min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

司馬遼太郎著『坂の上の雲 七、八』

2010-01-24 18:38:00 | 「サ行」の作家
司馬遼太郎著『坂の上の雲 七、八』 文春文庫 2009.7.1 第28刷 638円+tax

七巻はオススメ度:★★★★☆
八巻はオススメ度:★★★★★

七巻の大半は“奉天会戦”に費やされ、後半は長らくマダカスカル島の小さな港に留め置かれたバルチック艦隊がやっと東へ向かって出航する模様を描く。
陸にあってはクロパトキン総司令の愚劣さと海にあってはロジェストウェンスキー艦隊司令の更なる愚劣さにつきくどいほど詳述されている。
そもそもかくも愚劣な大将を陸海ともども配属した誤謬の原点はロシア帝国のニコライ二世にあった、と結論づけている。
ロマノフ王朝の末期、絶対的独裁政治を行ったニコライ二世とその官僚たちは、日本の軍事力に関してあまりにも無知であり、研究対象としなかった。
ニコライ二世にいたっては日本人を“サル”呼ばわりして公言憚らず、そのサルどもにロシア帝国陸軍及び海軍が負けるとは毛ほどにも思っていなかった。
日本の軍隊が士官だけではなく末端の兵隊に至るまで、この度の戦争を一大“祖国防衛戦争”と捉えていたものと考えられる一方、ロシア兵はあくまでも皇帝の兵隊であり、いわば皇帝の私利私欲のために戦地に送られたに過ぎないことを認識していたふしがある。
したがって、ここ一番!という時の「ふんばり」具合が自ずと違っていた。
兵隊の数、銃及び砲弾の数においては圧倒的にロシア軍が日本軍を凌駕していたにもかかわらずロシアが形式的に負けたのはその戦術、戦略のまずさに起因しており、その責はひとえにクロパトキンに負うところが多かったようだ。

さて、いよいよ最終巻の八巻。
バルチック艦隊との海戦は結果的に日本の連合艦隊の圧勝に終わった。
艦隊の数においてはロシア側が優位であったが、日本側が秋山真之参謀により練りに練った作戦を東郷平八郎司令が大胆にその作戦を採用し実行したのに対し、ロシア側のロジェストウェンスキーはほとんど無為無策の対応しかしなかった、と言っても過言ではない。
ロ司令の胸中はただただ海戦を出来るだけ回避し、ウラジオストックの軍港に逃げ込むだけを望んだ。
それにしても見事な連合艦隊の勝利であった。もしこの海戦に敗れることになれば、満州の奉天で戦闘が膠着状態に瀕してした帝国陸軍は一挙にロシア軍に押され壊滅したであろうことは間違いない。
この頃の日本の台所事情といえば「破産」寸前であった。日露戦争を始めるにあたり日本の首脳、特に海軍の首脳の筆頭であった山本権兵衛が目論んだのはこの戦争に勝利することではなく、悪くて五分五分、出来れば六分四分の優位に立って講和に持ち込みたい、ということであった。
日本はバルチック艦隊を破った時点でこの講和に持ち込めたのは、ひとえに優れた外交能力を有していたと言えるであろう。

私はこの時代の日本政府の“あり様”について、事の善悪について述べるつもりはないが、欧米諸国がむき出しの「帝国主義」でもって圧力を加えてきた状況を考えると、ロシアに対し宣戦布告をしたのはやむお得ない決断であったと考える。
もしもロシアの露骨な“南下政策”を食い止めることができなければ、そしてこの戦争に敗れることになれば満州、朝鮮ばかりではなく、少なくとも日本領土の壱岐対馬、そして北海道まで取られたことは当時の帝国主義戦争の結末としては当然であったことであろう。
この時点で日本が敗れていれば、もちろんその後の第一次、第二次世界大戦に関与することはなかったであろうが、日本は長らくロシアの占領下で苦闘の道を歩んだであろうことは間違いない。

一巻から八巻を通して読了した今感じることは、日露戦争がある意味いたしかたない戦いであったとはいえ、その後の日本が急速に右傾化していった原因を今一度検証する必要があることを痛感する。
日露戦争の統括をきちんと出来なかった、しなかった帝国陸軍はその右傾化を担った当事者であったと思われ、特にこの頃から“統帥権”の解釈捏造の萌芽がみられ、後の陸軍の暴走に繋がったものと思われる。



司馬遼太郎著『坂の上の雲 六』

2010-01-17 13:26:44 | 「サ行」の作家
司馬遼太郎著『坂の上の雲 六』 文春文庫 2009.11.20 第31刷 638円+tax
オススメ度:★★★★☆

第6巻では主に当時の帝政ロシアの内情と、後方霍乱を狙った明石元二郎の諜報と革命扇動の活躍を描いている。
満州においては帝国陸軍は戦費が脆弱ゆえの兵員、兵器不足に悩まされ、次に予想される奉天会戦に勝って日本が優位な状態で講和に持ち込まなくては国家の財政は完全に破綻することは明らかであった。
出来ればロシアの内情が不安定な要素が噴出しつつあった状況を利用し、ロシア内部から戦争続行が不可能ならしむることが火急の課題であった。
大本営はここにちょっと毛色の変わった明石元二郎大佐を起用し、当時の金で100万円もの大金を預け諜報活動に専念させた。
彼の風采は貧相で、どこから見ても日本の軍人というより韃靼人にしか思われなかったようである。
その彼が目を付けたのがストックホルムに在住した亡命フィンランド人クリヤスクであった。
彼は「フィンランド過激反抗党」の党首であり、帝政ロシアの侵略に反抗するフィンランドやポーランド国内の抵抗組織ばかりではなくロシア国内の多くの反体制組織と通じていた。
明石はこうしたクリヤスクの人脈を利用し、ありとあらゆる抵抗組織の中心人物と知り合うことが出来、彼らの求めに応じて抵抗の為の資金を提供したのであった。
後に各国の様々な反帝政ロシアの抵抗組織を集めた「パリ大会」を開催するまでに到り、実際この後にロシア国内においても抵抗運動が大いに盛り上がったという。
通常、国家間で戦争が起きる場合にはそれ以前から互いの諜報組織が暗躍するのは世界の常識であるが、我が国においてはそのような組織的「軍事諜報機関」を欧米には置いていなかった。わずかに日本大使館に派遣した駐在武官が軍事情報を収集する程度で、明石が行ったような諜報、後方霍乱の活動は望むべくもなかった。
当時はもちろん、現代においても明石元二郎という人物の評価はほとんどされていないのが実情であるが、彼の活動の影響たるや帝国陸軍でいえば数個師団に、海軍でいえば東郷の連合艦隊に匹敵する軍事的価値を生み出したともいえる。

さて、話を現代に移すと我が国の現状では未だに先進各国が有する諜報機関を持っていない。
巷に噂程度に「内閣情報室」やら自衛隊の「陸幕別班二部」なる情報機関が存在する、あるいは存在したと聞くが英国や米国そしてロシアやイスラエルのような強力な情報機関ではない。
いくら戦争放棄を宣言した国家とはいえ、その国土防衛上何ら手当てをしない、というのはあまりにも非常識な「国家」といえるだろう。


佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙―更衣ノ鷹(31,32)』

2010-01-12 21:25:12 | 「サ行」の作家
佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙―更衣ノ鷹(31,32)』 双葉文庫 2010.1.10 第1刷 各648円+tax
オススメ度:★★★★★

このシリーズでは珍しく、というか初めての上下巻の作品となっている。これは何らかの作者が意図するところがあるのだろうか?と思い読んでみたら確かに「あった」。
次期将軍徳川家基の即位を巡って、家基の暗殺を目論む田沼意次一派とそれを阻止せんとする尚武館道場(佐々木玲圓とその後継磐音)との対決がいよいよ山場を迎えようとする。
田沼一派は家基が日光に詣でる途中に大掛かりな暗殺計画を練り実行したのであるが、佐々木親子の強固かつ縦横無尽な警護にあってことごとく失敗したのであった。
次に磐音に対し当代名うての剣客を次々に繰り出し彼の命を狙ったのであるがこれも大方失敗し、残るは妖しい術を使う丸目高継の孫娘ひとりとなっていた。

形勢悪しとみた田沼一派が目を着けたのは何と“おこん”を人質にとることであった。また、家基が鷹狩を好むことから「狩場」での暗殺を目論んでいた。
だが一連の襲撃計画の影には更に真の「暗殺計画」が隠されていようとは誰も知る由もない。最後の衝撃的結末を磐音はもちろんのこと誰一人予見できた者はいなかった。当然我々読者もだが。

先日、あるテレビ番組で役者の児玉清が作者である佐伯泰英の書斎がある箱根の別荘を訪れ、長時間に渡りインタビューを行った。
そのインタビューの中で佐伯泰英氏は、今回の同作品に関し気になる発言をしていたのを思い出す。
曰く、「かって私は、このシリーズは50回まで書くということを勢いで放言したことがあるが、本作で私は読者のみなさんに投げかけてみることにした。これで果たして本シリーズを続行するべきなのかあるいは終焉させるべきなのかを」と。

いやはや、まさにその言葉の通りの結末となってしまった。私は一読者の立場から言わせてもらえば、是非やって欲しいと言いたいのだが。
一方、読者側のカタルシスを得る為には「歴史を捏造」するしかないのも明らかで、そこまでしての続行は望まない。

司馬遼太郎著『坂の上の雲 三、四、五』

2010-01-10 23:57:54 | 「サ行」の作家
司馬遼太郎著『坂の上の雲 三、四、五』 文春文庫 

オススメ度:★★★★☆

本来、各巻ごとに感想をアップするべきであろうが3巻分纏めて感想を記すことを許されたい。

ロシア帝国に対し宣戦布告するにあたり明治政府は、遼東半島の先端に位置する旅順要塞及び軍港を制することが、すなわち日本の命運を決するものと判断した。
日本帝国海軍並びに陸軍はいよいよ遼東半島まで進出してきたロシア軍と対峙することになるのであるが、私のあいまいな記憶と知識では「日露戦争」というもののイメージは陸でいえば“ニ〇三高地”の攻防戦と“バルチック艦隊との海戦”しか頭に浮かんで来ない。
実際はもちろんこの両決戦に到る過程の戦闘があったわけで三、四、五巻に於いてはそれぞれの道程を事細やかに描かれている。陸海軍共とうてい軍事力ではかなわないはずの帝政ロシア軍に立ち向かうことになる。

明治政府としては先の日清戦争においてそれなりの戦争を経験したものの、今回のロシアとの戦争は“近代戦”というものに対し始めての経験であった。
特に旅順要塞を巡る戦闘においては日本陸軍の大本営も前線の司令官も真の意味で近代戦というものを理解していなかったと言える。
中でも旅順要塞攻撃を担当した乃木大将率いる第三軍は当時の帝国陸軍の無知・頑迷さを最も色濃く露呈したものであった。
乃木希典その人よりも最悪なのは伊地知参謀であった(もしも司馬遼太郎の記述が正しいものであればだが)。いわゆる「バンザイ突撃」の原型がここに見られ、全くの無為無策の作戦で数万人の日本兵が無駄死に近い死に方をしたわけだが、この“ニ〇三高地”で得たはずの教訓が全く生かされることなく再び第二次大戦のガダルカナルあたりでも同じ愚行を繰り返した帝国陸軍というものは世界に冠たる「阿呆な軍隊」と言っても過言ではないだろう。
“ニ0三高地”をめぐる攻防戦を描いたくだりは読んでいてあまりの腹立たしさに頭痛がしたほどだ。
ただしこの当時の救い?は「バンザイ突撃」の形は第二次大戦のそれではあるが、けっして「天皇陛下バンザイ!」を唱えて突撃したわけではなく、あくまでも軍隊の規律の上で司令官の命令に厳粛に従ったようである。
無名の兵士たちの胸中に強くあったのは、今まで「国家」意識など無縁であった人々の国を守る気概であったのだろうか。

帝国海軍の“黄海海戦”のくだりは割愛させていただくが、帝国海軍もまた決して褒められるような戦いをしたわけではなく、ロシア海軍側の作戦の誤謬と単なる運にも支えられ辛くも勝利した程度にすぎない。
もしこの海戦に敗れていれば後にやってくるバルチック艦隊に勝利することは不可能であったに違いない。

さてそのバルチック艦隊であるが、母港のバルト海のリバウ港を出て実に1年以上をかけて大遠征航海をしたわけで、ここで特筆すべきことは日本にとって最も幸いしたのは英国と日英同盟を結んでいたことであろう。
同盟国の英国による様々なバルチック艦隊への妨害行為(特に石炭補給に関する妨害行為)がなければもっと早期に日本海へ到達していたはずで、そうなれば旅順港での太平洋艦隊への対応で釘付けになっていた連合艦隊はろくに整備するヒマはなかった違いない。
歴史に“タラレバ”はないものとされるが、もしも日本という国が将来を見据えて英国との連携をもっと模索していればあの不幸な第二次大戦は全く異なった様相を呈したに違いない。
さて、6巻以降は陸では“奉天会戦”といよいよ“バルチック艦隊”との激突が始まる。