min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙 39 秋思ノ人』

2012-09-26 22:23:51 | 「サ行」の作家
佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙 39 秋思ノ人』双葉文庫 2012.6.17 第1刷 
648円+tax

おススメ度:★★★☆☆

本シリーズは作者佐伯泰英氏が数カ月ごとに書き下ろす超ロングシリーズとなった。割と大き目の文字が使用され、せいぜい350ページくらいの文庫本であることから読み始めると2,3日で読了となる。ここまで来ると物語がドラステックに進行することもないので次回出た時に2冊まとめて読もうかな、と思ったもののやはり読みたい衝動にかられ購入して読んでしまった。
案の定物語の進行度合いは大した事もなく、主に速水左近が“山送り”とも呼ばれた甲府勤番支配職の任を解かれ奏者番(老中手前の要職)として江戸に返り咲くことが決まった事の顛末が主要な内容となっている。
実はこの事情の裏には将軍御三家による田沼専制への牽制の意味合いが込められていた。御三家を動かしたのは何を隠そう坂崎磐音その人であった。
磐音一行が高野山奥の隠れ里に逃れた折、期せずして知己となった光燃老子の口利きで江戸へ戻る途中、京都の朝庭で幾人かの公家に面会出来た。
そこで幕府と朝廷の橋渡し役として速水左近が最適の人氏であるも、それを田沼意次が阻んでいる事情を説明した。この事が京より将軍御三家に伝えられ、御三家の威光で田沼意次も速水左近の人事異動を飲まざるを得ない状況となった。
同じ奏者番に田沼意次の子意知がおり、速水左近が江戸に戻ることを何とか阻止せんと企てた。物語の半分以上は速水一行の甲府より江戸表に到る帰還の途上の暗殺組との攻防戦が描かれる。
物語の後半は一言で言うと、田沼意次を追いこむための諜報戦ともいえるもので、元御庭番の弥助と霧子が大活躍することになる。次回は田沼意次による田沼家系図の捏造を暴くことによって田沼親子を専制の座から引きずり下ろす大作戦が展開されそうな気配だ。かくして佐々木道場の復活の日を迎えるには田沼意次を倒す以外に道はないのだ。
もうそろそろ決着をつけるべきではないのか?

ダイアナ・ガバルドン著『ジェイミーの墓標Ⅰ』

2012-09-11 09:51:23 | 「カ行」の作家
ダイアナ・ガバルドン著『ジェイミーの墓標Ⅰ』ヴィレッジブックス 2003.12.20 第1刷 
780円+tax

おススメ度:★★☆☆☆

本書は「時の旅人 クレア」別名「アウトランダー・シリーズ」の第四作目となる。
クレアは20世紀に戻って来た。ジェイミーの子を宿して。夫フランクは一時取りみだしたもののクレアを受け入れ誕生した娘を溺愛した。その夫フランクは1966年に没しクレアは1968年、19歳になる娘ブリアナを伴って米国よりスコットランドのハイランド地方を訪れたのであった。
彼女の旅の目的は、18世紀に起こったジャコバイトの反乱で生き残ったハイランダーの名前を調べることと、娘に本当の父親が育ててくれたフランクではなく、18世紀に出会ったジェイミー・フレイザーであることを現地で告白することであった。
本編ではクレアが思わぬ所でジェイミーの墓標を発見したところで一旦区切られ、彼らがスコットランドからフランスへ逃れてからの生活が語られる。
彼らは1974年のパリに逃れワイン商夫婦として活躍し、パリの社交界で華やかな生活を送っていたが、真の目的は密かに“ジャコバイトの反乱”そのものを防ぐことであった。

本書を理解するためにはイングランドの歴史、特にスコットランドとの確執の歴史に関する知識が必要となる。ネット上でざっと調べてみたが、イングランド国教会とカソリックの宗教戦争があり、何より人種的、文化的にイングランドとは異なるスコットランド人の反抗の歴史を認識しなければならない。
これらの諸問題は現代にも尾を引き、英国という国が成立以来現代に到るまで決して一枚岩の国家ではないことがうかがえる。

ところで本編ではパリでのクレアとジェイミーの生活が延々と語られるのであるが、これは細部にとらわれ過ぎる描写と僕には思われ、あと2巻この状態が続くとすればちょっとこの部分はパスしたくなってしまった。

上田早夕里著『華竜の宮』

2012-09-04 09:57:46 | 「ア行」の作家
上田早夕里著『華竜の宮』早川書房 2010.10.20 第1刷 
2,000円+tax

おススメ度:★★★★★

1973年、日本のSF小説界の金字塔とも言える小松左京著「日本沈没」が刊行されはや40年弱が過ぎた。その後2006年には谷甲州氏との共著というかたちで「日本沈没 第二部」が出されたのは記憶に新しい。
「日本沈没」は日本という国土そのものが消失した後、日本人はいかにして生きてゆくのか?というある意味ドメスチックな世界を描いた作品だと思うのだが、作者の上田早夕里氏は更に世界人類規模にスケールを広げ、我々が想像もしなかった未来世界を提示してくれた。
25世紀、人類はかって経験のしたこともないような厄災を迎えた。ポリネシア・ホットプルームの上昇により大規模な海底隆起が発生。地球規模で海面が約260mも上昇することによってほとんどの陸地が海面下に没した。
それまで繁栄を極めた大都市は海中深く沈み、過去の遺跡と化してしまった。ちょうどハリウッド映画の「ウォーター・ワールド」のような世界である。
世界中の政府は人類という種を生存させるために、科学技術に関する従来の倫理規定を捨てる覚悟をせねばならなかった。

<環境適応のため、地球上のあらゆる生物に、人為的に改変を加えることを容認する。この『生物』の定義には、全ての人類も含まれる>

結果、陸上民は従来の人類と大差ないかたちで生きたが、海上民は激変した。
その一番大きな変異は“魚舟”の存在であった。海上民は人間の子とこの魚舟が一対で誕生し、魚舟はいったん家族・構成社会から離れ大洋へ旅立つ。やがて成長して戻って来た時、片割れの人間と邂逅して互いに一対の子として認識出来て初めて人間と魚舟の海洋での生活が始まる。片割れと邂逅出来なかった魚舟は獣舟に変容し、陸上民ばかりか海洋民へ敵対する害獣と化す。

世界は幾つかの“連合国家”に分かれて陸上民がそのへゲモニーを握るのだが、やがて海上民との対立が激しさを増す。
本編の主人公である青澄は日本政府外務省所属外洋公館の公使。権限はほとんどないが対立の最前線での実質的調停役をになう。
陸上民と海洋民との対立が激化する中、海洋民の大きな船団を束ねる女性長(おさ)ツキソメの存在が重要となった。
人類を襲う最終的な危機の到来が予測され、その危機を乗り越えるにはツキソメの生体構造の解明がどうしても必要とされた。

ところで、本編の主人公は上記の青澄とツキソメであることは明らかなのだが、本編の語りは青澄のアシスタント知的生命体であるマキの口を通して“僕”という一人称で語られる。何故こんなかたちで語られるのか最初から疑問に思いながら読み進んだのだが、その答えは最後になって用意されていた。
「人類はここまでして自らの種を未来へ残さねばならないのか?その意味はあるのか?」という作者からの問いかけみたいなものがあるのだが、読者は各自考えこんでしまうことだろう。
僕は「日本沈没」の中で、ある老政治家が「日本人は日本という国土があってこそ日本人であるのだ。国土が沈んで無くなるのであれば、日本人も共に滅びたほうが幸せではなかろうか」とつぶやく場面を思いだした。
本作でも日本人を人類全体に置き換えれば、同じ感想を抱いてしまった。