min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

The Last Assassin

2008-03-31 07:45:43 | 「ア行」の作家
BARRY EISLER 『The Last Assassin』 Pengin.com 835yen($7.99)

オススメ度 ★★★★★

レインはイスラエルの諜報機関員のデリラとスペインのバルセロナでつかの間の愛を交わすのであったが、彼の心の中にはTATSUが告げたひとつの重大な事実が決して消えることなく、いやその事が益々大きな存在となっていることに気がつく。
それはレインの元を離れ、今はニューヨークに住むミドリがレインの子供と暮らしていることであった。
自分との間に子供ができていたとは!?

レインは思い悩んだ末、この事実をデリラに話しNYへと向かった。しかし、ここに重大な危機が潜んでいた。日本のヤクザ組織のボスであり、今や宿敵となったYAMAOTOが中国マフィアと組んでミドリの身辺を監視し、レインが現れるのを待ちかまえているのであった。
レインはDOXに助力を求め、YAMAOTOとその組織との最終的な決着をつけることを決意する。YAMAOTOを排除することはTATSUの最終目的でもあった。
TATSUはYAMAOTOに関する情報をレインに与え、レインとDOXはYAMAOTOを消し去る戦いを日本において開始する。

ミドリそして息子と暮らすためには暗殺者としての過去を捨てなければならない。
だがその前にYAMAOTOを排除し、彼らの安全を確保しなければならない。
レインはこれが最後の戦いと定め、再び阿修羅の世界に踏み込まねばならなかったのだ。
レインは果たしてYAMAOTOを排除し、ミドリの愛を手に入れることができるのか?
またデリラの存在をどうするのか?

全編を通じ早いテンポでストーリーが展開し、ヤクザと中国マフィアに対する戦い、ミドリとデリラの確執、もうハラハラ、ドキドキの連続である。
そしてここでは明かせないが、とても悲しい物語となっている。

本編が邦訳されたらもう一度読んでみたい。

降臨の群れ

2008-03-24 17:17:55 | 「ハ行」の作家
船戸与一著『降臨の群れ』集英社 2004/06第一刷 1,995円(税込)

オススメ度★★★☆☆

インドネシア、マルク諸島のひとつアンボン島を舞台にしたイスラム教徒とキリスト教徒(プロテスタント)間の激烈な宗教紛争を題材にした冒険小説。
両宗派対立に、インドネシア陸軍情報部、CIA、華人社会、の利害、思惑がからみ、更にイスラム原理主義者組織、アルカイダがらみのテロリストが裏で暗躍する。
この紛争に否応なしに巻き込まれたひとりの日本人技術者笹本がいた。アンボン島は笹本にとってはいわく因縁の島なのであった。彼の父親は太平洋戦争でアンボン島に上陸、そして戦犯として処刑された。残された父の日記を読むにつれ決して足を踏み入れたくない島であったが、運命の悪戯か結局この島に引き寄せられる笹本。

さて、アンボン島のイスラム教徒とキリスト教徒は血で血を洗う抗争を繰り広げるのであるが、この背景にあるものを多くの読者は理解できないであろう。
何故にかくもお互いに殺し合う必要があるのかその理由に関しては本書を読む限りわからない。
いわゆる「アンボン騒乱」事件は1999年1月から翌年にかけ約1年間続いた宗教対立で、日本人にとっては「東ティモール」や「アチェ」問題ほど話題にならなかったような気がする。
インドネシアにおけるイスラム教にからんだ宗教紛争はあまりにも数が多く、その対立の真相については単純に解き明かすことは難しい。宗教的な対立もあるだろうが、民族的な対立もまた根深いものがあるであろう。
とにかくインドネシアは東西に広がる距離から言えばアメリカ合衆国よりも長く、数千の島々を擁している。人口は2億人ともいわれ多種多様な民族、言語にあふれている。
こんな広大な島嶼国家をひとつの政権が統治すること自体が土台無理な話しなのである。

物語はいつもの船戸作品の通り、夥しい人々が血を流し、事態は何の解決の道が開かれることなく更に泥沼の中に沈んでいく。人類の歴史は愚かなることの繰り返しに過ぎないように思えてくる。ここには一片の希望の光すら見出せない。

箕作り弥平商伝記

2008-03-19 07:38:34 | 時代小説
熊谷達也著『箕作り弥平商伝記』 講談社 2007.07.05

オススメ度 ★★★★☆

「箕作り」とひとめ見て、「ああ、これはサンカについて書かれた物語だな」と思って読み出したところ、主人公弥平は秋田の田舎で箕をつくっている青年で、父もまた箕を作っていた。一のほとんどが箕作りをしており、東北一帯ばかりではなく北海道まで作った箕を売り歩く。
どうもサンカの類ではないようだ。すっかり肩すかしをくらった感じでちょっぴり残念であった。

弥平は親友と二人で群馬県まで販路拡大のため遠出する。本当の目的は嫁いだ姉が出戻ってきた理由を群馬まで行って確かめようというものであった。
弥平と友人は群馬で汽車を降りるなり、人々から邪険に扱われる。野宿をしたというだけで警察に引っ張られ尋問を受ける。どうにもこうにもその理由がわからない。
だがやがて二人が箕を持っていることが問題であったことに気づく。「箕直し」はサンカの象徴であったからだ。当時サンカの一部は関東でもセブリをしながら漂白しており、戸籍を持たないことから時の政府に弾圧を受け、人々からは民同様に差別を受けていた。
そんな中、弥平はひとりの少女を見かける。彼女は目鼻立ちがくっきりとした美貌の少女でふたつの箕を持ち歩いていた。そして尋常でない足裁きとスピードで歩いていく。ここで僕はピンときた!「おお、サンカの登場だ!」
そう、彼女はサンカの娘であった。
弥平は彼女の家族が近くの被差別に隠れるように住んでおり、なぜ彼女が口をきけなくなったのかを彼女の父親から聞いた。彼女に狼藉を加えたチンピラどもと、彼女の一家を差別する理不尽さに義憤をおぼえるのであった。
一度郷里へ戻った弥平であるが、サンカの娘の姿がまぶたに刻まれ消えることがない。とうとうもう一度彼は群馬に向かったのであるが・・・・

生まれついてのビッコの青年が、理不尽な差別に立ち向かう成長譚で読後感は爽やかである。特記すべきは目次のつけかたが一風変わっていて面白いこと。また、蛇足ではあるが本編にも「あの富山の薬売り」が登場し、弥平の力になる。確か名前は沢田喜三郎、かって「邂逅の森」や「氷結の森」に登場したのではなかったか?
【目次】
壱 箕作り弥平は足が悪い。
弐 箕作り弥平は指が太い。
参 箕作り弥平は物怖じしない。
四 箕作り弥平は女に弱い。
伍 箕作り弥平は粘り強い。
六 箕作り弥平は勘がよい。
七 箕作り弥平は涙もろい。
八 箕作り弥平は情が深い。
九 箕作り弥平は知っている。



「サンカ」については三角寛のサンカ小説選集を読むか、あるいは概略については沖浦和光著『幻の漂白民サンカ』を読まれることを勧めます。またサンカが登場する小説としては五木寛之の「戒厳令の夜」と「風の王国」があり、映画では「瀬降り物語」があります。



雪月夜

2008-03-18 07:57:31 | 「ハ行」の作家
馳星周著『雪月夜』角川文庫 2007.10.25 743+tax

オススメ度 ★☆☆☆☆

根室で育った3人の同級生、幸司、裕司そして敬二。
高校卒業後3人は東京へ出て行き、幸司と敬二は右翼団体へ入った。裕司はヤクザになった。
幸司はドジを踏み根室に戻りロシア人相手に電気製品を売る。ある日、裕司の姿を根室で見かける。敬二(右翼から裕司のところのヤクザ組織に入った)が組の金を持ち逃げし、そして同じく組が管理するロシア人売春婦を連れて根室に向かったらしい、という。
裕司は彼ら二人の後を追い、東京から根室までやってきたのだ。裕司は幸司が敬二の居場所を知っているだろうと執拗につきまとう。
敬二がくすねたという2億円の金をめぐり、地元のヤクザ、そしてヤクザとつるむ警察、更に市会議員、ロシア人船員などなど、金の亡者たちが色めき立つ。
幸司と裕司のガキの頃からのいがみ合いは今も更に憎悪の密度を増し、行き着く先はもちろん地獄。

果てしのない憎悪の物語であるが、彼らの憎悪の根源がまるで失われた北方領土にあるかのような表現はいただけない。クズは何所で産まれどのように育とうが、クズはクズなのだ。
救いの道が一切ないクズ同士の果てしない憎悪と金への妄執の物語。読んでいても疲れるだけ。「不毛」の一言。


ドリーミング・オブ・ホーム&マザー

2008-03-14 13:08:30 | 「ア行」の作家
打海文三著『ドリーミング・オブ・ホーム&マザー』光文社 2008.02.20 1,700+tax

オススメ度 ★★★☆☆

昨年10月、心筋梗塞で突然逝ってしまった打海文三氏。もう彼の新作を読むことが出来ないのか!と思っていたところ、彼のブログ『パンプキンガールズは2度死ぬ』で連載されていた本作が出版された。本作が遺稿となったようだ。

本作の登場人物は少ない。幼なじみの田中聡(さとる)と佐藤ゆう、そして聡が敬愛する女流作家小川満里花の3人だ。それと小川満里花が飼うイエケという1頭の犬。
聡とゆうは幼い頃近所に住んでいた。月光という聡の叔母が飼っていた犬を巡り、ふたりは辛い思い出を共有する。
そして後で判明することであるが小川満里花もまたこの件に関わっていた。
物語はこの3人の三角関係、いや厳密に言えばイエケを加えた四角関係とも言える、ミステリアスで残虐かつ幻想的な物語である。

ゆうは打海作品で何度も登場する女の子のタイプ、聡明で快活、早熟にして小悪魔的、そして瑞々しい肉体を持った蠱惑的な女性として描かれる。過去作品で言えば「されど修羅ゆく君は」と
「愛と悔恨のカーニバル」に登場するヒロイン、姫子のようであり、その奔放さと強靱さは「裸
者と裸者」と「愚者と愚者」の椿子と桜子に通じるものを持つ。
こうしたタイプの女性を好むか嫌悪するかはまさに読み手側の感性に委ねられるのであるが、僕の個人的な好みとしてはグッとくるものがある。
この手の女の子に翻弄され、結果としてはほとんど受け身で受け入れる聡はまさに「ヘタレ男」なのかも知れない。
聡は幼い頃から成人になってゆうに再会した後も彼女に対しては「ヘタレ男」であった。
もう一方の小川満里花は若さではゆうには負けるかも知れないが、ユニークさとある種病的ともいえるエゴと傲慢さは、通常の女性からは考えられないものを持っており、聡はその両者に惹かれている。
彼らの3人の微妙な関係が進む一方で、東京の新宿あたりで新種のSARSが発生し死者が出たことが報じられる。やがてこの新種のSARSはどうも犬を媒体としているらしく、国内ばかりではなく海外にまで波及し始める。
(以下ネタバレあり)







新種のSARSは東京SARSと名付けられ、感染は更に広がり死者も増大する。ゆうと聡はこの感染源は小川満里花の飼うイエケではないかという疑念を持ち、その裏付け捜査を始める。
やがて真相が明らかになるにつれ、事実関係のエロチックではあるがグロテスクな背景が浮かんでくる。
イエケが小川満里花を求めて暴走するくだりは目を覆いたくなるほどの惨劇を創出するのであるが、この責任の一端は明らかにゆうにあり、ゆうが小川満里花とセクシャルな関係を持ったことがイエケを嫉妬、錯乱させたと言っても過言ではない。
また本編の中では明確に触れられないけれども、元々このSARSを持ち込んだのはゆう本人ではなかったろうか(フィリピンから)?
結末は最悪の事態で終えるのであるが、ここで全てを覆すような展開となる。読み手側がそれぞれ独自に解釈できるような内容であるが、著者の意図するところが何であったのかを知る手段は今となっては既にない。
今更SARSというのもピンと来ないが、この結末も個人的には理解、納得できないものであっった。似たような作風は「ぼくが愛したゴウスト」あたりにありそうだが、残念ながら未読だ。

最後に、
かえすがえすも残念なのは「裸者と裸者」「愚者と愚者」に続くはずの「覇者と覇者」が読めないこと。三分の二まで書き上げたという情報もあるのだが、未完でもなんでもいい!読みたい!


中原の虹

2008-03-10 17:44:21 | 「サ行」の作家
浅田次郎著『中原の虹 第1巻~第4巻』講談社 各1,680+tax

オススメ度★★★★☆

ご存知の通り同作家の『蒼穹の昴』の続編である。これを読まずに本編に入ることはほぼ無謀?であろう。また感想を全巻まとめてしようというのも無謀であるのかも知れない。

のっけから満州のシャーマンの老婆が登場し、その婆さんを背負って逃げる青年が張作霖とは!そしてこの占いの婆さんって前に出てきた婆さんだ!いきなり読者を驚かすのは浅田氏の真骨頂か。
この張作霖と、更に春児の2番目の兄・春雷(張作霖が一千元で買った)を軸に物語りが進行するのか?と思いきや、この清朝末期の動乱期に登場する主なる歴史上の人物が続々と登場する。
加えて清朝を築いた女真族の始祖たちの物語が時空を超えて織り混ざり、読む方もなかなかと忙しい。
物語は一応歴史的事実に沿って進行するのだが、読み手側もこの辺りの歴史的背景をある程度把握しておかないと歴史と著者のフィクションが激しくからまり、著者に翻弄される結果となりかねない。
ストーリーの展開を逐一ご紹介するつもりはないのだが、一番印象的なのは登場する歴史上の人物の中で「張作霖」と「西太后」の人物造形が今まで世間一般で伝えられるそれと全く異なる描かれ方がしていること、だろう。
張作霖ってこんなにイカした馬賊だったのかしらん?西太后ってこんなに素敵なおばあちゃんだったの?
どこをどのように調べるとこのようなキャラクターを作ることが出来るのか?凡庸な私の頭では全く理解出来ないのであって、まさに浅田次郎マジックを見る思いがする。
第4巻で離ればなれになった春児、春雷、りん、それぞれの再会のクライマックスが感動を呼ぶのであるが、全体としては袁世凱やその他の人物描写にあまりにも時間を割き過ぎて肝心の張作霖とその一党が中原になだれ込む様(越過長城)が描かれなかったのは残念でならない。
時代背景をもう少し先まで広げてほしかった、ということ。せめて張作霖が国民党軍に敗れ奉天近くで爆殺されるあたりまで描いてほしかった。
再度強調したいが、この作品を読むためには清朝や満州に関わるそれなりの歴史の知識が必要と思われる。特に作品中で重要な事件となる「戊戌の政変」は調べておいたほうが良いかも。

神なるオオカミ

2008-03-03 07:45:19 | ノンフィクション
姜戎著『神なるオオカミ 上・下』講談社 2007.11.28初版 各1,900円+tax
原題:『狼図騰』

オススメ度★★★★☆

中国の文化大革命のさなか、いわゆる「知識青年」と呼ばれる若者たちは中国大陸の奥地深くまで下放された。
内モンゴルの大草原の只中へ何十人かの華人青年たちが下放されたが、その中のひとり、陳陣の数奇な体験を通して草原オオカミと人間との関わりを綴る著者の自伝的小説である。

上巻においては陳陣が“父”とも仰ぐモンゴル人の古老“ピグリじいさん”の薫陶を受けながら草原の遊牧生活に徐々に慣れてゆくとともに、草原の民がオオカミ・トーテムを持つことに興味が引かれてゆく。
上巻で描かれる草原のオオカミたちと遊牧民の壮絶な戦いが圧倒的迫力で活写される。
白きボス・オオカミに率いられたオオカミの群れが黄羊(野生の羊)の群れに襲い掛かり、これを包囲殲滅する様の凄まじさはかってこのような描写を経験したことがない。
オオカミの攻撃は正しく軍隊のそれであり、いや並みの軍隊よりもはるかに勇猛果敢であり狡猾で激しいものである。
大昔から草原の民はオオカミから戦法を学んだのではなかろうか?と陳陣は考える。
更に人間に多くの子オオカミを狩られ殺されたオオカミの群れが、その復讐とも思われる軍馬への攻撃はこの本を読むものたちの魂をゆさぶり背筋を凍らせる。
草原のオオカミたちと人間の壮絶な戦いぶりをみながら、陳陣のオオカミへの興味は益々深まってゆく。
古老の“ピグリじいさん”の反対を押し切って陳陣と友人はオオカミの巣穴から7匹のオオカミの子どもを捕獲する。
自らの手で育てながら今尚神秘的な生態を持つオオカミをじっくり観察しその謎を知りたいと願う。
こうして前代未聞の華人とオオカミの子育て交流が始まった。
下巻では捕獲した子オオカミ(小狼と命名)を探しにやってくるオオカミの群れとの対峙やら大きくなるにつれパオの近くで野生のオオカミを飼うことの困難さが描かれる。
著者が訳者のインタビュウでも述べているが、やがて中国政府の方針で多くの華人や農民化した別のモンゴル人がオロン草原にやってくる。著者曰く
『1950年代から、漢民族の人口急増により食料が足りなくなって、徐々にモンゴル草原に進出して畑を開拓するようになった。一方、政府は牧畜業を発展させるためにオオカミ狩を奨励した。その結果、1970年代になると、草原にオオカミがほとんどいなくなった。オオカミの消失と草原の砂漠化は、ほぼ同時に進行した。いまの深刻な砂漠化はその報いだ』

下巻では更に著者が長年研究した「オオカミ・トーテムについての講座と対話」が連綿と披瀝されるが、この部分は正直ちょっと辟易するほどマニアックである。
これは蛇足だが、中国の華人の祖先もまた草原の民の血を継ぐもので、したがってオオカミの“獣性”を持っているはずだ。いわゆる中国病(具体的に何を指すのかは不明)を克服する為には今こそ“狼性”と“獣性”を取り戻すべきだ、と主張するのだが、いやいやこれはかんべんしてほしい。
今の中国大陸のお方たちが“狼性”なんぞもって元気?になられたら世界中が迷惑するというものだ。草原の民が最初に陳陣に言ったように
『お前たち華人は草を食む羊だ。おれたちモンゴル人は肉を喰らうオオカミだ』
そう、羊でいてもらったほうがありがたい気がする。

さて、日本オオカミやエゾオオカミも似たような経緯で我が国から絶滅したのではなかろうか。
ここ数年北海道、特に道東でのエゾシカの急増(一説では20万頭にも増えた)で農作物や森林への被害が問題となっている。
ふたたび野にオオカミを放とう、という議論すら出てきている。人間の身勝手によってオオカミは絶滅されたのだが、自然体系を壊したのは人間で、これを復活できるのも人間である。だが、今の北海道でオオカミに対する偏見と無知があるかぎり再びオオカミに対して過ちを犯すべきではない。
オオカミと人間はきっと共存できるものと信じるが、いまの人間にはその資格も能力もないのではなかろうか。