min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

異邦人の夜

2007-01-25 16:27:56 | 「ヤ行」の作家
梁 石日著『異邦人の夜(上下)』幻冬舎文庫

梁 石日と言えば映画化された『血と骨』を想起される方が多いのではないだろうか。今や彼の代表作となった気がする。
梁 石日の著作に初めて出会ったのは1987年に刊行された『タクシー狂躁曲』という本であった。これは確か彼のデビュー作だったと思う。何の気なしに手にした本であったが、在日朝鮮人のタクシードライバーの目線から乗客を通して見た日本社会の様々なありように非常な新鮮さを感じたものであった。
その後映画化された『月はどっちに出ている』で原作者としての梁 石日が注目されることになる。
ところで梁 石日が東京でタクシー運転手になったのは破産して大阪から逃げてきた頃の話だ。これはその後『血と骨』を読んで経緯が分かった次第。

梁 石日の作品の中には「夜の河を渡れ」とか「夜を賭けて」とか、夜のつく題名が多いのに気が付く。いずれも在日朝鮮人を描いた作品であるが本編はフィリピン出身のマリアと在日韓国人の父と日本人のハーフとして生まれた貴子の二人の女性の生きざまがパラレルに語られる。
どうしても梁 石日としては在日朝鮮人の歴史的呪縛の世界に入り込む傾向が見られ本来はフィリピン人マリアの物語に絞ってもらいたかった感が強い。

このフィリピン人主人公を読んでいると前述の映画『月はどっちに出ている』のヒロイン役を演じたルビー・モレノのことをつい思い出すのであった。

なんか本の感想にならない感想となってしまったが、梁 石日の膂力はさすがで上下を一気読みしてしまった。非常に面白い本である。

君を乗せる舟

2007-01-24 23:04:03 | 時代小説
宇江左真理著『君を乗せる舟』 文芸春秋 2005.3.30 1,524円+tax


このシリーズも6作目となった。このシリーズは伊三次とお文を中心に同心の不破やその妻、そして緑川や岡っ引きの連中たちが織り成す物語で構成されてきた。
が、伊三次とお文は結婚し伊予太という赤ん坊も生まれた。依然、出前の髪結いと同心の不破の手伝いという裏家業でなんとか糊口をしのいでいる。ある意味安定期に入ったとも言える。
そこでスポットライトを浴びるのが不破の息子、龍之介であった。いつしか龍之介も元服し緑川の息子や他の数人の若者達と共に同心の見習い(無給の)となったのである。
本編は主にこの見習いたちの“成長譚”とも言える。内容も今日の“暴走族”のような無軌道な無頼の若者達と対峙することになる。
龍之介が龍之進と名を変え成長していく様を見るのはそれはそれで楽しいのであるが、このシリーズはこの先主人公が変わってしまうのであろうか?いや、そんなことはないと思うのであるが伊三次がどのような事件にかかわりどのように生きていくのかやはり気になる。

逃亡のSAS特務員

2007-01-21 07:14:28 | 「ラ行」の作家
クリス・ライアン著『逃亡のSAS特務員』ハヤカワ文庫 900円+tax


アフガニスタンの山中でアルカイダの幹部の抹殺に失敗したSAS特務員のジョシュは数ヵ月後アメリカのアリゾナの砂漠に倒れていた。傍には少年の射殺死体が。
ジョシュ自らも負傷し更に記憶が喪失していることに愕然とする。
瀕死のジョシュを美人医師が救出しようとするのだがその時点から謎の襲撃者が出現するのであった。

この作家には珍しく全編サスペンスに満ちた物語展開となっている。そして舞台がアメリカというのも初めてだ。
全編スピード感のある展開で謎解きにもワクワク感がある。拷問シーンにはちょっとドキリとさせられる。
ただ「停電」をひきおこすメカニズムの説明がおざなりにされている点が不満と言えば不満だ。
だが総じて楽しめる一遍だ。

本編の邦題であるが、原書のままの「ブラックアウト」で良かったのでは。


地下鉄に乗って

2007-01-08 21:33:02 | 「ア行」の作家
浅田次郎著『地下鉄に乗って』』講談社文庫 552円+tax

地下鉄永田町駅の壁の向こうに出現した入り口を登るとそこは東京オリンピックが開催された30年前の新中野駅であった。その夜地下鉄に飛び込んで死んだ兄の姿をみつけた。兄はあの夜ワンマンな父親と激しく口論した後家を飛び出し、帰らぬ人となってしまったのだ。
こんな出だしで始まる物語はSF小説というよりも浅田流ファンタジー小説といったほうが良いであろう。
その後タイムスリップするごとに父の若い時代へ、更に子供の時代にまで時間が遡行していく。
これはひょっとして若き日の父親と邂逅し、父親の真の姿を発見し今や病床に臥す父親との絆を取り戻す父子の愛情を描いた物語か?と思いきやそうではないのだ。
主人公の不倫の相手みちこまでがタイムスリップすることによって驚愕の結末が待っている。

さて、このようなタイムトラベルのストーリーの手法のひとつとして過去の事実に直接手出しをしない、という鉄則があるような気がする。当初、浅田氏もこの鉄則を守ったのであるが(実際地下鉄で飛び込み自殺する兄を直接止めたわけではない)、最後の最後にその鉄則を曲げて話のドンデン返しを行ったというのが納得できない。
それと地下鉄駅構内からタイムスリップしていたのが不倫相手宅の布団の中からタイムスリップするのも納得できない。

ファンタジーとして古い地下鉄構内から時間軸を移動するというのは大いにイメージできるのであるが、眠っている布団の中からというのは妙な感じだ。
特に銀座線の旧車両の時代にはこの線路が第三軌条集電方式を採っていたことからポイントにさしかかると電流が途切れ一時車内の照明が切れ停電し真っ暗になる、あの感覚は不思議なものでどこかこの瞬間に異次元に迷い込むのではないかと思わせる雰囲気を持っていた。
ちょっと不完全燃焼気味な浅田作品かと思われる。

新・マフィアの棲む街

2007-01-06 22:54:09 | ノンフィクション
吾妻博勝著『新・マフィアの棲む街』文春文庫 2006+.12.10 600円+tax

1990年代の初め、著者は『マフィアの棲む街』で余すことなく新宿歌舞伎町における外国人マフィア、なかんずく中国マフィアの実態にせまる優れたレポートを上梓した。
あれから10年、著者は再び新宿歌舞伎町を主体にその後の外国マフィア組織の変遷と実態を取材し週刊誌で連載、このほど本編を文庫化した。

僕が1992年当時の新宿歌舞伎町、特に区役所通りの風林会館やLee3ビル界隈の中国サロンに出入りしていた時には確かに上海勢が多くの店を牛耳っていた。
そこには北京や東北地方から出てきたホステスがポツリポツリ混じっていた。
しかし、上海人であらずんば人でなし、といった風潮があり上海出身ママはこれら上海人以外の中国小姐をまるで奴隷のように扱っていた。

それが今はどうなっているのか。上海も福建も北京もほとんどが東北マフィアに駆逐されてしまったという。10年前には一番田舎者として牛馬の如くあしらわれていた東北人(吉林省や黒龍江省など旧満州の地域)によって歌舞伎町はおろか都内及び周辺の中国マフィアの勢力図が書き換えられたという。
この背景には延辺と呼ばれる地域に住む中国系朝鮮族の台頭があり、彼等独特の結束力と中国語、朝鮮語双方を話せるという言語的な優位性が特記される。
他の中国マフィアや北朝鮮、韓国の犯罪組織とも意思疎通ができるわけだ。したがって組織犯罪がより国際化され分業化されることになった。
更にこの裏には中国からの残留孤児の2世、3世の犯罪社会への参入が大きな問題となっている。国籍を日本に移した残留孤児たちはけっして日本社会では浮上できない運命を悟り、流暢な中国語に日本語をいう武器を使い中国マフィアと日本のやくざの橋渡し役を行うようになったという。

一方福建省を主な根拠地とする蛇頭の動きも上述の状況の変化につれより活動が広域化しているという。以前は福建人を主に密航させていたものが今や中国東北部出身の中国人をも顧客にしている。
彼等は密航に際し日本円で300万円近くの金を蛇頭に支払い命がけで日本に向かってくる。そのほとんどが借金とのこと。日本に上陸した後その返済にせまられるわけだが、まともな家業では返済できるわけもなく厳しい取立てにたまらず犯罪に走るケースが目立つ。
金のためなら何でもするという彼等の犯行は今や首都圏に留まらず地方の資産家を狙うなど広域化している。その背後には上述のような犯罪の多国籍化、分業化が特徴となっている。つまり実行犯は各地出身の中国人に朝鮮人であり情報提供は日本人やくざがあたり盗品のさばきも坦務するという具合だ。
とにかく窃盗や強盗程度で捕まっても強制送還されるか刑に服すとしても死刑になるわけでもないので彼等はタカをくくっている。日本の法、刑罰をなめきっていると言える。

こうした状況を打開するにはどうすれば良いのか?
とにかく彼等の「日本神話」を打ち砕くしか方法がない。密航者は単に強制送還に留まらず厳罰主義で臨むしかないだろう。巨額な対価を払って日本に来てもけっして報われないのだ、ということを骨身に染みるほど分からせるしか方法はないのだ。
一時期彼等密航者の船は台湾に向かった。だが台湾当局の対処は極めて厳しく徹底的に取り締まった。結果彼等は更に北上して長崎へ向かった。台湾よりも日本は甘いと判断したわけだ。
まっとうに勉強するために来日し合法的に真面目に働く中国人には気の毒としかいいようがないがここまで中国人による犯罪が増えると座して眺めるわけにはいかない。
本書を読むと馳星周著『長恨歌―不夜城完結編』や大沢在昌著『狼花』の背景が鮮明になってくる。

ららら科學の子

2007-01-01 18:58:43 | 「ヤ行」の作家
矢作俊彦著『ららら科學の子』文春文庫 2006.10.10 700円

主人公が友人である志垣と向かった「新宿騒乱」は68年の10.21国際反戦デーであった。この年僕は地方の大学でテレビの報道を見ながら、まるで現実感の伴わない不思議な光景を眺めていたような心境であった記憶がある。
翌年の10.21国際反戦デーは国家の威信をかけて学生の暴動を抑え込むべく、圧倒的な機動隊の動員でもって首都圏をまるで戒厳令下のような状況においた。
僕はこの日“ある党派”の隊列の中にいて、新宿に行き着くはるか手前の交差点で最初の機動隊の攻撃に粉砕された。
この時“思想性の高い部分”の何十人かがデモ隊列を組む直前手渡された火炎瓶を投げたがゆえに多くの学友が「凶器準備集合罪」によって逮捕、起訴された。火炎瓶が三越の包装紙が貼られたダンボール箱で運ばれたのを今でも鮮明に覚えている。
最初の衝突でチリジリに逃れた部分はその後新宿に向かったようだ。僕はこの党派に属していたわけではなかった。シンパ程度の意味合いで参加したに過ぎなかったので途中で出会った「べ平連」のデモにまぎれて新宿に向かった。
あの当時の学生の多くは熱にうかれたように既存の体制に対し反逆の狼煙に呼応した。
僕も一歩踏み違えれば主人公と同じ状況にあったこともあり、この主人公の辿った道は極めて興味深いものがある。
当時の文化大革命の時期に、日本からも参加した(招かれた?)党派(確かML派)がありそれに参加した知人がいた。曰くある種の軍事訓練を受けたと述懐していた。大学卒業後そいつと同じ会社に就職したのだが彼の勤めていた支店に幾度も公安刑事が来てまいった、とも言っていた。
矢作氏が設定した主人公が中国へ渡った、という話は決っして荒唐無稽なものではない。

30年ぶりに帰ってきた東京というのを想像できるであろうか?
僕の個人的な経験から言えばたった2年間でも相当の戸惑いを受けるものだ。1977年僕は「羽田国際空港」を飛立ってアフリカのケニアに向かった。2年後成田の「東京国際空港」に降り立って東京に入った時の戸惑いは、主人公が味わった何十分の一かも知らないが同じように味わったものだ。
特に渋谷界隈の記述に僕の記憶がシンクロしてしまい、本当に不思議な感覚に襲われた。

さて、本編のタイトルとなった「ららら科學の子」の意味は一体何なのだろう。唯一この科学の子という言葉が出てくる箇所は
『今判った。俺はあのキャメロットの円卓にひとつだけ空いていた命取りの椅子に腰を下ろしたんだ。そのとき、俺たちはみんな科学の子だった』
はて、これはアーサー王の円卓の騎士の物語にあるのだろうが浅学な僕にはこの比喩がわからない。

もうひとつ分からないといえば、主人公が「失った場所」を見つけたときというのが
『 空を超えて、ららら星の彼方、
  ゆくぞアトム、ジェットの限り、

失った場所を、その歌がゆっくり満たすのを感じた。』という部分だ。

主人公の喪失感というのも分かるような気がするのだが、読者としての僕はこの30年間で日本が失ったものに思いを馳せた。
30年前、僕等が望んだ日本は現在の日本とは大きく異なっていた。
誰が米国の下僕となることを望んだであろう。
誰がこのような生命を軽んじる社会風潮・犯罪を予期したであろう。
誰がこのような格差社会になろうかと予測したであろう。
唯一、30年前の予想に近かったのは鉄腕アトムやスーパージェッターのマンガ世界で描かれた未来都市の姿と乗り物、電子機器・装置ではなかろうか。これらは表面上だけの科学の進歩で、確かに便利になったとはいえ、そのためにより幸せになったとは思えない。
心よりも物質の追求にまい進した僕等の世代はその意味において“科学の子”であったと言えるのかも知れない。