min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙35 姥捨ノ郷』

2011-01-30 21:05:21 | 時代小説
佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙35 姥捨ノ郷』 双葉文庫
2010.1.16 第1刷 

オススメ度:★★★★☆

田沼意次の陰謀により次期将軍家基が暗殺され、佐々木道場の主佐々木玲圓とその妻が自裁して果てた後、磐音とおこんは田沼一派の更なる暗殺計画の魔手から逃れる為に密かに江戸表を離れた。
尾張名古屋で奇縁を得て、松平御三家のひとつ尾張徳川藩主宗睦の庇護を受けることが出来た。この地でおこんのお産をする腹積もりであったが、磐音の動静を知った田沼一派は尾張藩江戸屋敷に対し圧力を加えてきた。
磐音はその事実を知り、これ以上尾張藩に迷惑はかけられないと決断する。尾張藩中嶋家の助力を得て、磐音一行は中嶋家所有の千石船で、一路芸州広島へ向かうと追っ手に思わせる偽装を行い、途中の沖合いで小船に乗り換えた。
逃避行の最終地は霧子が育った紀州領内の雑賀衆の隠れ里であった。紀州領内というのは田沼意次の出身地であり、まさに敵地領内の懐へ逃れるという奇策であった。
この先隠れ里にたどり着くまで一行は、身重のおこんを伴う艱難辛苦の旅を続けることになる。
霧子の幼少時の記憶に頼りながら、真言密教の聖地に近い奥深い山中にひっそりと存在する「姥捨の郷」へ向かうのであった。

一方、佐々木道場門下生であるでぶ軍鶏こと利次朗とやせ軍鶏こと辰平の二人もまたこの隠れ里に向かい、磐音の手助けをしようと旅立った。果たして二人は磐音一行に合流できるのであろうか。
物語はここで“おこんのお産”という重大事を迎えるに至った。佐々木道場の後継たる磐音が自身の子を授かることによって、今後の田沼一派への反撃は果たしてどのようになされようというのだろうか?
作中にそのヒントがちらりと登場するのだが、反撃の展開はまだまだ先になりそうだ。


ジェフリー・ディーヴァー著『ソウル・コレクター』

2011-01-27 00:33:08 | 「タ行」の作家
ジェフリー・ディーヴァー著『ソウル・コレクター』 文芸春秋刊
2009.10.30 第1刷 

オススメ度:★★★☆☆

ライムのいとこアーサー・ライムが殺人容疑で逮捕された。
被害者とは一面識もないことを主張したが、動かぬ証拠が彼の自宅や犯行現場から次々と発見され、裁判が始まる前から有罪は確定したも同然であった。

彼の逮捕をアーサーの妻が夫に内緒でライムに報告にやってきた時、ライムは複雑な感情を抱いた。アーサーとは長い間交流を途絶えていたからだ。それは青春時代の苦渋の思い出を伴っていた。
だが、アーサーの疑惑はあまりにも整えられた証拠に満ち、目撃者の通報も作為が感じられ、ライムはすぐに真犯人は他にいるのではないかという思いをいだいた。
サックスに命じて似たような犯行の過去事例を調べさせたところ、直ちに他に2件の類似した犯行が浮かんできた。
調べを私的なメンバーで開始したところ、背後に個人情報を完璧に操る神の如く“何でも知る男”の存在が明らかになってくる。その真犯人を追い詰めたかと思われた時点で、真犯人の恐ろしいまでの反撃が始まり、ライムのメンバーにも危険が及ぶ。とりわけサックスに迫った危機は戦慄すべきものがあった。

本編の中で描かれるSSD(ストラテジック・システムズ・データコープ)のような会社が実在したとしたら、これはもう国民にとっては悪夢のような存在である。
あなたの個人情報―こんなな生易しい表現ではとても足りないような情報の数々ーばかりではなく、現在地すら判明するような情報が特定の会社のコンピューターに入っていたとしたら、ひいては国家にもつつ抜けとなっていたら・・・・。考えるだけで身の毛がよだつ状況となるであろう。
「国民総背番号制度」の究極の未来図のようなものが我々の眼前に提示される。
果たして真犯人はどんな人物なのか、そして彼の目的は何か!?

モンスターのような犯人とライムとの頭脳船が火花を散らす展開はさすがディーヴァー!といったところか。

ところで、真犯人が何故このような行為に走ったのかの説明が足りないような気がするのは私だけであろうか?また、いつもの二転三転のドンデン返しがみられないのもちと寂しい気もする。


有川 浩著『フリーター、家を買う。』

2011-01-25 19:49:08 | 「ア行」の作家
有川 浩著『フリーター、家を買う。』 幻冬舎刊 2009.8.25第1刷 

オススメ度:★★★★☆

同名の題名で今年フジテレビによりTVドラマ化された作品の原作である。
先ずテレビのドラマを観てからその原作を読むケースというのはあまりなかった気がする。
TVドラマの内容が非常に面白かったので、お気に入りの有川浩さんだから原作はもっと面白いはずと確信して読んでみた。
大筋は原作の通りだが、登場人物のキャラ造形は多少違っている。TVの誠治も原作の誠治も極めて現代的な草食系男子として描かれ、フリーターとなるダメ現代っ子では同じだが、TVの誠治はあまりにも押し出しが弱くイライラしながら観ていた。
特に母親に対する隣人のイジメに対し、なぜもっと有効な反撃をしないのか信じられなかった。
だが原作ではもうちょっとまし?で好感が持てた。それと誠治の姉亜矢子の設定がはるかに良い。

TVではストーリーを膨らませ、長引かせる為に種々脚色していたが、本編の原作のほうが気に入っている。
特に誠治が中心になって採用した新人二人の“彼女”の設定のほうが、TVに登場したモデル出身の香理奈が演じる親会社の土木技師より魅力的である。

いずれにせよ原作を読んでいる途中にドラマに出てくる出演者の顔がともすると浮かんでしまい、原作の作中人物と顔が重なり閉口してしまった。
やはり原作を先に読んだほうがよかった気がする。


川上 健一著『渾身』

2011-01-11 22:11:59 | 「カ行」の作家
川上 健一著『渾身』集英社文庫 2010.5.24 第2刷 

オススメ度:★★★☆☆

坂本英明は壱岐島の老舗旅館の長男で、親が決めた婚約者がいた。その結婚式を2ヶ月前にして麻里と出会い、恋に落ちた。
麻里にも交際相手がいた。しかし、坂本英明は婚約者を捨て麻里を選んだのだ。
英明は親から勘当され、麻里も家出同然で二人は一緒になった。古い因習の残る壱岐島では二人に対する世間の風当たりは強かったが、二人は壱岐島を愛するが故に島に残った。
英明は移り住んだ地都万地区に何とか溶け込むために、壱岐島伝来の古典相撲に取り組んだ。
彼のひたむきな相撲への取り組みと不断の練習の姿に、地都万区の古老を初め住民も彼らを徐々に受け入れ始めた。
そんな矢先、麻里は進行性が極めて速いガンに侵され、5才になる愛娘、琴世を残したまま死んでしまう。
残された琴世の世話をかいがいしくやいたのは、麻里の親友多美子であった。
幼い琴世の世話を続ける多美子と英明の間に互いに惹かれあうものが生じ、なくなった前妻麻里への遠慮もあったが、結果的に二人は結ばれる。
そんな二人が世間に受け入られる唯一の手段は、この壱岐島に伝わる古典相撲であった。
英明は次のように考えた。
「古典相撲は地区内の強い連帯感を抜きにしては成立しない。役力士になれなくても、積極的に参加し続けることで、風評とは違う本当の二人が分かってもらえて、地区の仲間として認められる望みも出てくるのだ」と。

隠岐古典相撲というものについての説明が必要であろう。隠岐島は相撲が盛んな土地で、島をあげての祝い事には古典相撲大会がつきものである。
その最大の相撲大会が、20年に一度、水若酢神社で行われる。同社は出雲大社に次ぐ格式を誇る神社で、およそ二十年に一度、社殿の屋根の葺き替え工事が行われる。
その完成を祝って奉納相撲が夜を徹して行われるわけだ。いわば相撲の原型が残っている土地柄と言えよう。
各地区の代表が競り合うわけで、勝った力士は個人的にももちろんだが、所属する地区にとっても最大の名誉となる。力士の最高位は大関。横綱はない。
英明は事前に大関の中でも更に最高の位置にある「正三役大関」の位を都万地区の古老から授かったばかりであった。
相手は五箇地区(神社のある地区)の正三役大関、田中敏夫。島一番の強者である。
英明にとってこの勝負は、自らの属する地区の名誉と家族への思いを賭けた乾坤一擲の大勝負であった。
百ページを越える二人の白熱の勝負は読むものを圧倒する。果たして勝負の行方はどうなるのか!?

大勝負にからめた英明と勘当された両親との和解、後妻となった多美子と親友が残した娘琴世との絆、そして3人の家族と地区住民との関係、全てがドラマチックに展開されていく。

さて、本作も我が息子の蔵書から拝借したものだ。そもそも川上健一なる作家には全く馴染がない。
ましてや内容が内容である。本来ならけっして手に取ることがないであろうジャンルの作品であるが、解説があの冒険小説の書評で有名を馳せた北上次郎氏である。
彼が絶賛しているので迷うことなく読み始めた経緯があったことを付記しておく。





東野圭吾著『夜明けの街で』

2011-01-05 19:48:56 | 「ハ行」の作家
東野圭吾著『夜明けの街で』角川文庫 2010.12.12 第8刷 

オススメ度:★★★★☆

2007年7月に角川書店より発行された単行本の文庫化


不倫小説である。アラフォーの妻子ある中年サラリーマンが、「不倫する奴はバカだと思っていた」と常日頃思っていたのだが、そういう本人が「でも、どうしようもない時もある」ということで、不倫にのめり込んでいく話。

自らが「どうしようもない」と語るほど、必然的な「不倫」とも言えないのであるが、もし、不倫の相手が「殺人者かも知れない」場合はどうするか?
この不倫小説の、通常とは大いに異なる点はまさにココにある。筆者東野圭吾氏は単なる不倫小説を、数カ月経てば時効となる殺人犯の可能性がある不倫相手を持ってくることで、スリリングなサスペンス小説のテイストを添えて読者をぐんぐん引っ張っていく。その手法は見事と言える。
「こんなミエミエの不倫をして女房に何故バレないの?」という読者の疑問に対しても最後に見事な“回答”を用意してくれる。
不倫の相手、そして妻という世の“女性の怖さ”を我々男性にたっぷりと味わせてくれるのだが、最後のダメ押しの章は蛇足というものだろう。

現在、この作家の作品は随分ともてはやされているようであるが(図書館あたりに行っても彼の作品の貸出率は断トツに高いようだ)、個人的にはあまり好きな作家とは言えない。前回読んだ作品は「天空の蜂」であったろうか。
本作品は今年大学を卒業する息子から借りて読んだのだが、アイツ、なんでこんな小説を購入したのか?オマエ、何を考えている?(笑)


森 詠著『燃える波濤 第1~3巻』

2011-01-03 13:04:24 | 「マ行」の作家
森 詠著『燃える波濤 第1~3巻』徳間書店 1982.7 第一刷 

オススメ度:★★★★★

「燃える波濤」の第一部~三部が刊行されたのは1982年である。その後第四部が1988年、第五部が翌年の89年、そして1990年に第六部が出たものの、物語は未完である。
その後続編が何時出るか何時出るかと首を長くして待ったが、著者である森詠氏は未だに続編を書いてくれない。
あまりにも物語が壮大になったため、収拾がつかなくなったのであろうか。
いや、第六部で余韻を残して終えたのであろう。

本編は過去2度読んでいる。何故3度目を読もうとしたのかという理由は、世界情勢は変わったものの、日本の置かれた状況は当時と何も変わっていないし、この作品で起こりうる事態は極めて今日的な要素を含んでいるからだ。
この壮大なドラマのメイン・テーマは日本の、日本人の目指す国家、社会のあり様と日本人の生き様なのである。

この物語の時代背景は1980年の初頭である。
ホメイニが死去した後にイラン国内で内戦が勃発し米ソが介入して一触即発の危機に瀕したり、中国国内で現共産党に反旗を翻した新たな革命軍が出現して内乱になったとか、その後の世界情勢とは大きく異なる舞台設定をしているものの、日本を取り巻く基本的な状況は今日と大して変わっていない。
それは日本が相変わらず米国の核の傘に依存した“半独立国家”であり、旧ソ連の脅威が消滅したものの新たに台頭した中国の脅威に晒されるという事態にあり、米ソが米中に取って変わっただけで両陣営のはざ間で右往左往する構図に変わりはない。

このような政治、経済、軍事において閉塞された日本が活路を見出すのはきわめて難しい中、自衛隊の中に密かに結成された“新桜会”と称する右翼グループが右よりの政治家及び経済界の一部と結託しクーデターを起こした。
その手法は極めて巧妙で、いきなりのクーデターを敢行するのではなく、日本のタンカーがロンボク沖で攻撃されたり、海上ガス油田が攻撃されたりといった「自作自演」を行いながら日本国内の愛国心を扇動し国民の右傾化をうながす。その上で軍事クーデターを起こしその後文民政府に移行するというもの。
最終的には日本の核武装化を果たし、未完に終わった先の「大東亜共栄圏」を目指すというもの。
この状況は荒唐無稽な空絵事とばかりは言えず、昨年発生した「尖閣諸島問題」やロシア大統領の北方領土訪問時に見せた日本国民の愛国心の高まり具合をみれば可能性は否定できないものがある。

この反動勢力に抗して立ち上がる抵抗勢力の戦いが壮大なスケールで描かれるところが本編のミソであろう。

抵抗勢力側の主たる思想(共和党の結成)にかなり共鳴するところがあり、ここに紹介しておきたい。
長い引用となるがご容赦願いたい。

<以下引用>

「自由民権運動から生まれ、その系譜を持つはずの現在の自由民主党は、権力の座に就くことがあまり長きに過ぎ、根底から金権政治に腐敗堕落した。
すでに、彼らに自由民権の主張はない。しかも、明治自由民権運動最大の弱点は、何であったろうか?」

「天皇制を否定できなかったことです。」

「その通り。“天は人の上に人を造らず、人の下人を造らず”。それこそが、自由民権の根幹にあった精神だったはずだ。これはそれまで、数百年にわたり、差別構造の中であえぎ苦しんできた人民を目覚めさせた天賦人権の思想だった。
だが、その自由平等の大儀を推し進めれば、明治政府が創りあげようとしていた天皇制に真っ向から挑戦せざるを得なくなる。
憲法制定を求める運動の最中、たしかに各地の自由民権運動は、独自に主権在民と民権意識の高い憲法草案を創り、人民に訴えた。
だが、天皇制権力を背景にした明治政府は、そうした民権運動に弾圧に弾圧を加え、結局は、民権論者の天皇制批判を封じ込めてしまった。
民権論者は、政治構造としての天皇制には、拒否の態度をとることができた。天皇を頂点とする身分序列としては比較的に見えたからだ。
だが、天皇制の恐ろしさは、そうした見かけの政治構造だけではない。
天皇制の最も恐ろしい点はその精神構造にあった。天皇の下で、万民は平等である、とする考えに、有効な反論を、民権論者は用意できなかった。
そこで天皇の下での民主主義、天皇の下での自由民権という考えにからめとられていったのだ。」

「天皇制の本質は無限の差別構造だ。天皇を頂点として、その最下層に被差別民を配して、人民を分裂支配したのだ。朝鮮人、琉球人、中国人などをその差別構造にくみこんでいった。
天皇制は一方において、そうした差別構造作り出しておきながら、他方で天皇は、それら階層序列や身分序列を超越したシンボルとして位置づけられ、被差別民を救済するものと考えられた。“天皇の下での民主主義”“天皇の下での自由平等”という精神構造がそれだ。
人民は、このまやかしと幻想に乗せられ、天皇制を真から批判できなかった。それが結局は、あの大東亜戦争の際に、天皇陛下万歳と叫んで、死んでいく民衆を作り出す結果を生んだ。」

そこで共和党は、

「共和の精神は、天皇制を認めない。王権を廃し、真の人民の代表である大統領を選び、日本を民主的な共和国家に改造することを目指していく。
それこそが、ルソーが掲げ、中江兆民が唱えた自由民権の本道の精神だ。明治の自由民権運動、自由党は、国民主権論を唱えつつも、ついに『共和制』までは主張できなかった。敗戦後、ようやく日本は明治憲法を廃し、現在の民主的な平和憲法をかちとった。だが、戦前のような政治構造としての天皇制は無くなったが、依然として、差別構造は無くなっていない。
精神構造としての天皇制が生き続けているからだ。この天皇制を利用して、再び、日本を帝国主義的な差別主義国家として作り変えようとしている輩がいる。
わしは、かっての自由民権運動を復活させるべきだと思っている。差別の精神構造としての天皇制を廃絶することなしには、日本がまたアジア、第三世界への侵略の道を歩みだすことを阻止し得ないではないか、と思うのだ。」

以上、引用終わり。

話を現在に戻すが、日本の現政権が自民党より民主党に変わったとて、日本の政治状況は全く変わらない。
日本国民が上述のような「共和制」に基づく国家をつくろう、と思わない限り、この国の政治は変わらない。
田母神元自衛隊空幕長のような人物が声高に叫んでいるのも上述の精神構造から一歩も脱していないではないか。
日本が米国との安保同盟から離れ、政治的、経済的、軍事的な独立独歩の道を歩むには日本国民の意識が根本的に変わらない限り、実現しないのではなかろうか。
日本が独自の軍隊を持ち、自らの国を自ら守るのは大いに賛成するが、いたずらに強力な軍隊を持てば、田母神元自衛隊空幕長やそのバックにいる右翼勢力にやたら扇動されかねない。
日本国民の現在の意識、認識では軍隊の文民コントロールは不可能であろう。