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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

1枚の服で生きる人

2023-08-29 | Weblog
服は一枚しか持たない、というミニマリストの人の投稿を見た。
会社もプライベートも含めて、ワンシーズン黒いワンピース1枚で、夜洗って乾かして朝またそれを着る。
あまりに潔くて、なんかかっこいいなと憧れる気持ちはあるけど、やっぱり大変よねと思う。
実際問題として、どんなに疲れた日も予備の服がないからそのサイクルを休めないわけで、
それを休みなく毎日毎日ちゃんとできる人はすごいなぁと思う。

でもわたしは、生活はリラックスしてラクなのがいい。
物が多すぎるのもストレスだし少なすぎるのもストレスだから、ちょうどいい地点を探したいな。
体はひとつだけど気分は毎日変わるので、その自分の気分をモノ(服)に合わせて押し殺すのではなく、
モノの方に自分の気分にあわせてもらう方がわたしはラクだし、好きだ。
自分にはさまざまな気分があるのを受け入れて、それを解放していたいと思う。

すっごく没頭する何かがあって、それ以外のことがどうでもいい系の人が
物を持たない、物に興味がないというのはいいだけど、
(芸術家とかスティーブ・ジョブスとか?笑)
物を持つことに生活のリソースを割かず、持たないことにリソースを割いて、
そして没頭してるのがそのミニマリスト生活のSNS発信だとしたら(それで稼ぐとしても)
それを楽しいとはわたしには思えない。まあ考え方は人それぞれですが。

あと、自分の所有物を下着一枚保険証一枚まで全部数えても50個以下というリストもすごく感心したけど、
え?本は?本一冊もなし??
本は図書館、という人かもしれないけど、人によって必要なものは本当に違うんだなぁと改めて思う。

物を持たないということにどこか寄るべなさを感じるのは今アーレント読んでるからか。
(アーレントは「これらの工作物には安定と固さが与えられている。この安定と固さがなければ、
人間の工作物は、不安定で死すべき被造物である人間に、住家を与える拠り所とはならないだろう。」
と書いてて、服のような消費財とは関係ない話ではあるけど、
家の中に家具もほとんどないようなミニマリストのインスタの真っ白な世界を見ると、
「不安定で死すべき被造物である人間」という言葉を思い出すのでした。)

とはいえ、物がじわじわと増え、断捨離もこんまりもままならないまま
うっかりぽっくり逝くのもいやなので、ほどほどに整理したいとは思ってます。

年長

2023-08-26 | Weblog
三十年ほど前、韓国に留学した時に、年齢を聞いて1歳でも年上だと急に敬語になる文化が
わたしには気持ち悪かった。
人を年齢の上下で分けて言葉や態度を変える儒教的文化にどうしても馴染めなかった。
それは形式主義や男尊女卑や家父長制と繋がっていることでしょう。

わたしはよく知らない相手ならそれが子供でも尊重するし、
子供でも大概の大人より賢い子もいて、そういう子のことは年が幾つでも尊敬する。
逆にどんなに年を取っても尊敬できない大人もいる。

昔、初対面で「もちろん年上ですよね」と聞いてきた在日の人がいて、びっくりしたけど、
(実際は同じ年生まれだった)
その人が10年経ってもまだそういうことを言ってたので、
僅かな年齢差にこだわって態度を変えるのはナンセンスだしおかしい、
よく知らない人には相手が誰でも何歳でも丁寧に接すればいいし、
親しくなったら判断して態度や言葉を決めていいのではと、丁寧に説明したのに、
同じ年のわたしをまだ姉さんというので、いやそれ、いかがなものかと言ったら、
「(同じ年でもわたしが早生まれで)学年が上なので、あくまで先輩(姉さん)です」とか言ってて、
ああ、なにひとつ通じてなかったと脱力・・・

わたしは自分が多少失礼なこと言われること自体は平気だし、
女性に年齢を聞くなという話でもなくて、
その人の頭の中身が、古いしきたりや儒教的固定概念に強く囚われてること、
それがわたしの大嫌いな儒教的価値観や封建主義や男尊女卑に繋がってること、
そういう価値観の社会がまだあることに愕然としたのでした。

日本人も韓国人も在日も、そういうのなんか好きよね。
個人の中身より年や性別や立場が何より優先される。
家父長制も封建制も男尊女卑も全部同じことだわ。
久しぶりに若い頃の憤りを思い出した。わたしの人生をめちゃめちゃにしたものたちへの。
ものすごく久しぶりに思い出したこの感じ。こんなに激しく憤ってたんだな。
すっかり忘れてた。
しんどいことはなんでもすぐ忘れてしまう。
でも今回、20代のずっと死にたかった時のことを久しぶりにリアルに思い出したわ。

8月の戦争の話

2023-08-16 | Weblog
8月の新聞やネットは、戦争や原爆の悲惨な経験を語り継ぐ内容が多くて、
決してその記憶を風化させてはいけないし二度とあってはならないと思う一方、
日本の犯した侵略の加害については、いつまで言ってるんやなどと言う人がいるのは残念。
いつまで言うんや!と逆ぎれしたり、日本はアジアのために戦ったんだと
歴史改竄するネトウヨのような人は少なくて、
単に自国の加害のことは忘れてたりよく知らなかったりのまま、
被害者としてしか思い出さない人が多いのかな。
戦争を知らない今の日本の人たちに戦争責任を責め、謝り続けろ償い続けろとは思わないけど、
被害は加害とセットで語り継がれるべきでは。

日本の人も戦争ではひどい目にあって、大変な思いをされたことをわたしも悲しく思うものの、
結局、他人の国へ乗り込んで侵略、搾取し虐待、隷属させようとすると
そういう目にも遭うんだよと思う冷ややかな気持ちもなくならなくて、
何も言えないのが辛い季節。

戦争は、世界の片隅の生活者としての一個人を考えると、みんな被害者と言えるんだろうけど、
自国の加害にひとことも触れない被害者としてだけの話ばかり聞くともやもやしてしまう。
みんなの結論が戦争は悲惨だ、という真っ当なものであっても、
それ起こしたのは自分達なのに、その反省はかけらも見えないんですけど?と思ってしまう。
ずっと反省し続けて苦しめなどとは全く思わないのだけど、忘れられるのは困る。
過去にこういうことがあったと自分の国の加害に対しての自覚がほんの少しあれば、
みんなそれぞれこれからの自分の新しい人生を幸せに生きていけばいいんだけどね。

ドイツの戦後文学や映画は自国の被害と向き合うものがとても多い、というか
何を見ても戦争の影があって、そこには加害者としての自覚と反省が常にあるように思う。
日本ではネットでもリアルでも、戦争で親戚が苦労された話や亡くなった話はたくさん見るけど
戦争で侵略した国の人を苦しめた話や殺した話は8月のあまり目にしないし聞こえない。
そうやって加害はなかったことになって、被害の声だけが残っていく。

8月は特に、終戦だけでなくあの悲惨な原爆の落された月だから、
原爆の非道さ凄惨さと共に、その被害者としての自分達しか思い出さないし語られないことが多い。
原爆の非道さ凄惨さは確かにしっかりと世界に語り継がれるべきだけど、
そもそもの加害の話は語られないまま、なかったことにされ、
被害の話だけが痛切に語り伝えられ、被害の感情しか残って行かないのが
何とももやもやする8月。

お化粧にお金かけてるから

2023-07-27 | Weblog
女子が美容や化粧や髪や服にお金をかけているから奢ってもらって当然みたいなやつ、
SNSで毎年のように噴き上がって炎上してるし、それに対して
10年前からすでに今言われてるようなことは言われつくしてると思うので、
まだ言いだす人は炎上狙いか、よっぽどリテラシーがないかどっちかだからとスルーするんだけど、
最近ふと思ったのは、
じゃあ、素顔のあなたがいいと言われたらその女子は相手のためにお化粧も美容院も
かわいい服も全部やめるのかな?やめないよねぇ?
これって男の人が自分は家族のためにしんどい思いして働いてののだと言うのと似てるなぁと思った。
じゃあ家族がいなかったら仕事やめる?やめないよねぇ。

結婚してた時、ワンオペ育児などに不満を言うと、
自分は家族のためにこんなに仕事を頑張ってると夫に言われて、
結婚する前も同じように仕事してたくせに嘘つき…と思ってたことを思い出したのでした。

なんで自分が何かすることを、人のためにやってると言い張るんだろうな。
相手のためではなく自分のため、あるいは自分が好かれたり大事にされたり得するためにやってることを、
相手のためだからと言い張るの、男女問わないよね、と思ったのだった。

相手のためにやってることをお金に換算して見返りを求めるのも不毛だけど、
そもそもどっちも本当は全然相手のためにやってることではないよね。
恋人いてもいなくても外見にお金をかける人はかけるし、
家族いてもいなくても仕事たくさんする人はすると思うんだけど。

わたしはなんでも自分のためにしているつもり。
人のために何かするのも、自分がしたくてしてる。
お金の見返りはいらない。
でも気持ちの見返りは・・・少し、欲しいかもね。笑

大事にする

2023-07-26 | Weblog



猫はわたしが太っても年取ってもダサくてもバカでもなんでも全く気にしないで
同じ気持ちでわたしを見るし
同じ気持ちでわたしを好きでいる。(多分)
そんなふうに人を好きになることは、わたしにはもうないかもしれない。

一度はあった。

とはいえそんな猫も、わたしが猫を大事にせず足蹴にしてご飯もあげず冷たく無視し続けたら、
いずれわたしを好きでなくなるだろう。そういうことだ。

痛かったなぁ

2023-07-24 | Weblog
5月の終わり頃から左脚付け根外側が歩き始めなどに少し痛くて、でも歩いてるうちに平気になるし
筋トレしても痛くないしで放置してたけど、いろいろぐぐると
変形性股関節症かなと思って、ストレッチをYouTubeなどで探してやりました。
どうせ整骨院行ってもリハビリするだけだし、
予約して行くのに診察2時間待ちとかもう嫌だしなぁ、と思って。
寝る前に10分くらいやって寝たら、なんと朝に痛みがずいぶん減ってて
ちゃんとやってみるもんだねぇ、と感心してたのだけど
その後数週間あまりよくならないので、結局一応病院に行ってみた。

そのクリニックの医者はなんだか威張って不親切な感じで
股関節の辺りが痛くて、と言うとどこ?指差して!と言われて、
痛いあたりをこの辺と言ったら、もっとちゃんとどこか指差して!と怒られた。
ちゃんとと言われても、痛みは点ではなく線や面で来てるので、点で指差すことができない。
その後あちこち少し動かして、股関節じゃない!股関節ならここ!と
不機嫌な感じで言われ、レントゲンの後に、カルシウムが溜まって炎症起こしてるから
湿布と痛み止め出します。痛いことしないで安静にして、1、2週間で治る、と言われました。
診察の後、でこれはなんと言う病名になりますかと聞くと「関節炎」と一言だけ。
後でググったらカルシウム溜まって炎症越すのは石灰沈着性鍵板炎というのね。ふむ。

と、初診では関節炎と言われたのに、予約を入れられた2度目の診察では
なぜか股関節症の話をしながら診察されたので、
「前にこれ関節炎って…」と言うと「関節炎言ってない!」と軽くキレられる。
え?ときょとんとしてると初めてカルテ見て「あ、いや、関節炎ね。うん。お大事に」と
股関節症のアドバイスを訂正されないまま診察を終えられた。

そのときに次の予約も入れられたけど、それはこちらからキャンセルしました。
カルテもちゃんと見ずに思い込みで別の病気と間違えたまま診察し的外れなアドバイスをし、
自分の間違いを指摘されても、誤魔化したまま訂正せずに診察を終える医者は絶対ダメでしょう。
しかも自分が間違えてるのに不機嫌に怒るし。威張った人間嫌い。。。

そして別の病院に行ったら、なんと別の診断をされました。
カルシウム関係ないです、と言われ、仙腸関節障害のチラシをもらった。
ググってみて、あんまりピンとこないけど言われた通りのリハビリやってたら少しずつ痛みがマシに。
その後一月弱で、普通に歩くだけならあまり痛まないところまで治りました。

筋肉は大事なので負担にならない強度の運動は続けて、リハビリのストレッチもやって、
完治にはまだもうしばらくかかるかな。でもちゃんと治ると言われたのでがんばります。

年をとると、生きて生活してるだけで体のメンテナンスに時間もお金も取られるねぇ。
とはいえ、じっとしてると痛くないし本も映画も見られるし
美味しいものも食べられるし普通に生活できる程度なので
それはありがたいです。
できるだけ痛みのない生活をしたいし、痛くないと言うことには常に感謝したい。

マンスリータイプの寄附

2023-07-09 | Weblog
募金を目にしたのでちょっとまとまったお金を入れた。募金は良い。匿名でできる。
最近はどこも、マンスリーで契約させたがるのが嫌だ。
継続的支援が必要なのはわかるけど、それはそれとして一回ごとの募金もちゃんと残しておいて欲しい。
先のことがわからないけど今これだけ出せる、という人もいるだろう。
少額でもよければ今コーヒーを飲むのを我慢した分だけ募金できる、という人もいるだろう。

前に某団体(某国境のない人たちでした)の人が寄付を募るのに立っていたとき、
募金のようなものはないか聞いたらマンスリーの手続きしかなくて、
一回だけの寄付でないなら今はしたくないので断ると、すごくしつこくつっこまれたことがある。
手続きをしても、一回でもいつでも止めることもできるからとか言われたけど、
それでも断ったら、ちょっとキレられて、何でダメなんですか!?みたいに強く言われた。
マンスリー契約は嫌だというのはどうも通じなかったのに、寄付をする気持ちはある、というのだけ通じたから
ついそんなふうにしつこく食い下がられてしまったのだな。
嫌だから嫌、というのが我儘だとされて通じないことはよくあるけど、
善意の寄付の仕方でキレられるのは理不尽だし、普段怒らないわたしもムッときたからよく覚えてる。
寄付や募金に使うお金の金額は大体一定に決めていて、それをどこに使うか、どう使うかは
自分の問題意識のあり方によるし、それを人に指図されるたりキレられたりする筋合いはないからね。
まあ、熱心さのあまりなんだろうと思うけど。

マンスリーやサブスクが嫌なのは、わたしの特性なのですよ。
何かを決められてしまうことへの強い抵抗とこだわりが普通以上にかなりかなりあるのです。
それを乗り越えて何かしなきゃいけないこともあるけど、相応のストレスはかかるので、
個人的な寄付や募金に関してはマンスリーのものはしたくない。
それがワガママと取られるのは仕方ないとしても、キレられるいわれはないよねぇ。

そのとき対応したその人個人の問題で、その団体のせいではないと思うけど、
それ以来こうい寄付の人が立ってても近づかなくなってしまった。

寂しい気持ち

2023-07-03 | Weblog


自分は結構いろんな気持ちを「寂しい」と勘違いしてきた気がする。
雨の土曜日に、ゆったりと過ごしてほんのり寂しいのが心地よかったけど、
午後遅くからきゅうっと寂しくなってきて、
でもこれは嘘の寂しさで、本当は夕方の用事の前で気が急いているストレスというだけのこと。

そんなふうに、全然別の小さいストレスを、なんとなく全部「寂しい」という気持ちのように思ってた気がする。
そのストレスが終わればスッキリして寂しい?なにそれ?って感じになるのよね。

何十年生きてきても、自分の感情さえたまに間違えるんだから、人の気持ちなんてわかんないよねぇ。


人の自由を制限できない

2023-07-01 | Weblog
人の自由を制限できないのがわたしのダメなところだ。
自分にも支配的な欲求があることがわかってるのでそれを忌避してるのもあるけど、
父や夫に抑圧されていた時に人生で何より一番強く願ったことが自由だったので、
どうしても人のそれを制限するようなことができないのだな。

それは一見いいことのように聞こえるけど、ダメな方に行く人を止めることもできないし、
子供も放任して十分に関わってあげられなかった気がするし、
猫も甘やかしてしまって爪切りもできなくて、どれも相手のためにならない…

そして物事はこんがらがってややこしくなり、大変な状況になる。
それは人の自由を尊重する優しさではなく、
ただどこかで線引きすることから逃げてるだけなのかもしれない、
人も猫も、ただなんでも受け入れて優しくしてるだけの方がずっと楽なので。
猫はいいんだけどね、死ぬまで一緒にいるから死ぬまで面倒見るから。

安眠漢方

2023-06-26 | Weblog
遠足の前や試験の前、何かある前夜に眠れないのは子供の頃からで
心配事があると眠れないし、心配事や不安はいつもいつも何かしらあるし
そういえば気がつけば2、3時間以上続けて寝たことがないなぁと思ったときも
それが普通になってたので特に自分の睡眠に問題があると思ってなかった。
でも少し前に人と話して、それは結構眠れてないほうだと言われ、
安眠系のサプリを試すことにした。近くのドラッグストアで帰るものを3種類、一箱ずつ。
どれも顆粒のものを試しました。
煎じるのは大変だし、錠剤より顆粒の方が効きそうな気がするし(気のせいだろうけど…)

柴胡加竜骨牡蛎湯(サイコカリュウコツボレイトウ):
     寝付きをよくする。比較的体力のある人向き

桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう):
     パニック障害や自律神経失調症、温泉の後のような気持ちの効果
     血行が良くなり緊張が緩み気持ちが落ち着く

加味逍遙散(カミショウヨウサン):
     ホルモン、更年ぼせ、肩こり、便秘、いらいら、眠りを深くする

それぞれ効いてるような日もあれば関係ないような日もあって、はっきりしたことは言えないけど
この3つの中では桂枝加竜骨牡蛎湯が、朝起きてから思い浮かべると効いていた気がする。
つらかった日の夜にまた色々考えてしまって眠れなくなると思ったのに、
なんかふわっとした気分になって、気持ちの尖ったところがなくなるというか、
意識は変わらずしっかりしてるんだけど気分がぼやっとゆるんで角が取れた感じで、
お布団に入るとわりとすぐに眠れたのだった。
そして珍しく5時すぎまで続けて眠れて寝起きもしんどくなかった。
寝る前の、ちょっとふんわり落ち着いた感じはとてもよくて
「温泉の後のような気持ちの効果」といわれると、まあ確かに
ぬるいお風呂に入った時のような感じに少し似てたかも。
気のせいかもしれないけど、自律神経は若い頃からグダグダなので、しばらく続けてみよう。

と、また眠れない日がおそってきた時の個人的メモでした。


ミニスカートとタイツ

2023-06-07 | Weblog
昨日ワンピースのことを書いたけど
一方でいつものミニスカートは、わたしにとっては鎧のようなモノ。

電車に乗って女性の足元を見ると、みんなわたしより細く見えて
若い頃はミニスカートが履けなかったけど、40歳をすぎた頃から平気になりました。
背も低いので足は出した方がバランス良く見えるし、カラフルなタイツも好きだし。
そしてえいっと足を出すと、シャキッと勇敢な気分になって、少し世界が怖くなくなる。





プリントのワンピース

2023-06-06 | Weblog
普段の服はミニスカートが多いんだけど、
今年は春先からなんだか丈の長いワンピースの気分で
なぜかもっさりした花柄のワンピースを着たくなったのです。
古いフランス映画で田舎のおばさんや女の子が来ているような、
おしゃれでもなんでもない簡単な形のてれんとした生地のプリントのワンピース。
田舎のおばさんはそんなワンピースの上からエプロンを巻いて台所にいる、そんな感じ。

でもわたしは顔がシャープじゃないからか、そういうワンピースがあまり似合わなかった。
もっさりしすぎて、オシャレじゃないというレベルを超えて、ダサダサになりすぎてしまう。
それが、最近髪を前下がりの短いワンレングスボブみたいにしたら少しフェミニンな感じになったのか
そういうもっさりしたワンピースも、ほどほどに着られるようになった気がして
家の中でしか着てなかった花柄のワンピースを外でも来たり
リバティプリントのワンピースを買ったりするようになりました。





ワンピースは1枚で着られて、あまり作為や意図もなく身に纏えるのがいいところだなぁ。
気張らず自然に優しい気分になるのもいい。

先日新聞の記事で、その新聞社の記者が自分のことを3回にわたって書いた記事があって
それは男性として生まれたその記者が、実はずっとワンピースを着たくて
やっと着るようになった話でした。
さらに、ワンピースを着るのが好きというだけではなく、自分を男性とは思えないこと、
では性自認が女性なのかと言うとそれもそうとははっきり言い切れなくて、
まだ変わっていく途中なのか、それともそういう、なにとは言い切れない地点こそが自分なのか
逡巡の残る状態での記事で、でもその悩みと迷いの切実さは溢れ出していました。

わたしは女性に生まれて、なんの違和感もなく、女性であることを楽しめるけど、
そうじゃない人もたくさんいるんだなということは忘れないようにしたいです。

そういうことも思い出しながら、今日もまたプリントのワンピースを着る。

テーブルクロス

2023-05-17 | Weblog
うちは本棚は一部屋にまとめてあって本棚だけ詰め込んである小部屋があるんだけど、
冬の間にリビングの、四角のテーブルや丸いテーブルやライティングデスクやコタツに本がどんどん
積み上がってきて、限界を超えたのでなんとかあちこちに分散させて片付けてみました。
これは応急処置でしかなくて、そろそろ本気で本棚を整理するか
新しく本棚を置くスペースを作らないといけないけど、
とりあえず久しぶりにテーブルに何も載ってない状態になったら、
テーブルクロスを楽しみたい気持ちが湧いてきた。

時々ホームパーティに呼んでもらう近くの友達の家のテーブルは
いつもテーブルクロスがかかっててなんか暖かくて居心地いいので憧れてたのだった。
押し入れから布の入った箱をゴソゴソと出して、サイズの合いそうなものを物色。
端の始末はミシン持ってないので手縫いでもいいんだけど、
直線をチクチク縫うのはつまんないし猫も邪魔するので母に頼んでシャーッと塗ってもらおう。

テーブルクロスをかけても猫が乗るとくしゃくしゃになるので
本やかごなどを重石のようにおかないといけなくて、
そうすると結局また本が積み上がってしまうけどね。笑

希死念慮

2023-05-14 | Weblog
今日は久しぶりに、消えたいというか死にたいような気持ちが強かったので、
ワインを飲みながら料理をしておいしいものを作って映画を見たら少し生き返ったので、
楽しい時しか飲まないルールは少し破ったけど、飲んで良かったと思う。

希死念慮的なものが強い方とは思ってないけど、ないとは言えないというか、まあ、ありますね。
ただどん底の時は案外自分でもわかってなくて、ちょっと浮き上がってきた時に、
あぁあ、だいぶひどかった、かなりつらかった、と気が付く。

でも、生きるか死ぬかというドロドロのメンタルを救うのは、
明日の美味しいピザ屋の約束とか、ヴァレンタイン商戦の中で自分に買ってきたいいチョコとか、
ホントどうでもいい物質的な小さいものだったりするのよね。
その場しのぎの小さい計画が自分を救う。大きい計画はしんどいときには無理。

あと、猫はえらい。
いつでも横にいる柔らかく温かく身勝手でこの上なく自由な生き物が
ふわふわの毛皮を纏ってそばにいるということ。
まあそれだけで生きる理由にもなりますからね。
野良の心気高く爪切りもワクチンも全力で拒否するクロちゃんや。

言葉と歌で気持ちを整える

2023-04-25 | Weblog
もうなくしたことの中で、良かったことを思い出すのは切ないけど、
つらかったこともやはり思い出してしんどいので、
つまり何も思い出さない方がいい。
でもわたしは思い出す人間なので、思い出すのをやめられない。
そうして強くなっていって、やがて回復すると思う。

とはいえ、たまに映画館で、あらゆる思考を停止する数時間は必要だから、映画を見ます。

映画館で見た広告で、気持ち安らかにいるために3分間思考を止めるというのがあって、
そういえば以前子どもの絵のクラスをしてた時、何かで怒って気持ちが収まらず
絵なんか描けない!という低学年の子に「そういう時は「♪ぼんさんがーへをこいた〜♪」って歌うと
いいのよと説いた先生のわたし。
えー、なにそれー!キャハハハハー!と笑って、みんなで声に出して歌ってまた笑って、
すっかりいつものその子に戻ったんだった。
大人は、本当にしんどい時にはそれも効かないけど、声に出して歌うと、少しは効く。笑

「♪ぼんさんがー」で気持ちの中に強引に隙間を作って、
ハメハメハ大王の歌で気持ちを広く柔らかくして
(風の全てが彼の歌、星の全てが彼の夢、って歌詞がすごく好き)
仕上げはリボンの騎士の歌で楽しく強い心に仕上げる。
(千年万年百万年リボンで繋ごう一億年、って壮大で勇敢で好き)
3分くらい、思考を止めてこれをするべし。