどこかにある地球の植民惑星、ピジョンという星での物語である。
登場する未来の兵器、乗り物、加えてサイキックたちの内容がどのレベルで凄いのか?くだらないのか?など私ごときが判断できる内容ではないのであるが、全体的な印象としては「ほぉ、日本の作家もこんな発想で書く時代になったのね」というもの。
本作にて構成上、植民船に乗っていると思われる親子の会話を通して本編で登場する“犬飼い”の意味や“ゼロスケール”やら何やら意味不明の事柄が説明されるのであるがこれらも充分ではなく結局最後までちんぷんかんぷんであった。
ま、けっこう楽しめるのではあるが、内容をきちんと理解する上でちと私には荷が重い作品であった。



カラシニコフⅠ

2008-07-21 11:20:54 | ノンフィクション
松本仁一著『カラシニコフⅠ』朝日文庫 2008.7.30 第一刷 600円+tax

オススメ度★★★★☆

カラシニコフ突撃銃、通称AK47と呼ばれる自動小銃である。
1947年に旧ソ連の設計技師ミハイル・カラシニコフが開発した銃で旧ソ連軍の正式自動小銃として採用された。その後中国や北朝鮮、旧ユーゴスラビアなどでライセンス生産され、旧ソ連製を含め冷戦時代には108カ国に輸出されその数たるや1億丁に達すると言われる。
AK47は廉価でかつ構造が簡単で故障しづらいということから、熱砂の砂漠から高温多湿のジャングル地帯まで世界のありとあらゆる紛争地帯の反政府勢力に愛用されてきた。
最近でもアフガニスタンやイラクなどのTV報道で見かける自動小銃といえば、ほとんどがAK47あるいは発展形のAKM、AK74である。
安価の上に故障が少ない(メンテ状態が悪くても使える)、取り扱いが簡単である、ということが実は大きな禍となった。要は誰でも使える簡単な銃は戦いのプロでなくとも、あまり訓練を受けない女、子供でも扱えたということだ。それは戦争における兵士の階層の拡がり、年齢の低下をもたらした。
西アフリカのシオラレオネ紛争の例を取り、彼の地で戦闘に加わった多くの少年少女兵士(実際は反政府ゲリラに拉致され訓練された)について語られる。あまりの惨状に読むのが苦痛になってくるほどだ。

著者である松本仁一氏は朝日新聞の記者で長きに渡りアフリカ・中東に駐在した経験を持っているお方であるが、ある日この銃の開発者であるカラシニコフ氏がまだ健在であることを知り彼に取材に出かけたのであった。
カラシニコフ氏は取材時には84歳で今でも民営化された銃器工場で現役として働いており、AK47の開発目的や開発秘話を披露してくれてその内容は極めて興味深い。

かって中国の毛沢東は「国家は銃口から生まれる」と言って中華人民共和国を創ったが、現在アフリカ諸国の多くが銃によって簡単に覆されかねない「失敗国家」になっていると同書では指摘する。
「失敗国家」とは、国づくりができていない国、政府に国家建設の意思がなく、統治の機能が働いていない国のことだ。そんな国の独裁者は当然国民から支持されておらず、護衛の軍隊が敗れれば簡単に崩壊する。
英国の作家フレデリック・フォーサイスに取材する機会を得て「失敗国家」の好例“赤道ギニア”の話題が取り上げられた。実は同氏の「戦争の犬たち」の想定舞台は赤道ギニアであって実際に傭兵たちによるクーデター計画があった。しかし結果的には失敗したのだが、一時期フォーサイス氏はこのクーデター計画の黒幕ではないか、とも英紙のサンデー・タイムズに報じられたこともあったという。
こうした「失敗国家」では実際、数十人の傭兵部隊でもクーデターが成功する可能性が大ということだ。そうした「失敗国家」が辿る先は無政府国家であり、その例をソマリアに見出すことが出来る。
米映画「ブラックホーク・ダウン」に描かれたソマリアの首都モガディシオは今でも無政府状態が続き、各部族の武装民兵組織が国内を群雄割拠している。無政府状態の恐ろしさを著者はその目で確認する。
だが希望はある。同じソマリア内で北に位置する「ソマリランド」は武器と暴力に満ち溢れたソマリアから独立宣言をし、自治区化に成功した。ここではほぼ完全に武器の管理に成功したかに見える。同じソマリ族の中で武器保有の廃止に成功したのは各部族の長老たちの努力であったといわれる。その後の武器回収、保管・登録制度の企画運営は国連のUNDPなどがあたり、現在は新しい国家作りに民衆ならびに政府が真剣に取り組んでいる。
銃に溢れたアフリカ大陸に一条の光明を見る思いであるが、「国家」として承認されていないため苦難の道を歩まねばならないだろう。

とても優れたルポルタージュだと思う、強くオススメ。


四十七人目の男 下

2008-07-19 08:50:22 | 「ハ行」の作家
スティーヴン・ハンター著『四十七人目の男 下』扶桑社ミステリー 2008.6.30  819円+tax

オススメ度 ★★☆☆☆
注)この評価は同シリーズ未読の方向け。シリーズ追っかけ組には★4つ!


本編はボブの父、アール・スワガーが太平洋戦争の硫黄島での日本軍との戦いの中で、ある日本の将校から受けた“恩”をその息子と家族に対しお返しする、という物語である。
アール・スワガーは戦後帰還して故郷で保安官になったのであるが、太平洋での戦いの模様については一切周囲に語ることはなかった。この辺りの状況はアール・スワガーを描いた『悪徳の都』をご一読願いたい。
著者がこの作品を書いた当時、今日の『47人目の男』を書こう、その時に太平洋の地獄硫黄島で何があったのかを記そう、などと思っていたであろうか?答えは否だと思う。
だが、本編で明かされる内容は極めて感動的ですらある。まるで著者はこの時のためにストーリー構想を寝かせて持っていたのではと思わせるほどのものだ。
先に父アール・スワガーが受けた“恩”を返す物語と述べたが、その返すべき相手の日本人矢野とその家族が惨殺されたことによってボブ・リー・スワガーは急遽“仇討ち”に向かうのである。
原題は「The 47th Samurai」であることから忠臣蔵の47士を想定してのこと。
吉良邸討ち入りを模して、都内東部に三菱財閥が所有する広大な日本庭園と別邸を現代の吉良邸として設定している。季節は12月、雪までちらつかせる念の入れようだ。
ただし、吉良と想定する相手が日本の右翼の黒幕でありポルノ業界のドンという設定はちといただけない。
ボブは陸自の習志野空挺部隊の有志、更に在日CIAのキャリア・ウーマンの助力を得ながら自ら47人目のサムライとしてこの“仇討ち”を遂行するわけだ。

この作品を映画化した場合は間違いなく『キルビル』のタッチと同じになるのではないだろうか!?
女の子の恐怖の幼児体験(両親がヤクザに惨殺される)、雪降る夜のチャンバラ決闘、日本刀への異常な執着心などなど。
ということはハンター氏はタランティーノ監督の『キルビル』の影響を大いに受けたのであろうか、あるいは米国のサムライ・オタクが考えることは似通うということであろうか。

日本人読者からするといわゆる“つっこみどころ”をあげれば枚挙にいとまがないであろう。先にも述べたように、著者ハンター氏は強引に“チャンバラ小説”を書きたかったわけであるから種々の齟齬を気にしていたら本編は成り立たないのである。
単純かつ素直にボブ・リー・スワガーのサムライぶりを楽しめば良い。終わりは“お約束”の通りになるのであるが、もし将来ハンター氏が元気であり続けたらスワガー・サーガは「彼女」に受け継がれるかも知れない。

四十七人目の男 上

2008-07-18 17:25:02 | 「ハ行」の作家
スティーヴン・ハンター著『四十七人目の男 上』扶桑社ミステリー 2008.6.30  819円+tax
オススメ度 ★★☆☆☆
注)この評価は同シリーズ未読の方向け。シリーズ追っかけ組には★4つ!


うわぁ、ハンターさんはサムライとカタナのオタクになっちゃった!というのが第一印象。

巻頭にて、「日本映画に登場するサムライたちへの感謝と敬意、そして賞賛をこめて。」と題して日本の監督16人、俳優27人を列記している。
俳優陣で三船敏郎や勝新太郎に混じって上戸彩が入っているのがご愛敬!
何の作品?ああ、『あずみ』かな?うへぇ、こんなもんまで観ているの!?

とにかく2年間にわたって300本以上のチャンバラ映画のDVDを観たというのだから恐れ入る。
まさに米のタランティーノ監督が少年時代から夢中になったチャンバラ映画を2年間に凝縮して漁りまくった、という感じである。
サムライとともにサムライの魂とも言えるカタナへの想いいが高じ、古刀、新刀に関する文献をも読み漁った様子が伺える。

そもそもハンター氏が日本の時代劇にのめり込んだきっかけというのが山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』を観たことだそうだ。
同氏はもともと新聞社勤めをしていた時代には映画批評を専門としていたそうであるから、映画への造詣は深いに違いない。そんな氏が最近のハリウッド映画の質に落胆していた折の『たそがれ清兵衛』との邂逅であったらしい。
確かに最近のハリウッド映画はネタが枯渇した感じで、世界中から、とりわけ香港映画や日本映画から題材を求めそのリメイク版を制作するという、往時のハリウッド全盛時代からは想像できない状況となりつつあったわけだ。
そんな低迷するハリウッド映画から目を転じて『たそがれ清兵衛』を観たとしたら、確かに斬新なイメージを抱いたに違いない。
山田洋次監督にとって初の時代劇といわれた同作品は、日本人の僕の目からみても素晴らしい時代劇であった。
黒沢映画の作品群とはひと味もふた味も違った作品作りで、赤貧洗うがごとき一介の田舎侍の生き様を描いているのであるが、その内容は時代を、人種を超えて我々に訴えるものがあった。それはまぎれもなく万人に共通する“ヒューマニズム”と“ロマン”を描ききっていたからである。

サムライ映画に関して言えばつい2,3年前の『ラスト・サムライ』があまりにも有名で、米国製ニンジャものの後にサムライ映画ブーム到来か?などと思ったりしたわけであるが、日本のサムライばかりではなくむしろ日本のアニメから題材を取るケースが増えていくのかも知れない(つい最近の事例では「マッハ!Go Go」から「スピード・レーサー」の制作など)。

本編はあくまでも欧米の読者を想定した上での上梓であって、著者自らDVDを観て、たった2週間足らずの日本取材で“まともな時代劇”が書けるとは思っていない。
一目でサムライへの片思いに陥ってしまった著者が、恥も外聞もかなぐり捨てるようにしてまで サムライが登場する時代小説を書きたくなった。
だが、封建時代を舞台にした小説は無理であろう、だとしたら、身近の?ボブ・リー・スワガーをサムライにしたかった!彼にカタナを持たせてチャンバラさせたかった!という次第。
本作品を読むとハンター氏の熱情がひしと伝わってくるわけで、それはそれで微笑ましいではないか!
ボブ・リー最後の戦場が我が日本であったことを、我々日本のハンターファンは喜ぶべきであって安易な批判ばかりを彼に浴びせるべきではない。



うわぁ、全然読書感想になってないじゃん!
でも、このブログのタイトルは“読書メモ”だよね、まっ、いいか。
さて、『四十七人目の男 下』では多少中味に触れてみましょうか?

S.ハンター著ボブ・リー・サーガ

2008-07-17 11:50:11 | 「ハ行」の作家
現在、ボブ・リー・サーガの5作目『47人目の男』を読んでいるところですが、この感想をアップする前に次の「感想」を記しておくことにいたしました。

この「感想」は私のHPからの引用であります。

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53.『悪徳の都』 S.ハンター著 扶桑社ミステリー 2001.2.28  第1刷 
★★★★★

当HPの「百冊百中」のS.ハンター紹介欄でも述べているが、スワガーシリーズ4冊の米国における刊行年次について、amazon.coによれば
1. Point of Impact (極大射程) Paperback 1993
2. Dirty White Boys(ダーティー・ホワイトボーイズ)  Paperback 1995
3. Black Light(ブラック・ライト)  Paperback 1997
4. Time to Hunt(狩りのとき)  Hardcover 1998
である。
ところが日本での邦訳順序は2→3→1→4となっており、僕自身は1→4→3→2とメチャメチャである。
いずれにしても4の「狩りのとき」でこのボブ・リー・シリーズは終わったものと理解していた。ところが本編の登場とあいなった。それもボブの父親アール・リー・スワガーの物語という。
読んで見たらいやはや驚いた。むしろこの作品をこそ最初に読むのがベストではないのか。
ボブの父アールが太平洋戦争の地獄のような島々での日本軍との死闘に生き残り傷病帰還の後、その戦功を称えられ海兵隊名誉勲章を与えられた。平和な生活に戻るには彼の闘争本能の火は消えることなく、当時ホットスプリングスに巣くうマフィアの掃討を目的とした「摘発部隊」の創設と掃討作戦そのものにのめり込んで行く。
いっぽうアールの父チャールズ・スワガーの謎の死をめぐる謎解き部分をからめ物語はある種ミステリー仕立てで進行するのだが、ハンターのオハコとも言える壮絶な銃撃戦の場面はまたもハンター・ワールドに読者を誘い魅了する。
ボブにとっての父アールそして祖父であるチャールズともまぎれもなくこのスワガー家に流れるのは「ハンターの血」であろうか。特にアールとボブを見ると、この親ありてこの子あり、と言わざるを得ない。
本編の最後に「あっ!}と驚く二人の登場人物を持って終了するのであるが、全シリーズが全て連鎖した「大河小説」であったことが今更ながら鮮明になる作品。
始めてハンターのボブ・リー・スワガーシリーズを読む方は本編から入るのが一番良いのではないだろうか。やっぱりS.ハンターは恐るべき作家である。

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【再読】ジョン・レイン雨シリーズ

2008-07-14 18:37:46 | 「ア行」の作家
現在刊行されている邦訳4作、原作2作の全てを読み終えて、何故か又第一作から読み返したくなった。
僕の場合、このシリーズ第四作目の『雨の掟』から入って、その後あわてて第一作から読み進めて来た経緯があるのだが、今こうして第一作目から順を追って読み返してみると改めてこのシリーズの面白さを再認識した次第。
一体、何が僕をしてこのシリーズにのめり込ませるのか?それをもう一度確かめたかった。

主人公ジョン・レインは暗殺者=殺人犯である。理由はどうあれ、他人を殺めてその報酬で生業をたてることは極めて“反社会的行為”であることは否めない。
読者の大半、もちろん読者の年齢、性別、国籍を問わず同じような価値基準を持って同シリーズを読まれていると思う。
だが、何故かジョン・レインの孤高な生き様に共感してしまい、彼の殺人という犯罪に対して多少眉はひそめながらも肯定してしまう不思議な世界へ誘われるのである。
彼には暗殺に関する個人的ルールがあって、
・ 女、子供は殺らない
・ ターゲット以外は殺らない
・ 二重のオファー(要は自分の他に暗殺依頼をさせない)を禁じる

と言ったものであるが、見知らぬ他人の命を奪う、そのことによってターゲット本人の人生を終わらせると同時に家族がいれば彼らの人生をも強制的に変えてしまう“犯罪”であることは変わりないことであり、作中のデリラが揶揄するように「そんなルールは娼婦がナニをやらせても接吻は許さない、ということで自らの行為を正当化しようとする理屈と変わりないじゃない」と指摘する通りかも知れない。

ジョン・レインがこの世界に入ったきっかけは彼の戦争体験によるところが大きい。
それはベトナムでの特異な体験、17才で志願して参戦したベトナムにおいて、同期で入隊した友人と犯した“戦争犯罪”とも言える行為のあとの二人の会話、
『もう故郷には帰れない。こんな事をしてしまった後では』
に集約されるもので、ジョンの場合は更に過酷な任務を与えられ、それを実行した後に更に上述の気持ちが深まったといえる。
また、『家には帰れない』という点においては他の米国人とは違い、彼の生まれ落ちた事情、つまり父が日本人で母がアメリカ人という特殊な事情があった。
幼いころから両方の国で疎外されて育ち、どちらの国も彼にとっては祖国と呼べる地ではなかった。
肉体的外見からジョンは日本に居着くことを選択したのであるが、その条件以外に彼を日本につなぎ止めた理由は、日本という国の伝統、文化が米国のそれらより身近に感じたせいであろう。
暗殺者レインが今まで生き延びられたのは、自己以外を信じることがなく、徹底したSDR(追跡を逃れる術)を駆使するからであった。
レインには神も仏も存在しない。幼い時分、母親が敬虔なクリスチャンであった関係で何度も教会に連れて行かれたが、神の存在を信じることはなかった。
今、暗殺者として生きるレインはもし神が存在するのであれば、自己の存在は決して神が許すはずがない、と思っている。もし、神が存在し、自己の存在を許さないのであればその時は神の意志に従うつもりでいる。
レインにとっての生き様の規範とするものは武芸者としての宮本武蔵であった。彼の「五輪書」はレインのバイブルでもあった。

同シリーズのもうひとつの魅力は登場する女性達であろう。主な登場人物はミドリ、ナオミ、そしてデリラの3人であるが、3人3様全て違ったタイプであるし、境遇がまるで異なる。
レインにとっては恐らく生涯を共に過ごす伴侶はあり得ないと思われるのであるが、本人はその可能性を放棄したわけではない。
これほどの人物が一番動揺し悩んだ事は、ある女性との間に自分の子供ができたことを知った時である。これほどの人物でありながら「子供を持つ」というインパクトが人生においていかに強いものであるか思い知らされる。この辺りが非常に興味深い。

あとは多彩でそれぞれ魅力的かつ個性的な脇役陣ではないだろうか。前半2作で登場するタツ、ミドリ、ヒロといった登場人物に加え第3作目から登場するドックス、デリラらがより一層このシリーズを盛り立てる。
もちろん悪役の側も多彩であることは言うまでもない。特に日本の山岡と元CIAのヒルガーとの一騎打ちは大いなる見せ場を創出してくれる。
さて、6作以降はないのかも知れないが何年か後のレインにもし会えるのであれば是非とも会ってみたいものだ。

*今回の再読は邦訳された4作のみ
・雨の牙
・雨の影
・雨の罠
・雨の掟
それぞれの感想は本ブログ内【検索】で“バリー・アイスラー”と入れると全て出てまいります。


魔物

2008-07-07 12:18:58 | 「ア行」の作家
大沢在昌著『魔物 上・下』角川書店 2007.11.28 発行 各1600円+tax

オススメ度★★☆☆☆

ロシアのバイカル湖のほとり、小さな村の教会に代々伝わる“イコン”があった。
この教会の若き司祭は100年にわたり封印されたイコンの災いの復活を恐れ、今はロシアン・マフィアの一員となった幼なじみが日本に渡る機会があるのを聞き及び、彼に途中の海で海底に沈めるよう頼んだ。
しかしその幼なじみは日本へ渡る前に別のマフィアの殺し屋に殺害され、密輸しようとしたシャブと共にこのイコンも奪われてしまった。

ところでこの呪われた“イコン”とは一体何なのであろう?
イコンに描かれていたのはカシアンという聖人であったが、カシアンは聖人でありながら陰で悪魔と取引をしたのを神がみとがめて、4年に一度の閏年2月29日のみ復活を許したのであった。だがカシアンはこれを不服とし、年々邪悪になり閏年には幾多の災いを村にもたらしたのであった。古い言い伝えによると、カシアンは心に強い憎しみを抱く人間の取り憑き、その人間の欲望を満たす力をその者に与えると言われる。そして、100年間封印された間にその魔力は限りなく増幅したものと思われた。だからこそ司祭は閏年が来る前にカシアンを海底に沈めようと思ったのだが。

そのカシアンが憑依したと思われるロシアン・マフィアがシャブを携え北海道の小樽に上陸した。
事前にある筋から北海道の厚生省麻薬取締官、大塚はロシアン・マフィアと地元ヤクザとの間で近々麻薬取引が行われるという情報が入った。その現場を押さえるべく仲間の麻薬Gメンたちと小樽の港に向かったのであるが・・・・

カシアンに取り憑かれたマフィアはまるで「超人ハルク」のようになっていたのだ。ハルクのように筋肉ゴリラみたいな外形ではないものの、超人的な怪力と銃弾でも倒れない、とんでもない“怪物”と化していたのだ。

さて、このようなカルト的な“魔物”の出現を大塚が同僚を始め、捜査上仲違いする警察組織に説明しようとするのであるが、誰も信じようとしない。
これは当たり前のことで、読者側にしてもとうてい「ああ、そうなのね」と納得できる内容ではない。“カシアン”の存在を何とか説明する必要がある筆者はここにジャンナという美しいロシア人ホステスを登場させ、大塚にからませることにする。
ジャンナはインターネットを通してバイカル湖ほとりの教会の司祭と連絡を取ることに成功し、カシアンの正体を探る。
でも誰も信じない。信じられないまま、カシアンは次の人間に乗り移り東京へと向かうのであった。東京は邪悪な人間の供給地としてはまさにカシアンにとっては理想郷であった。

一方、麻取の大塚には決して忘れることがない青少年期の心のトラウマがあった。このトラウマの故に東京を離れ麻取という職業についたわけであるが。
実はこの大塚のトラウマの伏線が物語りの後半を構成する重要な要素となる。
ここが大沢在昌というエンタメ小説の職人たる手腕の見せ所となっているのであるが、結局、どんなに手練れの職人であっても、やはり“カシアン”という邪神が織りなす「荒唐無稽」さを覆すことは無理があった、と言わざるを得ない。
オススメ度は星二つではあるが、大沢ファンには星三つ半をあげても良いかなぁ。読んでて楽しいのは事実だから。


ところでイコンとは(ものの本による説明では)
「イコンはおよそ千五百年以上の歴史をもち、ギリシャ・ローマ時代の美意識を今に受け継ぐ東方正教会の礼拝用画像です。長い歴史と広い地域にわたる不変性をもつイコンは、その個性を超越した表現と圧倒的な迫力で我々に語りかけます。
今でこそ、イコンは美術館で展示されていますが、そもそもは「芸術品」としてではなく、「祈り」の対象として一般の民衆が日常的に持っていたものです。修道士が制作するといわれ、「祈り」の形が色や姿で具体化されたものともいえるでしょう。」
とある。