min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

金子貴一著『報道できなかった 自衛隊イラク従軍記』

2009-07-28 07:25:11 | ノンフィクション
金子貴一著『報道できなかった 自衛隊イラク従軍記』 学習研究社 2007.3.20第1刷 1,800円+tax

オススメ度★★★☆☆

本書が出た当時、存在は知っていたものの大して興味はなかった。だが今年に入って次作『秘境添乗員』が出て以来、俄然この著者に興味を抱いた。
『秘境添乗員』を読み始める前に本作を読んだほうがよいのでは、と判断し早速図書館に2作分オーダーした経緯がある。

さて、本作の内容であるが、自衛隊がイラクに派遣され2年強サマワで活動し無事任務を終え帰国したことはまだ記憶に新しい。
自衛隊がイラクに派遣された時、実は民間から通訳が加わった、というのは秘密にされた。だが、全員が無事帰国したら、その内容をマスコミに発表してもよい、という契約があり、このたび解禁されて内容が明らかにされたわけだ。

本の装丁が黒地に赤い文字が躍り、更に「報道できなかった」という枕詞がつくと、“きっと、すんげぇ中味なんだろう!”と一瞬期待?したが、内容はむしろ超マジメで割りと地味?なものであった。
先遣隊に続き第一陣と共に現地入りした著者が真っ先に解決しなければならなかったのは、駐屯地の土地賃貸借に関る地権者との交渉であった。
確かにこの交渉の内容を読むと、アラブ社会に精通した者でなければ決して出来えない交渉である。
先ず地権者が単純に個人とはならない。現地は他のイラク社会と同様、大きな部族社会が形成されており、その交渉相手が複雑かつ複数に渡るものであった。

著者はかって文化人類学を専攻したこともあって、かの地域社会の成り立ちを先ず把握した上で、「誰が的確な交渉相手であるか」を探った上で確実に交渉を開始した。だが、そこで自衛隊とい組織の「日本社会」をやはりしっかりと反映した組織の、“先走り”“思い込み”による壁に遭遇し、思わぬ交渉進展の上で苦戦を強いられる。
だが、やがてイラク現地の部族社会より厚い信任を受け、見事に任務を果たすわけだ。
現地の通訳から「自衛隊は本当に正しい場所に正しい人を置いた。あなたは日本の在サマワ大使になれる。サマワの人々に日本が好印象を持って受け入れられたのは、あなたのおかげだ」と賛辞を受けたのだが、まさに彼の存在を的確に述べた言葉であろう。

自衛隊の海外派兵については未だに賛否両論あるのだが、その是非はとにかく、自衛隊が無事にひとりの犠牲者も出さず帰還出来たのは奇跡にも等しいことである。
米軍が彼の地で大きな犠牲を払わねばならない理由に、軍事上の論議は別として、あまりにもイスラム社会、イスラムの人々のことを知らな過ぎる点があげられる。
「アメリカ的民主主義」を押し付けようにも、上述のイラクの部族社会を認識すればそれが無効であるのが判ろうものを・・・・
これはイラクに限らずその他の場所で懲りもせず繰り返す愚行である、ことがしみじみと分かる一遍である。

佐伯泰英著『侘助ノ白―居眠り磐音 江戸双紙〈30〉』

2009-07-24 14:51:52 | 時代小説
佐伯泰英著『侘助ノ白―居眠り磐音 江戸双紙〈30〉』双葉文庫
2006.3.15第1刷 680円

オススメ度★★★☆☆

シリーズも第30作目ともなると、作者もネタさがしに大変なのではなかろうかと同情したくもなるものだ。
磐音はすっかり佐々木道場の跡取りとしての地位を築いた感じで、特に際だった身辺の動きはない。またぞろ、田沼意次の意を汲んだ怪しげな輩ども(今回は特にだらしのない連中だ)が道場破りに訪れ、道場では新参の槍(棒術)使いにいいようにあしらわれて退散してしまう。
後はおこんの実父である長屋の金兵衛に風邪を引かせて?磐音とおこんに見舞いに行かせる程度が関の山。
そこで最近、磐音の住んでいた長屋の後にやって来た浪人者のエピソードで(何と江戸版剣闘士!)ちょっぴりお茶を濁す。
本編の半分は“デブ軍鶏”こと利次郎が父親の共をして土佐の高知に里帰りしての藩内のゴタゴタ騒動記を盛り込みページを稼いでいる始末。
ま、これはこれで結構読ませるのは作者の実力かとは思うものの、やはり“旬を過ぎた”感は否めない。
新作が出れば反射的に買い求めるものの、もはや一時のような興奮と熱狂に包まれて?の読書にはならないであろう。

真山仁著『ハゲタカ(上・下)』

2009-07-23 10:36:34 | 「ハ行」の作家
真山仁著『ハゲタカ(上・下)』 講談社文庫2006.3.15第1刷 上781円、下733円+tax

オススメ度★★★☆☆

日本経済がバブル崩壊した頃、日本に米国流の投資ファンドの尖兵として鷲津政彦が舞い降りた。世に言う“ハゲタカ・ファンド”として米国で辣腕を振るった鷲津の日本でのターゲットは何か?
どうも投資ファンドと聞くと、日本ではかの「村上ファンド」程度しか頭に浮かばないのであるが、あの村上代表の吐い有名な言葉『金儲けは悪いことですか?』に代表される通り、投資ファンドの目的はあくまでも金儲けである。
その目的の為には手段はいとわない。その手口、やり方についていくつかの事例を本作品でも披露されるのであるが、正直この辺りは興味がない。
バブル崩壊時に大手銀行が行った不良債権処理のひとつ“バルクセール”なるものはこの本で初めて知ったくらいだ。

さて、上巻の冒頭シーンで描かれる、大阪の繊維業者の社長が大蔵省の前で割腹自殺をとげるのであるが、この事が何を意味するのか?
最後の最後に明らかになるのであるが、本作は経済小説であることは異論はないものの、ある意味上述の割腹自殺を遂げた事件に纏わる“復讐劇”となっている。
主人公、鷲津政彦は果たして極悪非常な“ハゲタカ”であるのか、あるいは孤高の“イヌワシ”であるのか、は読んでみてのお楽しみというところではあるが、全体的な印象としては、映画でいえば“ハリウッドB級映画”的、悪く言えば“劇画チック”とでも言おうか。
ちょっと重厚さに欠ける嫌いはあるもののエンタメ小説としては充分面白かった。


C.J.ボックス著『ブルー・ヘブン』

2009-07-20 17:23:26 | 「ハ行」の作家
C.J.ボックス著『ブルー・ヘブン』 早川書房2008.8.20第1刷 1,000円+tax

オススメ度★★★☆☆

12才のアニーと8才のウィリアムの姉弟は、母親が引き込んだ若い男のいる家を抜け出し、川へ釣りに出かけた。
川原で彼らが偶然にも目撃したのは殺人シーンであった。彼らが目撃したことを殺人者たちに知られてしまった彼らは、からくも現場から逃れることが出来たものの、殺人者たちはその後捜索を手伝うそぶりを装いながら幼い姉弟をジリジリと追い詰めるのであった。
登場人物たちの設定がよい。それぞれの登場人物たちのバックグランドの描き方が卓越している。
単なる追跡劇に終わらず、追うもの達、追われる者達、助けようとする者達のサブストーリーがしっかりと語られる。
追うものたちはの素性はリタイアしたロス市警の警官たちであり、彼らはどうも重大な犯罪を犯した者たちであるようだ。
彼らの跡を追うように登場した一人の元警官ヴィアトロ。更に幼い姉弟を匿い、やがて殺人者たちの手から守ろうとする老牧場主のジェス。悪徳警官の犯罪を薄々感じながらも彼らに口座開設の便宜を計らった地元の銀行家ジム・ハーン。
これらの登場人物が絡み合い、最後のクライマックスに突入する。
物語の登場人物、プロットの展開のしかた、どれをとっても秀逸な作品でありながら何故かいまひとつ“ノリ”が感じられないのは何故だろう?

どうもこの作者の発するリズムが僕には会わない気がするのだ。何度も述べたように、面白さの要素は全て揃っているのに、どうしても最後までのめりこめなかった自分は異端?なのであろうか。
蛇足かも知れないが、最後の数ページはいくらか幻想的な場面が織り込まれており、多くの部分を読者の解釈に委ねる事がいくつかあるが、やはりこれらは明確に描いて欲しかった。


久保俊治著『羆撃ち』

2009-07-12 12:46:06 | ノンフィクション
久保俊治著『羆撃ち』 小学館2009.4.25第1刷 1,700円+tax

オススメ度★★★★★

現代に生きる孤高のマタギ(プロハンター)と彼の良き伴侶であった北海道犬(アイヌ犬)フチの物語である。物語といっても小説ではなくノンフィクションであるが。
とにかく驚いた。何が驚いたかと言えば、このようなマタギが我々と同時代に存在した、という事実である。
マタギといえば直ぐに頭に浮かぶのは、秋田県の阿仁を中心とするマタギたちで、それも過去の伝説と化しつつあるのが実情だ。
彼らは熊の狩猟においては“巻き狩り”という独自の集団的狩猟方法をとっていたことで知られる。
一方、本編の著者久保田氏はあくまでも単独による狩猟方法をとり、羆もしくわエゾシカを一人(後に犬と)で何日も山中を追跡し仕留める、という驚異的な狩猟を行うのだ。
1947年生まれというから現在62歳。今は北海道中標津で牧場を経営する傍らたまに猟をするようであるが、彼が大学生であった時に自らをマタギとして、狩猟のみを生業にして生きていこうと決意したという。
時代背景を考えれば彼が小樽商大の学生であった時の日本は、まさに高度成長経済を迎えんとする経済の絶頂期であったと思われ、周囲の同級生はもちろん就職活動に専念する中、彼は己の生きる道を全く別な所に求めていたわけだ。
これは並みの人間が考えることではない。彼の狩猟に対する情熱、自然への、そして野生動物への限りない愛情と執着の度合いが伺われる。

本編で描かれる北海道の自然の厳しさと美しさ、そしてそこに生きる野生動物たちを狩る時の著者の描写は単なる狩人のそれではない。
優れた動物文学者の手による、迫真の描写に読者は魅了される。特に、凶暴さにおいては我が国で第一位の存在であろう羆を追い詰め、渾身の一撃を与える瞬間の命のやり取りの様はただただ驚愕し、同時に感動する。

そして彼の生涯のバディとなったフチとの邂逅、成長の様、そして避けることが決して出来ない運命的決別。特に愛犬フチとの別れは涙なくして読めない。
本当に久々に感動した一遍である。

熊谷 達也著『ゆうとりあ』

2009-07-07 07:27:15 | 「カ行」の作家
熊谷 達也著『ゆうとりあ』 文藝春秋 2009.3第1刷 1,714円+tax

オススメ度★★★★☆

あなたは定年後どうしますか?
と、定年を迎えた者は尋ねられるまでもなく誰しも考えることだろう。
本作のタイトル「ゆうとりあ」と題名をみただけで、「ああ、ゆとり、とユートピアをかけたのね」と考えるだろう。そう、実際のネーミングはその通りの陳腐なもの。したがって、内容もその名の通り陳腐なのであろう、と思うのはちょっと待て!と言いたい。

確かに主人公やその同期が歩み始める内容は特筆すべきものは何もない。
とりわけ主人公の場合は、なんとか同じ会社でリストラを免れ定年まで勤め上げることが出来た。二人の子供達もそれぞれ独立して家を出て、その家のローンも終えて今は借金もない。そこそこの退職金ももらって蓄えはある。
さて、老後は好きな蕎麦打ちの趣味を生かして蕎麦屋でもやろうか。
など思っているときに妻が聞き込んできた「移住」の先が富山県にある「ゆうとりあ」であった。

読者はここで、この物語の先行きがある程度見えた気がしてくる。そんな展開になりかけるのは確かであるが、そこは作者が熊谷 達也氏であることを忘れてはいけない。
移住者の中に、ほとんどが同年配の年寄り連中なのであるが、若い夫婦者を登場させる。その嫁さんがなんと東北のマタギの娘の設定である。
したがって、富山の里山にある「ゆうとりあ」にクマやらイノシシ、更にサルの群れが登場しても、そんじょそこらの安物小説の顛末とはひと味もふた味も違った展開をみせるのだ。

団塊世代の老後の課題、東京ほかの大都会に住む人々と地方に住む人々との考え方、生活様式の相違、自然(特に野生動物)と人間の共生の問題、等々。
考えさせられる中味はいろいろあるのだが、熊谷達也流のストーリー展開は思わぬかたちの結末を迎える。