min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

大沢在昌著『Kの日々』

2011-06-28 21:46:32 | 「ア行」の作家
大沢在昌著『Kの日々』 双葉文庫 2010.6.13 第1刷 各762円+tax

オススメ度:★★☆☆☆

2009年2月に単行本で刊行されたものを文庫化

荒筋は同書から引用すると、
「闇に葬られた三年前の組長誘拐事件。身代金は八千万円。身代金を受け取った李は、事件から間もなく白骨となって東京湾に浮かんだという。
李の恋人Kの調査を始めた裏の探偵・木(もく)。謎の女Kは、恋人を殺しカネを独り占めした悪女なのか、それとも、亡き恋人を今も思いつづける聖女なのか!?
逆転また逆転、手に汗を握る長編ミステリー!」

とあるのだが、白骨死体って浮かぶんか?と先ず突っ込みたくなるのを抑えねばならない(苦笑)

登場人物はこの事件の調査を以来された元警察官で今は裏社会の探偵稼業?を生業にしている通称、木(もく)。
調査対象となる女は元大手広告代理店勤務で殺された中国人、李の恋人K。現在は西麻布で輸入雑貨店を経営している。
調査を依頼したのは元丸山組構成員の坂本と花口。李と組んで組長誘拐にかかわるが事情があって3年間服役して刑務所を出てきたばかり。
丸山組2代目。事件から3年経ってKの前に現れまとわりつく。
畑吹産業の畑吹カズオ。裏社会の死体処理屋。
丸山組に飼われている四谷署の鬼塚刑事。
これらの登場人物が3年前に李と共に消えてしまった身代金の八千万円をめぐって、その真相を追究するとともにそれぞれ他を出し抜いて独り占めを狙う、という物語。
はでなアクションはなく、身代金をかすめ取った真犯人は誰かを延々と推理しては頓挫する様を描く、といった異色のミステリー仕立てとなっている。

先に読んだ「ユーラシア・ホワイト」と比べると犯罪のスケールが一挙にスケールダウンしてしまうのだが、かの作品がそうであった様に、本編においても結末が見事に?腰砕けなのは何故だろう!?
真犯人のぶざまさ、というかキャラクター造形が、他の登場人物に比べあまりにもおざなりなのは何故?
大沢在昌さん、もう最終までテンションを保つ作家としての“力”を失ってしまったのでは???



[再読]垣根涼介著『ワイルド・ソウル』

2011-06-14 21:26:32 | 「カ行」の作家
[再読]垣根涼介著『ワイルド・ソウル』 幻冬舎 2003.8.25 第1刷 各1,900円+tax

オススメ度:★★★★★

先に「探偵はバーにいる」を押入れの中から発見し再読した、と書いたが実はあと何冊か捨てきらずに残していた本の中にこの「ワイルド・ソウル」も入っていた。
確かこれは面白かったよなぁ、と最初のページを開いて読み出したのだが、どうも吸い込まれるように読み出したら止められない自分がいた。
内容はある程度憶えていたつもりが、ページを繰るにつれディテールをほとんど憶えていないことに気がついたのだ。
憶えていたことと言えば、あまりに酷い当時の日本政府、なかでもクソくらえの外務省の役人、官僚どもの悪行。胸のすくような外務省庁舎への銃撃シーン。そして、最後のあの男とあの女のニヤリとする邂逅シーン。
これらの間を埋めるべきディテールがこの8年間のうちにほとんどが我がイカレ脳みその記憶細胞から消えていることに気がついた!したがってプロットの展開が初読の時の感動と同様にページをめくる速度を加速する。あっと思う間もなくの一気読みをしてしまった。

この「ワイルド・ソウル」を入れてあと「サウダージ」と「ゆりかごで眠れ」の三作品は垣根氏の“南米三部作”と呼べるだろう。今改めて読み返して思うのは何という著者の熱き情熱あふれる作品であろうことか!やはり本作が“南米三部作”の中では最高だろう。いや垣根氏の全作品を見渡した中でも突出した傑作ではなかろうか!?

最近「君たちには明日はない」など冒険小説路線とは別な方向に同氏の作風が向いているが、やはり日本の冒険小説の旗手のひとりとしての同氏に今一度熱き男たちの物語を書いていただきたい!と思うのは私ひとりではないであろう。



東 直己著『半端者』

2011-06-12 16:54:26 | 「ア行」の作家
東 直己著『半端者』 ハヤカワ文庫JA 2011.3.15 第1刷 各780円+tax

オススメ度:★★★☆☆

“ススキノ野探偵”シリーズの前日譚で“俺”がまだ北大に在学していた頃の物語である。
本シリーズは一応完結した?ものと思われるので、東氏が現時点でこのシリーズの前日譚を上梓することに対してはうなずけるものがある。
本シリーズの読者の大半は若き日の“俺”はどんなヤツで、一体どのような生活をしていたのか?なんでまたススキノにどっぷりと嵌ってしまったのか?
そのあたりの事情を知りたかったことであろう。
さて、その若き日の“俺”であるが、基本的にはその後の“俺”と変わりはない。作中既に24才と記しているからまともに進級したものとは思われず、何回生とは分からないもののドッペっていたことは確かであろう。
ほとんど講義に出ることもなく、北大に顔を出すのは、高田から空手を教えてもらう条件として週に一度脇本教授から「失楽園」の英語の講義を一緒に受けることであった。
あと、家庭教師を週に3件かかえていたのだが、これは意外?と真面目にやっていたのには笑える。
しかし、遊びの金や生活の足しにする資金稼ぎは、この頃ススキノの一部富裕層で流行っていたギャンブル「オール」であった。
いずれにしても“俺”が何故大学をまともに出て就職しようとしなかったのかは明確ではなく、単にサラリーマンに直ぐになるよりは現在の気ままなグータラ生活を続けたいからとしか解釈出来ない。
ま、人それぞれの人生であるからして別段文句はあるはずもない。

作中事件らしい事件もないのであるが、桐原との邂逅場面をつくる為にこしらえたプロットはその後の二人の関係を理解する上ではそれなりに納得できると言える。
納得出来ないのはフィリピーナとのかかわりで、作中の“俺”よりも作者である東氏のはかない願望と妄想が生み出したストーリィで、その色仕掛けの展開には苦笑を禁じえなく、また彼女の正体が明らかになった時点では苦笑する前に呆れかえってしまった。