プロデューサーとしてヒットメーカーの川村元気が、自身の小説を脚本監督した映画。
記憶を失って行く母と息子の話で、一見よくある穏やかな話かと思ったけど
母の過去が中々に奔放で、母や息子の記憶が交錯する。でも映像はふんわり。
この映画、若い時に見たら他人事だったんだろなぁと思うけど、
今は、見るのがつらいくらいこの母親が自分のことのように思えるところがある。
(奔放ではないけどそれ以外のところで)
原田美枝子は老人の役をやってもどうにも垢抜けた雰囲気が拭えないけど、
結構生々しい人生の役なのであんまり地味に老け込んだ老女がやってもだめだし、良いキャスティングかな。
菅田将暉くんも良いと思うけど、妻役の長澤まさみを、最後まで、
長澤まさみにめっちゃ似てるけど良い女優さんだな、と思ってました。
エンドロール見てわかった、本人だった。笑
本来のテーマとは別のところかもしれないけど、印象に残ったシーンがあります。
この妻が夫に、いつまでお母さんを責めるの?というところ。ここでわたしの心が佇んでしまった。
夫の傷も分かりながら、義母にも寄り添うすごく優しく寛容ないい妻だと思うけどね。
でもね、圧倒的に弱い立場の人が傷つけられたら、
その後、許すのも許せないのもその被害者本人が決めていいことなんじゃないかな?
小さな子供が誰よりも頼るしかない人に傷付けられたら、
相手が身内だとか弱ったからとかで、もう許してあげたらと許しを強要するのは違うよね?と。
傷つけられた上に、それを許さなかったことでも負い目を感じながら生きていくのは
かわいそうすぎませんか、と傷付けられる側だったわたしは思ったのだった。
逆に自分が傷つける側であるケースのことを考えると、
幼く弱く柔らかく自分を頼っていた息子に、わたしも十分に応えられなかったかもしれないけど、
少なくともわたしはそれを後悔してる。
映画の中の原田美枝子はどれだけ傷つけたかわかっていても後悔してないと言う。
彼女にはそれしかできなかったし、それが自分だからと思っているのだろう。
それはそれで仕方ないとしても、そういう人を子供は許さなくても良いんだよ、
許せれば一番良いけど許せなくても負い目に感じなくていいんだよと思うので、
息子もわたしを許さなくていいし、誰かにいい加減許してあげたらなんて言われなくていい。
許されなくて当然と思うのはわたしが母親であることの呪いにかかってるせいなのか?
子供を捨てても後悔はしていないという人を許さなくていいと思うのも、
良き母親であることの呪いにかかってるからなのか…
子供として傷つけられた自分と、子供を傷つけたかもしれない自分と、
今、夫や前の恋人から弱い立場で傷つけられ放題だった自分と、いろんな立場の自分がせめぎ合って、
もう一本映画見る予定が、もうできなくなって、これだけ見て帰りました。
あと、親が認知症になったつらさや切なさについては、この映画に関して特に新しいものはなく、
この母親はきれいすぎるし、扱いやすすぎる患者でしかないゆるい描写だなと感じた。
自分の親でなく配偶者の親を、当たり前のように世話させられて、
施設にも入れられずひとりぼろぼろになる「嫁」の物語の方がずっと身近な世代なのでね。
花火のシーンの映像もきれいだったけど、わたしは家の中の様子がかなり好きでした。
インテリアやそこで使われている色彩、特に冒頭の、青い北欧っぽいソファと黄色い花の色が
柔らかい光の中に漂っている感じが印象的だった。
そういえば、山田洋次はともかく写真家の鈴木理策が協力に出てて、スチール担当なのかなとぐぐったら
原作本のカバー写真を撮られてたのね。映画にも合ってる、良い写真。
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