min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

高野秀行著『恋するソマリア』

2015-07-05 16:18:11 | ノンフィクション
高野秀行著『恋するソマリア』集英社 2015.1.30第一刷 \1,600+tax

おススメ度:★★★★★

待ってましたぁ!ミスタータカノ!のソマリア・リポート第二弾!!!なんと今度のタイトルは直球勝負「恋するソマリア」になってしもうた。まさかなんぼソマリアにはまったとは言え「恋する・・・」はねぇだろ!?本人は前回の旅行から帰国するや、もうソマリアに帰りたくて帰りたくて、そわそわオロオロ、まるで恋人と別れ早く再開したくてたまらない恋する青年の如しw。
そんな高野氏は早稲田のソマリ留学生兄弟(妹)からソマリ語を習ったり、中古車のダイレクト輸出の商売を仕掛けをつくったりとヤル気まんまん。
そしていよいよ2度目のソマリアへの里帰りを果たしたのであった。今回のテーマは特に次の3点であった。それは「言語」「料理」「音楽」(踊りを含め)。高野氏は世界各地を渡り歩くうちに人間集団を形作る内面的な三大要素はこの3つにあると喝破したのであった。
かくして南部ソマリアの秘境を訪れる前にソマリア人の普通の家庭にある外国人にとって全くの秘境とも言えるその台所に潜入し誰もが果たせなかったソマリアの家庭料理を伝授してもらったのである。そこでうら若きソマリ女子の文字通りベールを脱いだ交流があり、ミスタータカノにとって忘れがたい体験となった次第。
僕にとってもっと興味深かったのが「音楽」の話題。ソマリア人の性格から想像される激しいアラブ風ミュージックが好まれるものと作者高野氏は考えたようであるが、全くのハズレ。
何とも叙情豊かな男女の恋の歌を中心に、これは日本の演歌に近い歌謡曲では!?と思われるものが好まれる。ソマリの音楽は日本同様「五音音階」のため曲調が日本と似ているのだ。
僕が昔ケニアの北東部、ソマリア国境からほど遠くないサバンナではたらいていた時に夜僕のラジオに流れた音楽は紛れもなくド演歌であった。びっくりして起き上がりじっとその音楽を聴いたのだが、歌詞は何語であるのか全然わからなかったものの、何故こんなところに演歌を歌う民族がいるのか不思議であった。
そして高野氏は念願の南部ソマリアの秘境へ州知事の招待でホーン・ケーブルTVモガデショ支部のハムディらと軍の護衛付で分け入ったのであるが、これが最悪の事態を招くことに。詳細は割愛。
ところでハムディと言えばモガデショ支部の剛腕姫と表現されるように超美貌でありながら管理者としても記者としても辣腕を振るう才色兼備のおねぇちゃん。本作品でも何枚かの画像が載っているが、表紙を飾る女性はまさにハムディその人であろう。
これだけの美貌を持ち射るような眼差しで議論をふっかけるインテリジェンス溢れる女性であれば大抵の男は沈黙する。
僕なんかだと一発で惚れるタイプだ。そもそも高野氏が今回の題名を「恋するソマリア」としたのは「恋するハムディ」が居たからではないのか?と勘繰ることができるほど。本編あとがきの部分で載せられた彼女とのツーショットの高野氏の何とも幸せそうなお顔を見るにつけそう思ってしまう。詳細はネタバレになってしまうので書けないが、さて高野さん、もちろん3度目の帰郷を果たすのでしょうね!それとも北欧の旅に変更とか?

池内 恵著『イスラーム国の衝撃』

2015-02-10 14:06:33 | ノンフィクション
池内 恵著『イスラーム国の衝撃』 2015.1.20 文春新書 第一刷 780円+tax

おススメ度:★★★★★

「イスラム国」と称するイスラム過激組織による湯川春菜氏及び後藤健二氏とみられる日本人2名が斬首で有名になったあの動画がネット上に流された同じ日に本書が発行されたという何とも奇妙なタイミングがあった。
「イスラム国」(略称ISISもしくわISIL)という名前が報道され始めたのはわずか1年前くらいでその存在を知る日本人はまだ少なかったと思われる。
僕がISILという名前を始めて知ったのは本ブログでも書評した渡辺裕之著『新・傭兵代理店 悪魔の大陸』であった。
本作品の中で渡辺氏は既にISILという表記をされていた。

ところで著者の池内恵氏は東大の新進気鋭の学者さんで、恐らくこの分野では最も的確に状況を捕えておるものと考える。
私ごときが本書の書評をするつもりはないので本書で述べられる目次だけでも載せておきたい。是非実際に手に取られて読まれる事をお勧めします。

1.イスラーム国の衝撃
2.イスラーム国の来歴
3.甦るイラクのアル=カーイダ
4.「アラブの春」で開かれた戦線
5.イラクとシリアに現れた聖域
6.ジハード戦士の結集
7.思想とシンボル
8.中東秩序の行方
以上

鬼塚英昭著『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』

2015-01-22 15:40:51 | ノンフィクション
鬼塚英昭著『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』成甲書房2011.5.30 第一刷

おススメ度:★★★★☆

ロスチャイルドと聞くと「ああ~、また何時もの陰謀論かい!」と腰を引くアナタ!、ちょっと待って下さい。9.11の陰謀論まではかなり納得出来るのですが、その後の3.11東北大震災も陰謀云云になってくると僕もさすがに腰が引けるのですがね。
今回は原発なのです。
上述の3.11大地震によって福島第一原発がレベル7までの被害を受けながら、今日本政府並びに電力会社は性懲りもなく原発再稼働をしようとしている。
もうあの「安全神話」なんて誰も信じないし、もしもう一度原発事故が起きればこの国は二度と立ち上がれない、ということも分かりながら。
では何故やめないのか!?いや、何故やめられないのか!???
それはこの国が近代化を迎えた時から、ある勢力に完全に取り込まれたからに他ならな。こう言うと中々信じられないであろうが、明治維新以来この勢力が目に見えて表れたのは、日露戦争直前のこと。
日本は何とかロシアの南進を食い止めようと躍起になったあの時代。だがいかんせん新興弱小国の懐事情かな、金が無い。ロンドンまで出かけ何とか日本の国債を売らんとした高橋是清であったが誰も買ってくれない。ほとほと弱り切った閣下の前に手を差し伸べてくれたのが米国「クーン・ローブ商会」、ボンと5,000万円貸してくれたのだ。実はこの商会、イギリスのロスチャイルド家のアメリカ代理店なのであった。
そしてこのクーン・ローブ商会は後に原爆開発及び製造という最も深い闇の産業に関わっていく。
第二次大戦が終えた頃、日本で一体何が起きたか。正力松太郎と中曽根康弘はA級戦犯として巣鴨プリズンにとどまるものと思われたのだが何故か二人とも出て来た。
そう彼らはCIAの手先となり日本の戦後政治、産業を動かして行くことになる。著者鬼塚氏によれば正力松太郎は日本の原発マフィア第一号であり、中曽根は第二号ということである。
この二人は二人三脚のように日本の原子力政策を推し進めた。当時、あのビキニ環礁で被爆したマグロ漁船第五福竜丸の事件をも「毒をもって毒を制す」とばかり強引に「安全神話」を作って行った。
一方ロスチャイルド家は世界の主な産業、金融、マスコミ、等々全ての上に君臨するようになった。わけても世界のウラン埋蔵量の八割以上を手中にした彼らは、そのウランを使用する原発のマフィアを形成している。彼らにとっては事故を起こし、その国が滅びようが構う事は無い。ひたすら原発を増やす方向へ進んでいる。
日本は世界の中では最もアメリカ原発マフィアに取り込まれており、東芝はウェスチングハウスを既に傘下に収め、日立はGEと企業連合を組んでいる。米国内での原発新設が難しくなった今、アメリカ原発マフィアは日本の安倍首相をもトップセールスマンに起用しながら海外に売り込んでいる。もちろん国内の原発再稼働にも余念がない。
こうして日本はアメリカさんの意のままに動く“操り人形”劇団と化してしまった。我々はどうやってこの愚行を止められるのか!?


高野秀行著『腰痛探検家』

2014-10-27 19:51:47 | ノンフィクション
高野秀行著『腰痛探検家』 集英社文庫 2010.11.25第1刷 

おススメ度:★★☆☆☆

先ず断っておきたいことがある。それはあなたが腰痛持ちか否か?ということ。
もしあなたが腰痛とは無縁の世界に生きているとしたら、こんなつまらない本はないかも知れない。別の言い方をすれば、つまらないかどうかは個人によるかも知れないが、腰痛の無限に思える苦しさを経験したことが無ければ著者の言う事が、書くことがなかなか信じてもらえないと思われる。
著者自身が「非腰痛世界」から「腰痛世界」へ移り住む、と表現するくらいだからその相違は全く異なる世界に生きるということだ。

高野氏が38才の夏に何の前触れもなく腰痛が始まった。あちこちの整体や鍼へ通ったものの治らぬまま40才の冬には東京から沖縄までの2,500kmの自転車旅行を敢行した。
これが直接の引き金となって氏の本格的腰痛が始まったらしい。
ここへ来てこのやっかいな腰痛を治さねば。せっかく世間でもその名を知られ始めた“辺境作家”なる看板を下ろさねばならない。
「他人の行かないところへ行き、他人のしないことをする」をモットーとする秘郷探検作家が腰痛で動けない、とはあり得ないことだから。

ここから同氏の“腰痛の密林”での悪戦苦闘が始まる。西洋医学の医院4か所、民間の治療院数か所(鍼灸院、理学療法、心療内科、果ては超能力者?まであらゆる種類)を試すことに。中でも整形外科でレントゲン、MRIで検査するも医師によってその解釈、診断が違うのには著者もほとほと困り果てた。
かくして高野氏は“腰痛の密林”から無事帰還出来るのであろうか!?とことん腰痛を追求した前代未聞の体験記である。

かくいう私も重度の腰痛持ちである。私の場合は原因が明らかで“第四腰椎すべり症”ということ。結論から言うと治らない模様。ただ、腰椎の辛さに関する高野氏の記述には激しく同意してしまった。

高野秀行著『謎の独立国家ソマリランド』

2014-06-11 22:19:44 | ノンフィクション
高野秀行著『謎の独立国家ソマリランド』本の雑誌社 2013年2月 第1刷 
2,200円+tax

おススメ度:★★★★★

著者は早稲田大学探検部出身の異色ルポライターで、僕はかって彼が探検部所属時代のエピソードを綴った「ワセダ三畳青春記」を読んだ程度しかないが、妙に魅力のある作家だなと記憶に残った。
さて、そんな著者が何でまたソマリアに興味を抱いたのか不思議であるのだが、そんな著者以上にソマリアについて知りたいのが僕なのである。
洋の東西を問わず現在のソマリアがどうなっているのか、その実態を自らの足で歩いて取材した本などあったろうか。
この著者の「他人の行ったことが無い、そして誰も知らないモノを探したい!」という持ち前の好奇心がソマリアをターゲットにしたものと思われる。

僕が青年海外協力隊の一員としてケニアに赴いた年、1977年の7月にソマリアは突如隣国エチオピアに侵攻し、いわゆる“オガデン戦争”が勃発した。結局ソマリアはこの戦争に敗れその後大統領も失脚し国は無政府状態に陥ったと聞く。だが何がどうなったのかはさっぱり分からない。情報が圧倒的に不足する中、我々が見聞きしたソマリアの状況は映画「ブラックフォークダウン」で描かれた狂気の戦闘が行われた首都モガディシオであったり、近年多発する海賊のことばかり。
そんな中著者高野氏はソマリアへ入って行ったのだ。同氏の分析ではソマリアは一つの国ではなく、大きく3つの地域、政権に分かれるという。
国際的には未承認ながら平和な独立国家としての体裁を整えるソマリランド、海賊の拠点プントランド、そして著者いうところのリアル北斗の拳、南部ソマリア。
混沌とした南部ソマリアを“北斗の拳”と例えたところが極めてユニークで、実はそうとでも例えねば説明しきれないソマリ社会の特殊事情がある。
アフリカ諸国のほとんどは部族社会を基盤とした国づくりがなされているのだが、ここソマリアはいくつかの主要な氏族とその分家からなる「氏族社会」なのだ。
この視点こそがソマリアを理解するキーワードとなる。
僕が個人的に興味を抱いたのは高野氏が現地でミラー(ミロとも呼ばれ、原産地イエメンではカートという)という覚醒作用をもった植物について記した部分だ。実はこのミラーを知らずしてソマリア人を理解することは出来ない。
ケニア時代にソマリア出身の女性と付き合って、僕もナイロビ在住のソマリア人社会に出入りし幾度かこの“ミラー・パーティー”を経験したのであるが、この効果はちょっと言葉では難しいかも知れない。戦争で行けなかったものの本当に行きたかった国というのが実はソマリアなのである。






オーテス・ケーリ著『真珠湾収容所の捕虜たち』

2013-10-02 18:43:31 | ノンフィクション
オーテス・ケーリ著『真珠湾収容所の捕虜たち』 ちくま学芸文庫 2013.7.10
副題:情報将校の見た日本軍と敗戦日本

オススメ度★★★★★

太平洋戦争の後半、日本軍が明らかに米軍に屈しつつある最中、“餓島”や“硫黄島”の激戦地にて捕虜になった日本兵が送られた先はハワイの捕虜収容所であった。“生きて虜囚となるなかれ”と洗脳された日本兵の中にはやむを得ず捕虜のなった者とは別に自ら米軍に投降して捕虜になった者たちも多く含まれていた。これからどんな過酷な運命が待ち受けているか皆目分からない捕虜たちの目の前に立った一人の若き米軍将校から発せられた第一声が
『階級順に並んだ。上等兵、伍長、軍曹、少尉、中佐、大佐、元帥。おっと、元帥はいねぇか。』であった。それも全く流れるような江戸弁であったから捕虜たちは完全に呆気にとられた。
後に朝日新聞の記者であった捕虜の一人が自らの回顧録で『このセリフに一同おったまげた。とんでもない達者な通訳がいる。はらの中まで、かっさばかれる。そういった脅威だった。』と述べている。
ケーリが日本語が堪能であったのは無理もない。なにしろ彼は北海道の小樽富岡町で生まれ育ったのだから。小学校時代は人種差別を断固禁じた担任教師と彼を仲間に迎え入れた学友達に恵まれ、14才まで戦前の日本で育ったのであった。
彼の父は小樽の花園町公園道りにある教会の牧師を務めていた。幼少の時期に故郷として育った小樽、そして日本。彼を取り巻く素晴らしい日本人達が彼をして一級の日本理解者として形成せしめたのであった。
ハワイに収容された捕虜たちの様子を綴った関連書物というものはかって見たことがなかった。旧ソ連に連行されたシベリア抑留の悲惨な日本兵とは異なり、米軍の捕虜取り扱いはあくまでも紳士的であった。ただ先にも述べたように日本兵の捕虜たちの中にはいわば敵前逃亡して投降したものがかなりいたことから、戦後日本へ送り返された時の日本社会ばかりか夫々の田舎が、そこに住む家族がどのように迎えるかに最大の関心があったと言っても過言ではない。
ケーリはそんな彼らの危惧を少しづつ軽くすべく努力した。個々の日本兵との間で結ばれた相互信頼を得るまでのエピソードが素晴らしい。
さて、終戦後ケーリはいち早く進駐軍の一員として7年ぶりに日本の地に足を踏み入れるのであったが、その後一旦帰国し、日本学ともいえる講座で学問を深めた後再び日本を訪れた。今度は軍服を脱ぎ京都の同志社大学の教授として妻を伴っての来日であった。
第一回目の訪日から真珠湾の教え子とも言える元捕虜たちとの交流を絶やすことはなかった。若くして鋭い感性を持ったケーリの目に映った日本及び日本人は彼が日本の捕虜たちとハワイ時代に描いた内容とは大きく逸脱したものであった。
それは特に戦争を生き延びた政治家、財界人そしてマスコミの連中に顕著にみられたものであった。結局旧態依然とした日本式縦型社会が引き継がれ、敗戦を終戦と言いかえ、占領軍を進駐軍と言い換えた日本社会。昨日までのコチコチの軍国主義者から軽々と発せられる“デモクラシー”という言葉。
日本社会は日本人は結局先の戦争から何も学んではいないのではないか!?という疑念。更にそんな中から早くも感じられた“軍国主義”の萌芽めいたものすら感じたという。
本書はケーリが1950年に離日する直前に親交を絶やさなかった元捕虜たちの一部から強烈に執筆を乞われて書いた本である。原題を『日本の若い者』である。これは著者が愛して止まない日本の若者たちに残した叱咤激励の書であり、60数年経った今でも心に響く内容である。是非一読をお勧めする。







中村安希著『インパラの朝』

2012-10-28 16:23:28 | ノンフィクション
中村安希著『インパラの朝』集英社 2009.11.8 第1刷 
1,500円+tax

おススメ度:★★★☆☆

いまどきまだこんな旅をしている日本人女子バックパッカーがいるのか?とちょっと意外な感じを抱いた。というのも昔ならこんな女の子を旅先でよく見かけたものだ。だが、団体旅行から裕福な個人旅行の時代へ移ったとはいえ、開発途上国をこのような長期の貧乏旅行を続ける女の子がまだいたとは!
彼女の旅立ち直前の様子が本のカバー裏に書かれている。

「私は45リットルのバックの底に980円のシュラフを詰めた。三日分の着替えと洗面用具、パブロンとバファリンと正露丸を入れた。それからタンポンとチョコラBB。
口紅とアイシャドウと交通安全のお守りを用意した。パソコンとマイクとビデオカメラを買いそろえ、小型のリュックに詰め込んだ。
果物ナイフや針金と一緒にミッキーマウスのプリントがついた覆面も忍ばせた。そして、ジムで鍛えた両腕に四本の予防注射を打ち、体重を三キロ増やして日本を離れた」

こうして彼女は26歳、47カ国、2年の旅に出かけた。この本はいわゆる「こんな開発途上国を何十カ国も回ったぞぉ」という旅行記ではない。訪れた国々でその時感じた事柄を断片的に脈絡がないまま彼女の感性で切り取った言葉で綴る旅行記である。
本編を読み進めて彼女は先に述べた出発直前の荷物の中で“果物ナイフや針金と一緒にミッキーマウスのプリントがついた覆面”を身を守る「武器」と考えて携行した節が伺われ、ちょっぴり苦笑してしまった。
とにかく旅の出だしは“身構えて”いるのが文章の端々に見られ、このまま旅行を続けられるのか?と危惧したものだが旅が180日を越えたあたりから彼女の肩から力が抜けたのを感じた。旅はどんな人間をも鍛えるものだ。とくにアフリカ諸国に入ってからの様々な人々との触れ合いや、強烈な異文化体験を通じて、彼女の中に「貧しさの意味」や「真の国際協力とは」という思考が生まれる。
だが僕もこの手の旅行を若い時分に経験したが、その場の触れあう時間が2、3週間ではあまりに浅い経験としかならない。中途半端な理解しか出来ないため、このような旅をいたずらに続けても意味がないように思えた。
彼女はこんな旅を続けるよりも、一番気になる場所でもっと掘り下げる作業が必要なのではないか、と読んでいて感じた。
だが彼女の感性は悪くないし、むしろ好ましい。表題の「インパラの朝」は草原にひとり立ちこちらを凝視する一頭のインパラとの体験からつけたようだが、彼女の凛とした眼差し、その風貌こそ平和ボケした日本人の中で、インパラのように美しく見える。




網野善彦著『海人と日本社会』

2012-04-16 21:26:57 | ノンフィクション
網野善彦著『海人と日本社会』新人物文庫 2009.12.12 第1刷 

おススメ度:★★★★☆

著者である網野先生は日本中世史、日本海人史を専攻された学者であり、いわゆる「網野史観」と呼ばれた独特の歴史学者であったと思う。
一般の歴史学者からすればある意味“異端の学者”の部類に入れられそうであるが、この先生の影響力は特に『無縁・公界・楽』の著作などで稀代の時代小説家、隆慶一郎の作品群に反映されたのは有名である。

本作は先生が各地で行ったシンポジュームでの講演をいくつか編集したもので、僕はその中で「能登の中世」の部分に大いに興味を引かれた。というのも僕の祖先の地であり、祖先は海人の類であったのではなかろうか?という思いが過去2回に渡る現地調査でおぼろげながら分ってきたからだ。
前近代、中世の頃の能登半島の経済状態を知る上で本書は大いに参考となった。網野先生の最大の着目点は、日本が前近代から果たして「農業社会」といえるのかどうか、だ。

その考察の例を奥能登に求めたのは極めて興味深い。「農業」を語る前に先生は「百姓」「村(むら)」の定義から入ってくる。大方の学者ばかりでなく我々の大半が、百姓といえば農民を意味すると考えている。
古代から近世までの人口の大多数を占めている百姓が農民であり、さらにそうした百姓によって構成される「村」は当然ながら基本的に農村であるが故に、前近代の社会を農業社会とする見方が生じる。
「百姓」とは文字通り本来の意味は一般ピープルを意味し、「村」も群と同じ語源で人家の群がっている区域をさす。
その好例が奥能登半島最大の都市輪島やその他沿岸都市でみられる。もともと能登半島は現代の考えでみれば交通機関が発達していない不便極まる“辺境の地”とみられかねない。
そこで中世の輪島は人口の7割以上が水呑(田畑を持たない百姓)であった。それではこの地域の人々が極貧の生活をしていたのか?となるが、実際は田畑を必要としない貨幣的な富を蓄積した豊かな回船人、商人が活動する日本海交易の先端的な地域だったのである。
このような都市は瀬戸内海の島々や裏日本の何箇所にも見られ、前近代の日本社会が「自給自足」を基本とする「農業社会」であるとする従来の「常識」も、また根底から崩壊し、非常に古い時代から河海等を通じて、活発な交易が広域的に展開し、とくに十三世紀後半以降の社会は、商工業、金融、運輸、情報伝達が極めて活発に展開した都市的な特質を色濃く持つ経済社会であったことが明らかにされつつある。
こうした観点から日本史を見直すと、中世以降の戦国時代、江戸時代といった、ある種の“停滞期”があったものの、明治維新によって急速に日本が強国にのし上がった理由が判ろうというものだ。
網野先生の意思を継ぐ学者先生の更なる研究に着目したい。

ということで、更に僕の一族(回船業を営んでいたといわれる)の詳細を何とか今後調査したいものだ。

高野秀行著『ワセダ三畳青春期』

2012-01-20 21:51:49 | ノンフィクション
高野秀行著『ワセダ三畳青春期』集英社 2003.10.25 第1刷 

おススメ度:★★★☆☆

このタイトルを読む限り、はるか昔昭和の時代のバンカラ学生青春期かなんかと思ってしまう。
ところが時代は1989年から2000年の間のことで、こんな三畳間の下宿があったとは!家賃はなんと一万二千円。
早稲田大学の正門からほど近いところに「野々村荘」という相当古い下宿屋に転がり込んだ早稲田探検部の学生の物語で、かなり奇想天外な生活ぶりに驚かされる。
本人は通常の4年間で卒業するつもりはなく、好奇心と探検心の赴くままにアフリカのコンゴに幻獣ムベンベを探しに行ったり、アマゾン河を何ヶ月もかけ遡上したり、ほとんど授業に出ることもない。
そんな彼の周りにはやはり一風変わった人々が集まり、時に抱腹絶倒の奇行を繰り広げる。
暇つぶしに読む分には何とも手ごろな読み物だ。
さてこんな極楽トンボ暮らしが永遠に続くわけもない。他人は彼をうらやむが彼にだって将来の人生があるわけだ。そんな彼を現実の生活に送り出したのは、彼女が出来て、彼女が導いてくれた。そのくだりが何とも微笑ましい。

ところでワセダ探検部といえば、かの船戸与一氏を思い起こすのだが、やはり後輩の中にも面白い人物がいるものだ。
本編は昨年末にあった旧FADV(ニフティの冒険小説&ハードボイルド電子会議室)忘年会の席上いただいたもの。早大出身者であれば、いやならずとも大いに楽しめる異色青春記である。



ロバート・ホワイティング著『東京アンダーワールド』

2010-06-05 23:06:48 | ノンフィクション
ロバート・ホワイティング著『東京アンダーワールド』角川文庫 2004.4.25 初版 838円+tax

本書は2000年6月に角川より刊行された単行本を文庫化したもの。

オススメ度:★★★☆☆
ニューヨークのイースト・ハーレムで生まれ育ったイタリア系移民の子ニコラ・ザベッティは第二次大戦終結後に米軍GIのひとりとして東京へ進駐した。
退役後一旦生まれ故郷のNYに戻ったものの、東京で一発当ててみようと舞い戻って来た。
彼は東京にてありとあらゆる“ボロイ儲け商売”に手を染める。
その大半は米軍の闇物資の横流しであった。ユニークな商売として当時力道山の登場で日本国民を狂喜乱舞させたプロレスでの八百長外人レスラーになったりもした。
そんな彼が目を付けたのがイタリア系だけあって、本格的本場の味を持つピッザ・レストランの開業であった。
このレストランは大当たりし、当時の東京に居た外国人のたまり場となり、更に政界、闇社会、高級娼婦などありとあらゆる人々がやってくるようになる。
ニコラはまたたくまに財力と人脈を築き上げ、いつのまにか「東京のマフィア・ボス」と呼ばれるようになる。
その後日本人と4度の結婚をし、事業の上でも繁盛と破綻を繰り返す波乱万丈の人生を送ることになる。
戦後の在日アメリカ人の中でも際立った破天荒な人物の目を通し、戦後日本の混乱期からバブル経済までの日本を特異な切り口で著者は描いてみせる。

実在した有名な人物が実名で登場して、今まで我々には思いもつかなかった事実をバンバン抉り出してくれる。
例えば著者と親交が深かった力道山の死をめぐる事実関係を初め、日本のフィクサーと言われた児玉誉士夫や小佐野賢二、住吉連合会の町井、ロッキードのコーチャン、田中角栄、金丸信などなど戦後から現代に至るまでの闇社会、政財界の隠されたエピソードが満載なのである。

著者ロバート・ホワイティング氏は米国の大学から上智大学に編入し、政治学を専攻。卒業後日本にとどまり出版社に勤務。後に『菊とバット』や『和をもって日本となす』を上梓し、日米比較文化の視点から書かれた両書は日米双方から注目を浴びたとのこと。
本作は日本人ではまず書くことがない世界を描いておりなかなか興味深い内容である。