min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

大沢在昌著『黒の狩人』

2008-11-26 11:29:33 | 「ア行」の作家
大沢在昌著『黒の狩人』上・下』 2008.9.25 各1,700円+tax

オススメ度★★★★★

警視庁新宿署組織犯罪対策課のマル暴担当佐江刑事といえば確かこの“狩人シリーズ”に登場したはずだ。
風貌は40歳過ぎの下腹が出た冴えない中年男で女房には逃げられバツイチ。行動は粗野にしてそこいらのヤクザとどちらが暴力団か分からないくらいである。
新宿署には既に10年以上勤務し上からは疎まれどこかへ転勤させたい筆頭であり、新宿をしのぎの場にするヤクザたちからも蛇蝎のごとく嫌われている。
ヤクザに嫌われる理由は佐江がけっして彼らの賄賂に応じることがないせいかも知れない。
佐江はただ正義感のあるだけのデカではないが、自分なりのデカとしての“筋を通す”意地を持ち、自分が決めたルールに従わない相手が犯罪者たちばかりか警察内部の同僚、上司であってもそのルールの適応をかえることはない。
格好は悪いが思考と行動はまさにハード・ボイルドしているわけだ。

さて、本編に登場するその他の人物は種々かつ多彩であるのだが、最も魅力的なキャラとしては外務省アジア大洋州局中国課に勤務する野瀬由紀と捜査補助員として佐江刑事と行動を共にする謎の中国人、毛であろう。
その他警視庁公安部外事二課、中国国家安全部、中国黒社会のマフィア、暗殺者、日本のヤクザ、それぞれ強烈な個性を持った連中が縦横に入り乱れ、一大諜報戦を繰り広げるのだ。

『新宿鮫』の鮫島刑事とはまた一味違う佐江刑事の活躍がひときわ冴えるミステリアスな警察小説となっている。


浅田次郎著『勇気凛凛ルリの色』

2008-11-21 09:01:28 | 「ア行」の作家
浅田次郎著『勇気凛凛ルリの色』講談社文庫 1999.7.15 1,500円+tax

オススメ度★★★★☆

以前からこの浅田次郎なる作家に対しては「胡散臭いおっちゃんやなぁ」と思っていたのであるが、この本を読んでみて「やっぱりなぁ」と妙に納得がいった。本作はエッセイで、初出は週刊現代(94年4月から95年9月にかけ連載)だそうで、当然?僕は読んでいない。
95年に「地下鉄(メトロ)に乗って」で吉川英治文学賞新人賞を受賞し、97年「鉄道員(ぽっぽや)」でやっと世に知られる作家の仲間入りをしたと思われることから、本作品を連載していた当時はまだまだ知名度は低かったであろうことは本人自ら作中で書いている通りであろう。

さて、浅田次郎氏が若かりし日に自衛隊に入っていたことは噂程度で知っていたが実際2年間入隊していたという。ま、自衛隊に入ったことは別に「胡散臭い」ことではない。しかし、除隊後本人が書いてある通り一種のネズミ講の幹部をしてあぶく銭を稼いでいたり、そうとうやばそうな「貸し金屋」に雇われて闇の世界に足を突っ込んでいた時期がある、というくだりを読んで「ああ、なるほどこの辺りから発する臭いなのか」とひとり合点した次第。
本人はいかにも「抱腹絶倒物語」風に書いているが、時に命に関わる状況もあったと吐露しているからそれなりの強烈な人生経験であったのだろう。
とまれ、青春期に自衛隊と準ヤクザ稼業をしていたという経験はこの作家の「肥やし」になったことであろうことは確かだ。

多くの作家の中で抜群に面白いストーリー・テリングの才がある浅田次郎氏の背景を知る一助になる興味深いエッセイ集となっている。

ちなみに本編のタイトル、『勇気凛凛ルリの色』ってどういう意味かわかります?若い読者にはまず何のことか分からないでしょう。僕の世代?でやっとわかるかも。しかし、僕も最初はわからず、このフレーズの前にある[ぼ ぼ 僕らは少年探偵団♪]を聞いて初めてガテンがいった次第。
昔々のテレビドラマ『少年探偵団』の主題歌だったわけです。


宇江左真理著『アラミスと呼ばれた女』

2008-11-19 16:22:19 | 「ア行」の作家
宇江左真理著『アラミスと呼ばれた女』 2006.1.5 1,500円+tax

オススメ度★★★☆☆

江戸の簪職人からその語学の才能を買われた父親はやがてオランダ語の通詞となり長崎の出島へ赴任となった。そんな父親の元で育ったお柳は門前の小僧なんとやらで、オランダ語とともにフランス語を父親から学び取った。
一方、江戸にいた折父親が出入りし贔屓にしてくれたのが榎本家であったことからその嫡男である榎本釜次郎(後の榎本武揚)が長崎のお柳の家に度々やってきた。それは釜次郎が幕府の海軍伝習所にて学んでいたからであった。
時は幕末、風雲急を告げる情勢であった。通詞である父親は尊皇攘夷派の標的とされ惨殺。お柳と母親は父の親戚を頼って江戸に戻った。一方、釜次郎はオランダへ留学したのであった。
生き延びるために芸者となったお柳はやがてひょんな事から留学から帰国し出世した釜次郎とあるお座敷で邂逅する。その折、事情を知った釜次郎はお柳に私設のフランス語通詞になれと言い放ったのであった。
かくして男装してフランス語の通詞となったお柳はフランス人下士官たちからアラミスと呼ばれるようになり、榎本たちと共に蝦夷地まで赴く数奇な人生をたどることとなる。
風雲の幕末を舞台に、当時の時代の寵児のひとりとなった榎本武楊の影となり活躍した女性を描く特異な時代小説である。
宇江佐真理さんの『夕映え』と背景が似通った部分(彰義隊と五稜郭戦争)があるので合わせてお読みいただくことをお薦めします。


石田衣良著『逝年』

2008-11-17 08:58:29 | 「ア行」の作家
石田衣良著『逝年』[call boy Ⅱ] 2008.3.30 1,400円+tax

オススメ度★★★☆☆

タイトルだけみると何の物語かまるで分からない。しかし、副題をみて、「ああ、そういえば前に娼夫の物語があったよな」と思い出した。
ストーリーの断片はかろうじて憶えているのであるが、最後はどうなったか忘れてしまった。
本編はあの物語「娼年」の続きであり、主人公リュウがスカウトされた‘秘密クラブ’は彼の大学の同級生の女の子に警察にタレ込まれクラブは閉鎖。経営者であった御堂静香は逮捕され、更にHIV感染者であったことから警察の病院に収監されていた。
彼女との約束通りリュウは一度大学に戻ったものの、かっての同僚のアズマと静香の娘と3人でいつの日か必ずクラブを再開しようと決心していた。
そして彼らは新たに「クラブ・パッション」を再スタートさせたのであった。

正直、この手の内容は不得手である。登場する人物たち、セックスをサービスする側もされる側も、にはほぼ無縁に生きてきたわけだから。
ただ世の中にはひょっとしてこんなサービスを必要とする金持ちで病んだ魅力的?な女性たちもいるのかも知れない。

作品内容からいえばかなりキワモノ的素材を扱っているのであるが、石田衣良氏にかかると何故かいやらしさが消滅してしまう。既成の概念、ありきたりの道徳観に囚われることを拒否する同氏の姿勢が最後まで貫かれ、この作品を単なるスキャンダラスなエロ本の類から遠ざけている。

打海文三著『覇者と覇者』

2008-11-07 23:04:32 | 「ア行」の作家
打海文三著『覇者と覇者』[歓喜、慙愧、紙吹雪]角川書店 2008.10.31一刷 1,800円+tax

オススメ度★★★★☆

昨年10月急逝した同氏の未完の大作が期せずして発刊された。
『裸者と裸者』『愚者と愚者』そしてこの『覇者と覇者』、日本の近未来に起きた20年を超える内戦、応化戦争。
戦争孤児となった海人は妹と弟と共に生き延びるために内戦の真っ只中に飛び込み、戦いながら成長する。
そして応化戦争を収束すべく最後の決戦に臨むのだが・・・・

通常、近未来戦争を描く場合多くの作品はいわゆる“ポリティカル・ノベル”といわれる作品群にみられるように「戦争シュミレーション」に終始する傾向がある。大抵の場合、内乱の様相は右派と左派に別れ従来のイデオロギー論争に終始する傾向がある。
しかしこの作品に登場する人物そして組織は見事なまでに脱イデオロギーなのだ。外国人及び孤児部隊が縦横無尽に活躍する「常陸軍」を筆頭に性的マイノリティ(レスビアン、ゲイなど)の軍隊、女の子だけのマフィアが中心勢力となる。
もちろん旧国軍(自衛隊)の流れを汲む地方軍閥も存在するのであるが、どの軍閥をとっても思想的に結束した軍隊ではない。
著者打海文三は極めて意識的に従来のイデオロギー・固定観念を排し、近未来の戦争の対立原因はまさに人種とジェンダー(性別、そして男女どちらにも属さない)間の戦いだといわんばかりにこの応化戦争を描いている。
戦争の形態の中でも最も悲惨で残虐な戦いとなる内戦を描く中で、戦争の残虐性を描く一方、パンプキン・ガールズの戦いを通して象徴的に描かれるのは“暴力の陶酔感”である。
ひとは暴力を拒絶する一方、暴力の行使に対する本能的な渇望をも著者はあますことなく描いている。

作中、デパンプキン・ガールズのひとりに、「これで戦争が終わりこの国がまっとうになるわけがない。まともになるにはあと2、3回ガラガラポンしなきゃ連中はわかんないよ」という趣旨の言葉を吐かせているのだが、現実は実際にその通りであろう。
本作があと3章を残して未完ではあるが、結局はこの物語に「完結」がないであろう事は容易に予測される。
海人と兄弟(妹と弟)及びパンプキン・ガールズの椿子を初めとする海人を取り巻く人々の行く末がどうなるのか誰にもわからない。著者打海文三すら分からないであろう。
この物語の顛末は各々の読者が好きなように想い築けばそれで結構なことではあるまいか。