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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

アンの服

2024-10-26 | Weblog
紺に白い小さな小花のような幾何学模様のプリントの
シンプルなローウエストのワンピースで着やすく気に入ってるのがあって、
柄違いが出たので深く考えずに買ってみたものの、どうも似合わない。
細かい黒白のギンガムチェックで、ぱっと見はグレーに見えるけど、このグレーが似合わないのである。
生地自体もプリントのつるんとした綿ブロードとは違って、少し素朴な綿の感じ。
そのワンピースを着たわたしは、似合わない粗末な服を着た赤毛のアンの気分になるので、
赤毛のアンのワンピースと呼んで数ヶ月着てたけど、似合わなすぎて部屋着になりつつあった。
(孤児だったアンは引き取られた後も飾り気のない質素な服を着ていた)


でも、わたしは灰色が全部似合わないわけではなくて、
もう少し薄いか濃いかなら似合うと思うので染めたらこの服も生き返るかも?。
服を染めるのは初めてだけど、取り合えずメジャーなダイロンと色落ち止めのものを買った。
色は、元の色があるので何色に染めてもくすむだろうから黒を買って染めることに。
真っ黒にはならないというレビューを見たんだけど、真っ黒にならなくていいのよ。
元よりもう2段くらい暗くなればいいのし失敗してもいいやというくらいの気持ちで気楽に染めてみた。

結果、ちょっと青みがかった墨色という感じで、色の具合はいいんだけど
洗って干して乾いてから気づいた・・・染めムラが・・・あんなによく揉んでつけ込んだのに。
最初に染めた時のムラではなく定着液につけ込んだときに、わりと雑にしたのでその時のせいかな?
まあ今までもあまりに似合わなくて人に会わない日しか着てなかったのでいいか。

結局、家と仕事の往復だけの日や、家でくつろぐ日などに着てます。
染めムラはワンピースのスカート部分で、上半身にはないので鏡を見ると悪くない。笑
まあいい経験になりました。また何かを染めることがあったらもう失敗しないはず。笑

一番若い日

2024-10-18 | Weblog
今日がこれからの人生で一番若い日、というのは希望のある言葉だけど、まあ当たり前だし(^_^;)
今日も明日も3歳でも80歳でも、いつだってどの日でも、その後の人生の中で一番若い日と思うと
一日一日大切に生きなくては、という考え方に反対はしないけど(前向きで素晴らしいと思う)
だからといって、今が一番若い!という感慨はないのよねぇ…

逆に、今までの人生の中で今日が一番年をとっている日、と思う方がしっくりくるし、
それにそっちの方がなぜかわたしは元気が出る。
今までの人生で今が一番、世界が美しく見えるのは年と共にたくさんのことに気付けるようになって
世界の解像度が上がったから。
今が一番落ち着いて暮らせるのは年と共に自分を労わることが少しできるようになったから。
今が一番人間関係に疲れないのは年と共に無理をしない付き合い方を学んだから。
今が一番読書が楽しいのはこれまで読んできた本が自分の読書体験をカラフルに支えてくれているから。
これは映画も同じ。
今までに経験したことがたくさん今の自分を救って楽しませてくれる。
だから、今日がこれからの人生で一番若い日と思うより、
今日がこれまでの人生で一番年取っている日と思う方が、わたしは好きだわー
そして明日はもう一日分年をとって、その分自分の何かが増えているはずと思うのが好き。
(脂肪以外のものであってほしいけど…w)

しかし、これまでの人生で今日が一番賢い日、と言いたいけど、
頭の回転も記憶力も、流石にそれは若い頃の方が良いのは認めないわけにいかない。笑

Duolingo

2024-09-28 | Weblog
語学学習アプリ、デュオリンゴのフランス語を今年に入ってほぼ毎日やってます。
フランス語メインで、たまに気分転換用に韓国語と英語も。
英語は一応TOEIC900点以上は持ってるのでだいぶ先までスキップしたけど、
デュオリンゴのレベルではわからないことはほぼないかな。
すごく気楽にやってる。
韓国語は文字を読むのが遅すぎるし語彙もだいぶ忘れてるのでわりと初級からやり直してて
これはこれでいい刺激になってる。

最初の頃は無料版でたまにやるくらいだったけど、
ちょっと間違えると広告を見せられるの繰り返しがつらくなって
間違いを恐れるようになると本当に楽しくなくなるし、サブスクすることにして、
さらに友達とフォローしあったら毎日真面目に頑張る人だったので、わたしも
いい影響を受けて、真面目に毎日続けてやってる。
それで今日もサクサクやってたら、なぜか先のセクションに進まなくなって、
あー日本語版ではフランス語はここまでだったのか!?がーん。250日目くらいでもう終了か・・・
フランス語はせいぜい大学の第2外国語1年終了程度のレベルまでは
今までも何度も復習してきたけどその先に進めなかったのが、
今回毎日繰り返しやってるとその殻から、人生で初めて少し抜け出た気がするのに、
ここで終了だと悲しい〜!

でもググってみると、英語版だとこの先もまだまだあることがわかり、無事フランス語はそちらへ移行。
日本語話者用と、英語話者用と、両方やってみると、教える側の指示言語が単に違うだけじゃなく、
教え方も進み方も違って面白い。
若い頃、韓国で韓国語を教わった時、最初英語人のクラスにいたら進度がのろすぎたので
日本語人のクラスに替えてもらったことを思い出した。
語順や語彙が似ている言語だと説明量が10分のくらいで先に進めるのよね。
フランス語だと最初から英語版でやればよかったのかもしれないけど、
まあこれはこれで進み方の違いもわかって良かったのかな。

語学は面白いと思うし好きだし、語学のセンスも悪くはないと思うんだけど
記憶や繰り返しができなくて挫折することが多かった。
でもデュオリンゴはいいと思います。
仕事のためでも旅行や何かのためでもなく、自分の殻を少しずつ破いていくのが楽しくて
長い目でのんびり続けられそうに思う。
忙しい日には5分だけ、時間のある日には1時間以上、毎日無理なくやってます。

しばらくしたら息子もやるというので、ファミリープランにした。
息子とはお互いのプライバシーに干渉しないので、どのSNSでも繋がってないけど
デュオリンゴで繋がったのはちょっと楽しい。

最近の日常

2024-09-20 | Weblog
春に体調を壊してから生活が変わった。
社交ゼロのひと月ほどを過ごしたあと、少しずつ元の日常に戻ったけど、
よく会っていた人と会わなくなったら毎日話すような相手が猫しかいなくなった。
でもなんかそれが一番安まる。たまに好きな友達と会うのは楽しいけど
出かけたい欲がずいぶんなくなってしまった。そうすると、
一人で飲みにいくのも減ったので、家にいる時間が増えて、本をたくさん読む時間ができた。
家で飲むワインも減ったので、飲みながら延々料理し続け飲み続けることもなくなった。
少し作って少し飲むだけ。そして仕事の後の放課後が長い。

5時には仕事は終わるので(通勤は徒歩圏)12時に寝るとして7時間ある。
食事と家の雑用が2時間ほど。お風呂1時間。デュオリンゴ30分ほど、
インターネットでSNSのやり取りしたり、調べ物したりが1時間。
ベッドで猫と読書(眼鏡がいらないKindle)が30分、
ソファで読書(眼鏡かけて紙の本を読む)が1、2時間で寝る時間になる。

たまに配信の映画を見るけど全く集中できなくてあまり楽しめない。
映画はやっぱり映画館だな。
家では本の方が集中できるようになってきた。30分ほどだけど。

そうやって12時前後に寝て、夜中に2度ほど起きながら(大体3時間以上続けて眠れない)
朝は7時すぎにベッドを出る。
お弁当と朝ごはんと身支度と洗濯を、台所と洗面所を往復しながら
1時間ほどポッドキャストなどを聴きながらやります。
8時半頃には大体全部済んで、出勤までダラダラとコーヒーを飲む。笑

家にいる時は猫はよく寝てて、静かで平穏な時間が多い。
テーブルの上はまあまあ(自分比)片付いてて、すっきりして気持ちいいし、
丁寧に入れたコーヒーが美味しくて、ああ幸せだなぁ、としみじみ思う。
わかってはいたけど、自分に必要なものは本当に少ないんだなと、この頃すごく思います。
(一人でも本当に充実して幸せだけど、猫には依存してるかな?笑)

来年仕事を辞めたら、毎日何するの?と弟(上司)に言われたけど、
家にずっといてても、やることは無限にあるよねぇ。
もっとちゃんと家をきれいにしたい。
気に入ってるわけじゃないのになんとなくあるものを全部片付けて好きなものを増やしたい。
あとはもっとしっかり読書をしたいし、書いてきたものも整理したいし絵も描きたい。
自転車も乗りたいし、近くの野山ともいつまでも時々は仲良くしたい。
近所の雑草と木々のパトロールも毎日時間をかけてやりたい。
そういうことのための健康メンテも結構時間がかかるし、
今も静かながら気持ちだけは忙しい毎日です。

パーティが終わって

2024-09-14 | Weblog
「パーティが終わって中年が始まる」という本が6月に出ていました。こんな説明。
>定職に就かず、家族を持たず、 不完全なまま逃げ切りたい―― 元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス!? 赤裸々に綴る衰退のスケッチ 「全てのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。 何も大切なものはなくて、とにかく変化だけがほしかった。 この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。 喪失感さえ、娯楽のひとつとしか思っていなかった。」――本文より  若さの魔法がとけて、一回きりの人生の本番と向き合う日々を綴る。

本読んでないので内容については語れないけど、
パーティは終わったっていう表現はエモーショナルで感傷を誘う。
元々は英語の表現の party is over から来てるんだろうけど、
初めてこの表現に出会った時には、その頃の日本ではカジュアルではなく
華やかな印象を持つパーティというものの語感を少し大袈裟に感じて
かえって印象的だと思ったのだった。外国っぽい表現だよね。

若い時代からから中年になるときには、わたしは特に何の感慨も持たなかった。
若い頃にあるべきパーティのような青春自体がなかったからね。
でも中年の時期もそろそろ終わりでとうとう老年に入ってきたなぁと感じるようになった今は、
じわじわと何かが終わった感慨が深くなっていくのを感じている。
何より体が変わってきたからね。気持ちの問題じゃなく否応なく衰えを日々感じさせられるから。
中年になった時の体の衰えは年齢なりにゆっくりとしていたけど
老年になる時の衰えは年齢なりの変化というよりは、人間としての生きている体の機能が
確実に終わりに近づいてきたのを感じさせるし、機能によっては、はい終了というものもある。
人生の野心の先が見えてしまうのが中年になることなら
人生自体の終わりがはっきり見えてくるのが老年かなぁ。

だから中年になった時のことを、中年も終わりにさしかかってから振り返って思うことは、
若いパーティーが終わっても、中年には中年のパーティがちゃんとあったなぁということ。
もちろん若い時のものとは違うパーティではあったけど、それでも終わってみるとやっぱり
それらの日々はパーティと呼んでいい気がする。
そして、中年が終わると本当にもうパーティは終わった気がするけど、これも多分違う。

冒険も出会いも目が覚めるような感動も、まだ自分にあるとは思う。
まだ馬鹿なことをするだろう。うわついたこともするかもしれない。 悪ノリもする。
ただ体力も、想像できないほどの未来ももうないから、やっぱり随分違うだろうし、
なんならただ平穏で、どこも痛くないというだけでありがたく、
(そんな日はどんどん減っていくのだ)
それだけで気分はパーティといえるほど、
小さくてごくささやかなものを、ありがたがって生きていくのかもしれない。

パーティというものの中身は変わるけど、生きている間ずっと
その人なりのパーティは続くのではないか。
年を取れば取るほど思うけど、生きているということだけでもうパーティだよね。

還暦前に

2024-08-14 | Weblog
来年還暦なんだなぁと、50代の10年間のことを思い起こすと中々色々あったなぁ。
わたしの人生に来たもの、去ったものどっちも多いし、自分自身すごく変わったと思う。
うさぎが死んで猫が来た。父が死んで自由になった。離婚がちゃんと成立した。
カフェを閉めて事務員になった。10年ずっと片思いで好きだった人と付き合って別れた。
痩せたり太ったり。ブロンプトンが来た。アウトドアを少しするようになった。
ますます小さなものに気がつくようになって世界が美しい。写真は細々と撮ってる。
家の大リフォームをして家もわたしも生き返った。
うさぎが死んだ後はたまに一人旅するようになった。ワインをすごく飲むようになった。
ウィスキーもすごく飲むようになった。胃はずっと悪い。何度か体を壊した。

40代は東南アジア8年のあと日本に帰ってきて、日本に適応するために頑張った。
結婚がダメになった時期でもあって、それはそれはしんどかった。
通信の美大を5年かけて卒業した。TOEICも925点まで取って、カフェと絵と英語の教室を始めた。
小学生だった息子は大学生になって家を出た。ウサギを10年くらい飼ってました。
編み物をたくさんしたなぁ。

30代は常夏の外国で子育ての時期。バイオリンにハマってた。
日本で生まれて日本で育って日本語しか流暢に話せないのに、
外国で暮らすとわたしはただの韓国人ということになり、ますますよるべない気持ちだった。

20代は家に閉じ込められてずっと泣いてた。鬱で延々寝てる時間が長かった。
大学の後は就職もさせてもらえず自由に外出もできず、見合いで結婚させられた。
人生で一番辛い時期が3つくらいあるけど、最初のそれが20代だ。
世の中はバブルだったけど、ずっと絶望してて、晴れやかな青春なんかなかったなぁ。
心は壊れて治らない部分がまだある。他にできることがなかったので20代は本をよく読んだ。
毎日3時間くらいお風呂で読んでた、お風呂の中だけは親に邪魔されない避難所だった。

還暦を考えてたら、なんだか懐古的になってしまった。
つらい時期が長くて、やり直せないことも多くて、諦めたものの多さに今も胸が痛むけど
でも来年60代を迎えるにあたって、それでも今が人生で一番幸せかもしれないと思う。
誰にも支配も抑圧もされないし、今は自分の人生を人に蹂躙されないで生きている。
むしろ誰にも支配されないという幸せに慣れてないので、さて、どう生きようと
父が死んでからずっと戸惑っている感じもする。
戸惑わないでいいよ、ただ幸せに生きてればいいんだよと、
なんとなく誰かに許して欲しい気がしてる。
信仰があれば、神に許されたいと思うのだろうけど、そういう信仰はないので
これからの人生は、もっと人のために生きることを考えるのがいいのだろう。

食べ放題の店

2024-08-13 | Weblog
以前、特上タン「たった」50人前食べて店に注意されて、
そんなことで文句言うなら「食べ放題」をやめろや!とキレてる客のツイートを見た。

食べ放題の焼肉屋って、部活帰りの男子高校生軍団とか来ると、気の毒だなぁと思うけど、
お腹を空かせた育ち盛りがご飯もお肉も何人前もガツガツ食べても、
お店は文句言ったりしないでしょ?(少なくとも息子は言われたことなかった)
でも大の大人が、高い肉を50人前とか食べるのは、腹ペコ育ち盛りとは話が違うと思うけどなぁ。

たとえば友達んちで、たくさん食べて、いくらでもおかわりしてね、と言われたからって
一人で何十人分も食べてしまったりしないよね?
いくらでも食べてって言ったくせに!って逆ギレしたりしないよね?
知らない店でもチェーン店でも、機械から食べ物が出てくるわけじゃなく、
そこにはそれを仕事にしてその仕事で生活している人間がいるわけで、
キレる人って、その人たちが困っても気にしたりしないのかな。
わたしはお店との付き合いも人との付き合いと同じく気持ちよくしたいと思うし
お客様は神様じゃないし、お店の人はロボットではない。どっちも同じ人間よね。

法的には問題ないし理屈としても間違ったことしてないし、
別にこの食べ方でも何も問題はないという意見が多くて、それはそうなのかもしれないけど、
法的に問題なければ人が困ることをしても何も問題ないと思うような人はいやだな。
食べ放題の店でこんな食べ方する人とも、注意されたら逆ギレするような人とも食事したくない。
というかお近づきになりたくない…

常識という言葉は堅苦しく人を縛るものなので好きではないけど、
想定外の偏った言動で人を困らせるのは、威張っていいこととは思わないのです。

高齢者の資産

2024-07-18 | Weblog
高齢者の資産が多いという統計などを見るとすぐ、
世代間の分断を深めようとする差別主義者を見かけますが、
高齢者の資産が多いということは、もうすぐその人口分布の多い層が亡くなっていき、
彼らの資産の相続税5割くらいが国に入るということだから、
別にそこで嫉妬心を燃やさなくてもいいのでは?

お金持ちって生きてても死んでも税金をたくさん払う存在ではあるんだし、
お金持ちに嫉妬するよりそのたくさんの税金で国をよくできない政治にこそ怒るべきでは?

さっき見かけた認知症高齢者の資産がこんなに多いという統計でも、
計算したら一人平均740万円って書かれてて、
それが多過ぎると非難できるのかどうか…。
まあ平均ってあんまり意味ないかもしれないけど、
なんにしろ世代間に分断を深めていいことは何一つないと思います。

小さい世界

2024-05-30 | Weblog
家からワンマイル内に職場もスーパーもデパートも国鉄も私鉄もバス停も市役所も病院も銀行もあるので、
わたしの生活はほぼ全部ここで賄えるし、毎日同じ道を歩いて通勤しているわたしの世界は小さいけど、
なんというか今年もまた春が来て、去年より美しくて毎日感動している。
視力は年と共にどんどん悪くなってるけど、見えている世界の解像度はどんどん上がっていて、
良きことである。

近視と老眼でどんどん見えにくくなってきて、もう細密な絵も描けないし、よく見えないけど、
毎年きれいなものが増えていって、若い頃にこれくらい世界が良く見えてたらなぁ、と思う。

雑然とした道端の繁みもそれぞれ違って、違うことがわかると良さもわかってくる。
青々とした苔の上にぱらぱらと生えるスギナとたんぽぽの綿毛の配置に感心して足を止める。
椿の下に盛り上がるように迫るコメツブツメクサの群生に、かわいいなぁと立ち止まる。
線香花火のようにチラチラと咲くオニタビラコのかたまり方の面白い一角の写真を撮る。
毎年、初めてその面白さや美しさに気づく場所があって狭い世界でも飽きることがない。

日本画をやってた時に、見ると言うことの大事さを叩き込まれたはずなのに
いまだに同じ場所を見ていて新しく見えてくるものがあって、
見るということには本当にキリがないなぁと思う。
雑然とした植え込みや小さい空き地、雑な剪定をされてる街路樹の根元、
前の商店の人が道路の小さな隙間に植える花、何十年もそれらに特に目を止めずに生きてきたけど、
なんてきれいで面白いんだろうと、もう毎年毎年目が開いていくようだ。
老眼で近寄るとあまり見えないんだけどね(^_^;)
通勤や散歩の間に何度も立ち止まって、見つめながら感嘆して、
どこも痛くなくて自由に歩けてこうして小さいながら世界の美しさに浸れるのがありがたくて、
その多幸感でわたしもう死ぬんじゃないかなと思ったりするけど、いや、元気ですね。

と、4月に書いてたのに、5月になってちょっと具合が悪くなりました。もう元気じゃない。
婦人科系に痛みが出て、動くのも座るのも痛い。一日中痛いのが3週間以上続いています。
仕事は休憩しながらやってるし、毎日通勤もしてるし
見えているものは同じなのに、痛みに支配されるとあまりわからなくなる。
何かに感動するということも余裕がないとできないことなのだなぁ。
歯が一本痛いだけで世界は変わってしまうと何度も書いてきたけど
新しい痛みを味わうたびにそれを思い出します。
今は色々な予定をキャンセルして家で横になってるばかりだけど、
早く治りたいなぁ。(ちょっとまだ先が見えません)

馬鹿には馬鹿なりの楽しさがある?

2024-03-08 | Weblog
物事を楽しむために教養が必要だというようなことに対して
自分の夫は十二支も言えないけど幸せに楽しく生きてる!と反論する人がいた。
「馬鹿には馬鹿なりの楽しさがある」って。
まあねぇ、そりゃどんな人にもその人なりの楽しさはあるでしょう。
十二支が言えなくても日々楽しく過ごす人もいれば、
天気がいいだけで幸せな人もいるし、猫さえいれば何もいらないと思う人もいる。
でもね、それは別にものを知らないからわかる楽しさじゃなく、
ものを知っててもその楽しさは持っていられるのでは?
どちらの楽しさもあるほうがいいよね。

ある写真家が言ってた、感動は人の器に比例するって。
本当にそうだなぁと思う。知れば知るほど感動の質は深くなり量は増える。
小さくてまだ無知な子供はなんでも面白くて楽しそうだけど、無知の自由は実は浅くて狭いのよね。
世の中には無知な子供の楽しさ以外にも、それはそれはさまざまな楽しさがあって、
どっちの楽しさも知りたいとわたしは思うから、
「馬鹿には馬鹿なりの楽しさがある」って開き直りたくはないな。
そういうことじゃないんだけど、そういうことじゃないというのがわからないことが、
その人には幸せなのかもしれない。
でもわたしは、もっともっと知らない楽しさや感動を知りたいと思うし
そのためにいろんなことを知りたいし学びたい。

記録と祈り

2024-02-27 | Weblog
自分には記録癖のようなものがあり、若い頃は紙の日記を大量に書いてたけど
ここ10年はいろんなSNSにも日々のことをちまちまと記録してアップしてる。

20年くらいずっと毎日のように書いてるブログだけは、おこがましいけど
ここにある畠山さんの写真に対する言葉と同じような気持ちで書いているのかもしれない。
(↓下にある文章は5年前に書いたもの)
あまりアップしたりシェアしたり人と繋がったりしないブログは、
自分だけの記録という意味が9割、あとはここにある祈りのような気持ちも1割くらいあるかも。

「バハールの涙」の感想を書いてて畠山直哉さんの写真を思い出したのだけど、
その言葉も幾つか思い出した。
全然映画に関係ないけど、震災や悲劇を美しく撮ってしまうことについて、
震災後ずっともやもやしてたわたしの答えはこれに近いかなと。
岩手県出身の畠山さんはお母様を津波で亡くされ、震災直後から何度も被災後の街を撮影しているけど、
彼の写真にわかりやすい感傷は見られず、
個人的な記憶は目に見えないし写真に写らないというスタンスで丁寧で明瞭な写真を撮っている。
でも「誰かに見てもらいたいというよりも、誰かを超えた何者かに、
この出来事の全体を報告したくて撮っている」
という写真家の言葉は
わたしのもやもやの答えの一つになるように思う。
緻密で美しい写真なのですが、これを彼は自分のために撮っているのでは全然ないのですね。
誰かに見せるためでもない。誰のためでもなく、むしろ祈りに近いもののように思います。
祈りであれば磨いて美しくしていくのも納得できるのです。
でもそこまで全く私心や邪心のない写真家は実は滅多にいないのではないかとも思うけど。
「写真という場所は、一枚岩じゃありません。言葉のスピードを落として、
ボキャブラリーを増やして、慎重に話さないとうまく議論ができないことが世の中にはあると思うんです。」

「そもそも」のところ

2023-12-29 | Weblog
パレスチナにどういう大義があるというんだ、というツイートを見て呆然。
いやいやいやいや、あるでしょうよ。
非道で残虐な無差別テロや戦闘行為は非難されるべきだけど、
そもそもの大義という話なら、むしろそれがイスラエルにあると言えるのかねぇ?
人の住んでる土地に乗り込み奪い壊し人々を追いやったイスラエルの方に大義があると言えるの…?
ユダヤ人の歴史は気の毒ですが、だからって2000年前のことを持ち出して好き勝手していいの?
お金と力を振りかざしてそんな理屈を通していいなら世界はメチャクチャになるでしょ。

ああもちろん、最初にも書いたけど、残虐非道な戦闘行為やテロ行為は
どちらがやっても私は非難する立場であります。

その上で、大義ということであれば、自分の生きてきた大事な土地や家族や生活や友達や人生を、
よその誰かに力で踏み躙り蹂躙してきたらそりゃ反抗するだろうし、
その場合の大義がどちらにあるかは、何も難しくないと思うけど?


イスラエルとパレスチナのどっちがより非道な戦闘をしてるかの競争にしてしまっては意味ない。
こういう状況(所謂泥沼)になったら、そこで相手を非難し合うのは不毛よね。
もっとそもそものところから解決しないといけないのでは?
そして「そもそも」を言うと、よくなかったのはイスラエルでしょ、どう考えても。

パレスチナ側のそもそもの要求は「我々がずっと住んでいた土地を奪ったり殺したりするのをやめて出ていけ」
イスラエル側のそもそもの要求は「2千年前に住んでた土地に戻り自分たちの国を作ることにしたので、
                元から住んでたお前らは出ていけ」

これ、どっちに大義がある?

そしてその「そもそも」の次は
パレスチナ側「奪われ支配され囲まれ追い出され殺された。命をかけて反撃するしかない!」
イスラエル側「奪って閉じ込めて殺し痛めつけたら反撃された。許さん!
       お金も武器も国際理解もこっちの味方だからもっと叩きのめそう」

知らない街の知らない立ち飲み

2023-12-24 | Weblog
映画「キャバレー日記」を見た後、電車に乗る前に入った西九条の駅前の立ち飲みがすごくよかった。
500円のセットですが、普通のワンコインの3倍くらいの量のアテが出てきて、
しかもたくさんある中から選べる!なかなか美味しい。これだけでもう一杯のめるけど
お刺身を頼んで熱燗に移行。立ち飲みで安い日本酒の熱燗を飲むのも好きなんです。
この冬初めての熱燗でした。

ハイボールとビールと熱燗2合、ひとりで飲んでいる間に、
わたしの横に来たカップルの男子がすごい自然な感じで
ここのおすすめってなんですか?って聞いてきたので、わたしも初めての店のくせに
とりあえずこの3種盛りのセットが安くて選べて美味しくていいですよ!とすすめた。
それから地元の話や、見てきた映画のことなど話が弾んだけど
カップルの女子の方が大人しくあまり喋らないので、遠慮して早く帰りました。
古くからある店で、カウンターにいた男子は3代目だというけど
なるほど、三代続くだけのことはあるねぇ。

と、そういう話をしたらお友達が、
>このお店、友達のお店なんです。
>三代目は、たかしくんといって、息子の野球チーム仲間でした。
>奥に見えるのはママ友で今でも仲良くさせてもらってるママです。
>一番下の子だから、奥で優しい目で見守ってるね〜笑

世間は狭いなぁ。いい店だったのでまた機会があれば行こうと思ったけど
こうなると機会がなくてもわざわざ行くしかないですね。
たかしくん!と呼びに、また行こう。

よく知らない街でひとりで入るのは立ち飲みが多い。
よく知らない街のよく知らないカフェで美味しいコーヒーが飲めるかは難しいし
(一応元カフェ店主であまり外のコーヒーを信じてなくて外ではコーヒー飲まない)、
レストランで美味しく楽しい食事ができるかはさらに難しいし、
バーにカラオケがあったりするとテンションダダ下がりだし(バーは静かなのが好き)
一番リスクが少ないのが立ち飲みと思うのです。
立ち飲みには静かさや特別な美味しさは期待してない。
立ち飲みに期待するのは、わい雑さ、馴れ馴れしすぎない程度の親密さ、
入り混じる常連(内)とよそもの(外)の空気、
さっと出てくるジョッキの角ハイ、安くて気取らない定番のアテ、とかかな。
とりあえずビールかハイボールを頼んで店の感じを見て、
あかん感じだったらそれで出て次に行けばいいし、
良さそうならじっくり飲めばいい。程々なら程々に飲む加減ができるのがいい。
そこでひとりで飲んでるときにたまたま横にきた知らない人がごく自然に、
おすすめってなんですか?とか聞いてきて、
わたしもごく自然に、初めてなんだけど、これおいしいよとか答えて、
そうするともっと居心地が良くなって、
でも長居はせずに気持ちよく良い加減のところで切り上げて帰れれば最高です。

知らない街を一人でうろうろするのは、ほんとに楽しいなぁ〜。

遠くにきたなぁ

2023-12-03 | Weblog
本減らし中で、10冊くらいあったパリのアパルトマンとか北欧のキッチンとか、
ベルリンのカフェとか恋人たちのインテリアとかのインテリア写真本を売る前にパラパラ見てたら、
20年前とかに憧れてうっとりしてこういう写真を見てた気分を思い出した。
今見てもおしゃれだけど、もうあの頃のような特別な感じは無くなってしまった。

40年前とかの若い頃はそもそも身近にオシャレなものが少なくて、東京へでも行かないとない、
パリやロンドンやニューヨークにいかないと何もない!と思ってたけど、世界は狭くなったねぇ。
40年前の少女の自分が懐かしく愛しい。

今の自分も特におしゃれな生活をしてるわけではないけど、40年前の自分から見ると憧れの生活かもしれない。
一人暮らしで猫飼ってるし。一人暮らしも猫も、夢のまだ夢だったもんね。

自分の生活や人生を自分で決められるなんて、死ぬまで無理と思ってたもんね。
ごく普通に猫と住み、花を飾りワインを飲み、好きな人たちと付き合いながら暮らしてるなんて、
遠い遠い夢だったのに、40年で遠くまで来たもんだなぁ、わたし。
こんなに遠くに来れたのかぁ。

10代20代の頃の、何もできず閉じ込められてすっかり絶望してたわたしが
今のわたしを見たらどう思うかな。その頃に無理だと思ってたことは大体叶ってる。

人の気分や人の作った規制に関係なく自分の時間で生きられるなんてなぁ。
猫を飼えるなんてなぁ。
扶養されずに生きられるなんてなぁ。
出かける時に怒られないなんてなぁ。
帰宅時に正座させられ怒られないなんてなぁ。
人のことを気にせず買い物ができるなんてなぁ。
びくびく、おどおどせずに過ごせるなんてなぁ。
どこかに行くのに、人の許可を取らずに済むなんてなぁ。
人付き合いを監視されたり禁止されたりしないなんてなぁ。
掃除も洗濯も片付けも自分のペースででして怒鳴られないなんてなぁ。
とにかく、誰にも怒られずに過ごせるなんて!!!
昔の自分がこれを見たらどう思うだろう?

そういうことを思うと、わたしは今すごく幸せです。昔から見るとありえない自由がある。
もう誰にもこれは渡したくない。
とにかく、人に支配されないって、怒られないって素晴らしいなぁ。

若い活動家たちのその後を見て

2023-09-21 | Weblog
6月、SEALDsの元メンバーに取材した記事を読んで、なんともやるせなかった。
中傷され嘲笑され攻撃され、かつての活動を隠したいと思う人が半分以上だと。
安保法案が強行採決された時の「敗北」はわたしも共有した。
もう「日本社会には期待しなくなりました」と聞くと、活動の敗北と共に、社会への敗北でもあったのか。

社会が、出る杭を叩く社会が、彼らを攻撃し続けたせいだろう。
彼らの勇気の十分の一も持たない大勢の人々が、匿名をいいことに
デマや誹謗中傷で卑劣に攻撃し続けた結果、
敗北に敗北を重ねて振り返りたくないと思わせるほど彼らを、彼らの人生を傷つけたのだなぁ。

彼らの敵であった体制側とは別に、わたしの左派の友達にもSEALDsを毛嫌いしている人が多く、
(安全保障についてであったり、ナショナリズムについてであったり、
ポピュリズムについてであったり5件についてであったり…)
どうしても許せない、譲れないという点が、若い彼らに対してあったのだろうけど、
わたしは彼らの未熟さを責めたくはなかったし、
最初から許せないことが多すぎると、運動はうまくいかないのではという気持ちもあった。
わたしだって彼らの活動に丸々賛同するわけではなく、
見解や姿勢の相違も目指すものの違いもあったけど、
どちらかの側しかないならわたしは彼らの側に立ちたいと思っていたし、
結局はなんて勇敢な若者たちだろうと感心しないでいられなかった。
わたしがもし日本人の若く元気な有権者であっても、あれだけ戦うことなんて絶対できない。

そんな彼らが、もう期待しない、関わらないと言うのは、もう絶望したということだ。
すっかり絶望させられてしまったのだな。活動の敗北の後もずっとずっと。

その後の安倍政権では、ますます閣議決定で一方的に決められることが増え、
その度にわたしも小さく絶望を積み重ねて来たけど、個人として攻撃されることはもちろんなかった。
でもSEALDsの一員だった彼らのその後の苦しさや絶望は想像異常のものだったろうと思うと
彼らのためだけでなく、日本の社会に対して、やるせなさしか感じられないわ、もう。

8月にもSEALDsのメンバーだった別の人のインタビューを新聞で読んだ。
あっちからもこっちからも叩かれてもう忘れたいと苦しんだ人のインタビューを読んだあとで、
8月に読んだインタビューの元SEALDsの牛田さんは、デモ以外の持続可能な新しい市民運動を模索し、
そのための勉強を続け知識やスキルを蓄えていると話していた。
(安保法案を止められなかった)SEALDsの失敗を言われることに対しては、
どの立場から言うのか、戦わない人は負けることもできないし負けるのだって大変、
負けることもできない人が勝ち負けに言及するなと思う、と言う。
そうよね。わたしもそう思ってきたよ。
彼らより真摯に活動し努力した人だけが彼らに石を投げられる。
だけどそんな人は(わたし自身も含めて)多くないでしょう。
多くないから安保法案も成立してしまった。

デモを意味がないと冷笑する風潮に対して、
(デモをする自らに対して)「冷笑的」であることも大事だし、
長い時間かかるだろう事実を受け止める胆力、徒労を続けることが生きることだという諦めが
市民運動にも必要と言う、この辺の強かさやバランスも悪くないのではと思う。

自分への批判も忘れずに、でも自分では何もしない外野からの誹謗中傷には負けずに
柔軟にしたたかに理想を追い続けてほしいと選挙権もない在日外国人のわたしは思うのです。
もちろん批判するべきところがあればするべきだし、
彼らもそれを受け入れながら成長する人たちであってほしいものです。