min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

ベルカ、吠えないのか?

2006-06-19 14:25:16 | 「ハ行」の作家
古川日出男著『ベルカ、吠えないのか?』文芸春秋 2005.4.22 1,800円

この作家、古川さんって、何か変なんです。『アラビアの夜の種族』を何度も書店で手にしながらも購入しなかったわけ。なんか胡散臭いにおいがプンプンなんだもの(苦笑)。
でもとうとう本書が登場して好奇心の誘惑に抵抗できなくなった次第。案の定?キテレツな小説であったのだ。
文体がまた奇抜である。事態が現在形で過去から未来まで語られるのには大いに振り回された。そして犬たちのセリフにも・・・・うぉん!

本書は犬の、それも軍用犬を軸として描いた20世紀の戦争現代史のようなものだ。太平洋戦争でアリューシャン列島に残された3頭(4頭いたが1頭は自爆)の壮大な「犬系図」の大樹が創造され、幾世代を超えて何千、何万もの軍用犬の子孫が織り成す一大叙事詩のようなもの。
犬たちは生き抜く。時には愚鈍な主人の死肉を食らい、時には同族をも食らい、そして交ぐあう、凄まじいほどに。そして子孫を残す。
軍用犬としての血は常に戦場を、暴力を呼び寄せる。それは軍隊ばかりではなくマフィアの世界まで踏み込むのだ。
そして戦場は場所をも選ばない。アリューシャン列島から米国本土(一部はアラスカへ)、メキシコ、ハワイ、そしてサモアへ。
一方、キスカからロシアへ、更に朝鮮半島、中国、ベトナム、更にパキスタン、アフガニスタンまでもその足跡を残す。

米ソの宇宙開発戦争において最初に宇宙に飛び出したのはサルでもネズミでもない、「いぬ」であった。旧ソ連の「ライカ」犬を覚えているだろうか。生還を望めない「宇宙への旅」は人類への聖なる「殉教者」となった。
犬たちは感じる、この聖なる殉教犬の存在を。このライカ犬の死は「犬の元年」と呼ばれる。
だがしかし、作者はこんな物語を描いて何を一体我々に訴えたいのであろうか?う~~む分からない!分からないけど妙に熱を帯びた小説だ。

蛇足:本の装丁を見たときに熊かと思った。が、犬だった。

冬の狙撃手

2006-06-18 00:14:43 | 「ナ行」の作家
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題名:冬の狙撃手
著者:鳴海章
発行:光文社文庫 2002年12月20日 一刷  初出:2001年5月ケイブンシャノベルス
価格:819+tax
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独断と偏見というのは恐ろしい。昨年本作品が店頭に並んだ時、本の表紙のイラストと見て、さらに帯かカバーの後ろかに<子守唄>と呼ばれる伝説のテロリスト云々とあるのを読んで「ま、安手の対テロリストものでしょ、これは。」と判断。そのまま平積みの場所に戻して購入しなかった。

今回文庫になったのを機に買って読み始めた。これが面白い、とにかく面白いのだ。久しぶりの“ページターナー”というやつ。中味が満載という感じ。いろんな他作品のエッセンスが凝縮されちりばめられたとでも言おうか。

先ず、テロリストのスナイパーとの一騎打ち対決というのは大沢在昌の『標的はひとり』を想起させ、公安警察の暗部については逢坂剛の『百舌の叫ぶ夜』を彷彿とさせる。またその公安と刑事警察との対立については再び大沢在昌の『新宿鮫』にも通じる。
スナイパーの狙撃銃と狙撃術に関しては海外の作家、例えばS.ハンターに一歩譲るものの、国内では大藪春彦ばりの薀蓄をかたむける。前作『撃つ』でもしっかりディテールまで描写した知識が今回も披露される。

また、冒頭に近い部分でジャンボジェットのコックピット内の描写場面が出てくるのであるが、やはりこの方は国内作家では他の追随を許さないほどの航空小説の大御所であったことを思い出させてくれる。
エンターテーメント小説としては良くできた作品だ。


この感想は「第四の狙撃手」に関連して2002年に読んだ感想文を掲載いたしました。



第四の射手

2006-06-17 13:40:54 | 「ナ行」の作家
鳴海章著『第四の射手』実業之日本社(JOY NOVELS)2005.10.25 857円+tax

鳴海章氏はスナイパーに関する作品をかなり上梓している。古くは「撃つ」があり、続いて「死の谷の狙撃手」「長官狙撃」「冬の狙撃手」「バディソウル対テロ特殊部隊」そして本作「第四の狙撃手」となっている。
本作は「死の谷の狙撃手」の続編になる。

アメリカの軍部の一部で秘密裏に生み出された究極の殺人兵士軍団ポイズン(毒)。幼い少年たちが拉致同然に集められ、厳しく素質を選別された上更に薬物投与、脳への外科的手術をも行って作り上げた“二重人格”を持つ殺人者集団だ。
あるシグナルを与えられると殺すことへの何の躊躇も持たないキリング・マシーンと化す。
その一員、暗号名ダンテのが日本に帰ってきた。普段は自らが「毒」と知ることもなく。

帰国の目的は前作で殺したはずのボスニアヘルツェゴビナ出身の女狙撃手アンナが生きており、何らかの“狙撃”を目的に日本へ入国するらしいとの情報を得たためだ。
一方、「アフリカの曙光」と呼ばれるアフリカ某国のリーダーを警護すべく、かっての公安警察の特殊狙撃部隊に属していた仁王頭は現在道警に所属し、今回この護衛任務の為上京していた。
そして「アフリカの曙光」を成田から警護している途中、仁王頭の目の前で日本初の“自爆テロ”が行われた。
アンナの来日と「アフリカの曙光」更に米国大統領の来日が決まり、誰が狙撃のターゲットになるのか一挙に緊迫の度を増す。それに加えて謎の“究極の狙撃手”の影が・・・

前作「死の谷の狙撃手」でも感じたのだが、このポイズンを生み出した米国の軍部からはみ出したポイズン、その後の彼らを活用しようとする組織がますます不透明になっている。
その組織はシンジケートと呼ばれるのであるが同じシンギケートの内部で多様化されワケがわからない状態となっている点が今回もまた不満要素となってしまった。


うつくしい子ども

2006-06-02 18:15:59 | 「ア行」の作家
石田 衣良 (著) 『うつくしい子ども』文庫 (2001/12) 文藝春秋 500円(税込み)

近年この列島を震撼させている「少年犯罪」に対し真正面から取り組んだ作品である。
13歳の少年が9歳の少女を惨殺した。犯人の1歳年上の兄と9歳になる妹、そして両親を襲った衝撃はまさに激震のような破壊力を秘めていた。
単に犯人の家族といったことから学校の級友、周辺の住民から猟奇的な視線を浴び、学校ではいじめに晒されることとなった犯人の兄と妹。
こうした事態を煽るのは売らんかなの商業主義まるだしのマスコミで、家族がその餌食とされる過程、様子が克明に描かれる。
だがこの一歳上の兄はそうした周囲の圧力にけっして負けなかった。なぜ弟が9歳の少女を殺さねばならなかったのか、彼は独自の調査を始めた。
たとえ弟が真犯人であろうと、彼は一生自分の弟であり続けるわけでなぜ弟が罪を犯すことになったのかその訳を知ることが、理解することが兄として絶対に必用だと考えたからだ。
そんな彼の味方をしてくれる数少ない級友がいた。またハイエナのようなマスコミ関係者の中にもひとりだけ彼の味方をする若い記者がおり、彼らの助けを受けながら事件の真相に一歩一歩近づいていく少年。
捜査の手法が、彼が趣味で培った植物学の分類法を用いるところが何ともユニークである。

物語は事件謎解きのミステリーでありながら、ひとりの少年の過酷な運命に立ち向かう「成長譚」である。自分自身にしっかり向き合い周囲の言動に負けない少年の姿は並の大人以上に気丈であり崇高な精神を持っている。

僕が常日頃思うのは、日本人の「いじめ」に熱狂する国民性は世界的にみても類を見ないことと、日本のマスコミほど執拗に家族を晒し者にして恥じない連中を他に知らない。
少年による犯罪や猟奇的殺人が急増している日本社会は、戦後急速に経済発展を遂げたにものの何か大切なものを失い、結果、社会にそして我々の心に根本的な歪みが生じてしまったのではなかろうか。
「卑怯」を恥じ、「弱者」をいたわる本来の日本人はもう絶滅してしまったのだろうか。そんな絶望感に浸る中、作中に登場する主人公のミキオや彼を助ける数少ない級友、そして少数のケジメをわきまえた大人の存在がかろうじて希望の灯火のように感じられた一遍である。