min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

トマス・W・ヤング著『脱出山脈』

2011-10-27 21:11:32 | 「ワ行」の作家
トマス・W・ヤング著『脱出山脈』ハヤカワ文庫 2011.1.15 第1刷 900円+tax

おススメ度:★★★☆☆+α

ボスニアかどこかの東欧の紛争地帯で米軍の偵察機が反政府軍のミサイルに撃墜され、からくも生き残ったパイロットが敵の猛追をかわして敵地を脱出する、という米のB級映画があったよなぁ、と先ずそんな感想を抱きながら読んだ本。
ただし、本作の舞台は冬のアフガニスタン。
撃墜されたのは米軍のC-130ハーキュリーズ輸送機で、運んでいたのは物資ならぬタリバンのムッラー(高位聖職者いわゆるイスラム教の坊主)であった。
この坊主、9.11にあきたらず更なるテロ(どうも核攻撃らしい)を米国に対し画策する中心メンバーでテロ計画の詳細を知る重要人物であった。
この坊主を米軍はひっとらえ、後方の基地(どうもガンタナモを示唆しているようだが)にて尋問する予定であった。
が、離陸後しばらくして反政府勢力の地対空ミサイルによって叩き落され、乗員の大半及び坊主が生き残った。
そこへ坊主を奪還せんとする反政府勢力が迫り、機長は航空士のパースンと通訳の陸軍女性軍曹ゴールドに対し坊主を連れて脱出しろと命令したのだ。

ここから坊主を連れた二人の米兵と彼らを追うアフガニスタン反政府軍ゲリラ部隊との間で繰り広げられる逃走・追走劇の幕が切って落とされる。
この両者に更にアフガニスタン政府軍特殊部隊が加わって更に戦闘は激しいものになる。

久方ぶりの本格的「戦争冒険小説」と言える本作である。著者は実際米軍の国家航空警備隊の一員として従軍していた経験があり、峻険で過酷なヒンズークシ山脈の深部をリアルに描いている。
退役後AP通信のライターをしていた経緯があることから、表現力は巧みであるのだが、小説家としは今一歩の感がある。
ま、S.ハンターあたりと比較するのは酷かも知れないが。

主役のパースンと通訳のゴールド軍曹、そして坊主とゲリラ軍指揮官マルワン、更に政府軍特殊部隊のアフガン人大尉ナジブや部隊を支援する米軍大尉キャントル大尉の人物設定はなかなか面白いのであるが、せめてパースンとゴールドのキャラ造形をもう少し深く掘り下げて描くことが出来れば更に優れた冒険小説となったであろう。

本作を映画化すれば冒頭に述べたハリウッド映画よりも遥かに面白くなる内容だと思う。
物語の発想は類型的であるかも知れないが飽きずに読める「B級冒険小説」ではなかろうか。

余談:
本作品の中で「ヒンズークシ」山脈の命名の由来解説に大変興味がそそられた。
「ヒンズークシ」とは「ヒンズー殺し」の意味を持つということで、古来より地獄のように厳しい場所として恐れられていたようだ。
興味を抱いたというのは「ヒンズークシ」の「クシ」の部分である。ペルシャ語で「コシ」というのが「殺す」の意であって、アフガニスタンが古来よりペルシャ語が使われてきたことを思い起こされた。特にダリー語はほぼイランのペルシャ語と同じである。



映画『一命』

2011-10-18 17:55:16 | ノンジャンル
物語のあらすじは

Cinema cafeより引用

「戦国の世は終わり、平和が訪れたかのようにみえた江戸時代初頭。徳川の治世のもと、大名の御家取り潰しが相次ぎ、仕事も家も無くし生活に困った浪人たちが続出していた。そして、困窮した彼らの間で、裕福な大名屋敷に押しかけ、庭先で切腹を申し出ると面倒を避けたい屋敷側から職や金銭を与えられることを利用した「狂言切腹」が流行していた。そんな中、名門・井伊家の門前に津雲半四郎(市川海老蔵)と名乗る浪人が現れる。家老・斎藤勘解由(役所広司)は、数ヶ月前にも同じように訪ねてきた若浪人・千々岩求女(ちぢいわ もとめ/瑛太)の起こした狂言切腹の顛末を話して聞かせる。すると半四郎は、自分が切腹に至るまでの驚くべき事実を語り始め…。」


中世の封建社会が矛盾に満ち満ちていることは古今東西の歴史をみれば明らかなことではある。
また勝者が敗者を支配するのは動物社会同様、人類においてもジュングル・ルールが厳格に適用されてきた。ただその適用の仕方がサムライ社会においては現代よりもより厳格に行われてきたのは事実。
本作を撮るにあたり三池崇史監督が目指したものは何だったのであろう?
単なる武士社会の矛盾と欺瞞を暴き、虐げられ侍の最後の“矜持”の発露か!?もちろんそれもあるだろう。だが何故今古臭い映画『切腹』のリメイクを行ったのか?

本編を観ながら僕の頭の中に浮かんだのは現在の日本、そして現在の世界であった。
それは時が経ても変わらぬ「格差社会」の現状である。
勝ち組と負け組の鮮やかでかつ残酷なまでの差違。負け組が一生かけても決して浮上できないシステムは正に現代も中世のまま。
竹みつで井伊家の侍達に切り結ぶ津雲半四郎の最後の叫びは、「それがしどもは単に生きたかっただけなのだ。おぬしらに憐憫の情というものはないのか!」であったが、このセリフは300年後の日本の政治屋、官僚ども、そして自らの利益しか追求しない大企業に向かって投げつけるべきかも知れない。

<余談>

本編の配役は市川海老蔵、瑛太、満島ひかり、役所広司ほかであるが、市川海老蔵に関しては彼が根っからの歌舞伎役者であることを認識させてもらった。が、あの事件を忘れることは出来ないが故に心の隅でシラケさせる部分があったことは否定しようがない。
瑛太は正嫌いな役者のひとりであるが、今回の演技に関しては大いに評価したい。
役所広司は日本の時代劇にあける重鎮とも言える存在になりつつある。お見事。
満島ひかり・・・・・



大沢在昌著『新宿鮫Ⅹ 絆回廊』

2011-10-16 20:13:48 | 「ア行」の作家
大沢在昌著『新宿鮫Ⅹ 絆回廊』2011.6.10 第1刷 1,600円+tax

おススメ度:★★★★★

1990年に「新宿鮫」が上梓されて以来20年を超える時が流れ、本シリーズは第10作目となった。
自分としては本シリーズが始まる以前から大沢在昌氏に注目しほぼリアルタイムで同氏の作品を読んできたのだが、「新宿鮫」シリーズが同氏の代表作であるとは思わなかった。
実際、第二作目の『毒猿』は別格として他のシリーズ作が常に氏の標準以上の作品であったとは思えない。
だが、この数年同氏の生み出す作品にはことごとく失望することが多く、約5年ぶりに出された本作もよもや?と危惧しつつ読み始めたのであった。
結論から言うと僕の危惧はかき消えた。確かに鮫島刑事のパワーは最盛期よりも落ちたかも知れないが、精神的な基軸となる部分は依然としてブレることはなかったからだ。
それは同じキャリアとしての同期であった香田との会話の中で、何故鮫島が刑事となったのか、刑事としての務めは何であるのか、香田が「今更そんな青臭い意見なんぞ聞きたくない」と遮るほど昔の鮫島と同様の「警察官としての矜持」が語られる。
だが、彼の「矜持」が鮫島の唯一の恋人晶を失いかねない原因となる。
そもそもこの晶という女性との恋愛はあり得ない関係で、大沢氏が彼女を登場させた時から「一体、彼女とどう別れさせるつもりなのか?」と疑問に思っていたのだが、ここへきてやっと清算する機会を鮫島に与えたと言っても良いのでは。
もうひとり、鮫島はかけがいの無い人物を失うことになるのであるが、これだけは言うわけにはいかない。
彼を失ったことが恐らく本シリーズが大きく転換する契機となるであろう。
僕としては本シリーズが続き今後の鮫島の行く末、生き様をしっかりと見守りたい気持ちでいっぱいだ。
5★は多少甘い採点かも知れないが、これは「新宿鮫」と呼ばれた男に対する熱きエールと思っていただきたい。



石川渓月著『煙が目にしみる』

2011-10-11 10:40:28 | 「ア行」の作家
石川渓月著『煙が目にしみる』2011.2.25 第1刷 1,700円+tax

おススメ度:★★★★☆


「煙が目にしみる」と聞いてある程度の年輩の方々で、かつ昔洋楽が好きだった人は直ちにプラターズの「Smoke gets in your eyes」を想起するだろう。
本作のタイトルはまさにあの楽曲から由来する。しかし、著者が日本ミステリー文学大賞(第14回)に応募したときの題名は「ハッピーエンドは嵐の予感」であった。
同賞の第14回新人賞を受賞後改題したもので、「ハッピー・・・・」じゃ手を伸ばさなかったであろうから「煙が目にしみる」のほうが正解であったろうし、実際この曲が作中意味を持ったものとなっているので正しい改題?と言えるかも知れない。

ある意味本作は“古きよき時代”のハードボイルド、と言っても過言ではないだろう。だって、内容がモロ昔風なのだから。
バブル華やかりし頃、博多の歓楽街中州を舞台に肩で風を切ってかっぽしていたマムシこと小金欣作(この名前が笑える)は、相棒のハブをこの一帯を仕切る指定暴力団系の「芳崎ファイナンス」の策謀によって命を失って以来、細々と金融業を営んでいた。
そんな折、うら若き少女(かなり突っ張った)が芳崎の事務所に乗り込んで来て「親友の夏美を返せ!」と叫んだのであった。
少女があわや逆に連れ去られる寸前、マムシの胸に去来した“熱き心情の塊”が噴出し、その少女を救ったのであった。
物語はこの時点でうらぶれた中年男が、過ぎ去りし悔恨の日々を清算し、中洲の街を本来の姿に取り戻すべく強大な暴力団に立ち向かうドンキホーテ的展開とあいなる。
マムシ陣営に集う仲間たちのキャラがなかなかイケてる。特にオカマのメロンの“男気”は突出しており、主人公ならずとも思わず惚れそうになる良いオンナだ。
ストーリー展開はやや作者のご都合主義じゃないかしらん?と思われる点も多々あるが、エンタメ小説としては楽しんで読み進める。
先に読んだ同じく日本ミステリー文学大賞新人賞(第12回)を獲得した「プラ・バロック」よりも選定基準は確かのようだ。



結城充孝著『プラ・バロック』

2011-10-04 16:29:52 | 「ラ行」の作家
結城充孝著『プラ・バロック』2011.3.20 第1刷 686円+tax

おススメ度:★★☆☆☆

本の背表紙の紹介文

「雨の降りしきる港湾地区。埋立地に置かれた冷凍コンテナから、14人の男女の凍死体が発見された!睡眠薬を飲んだ上での集団自殺と判明するが、それは始まりに過ぎなかった。
機捜所属の女性刑事クロハは、想像を絶する悪意が巣食う、事件の深部へと迫っていく。斬新な着想と圧倒的な構想力!全選考委員の絶賛を浴びた、日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。」

に釣られて購入したのであった。が・・・・・・

些細な事柄なのかも知れないが、何故、主人公を含めた登場人物の名前がカタカナなのか!?
確かに日本人の姓名をカタカナ表記する他作品での事例はある。ひとつは、姓名の表記が定かでない場合(口頭で聞いただけの場合)に使われ、その後表記漢字が判れば、以降カタカナは使用されない。
いまひとつはその人物が日系人であり、オリジナルの姓名が外国語表記の場合。
また、SF小説で未来の時代の日本人であることを示したい場合に使われている。

では本作でカタカナ人名を使わねばならない理由はどこにあるのであろう。
この小説は“近未来”小説であることを主張したいのであろうか?
本作で重要な要素としてコンピューター上の“仮想世界”が登場し、主人公始め犯人らしき人物も存在するのだが、クロハが捜査する上でもこの“仮想世界”が重要なカギとなってくる。この仮想世界での登場人物たちはそれぞれ「アバター」の形で登場し名前も本性も秘匿している。
本作の登場人物たちが「リアル社会」と「仮想社会」を行き来しているうちに何時しか同化してしまっていることを表現する為にカタカナを使用しているのではないか?ともちらりと思ったりした。
実際、描かれるリアル社会の風景描写や登場人物のキャラ造形が何か現実社会に根ざした描かれ方とも思えず、いかにも“つくりもの”としか思えない、一向にのめり込んで読む気力が湧いて来ない。