sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

8月の戦争の話

2023-08-16 | Weblog
8月の新聞やネットは、戦争や原爆の悲惨な経験を語り継ぐ内容が多くて、
決してその記憶を風化させてはいけないし二度とあってはならないと思う一方、
日本の犯した侵略の加害については、いつまで言ってるんやなどと言う人がいるのは残念。
いつまで言うんや!と逆ぎれしたり、日本はアジアのために戦ったんだと
歴史改竄するネトウヨのような人は少なくて、
単に自国の加害のことは忘れてたりよく知らなかったりのまま、
被害者としてしか思い出さない人が多いのかな。
戦争を知らない今の日本の人たちに戦争責任を責め、謝り続けろ償い続けろとは思わないけど、
被害は加害とセットで語り継がれるべきでは。

日本の人も戦争ではひどい目にあって、大変な思いをされたことをわたしも悲しく思うものの、
結局、他人の国へ乗り込んで侵略、搾取し虐待、隷属させようとすると
そういう目にも遭うんだよと思う冷ややかな気持ちもなくならなくて、
何も言えないのが辛い季節。

戦争は、世界の片隅の生活者としての一個人を考えると、みんな被害者と言えるんだろうけど、
自国の加害にひとことも触れない被害者としてだけの話ばかり聞くともやもやしてしまう。
みんなの結論が戦争は悲惨だ、という真っ当なものであっても、
それ起こしたのは自分達なのに、その反省はかけらも見えないんですけど?と思ってしまう。
ずっと反省し続けて苦しめなどとは全く思わないのだけど、忘れられるのは困る。
過去にこういうことがあったと自分の国の加害に対しての自覚がほんの少しあれば、
みんなそれぞれこれからの自分の新しい人生を幸せに生きていけばいいんだけどね。

ドイツの戦後文学や映画は自国の被害と向き合うものがとても多い、というか
何を見ても戦争の影があって、そこには加害者としての自覚と反省が常にあるように思う。
日本ではネットでもリアルでも、戦争で親戚が苦労された話や亡くなった話はたくさん見るけど
戦争で侵略した国の人を苦しめた話や殺した話は8月のあまり目にしないし聞こえない。
そうやって加害はなかったことになって、被害の声だけが残っていく。

8月は特に、終戦だけでなくあの悲惨な原爆の落された月だから、
原爆の非道さ凄惨さと共に、その被害者としての自分達しか思い出さないし語られないことが多い。
原爆の非道さ凄惨さは確かにしっかりと世界に語り継がれるべきだけど、
そもそもの加害の話は語られないまま、なかったことにされ、
被害の話だけが痛切に語り伝えられ、被害の感情しか残って行かないのが
何とももやもやする8月。

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