min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

有川浩著『別冊図書館戦争2』

2010-09-30 16:26:20 | 「ア行」の作家
有川浩著『別冊図書館戦争2』アスキー・メディアワークス発行 2008.8.9 初版 
オススメ度:★★★★☆

別冊1では主に笠原郁と堂上篤の二人に的を絞って描かれたのだが、別冊2では彼らの同僚や上司である特殊部隊メンバーについて描いている。

最初の部分は緒方副隊長と進藤狙撃員について。ま、この両名については大して興味が無いのでパスさせていただく。
今回メインになるのはあの柴崎と手塚の顛末である。郁と堂上のバカップルに関しては彼らの結末は容易に想像がついたのであるが、この両名についてはさてどうなるか?ちょっと予測がつけがたかった。それゆえに気になるお二人の顛末である。

詳細は読んでもらうしかないのであるが、柴崎と手塚それぞれに降りかかったストーカーの物語で、特に後半のケースは一種サイコスリラーのようでなかなか面白かった。
ま、ここまで書き込んでいただければファンとしても満足なのでは?そして著者の有川先生も(笑)


有川浩著『別冊図書館戦争1

2010-09-29 20:37:30 | 「ア行」の作家
有川浩著『別冊図書館戦争1』アスキー・メディアワークス発行 2008.4.10 初版 
オススメ度:★★★☆☆


あとがきで著者の有川氏がなんとも低姿勢にお詫びをしている。もうこれ以上のラブコメ仕様は許さないぞ!という読者に対し、どうか無視してください、と。
これは本篇シリーズにおいてもラブコメだ!という声が読者の間でそうとう上がったことに対する彼女流の対処なのであろうが、こうなると「そこまで言うか!?それじゃ読んでみようじゃないか」という逆の感情が湧いて来るのが不思議(笑)

確かに「図書館革命」の最後にあのバカップルが突然○○した状況で唐突に終わるわけだが、当然このシリーズのファンからは「もっと詳しく描いてほしかった」という声が大きかったにちがいない。
この別冊の発刊はファン・サービスのひとつであろうが、同時に著者の有川さん自身が「描きたかった」というものではなかったか。

著者としてはほとんど踏み込むことがない“ナニの場面”で、郁があえぎ声を押さえるために、堂上の肩を思いっきり噛んで見事な歯型をこさえた場面には笑い転げた。
オジサンとしてはもう一歩進んで結婚後のお二人の夜の戦闘シーンも披露してくれたら欣喜雀躍したのだが。ま、無理な注文ですな。



望月三起也著コミック『二世部隊物語1最前線』

2010-09-24 21:33:19 | 「マ行」の作家
望月三起也著コミック『二世部隊物語1最前線』ホーム社発行 2001.2.21 第1刷 
オススメ度:★★★★☆

本作は1963年から1964年にかけ「少年画報」にて連載されたものを文庫サイズの復刻版として発刊されたもの。

これは僕が小学生であった頃読んだ記憶がある。当時、アメリカの日系二世部隊が第二次世界大戦に出兵していたなんていう事実は全く知らなかったと思われる。
でも子供心に“かっこいい!”と思った鮮烈な記憶がある。あの頃の遊びの中心は、チャンバラごっこと戦争ごっこであった。

その後、二世部隊(第442連隊戦闘団)が実在したこと、そしてヨーロッパ戦線でドイツ軍に包囲され孤立した「テキサス大隊」を部隊の半数を失いながらも救出し、やっとアメリカ軍内部でその存在を認められたことを知った。

今回、幼い頃の記憶もあったがひょんな事から本作を見つけ出し読むこととなった。元々望月三起也氏のファンでもある。特に「ワイルド7」その後の「新ワイルド7」に熱狂した時代があった。

さて、本作であるが、正直、あくまでも子供向けに創作された戦争アクションもので、当時テレビで流行っていた「コンバット」を強く意識して作られたと思われる。
だが、作中で簡単ではあるが二世部隊が誕生した背景が説明され、主人公ミッキー熊本伍長(後に軍曹)のセリフを借りて彼らが戦う理由を謳っている。
「俺は本国の収容所に居る母さんのために戦うんだ。俺たちがけっして裏切り者じゃないことを証明して母さんが出てこれるために!」と。

彼ら二世部隊が敵ドイツ兵と戦う過酷さ以上の苦しみは、味方アメリカ軍白人から受ける“人種差別”という攻撃であったことが描かれる。

アメリカで生を受け、アメリカで育ったにもかかわらず、ハワイの真珠湾攻撃を境に“敵性民族”として扱われる自分たちの生き残る道は、自分たちの流す血で母国への忠誠を証明するしかなかったのだ。

有川浩著『図書館革命』

2010-09-23 00:14:46 | 「ア行」の作家
有川浩著『図書館革命』アスキー・メディアワークス発行 2007.11.30 初版 
オススメ度:★★★★★

ある日敦賀原発が国籍不明のテロ集団に襲われ、政府はからくも彼らを撃退、殲滅した
との衝撃的事件が報道され、図書隊に衝撃が走った。
政府は異例ともいえる速さで「対テロ特措法」を採択したからだ。この特措法によって権限を急激に拡大したのは自衛隊と警察ばかりではなく良化委員会も含まれていた。
想定される事態は、良化委員会がこのテロ組織が作家当麻氏の著作『原発危機』をテキストがわりに使ったとみなし、当麻氏自身の身柄を拘束しようとするにちがいないということであった。この事例を機に“作家狩り”が行われるに違いない。
良化特務機関の行動は迅速で既に図書隊基地の出入り口には彼らの監視体制がひかれた。
ここへ「週間新世相」の折口が当の当麻氏を伴って図書基地へ庇護を求めて駆け込んできた。一時は基地内に隠れることは可能であるものの、早晩内部にも当麻氏の存在が知れることは必死で、彼の身柄は稲峰元指令自宅へ移されたのであるが図書隊内部の裏切りで露見してしまう。ここに当麻氏を巡る図書館特殊部隊と良化特務機関の激突が!

手塚慧が主導する「未来企画」との一時的共闘が柴崎の活躍によって実現し、この事件を機会にテレビ等のメディアで良化法案の不当性を訴え始めたところ、良化委員会はここへ来て報道機関そのものへの締め付けを始める。
特にTVへの締め付けは普段書物や雑誌などに無関心であった一般大衆の不評を買い、「良化法」そのものへ目を向けさせる絶好の機会となり始めた。

一方、当麻側が起こした「メディア良化法」の違憲裁判は結果として敗訴となり、事態はのっぴきならない状況に陥る。
ここで事態を打開する妙案が放たれた。その妙案とは?何とこのアイデアが笠原郁のつぶやきから生じたところが傑作だ。
この妙案の実行段階で郁の八面六臂の活躍が始まる。最終結末は一体どうなるのであろうか!?
シリーズ4編の最後に相応しく郁の大活躍があり、あれほど読者をやきもきさせた“お二人”の関係に見事なケリをつけていただいた。

ところで、作者有川浩氏はこの図書館シリーズを通じて一番訴えたかった事は何であろうか?
今のところ我が国においては言論及び出版の自由、そして表現の自由は守られているようにみえるが、これもかなり脆弱な基盤の上に築かれた権利であって、国家と
いうものは常にその自由を規制しようと考えている点を忘れてはいけない。
国民の無関心という隙を狙って、一旦、作中にあるような「メディア規制法案」が議会を通ってしまえば、とてつもない不利益が我々国民に課されることになる。
有川氏は「図書館」を武装させる、という一見エキセントリックな手法を駆使して、我々に来るべき事態への危機意識を喚起している。
また、単純おバカ風で体育会系のノリの良いヒロインの恋物語にからめながら、面白おかしくストーリーを展開するのであるが、その時々に提示される諸々の問題提起は実は極めて重たいテーマである。
メディアが国家権力に規制され、時に彼らの思う方向にマインドコントロールされた場合の恐ろしさは、お隣の「大国」の事例を見るとより明白となろう。


有川浩著『図書館危機』

2010-09-22 11:38:39 | 「ア行」の作家
有川浩著『図書館危機』アスキー・メディアワークス発行 2007.3.5 初版 
オススメ度:★★★★☆

シリーズ第三作目の主な内容は郁と手塚の昇任試験を巡るエピソードと「週間新世相」が取り上げた記事で発生した「差別言葉」の問題、更に茨城県図書館で開催される予定の美術展に関る良化委員会との攻防だ。

図書館特殊部隊員である新人二人の昇任試験のエピソードは割愛させていただくとして、今回良化委員会が目を付けたのは図書の内容ではなく、書籍の中で使用される“コトバ”そのものであった。
今回の事例は「床屋」という言葉を取り上げていて、何故これが差別用語であるか読者はあまりピンとこないのであるが、それはそれで別に置くとしても、こんにち我々の日常周囲でも不気味にこの“差別用語”なる規制が急増していることに思い当たる読者も多いことであろう。
規制される言葉の中には、どうして?と首を傾げる事例も多いのであるが、何かこれは意図があって政府が規制してくるのであろうか?
政府そのものではなくとも、“団体”や“業界”なるものから「自主規制」と称していろんな言葉や用語が使われなくなっている。
時に文学的価値すら損ねかねない規制があったりして、どのような基準でもって規制してくるのか訳が分からない場合もある。
「自主規制」と称して何らかの影のコントロールがあると思われる点が不気味だ。

茨城県図書館を巡る紛争は直接的には図書というのではなく、その展示物に係わる紛争である。出版物への検閲にとどまらず絵画や美術の領域まで表現の自由を規制しようというものだ。
“自由”と題するその作品(第一位の作品となった)が良化委員会と想われる制服に穴をうがった向うに側に青空が見える構図を用いて“自由”を希求する作品であることから、良化委員会が黙認するわけがない。
良化委員会は総力を挙げて当該作品の没収に動くものと思われた。茨城県の図書防衛隊の力は完全に今無力化され、攻撃に耐えうる状況ではないことから特殊部隊に応援要請を行った模様だ。
かくして良化委員会と図書館特殊部隊との大規模戦闘が展開されるわけであるが、初めて大規模戦を経験する郁の胸中は戦いそのものへの恐怖や不安ではなく、場所が故郷の街であること、自分の任務がひょっとして両親にばれてしまうのではないか、という恐怖であった。
さて、この激しい攻防戦に突入する郁の運命は?
そして気になるお二人の恋の行方は?ということで読者を大いにハラハラドキドキさせてくれる作品となっている。

佐伯泰英著『尾張ノ夏 居眠り磐音江戸双紙34』

2010-09-20 02:25:37 | 「サ行」の作家
佐伯泰英著『尾張ノ夏 居眠り磐音江戸双紙34』双葉文庫発行 2010.9.19 弟1刷 648円+tax 
オススメ度:★★★★☆

3年ぶりにたった半日ではあるが、里帰りを許されたおそめが実家に帰るシーンから物語が始まる。おそめは暇を出されたのではなく、親方からそれなりの成長を認められての里帰りであった。技の成長ばかりではなく身体的にも女性となった祝いであった。そんなおそめの里帰りを機に宮戸川の鰻やの面々や、長屋の金兵衛やその他の連中が息災であることを知らせてくれる。

さて、江戸を田村意次の魔の手じから逃れた磐音とおこんは丁度尾張名古屋に一時腰を落ち着けていた。
おこんが懐妊したことが、この地へとどまらせた理由であるが、無意下ではあったが尾張が尾張徳川領地であることが足を止めた真の理由であった。
尾張徳川は紀伊徳川の成り上がり者であった田沼意次をけっして心良くは思っておるまいと踏んだのであった。
ここから、丁度坂崎磐音が豊後関前藩から江戸に出てきて、今津屋と出会ったと同じような出会いが始まる。
ストーリーが再びリセットされるわけだ。仔細は省くとして尾張徳川の懐に納まった磐音と江戸にてますます権勢を伸ばす田村意次との死闘が再び始まろうとする。
田沼意次の策謀をはね返し磐音とおこんが江戸に帰り道程はまだまだ長いと思われる。



ドン・ウィンズロウ著『砂漠で溺れるわけにはいかない』

2010-09-14 21:41:01 | 「ア行」の作家
ドン・ウィンズロウ著『砂漠で溺れるわけにはいかない』創元推理文庫 2006.8.11初版 720円+tax

おススメ度:★★☆☆☆

ニール・ケアリーシリーズの最終巻である。星が2つというのはこの作品の出来がよくない、というわけではなく他の方に、特にこのシリーズ未読の方にはオススメできない、ということだ。

カレンとの結婚を2カ月後にひかえ、カレンはしきりにニールの子供を欲しがる。カレンがそのことを口にするだけでなく、行動でせまる模様はけっさくで笑える。
ニールとしては、自分の生い立ちから考えると全く父親になる自信なんぞわいてこない。
積極的なカレンに対してどうしても及び腰になってしまい、そこをまたカレンに突かれてタジタジとなるトホホな状況だ。
ニールとしては子供が生まれる前に英文学の学位を取りたいという強い望みがあったせいもある。

そんな煮え切らない状況のニールに、またグレアムから超カンタンだという仕事が与えられた。
ラスヴェガスから戻って来ないジイサンをひとり連れ戻して欲しい、というものだった。
カレンの執拗なアタックから逃れたい気持ちもあり、ついこの仕事にのってしまうニールであった。
チョロイ仕事だとばかり思ったのがニールの誤算。このジイさんただものではない。
かってヴェガスのショウタイムを湧かせた老コメディアンである。ニールはさんざんこのジイさんに振り回されるのだが、ジイさんのエンドレスとも思える小話は、これは合衆国国民、それもある程度年齢に達した読者でなければ本当の意味での面白さは分からないであろう。

ともあれ、このジイさんを連れ戻すだけで終わる話であるわけがない。事態は思わぬきな臭い方向へと走り出す。
とはいっても前篇ユーモアのセンス(何度も書くが、あくまでアメリカ流の)にあふれ、フィナーレを飾るにふさわしい著者ウィンズロウのハイテンションな筆致で事は進む。

ということで、内容はともかく、「ああ、これでニール・ケアリーに会えないのか!」という寂しさで胸がいっぱいになる作品であ~る。
一説には子供が出来た後の続編を筆者は考えているとかいないとか。実現することを祈る。






有川浩著『図書館内乱』

2010-09-11 12:24:01 | 「ア行」の作家
有川浩著『図書館内乱』アスキー・メディアワークス発行 2006.9.30 初版 

オススメ度:★★★☆☆

図書館シリーズの第二作である。
本編の最初の部分は主人公、笠原郁の両親が郁の職場を訪れることを巡るドタバタから始まる。
これだけハネっかえりの気の強い郁であるが、どうも両親には頭が上がらないようだ。
ただでさえ危険の伴う図書館業務と思われているところへ、業務部ではなく防衛部、それも実戦も伴うタスクフォースに配属されたなどと口が裂けても言えない郁であった。
そんな郁の窮状を救うべく郁の仲間や上司たちが協力してなんとか窮地を切り抜けられたかに思われたのだが、郁の父親の目はどうもごまかせなかったようだ。
このあたりのやり取りはとても楽しい。
さて、組織というものはどんな組織であれ常に一枚岩であるわけではない。
郁が勤める武蔵野第一図書館においてもいわゆる“原則派”と“行政派”に分かれる。
郁が属する図書館防衛部隊はもちろん“原則派”であり、図書館の完全独立を支持するのだが、一方の“行政派”は図書館の独立性を制限し、行政コントロールの下に置くべきと考える。
新しい図書館長を迎えたことを契機にこの両派がするどく対立することとなり、郁は思わぬ経緯からこの抗争に巻き込まれ査問委員会の査問を受けることになってしまう。
この事件に関与したと思われる同僚である手塚の兄から受けた啓示が、郁を直撃する。あの王子様が・・・・・!

有川浩さんが展開する恋愛模様に関して一言。登場する男女間のセリフ、特に女子のセリフはさすが同性が繰り出すものであって、到底男どもが創出できるものではない。
また、その掛け合いの妙はオジサンをもキュンとさせる事、度々である。
が、しかし、本編で益々その度合いが増してきたセリフごとの心理描写が鼻をつく。
確かに読者の対象年齢層を考慮すればいたしかたないのかも知れないが、セリフとセリフの行間からその真意を読み取れ、と期待しても無理なせいなのかしらん。ま、このあたりが“ライトノベル”と言われる所以か・・・・・

とまれ王子様の正体を知ってしまった郁の今後の対応は如何!?むふふ、この点だけが楽しみじゃ。


有川浩著『図書館戦争』

2010-09-11 00:46:29 | 「ア行」の作家
有川浩著『図書館戦争』アスキー・メディアワークス発行 2006.3.5 初版 

オススメ度:★★★★☆

この本が出た数年前、世間ではかなり話題になった本である。その後シリーズ化され、あれよあれよという間に本シリーズ4作、別冊が2作になっていた。
別にこのシリーズを敬遠したわけではなく、よし、後でまとめて読んでやれ、と思っただけ。
もっとも同作家の「空の中」や「海の底」を読んでいなかったら、まず手にはしなかった類の本ではある。

そもそも地方行政機関に属する図書隊なるものが、法務省管轄下の「メディア良化委員会」なる組織と本の検閲をめぐって互いに武装化し銃撃戦を繰り広げる、などという馬鹿げた内容にはついて行けないところだ。
が、この作家の只者ではないところは、こんな荒唐無稽なストーリイをこともなげに“恋愛小説”にしてしまうことだ。

さて、作者が本シリーズを書こうとしたきっかけは近所の図書館」で見かけた」「図書館の自由に関する宣言」であったというのは興味深い。
常人はこんなものを見ても何も感じないかも知れないが、作者の胸中には幾ばくかの“表現の自由”だとか“出版の自由(国家権力の不当な検閲抜きでの)”に対する危惧感があったのかも知れない。
作中で一番印象的な引用文は『本を焼く国家はいつしか人をも焼くであろう』という下りだ。
“焚書”とか“発禁”という言葉は古くても常に新しい問題提起を我々に投げかけてくる。

とにかく登場人物が面白い。各キャラの説明は作者である有川浩さんのものが一番面白いのでは。

以下アマゾンから著者も内容説明から引用

───公序良俗を乱し人権を侵害する表現を取り締まる法律として『メディア良化法』が成立・施行された現代。
超法規的検閲に対抗するため、立てよ図書館!狩られる本を、明日を守れ!
敵は合法国家機関。
相手にとって不足なし。
正義の味方、図書館を駆ける!

笠原郁、熱血バカ。
堂上篤、怒れるチビ。
小牧幹久、笑う正論。
手塚光、頑な少年。
柴崎麻子、情報屋。
玄田竜介、喧嘩屋中年。

この六名が戦う『図書館戦争』、近日開戦!






ドン・ウィンズロウ著『ウォータースライドをのぼれ』

2010-09-04 07:50:16 | 「ア行」の作家

ドン・ウィンズロウ著『ウォータースライドをのぼれ』創元推理文庫 2007.7.29初版 980円+tax

おススメ度:★★★☆☆


なんとなく予感はしていた、「このシリーズは終わった」のだと。予感は残念ながら的中した。
もはやニール・ケアリーは養父が呼びかけるような「坊主」ではなく、生涯を共に歩もうと思う伴侶も出来、いかに「朋友会」から離れ自立しようかと模索する日々を送っていた。
ある意味“平穏な日々”を破るような朋友会からの任務が指示されたのであるが、その内容は正直くだらない内容であった。
内容はくだらなくとも、危機が愛するカレンにまで及ぶところとなり、ニールは真剣に事態を解決せねばならない窮地に追い込まれる。

前3作はほぼニール・ケアリー自身を軸にニールの視点から物語が進行したのだが、本作では割合的にはニールの視点よりも他の登場人物の複眼的な視点が多く入っている。
今まではニールの成長をハラハラドキドキしながら声援を送って楽しんできた読者は何か読んでいて違和感を覚える。
違和感とともに前述したようにこのシリーズの終焉を感じるのだ。
本作はニール・ケアリーの自立とはいえ、退屈な現実社会の一員となる彼の人生へのレクイエムなのであろう。