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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

豊田市美術館でリヒター:後編

2023-06-11 | 芸術、とか
今回の展示の目玉に関しては美術館のサイトより→
4点の巨大な抽象画からなる作品、《ビルケナウ》(2014年)。本展では、絵画と全く同寸の4点の複製写真と大きな横長の鏡の作品(グレイの鏡)などを伴って展示されます。見た目は抽象絵画ですが、その下層には、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で囚人が隠し撮りした写真を描き写したイメージが隠れています。リヒターは、1960年代以降、ホロコーストという主題に何度か取り組もうと試みたものの、この深刻な問題に対して適切な表現方法を見つけられず、断念してきました。2014年にこの作品を完成させ、自らの芸術的課題から「自分が自由になった」と感じたと作家本人が語っているように、リヒターにとっての達成点であり、また転換点にもなった作品です。

写真撮影OKだったので、今回は自分の写り込んだ写真を意識的に撮ってみました。












豊田市美術館の建物自体も興味深く、ガラスや鏡や水を使い
建物を囲む外部とのつながりが感じられます。







美術館の敷地内には常設の別館、高橋節朗館というのがあって、そちらも鑑賞しました。
これも豊田市美術館と同じ建築家の建物で、現代漆芸家・髙橋節郎(1914-2007)さんの作品が
石の庭の作品やラウンジから見える戸外に置かれた作品が面白かったです。



ここに座ってぼんやりしたくなるラウンジ。

豊田市美術館でリヒター:前編

2023-06-10 | 芸術、とか
写真の関係で知り合った友達が、運転するのでレンタカーで美術館に行こうと誘われて
以前も三重のギャラリーに行ったことがありましたが
今回は豊田市美術館に初めて行きました。
その友達の他にもうひとり知り合いと、初めての方と4人で出発。
思ったより遠くて、超方向音痴のわたしにはナビが大変だったけど楽しかったです。
行く途中でランチに食べたことないものを食べようという話になって
Googleマップを見ながら探したのがペルー料理。
30年くらい前に大阪で当時は珍しかったペルー料理の店に行ったことがあります。
美味しかった記憶はあるけど内容は全く覚えてない。
お店は豊田市美術館にだいぶ近づいたところのビルの2階。

ペルーの雰囲気。
サービスをする人もお料理をする人もペルーの人のようで、
食べてるうちにどんどん入ってきた他のお客さんもペルーの方ばかりで
トヨタの工場が近くにあるしペルー人の大事なコミュニティになってるのだなぁと思う。

ペルーのビールと一緒にいただきます。





料理はどれも美味しかったけど、量が多くて、ニンニクも多くてガッツリ系。
わたしたちにはこの半分でよかったけど、お腹いっぱい美味しくいただきました。

さて、トヨタの街、豊田市を車窓から楽しみながら美術館に到着。大きな美術館です。



お城のようなものは七州城隅櫓(復元されたもの)。
七州城というのは「三河国」「尾張国」「美濃国」「信濃国」「伊賀国」「伊勢国」「近江国」の
7つの国が見える高台にあることからの呼称で正式には挙母城というらしい。



広々とした敷地に、広々とした建物です。






ゲルハルト・リヒターは1932年ドイツ東部のドレスデン生まれ。
1961年にベルリンの壁で東西に分断される直前に西ドイツのデュッセルフドルフに移住し
その後ケルンで活動を続けてきた現代美術の巨匠の一人。
ゲルハルト財団と作家の所蔵品110点の展示で、作家の60年を振り返る、というもの。
フォト・ペインティング、カラーチャート、グレイペインティング、アブストラクト・ペインティング、
ガラスと鏡、アラジン、ストリップ、ビルケナウ、オイル・オン・フォト、肖像画、
そして最新作のドローイングまでかなりわかりやすく展示されていて
余計なことに頭が迷わずにすむので、疲れずに集中できる感じで好みの展示でした。

アンディ・ウォーホルなど

2023-06-09 | 芸術、とか
写真の仲間達と京都の美術館にときどき行きます。
面白そうな展示のある時に、各自勝手に見て
集合時間におちあって、ご飯を食べながら展示や美術や写真の話をする不定期の会。
前に藤田嗣治などを見たけど、今回はアンディ・ウォーホル。

京都って、古いものも多い街だけど大きな美術館もあって
東京からの巡回展が大阪でなく京都に来ることも多い街。
学生が多いからか街の中も面白いです。
これは地下鉄の階段よこにあった街角アート的なもの?楽しい。





京都京セラ美術館ですが、いつまで経ってもこの呼び方に慣れない。
京セラがネーミングライツを買ったので、(年1億円で20年の契約とか)
わたしが元気に行けるうちは京セラ美術館のままかな。
でも心の中では今も京都市美術館と呼んでいる素敵な美術館。

コロナ禍の影響で人数制限があって予約制と聞いてたので時間を予約していったけど
すんなりはいれました。





有名すぎるマリリンモンロー



この写真、なんかすごい好き。デジタルとアナログの混じり合って
雑然としたうるささがいいし、なんか優しい温かみがある。↓

これはいろんな色の光の投影されている中、風船みたいなのがふわふわ飛んでる部屋。
自分の影を撮るんだけど、光と色が常に移り変わるので何枚も撮って楽しい。

これは出口にあったウォーホルの言葉。死ぬということを信じていない。ふむ。


ついでに向かいの近代美術館のルートヴィヒ美術館展もさくっと。
ドイツはケルン市にあるルートヴィヒ美術館の現代アートの所蔵品展。

こちらは多分写真を撮っていいところがほとんどなかった。
コレクターたちに焦点を当てた展示で、
自分からは遠い、おそらく大富豪であるコレクターという人たちに思いを巡らせました。

「具体」展

2023-06-08 | 芸術、とか
2022年には大きな美術館の展示を続けていくつか見ました。
大阪、京都、愛知… 半年も経ってるけど記録用に写真を貼っておきます。
最近は写真OKの展示が増えましたね。

大阪で見たのは「具体」展。
「具体」は阪神間ではわりと身近で、現代アートに興味のない人でも
どこかで見かけることがあるんじゃないかと思うけど
大きな美術館2つを使っての大きな展示とは、東京での再発見的に再評価とかされてるのかな?
とにかく、そんな風に小さい美術館や、大きな美術館の常設や、街角や
わりとあちこちで見てきた具体のまとまった展示を
中之島の国立国際美術館と、中之島美術館2つで同時にやってたのを見ました。

正式名称は具体美術協会で、以下美術館による説明。
具体美術協会(具体)は、1954年、兵庫県の芦屋で結成された美術家集団です。画家の吉原治良(1905-72)を中核に据えたこの集団は、絵画をはじめとする多様な造形実践をとおして、「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示」しようとしました。吉原による指導のもと、会員たちがそれぞれの独創を模索した18年の軌跡は、いまや国内外で大きな注目を集め、戦後日本美術のひとつの原点として、なかば神話化されるに至っています。
本展覧会は、そんな具体の歩みを、「分化」と「統合」という二つの視点からとらえなおす試みです。誰の真似にも陥らず、互いに異質であろうとしながら、あくまで一個の集団としてまとまろうとするその姿勢は、吉原の考える美術のあるべき姿、つまり「人間精神と物質とが対立したまま、握手」している状態とも、重なりあうものだと言えるでしょう。
大阪中之島美術館と国立国際美術館、二会場によって構成される本展覧会は、具体の活動拠点である「グタイピナコテカ」が建設された地、大阪の中之島で開催される初の大規模な具体展です。大阪中之島美術館で具体を「分化」させ、それぞれの独創の内実に迫りつつ、国立国際美術館では具体を「統合」し、集団全体の、うねりを伴う模索の軌跡を追う。それによって目指すのは、新しい具体の姿を提示することにほかなりません。解散後50年となる2022年、「すべて未知の世界へ」と突き進んでいった彼ら/彼女らのあゆみをご覧ください。


つまり中之島美術館が「分化」、国立国際美術館が「統合」担当ということだったけど
その分け方は微妙だったし、
中之島美術館の充実に比べると国立国際の方の展示が物足りない感じがしたのは
大きな美術館二つ回る中で、前半で既に疲れた自分のせいかもしれません。

中之島美術館の前にはヤノベケンジの猫と同じ色のコートのおしゃれな女性。









ペンがあって、自由に書き込んでいい作品。



トイレの中まで撮影できたので自撮り。


国立国際美術館は展示室前のこれしか撮ってない。
印象的な作品もあったけど、やっぱり疲れていたのね。笑


どちらの美術館で見たのか忘れたけど、上映されていたインタビュー映像も興味深かったです。
具体のことについてはここが分かりやすいです。
具体美術協会 Whitestone Gallery 

「カレーと村民」

2023-03-07 | 芸術、とか


戦争や国家というおおきな物語の中の繊細で複雑なものを、
小さな村の小さな話として見せるというのは中々難しいものです。
この大阪の端の吹田の家の軒先から世界を、時代を見せるというのはすごく壮大なことで、
それにこの舞台で果敢に取り組んでいるのはよくわかって少し胸が熱くなる。

舞台の美術や照明は本当に素晴らしく、どのシーンをとってもまとまりと調和があって、
質の良い舞台になってたし役者さんたちもそれぞれ良かった。
ただここまで地味な話を見せるなら、もう少し「間」を考えても良かったかなとは思う。
笑いの取り方とか、ちょっと微妙だったかな。少し地味すぎた。

この劇団の「チェーホフも鳥の名前」がめちゃくちゃ良くて好きだったので期待しすぎたかな。

時代は1905年夏。
場所は大阪近郊、吹田村にある庄屋屋敷「浜家」の玄関。
浜家の家族や奉公人を中心に、屋敷に出入りする村人や、各地を回る薬屋などの姿を活写する。
その背景には日露戦争を機に国民国家へ変貌する日本の姿があった―
(公式サイトより)

この作品は1905年の大阪近郊吹田村を舞台にしたお話です。この年、日露戦争に勝った日本はロシアと講和条約を結びました。その内容に憤った人々が日本のあちこちで講和反対の集会を開きます。東京の「日比谷焼き討ち事件」が有名ですね。当時の吹田は今も健在の大手ビール会社の工場があり、できたビールは川をつかって大阪や神戸に運ばれました。ただ工場から船着き場までは牛に牽かせたトロッコで運んでいたそうです。都会ではありませんが、大阪、神戸、京都のいずれにも近く、人と物がたえず行きかう、そんな村ではなかったかと想像しています。
戦争による世の中の変化は、吹田の人々にも影響します。新しい時代に、ついてゆく人、いけない人、迷走する人、つまずく人、後に託す人、取り残される人。様々な人々が押し流されてゆく。そんな様子を描いた作品です。
作・演出ごまのはえさん

地味な上にやや散漫としているように見えるけど、
実は結構まとまって良いお芝居だとは思うので評価されてほしいと思います。
あと、見終わったらカレーよりおいなりさんが食べたくなります。笑

百鉢展

2023-02-11 | 芸術、とか
百の鉢ではなく、煩悩の数だけ、108の鉢展。
2020年に見た展示ですが、ちょっと思い出したのでメモとして書いておく。
108は手に負える数でもあって、小さい美術館ならではの気楽に楽しめる展示でした。
展示のボリュームはわたしには大事で、多すぎると手に負えない。
情報量のキャパがすごく小さい人間なのです。
108というのは、人によっては物足りないかもしれないけど、大きな現代アートの作品より
壺や鉢のような小さな作品の方がみしっと中が詰まってる気がして108くらいがちょうどいい。

鉢は皿とも壺とも違い外も中も楽しめる、と言われるとなるほどなぁ!と思って見ました。

ここは故小林一三の収蔵品をいろんな切り口で展示してる美術館なんだけど、
時々以前見たものもあって、おやまた会ったね久しぶり、などと思うのも楽しい。
小さい美術館は小さい美術館の楽しさがありますね。

中之島の東洋陶磁の方が規模はずっと大きいし収蔵品のレベルも違うけど
どちらも小さなもの中心の展示なのでゆっくりゆっくりの速さで
仲良くなった馴染みの(と自分では思ってる)作品に挨拶をしながら見るのが本当に好き。
内容では東洋陶磁、近さと身近さでは逸翁美術館が、
自分にとってはお気に入りの美術館かな。

がまくんとかえるくん

2022-10-11 | 芸術、とか
圧倒的な優しさだった。
市立伊丹ミュージアムの「アーノルド・ローベル展」(5月でした。今頃書いてるけど)
がまくんとかえるくんの絵本はうちにも、英語版があって
誰でも知ってる有名な絵本作家ですが、その原画などのほかに
それとは違う黒白のスタイリッシュなペン画なども見られて良い展示でした。

あと、彼のホームビデオが流れてて、それがよかった。
トーベ・ヤンソンの撮ったホームビデオが泣けるくらい好きなんだけど、ホームビデオっていいよねぇ。
冗長で退屈なことも多いけど、そういう日常のかけがえのなさこそがホームビデオの良さと思って
平和な退屈さを味わう。しみじみする。
彼のホームビデオ見るとほんとに優しい人なのがわかります。
作品と本人が全然違う人もいるけど、この人は作品の通りの人なのねと思った。
ローベルがゲイってしらなかったけど、小さい頃に学校が合わなかったのも関係あるのかな。
いろいろあったと思うけど、彼の写ってる写真にも優しさしかない。
一度結婚して子供も作って育ててから別れたようだけど、その後も元妻とは仲が良かったみたいだし
子供にとっては素晴らしい父親だったようです。
家族の幸せな様子もホームビデオにはありました。とても温かかった。

がまくんとかえるくんの話で、落ち葉を掃きに行く話が「賢者の贈り物」系なんだけど好き。
それぞれが同じ日に、相手の庭の落ち葉を掃いてきれいにしてあげよう!驚くだろうな〜って思って
こっそり訪ねてって落ち葉掃除をするのです。
ところが帰った後に掃除した落ち葉が風でまた散らかってしまう。
でもそんなこととは知らずにそれぞれの家に帰ったふたりは、
自分の庭の落ち葉を見て、これは明日掃除しよう。自分ちのは明日でいいけど、
今日は友達のお庭の落ち葉をきれいにできたからよかったな〜としあわせな気持ちで眠るのです。

それぞれ相手がしてくれたことも知らず、自分がしてあげたことが無駄になったことも知らず、
ただ自分が相手に何かいいことをしてあげられたと思うだけでシンプルにしあわせなのです。
無償の愛だけど、無償の愛って結局一方通行ではないのよね。
気づいてなくてもちゃんとお互いに気持ちが通ってるから、成立して、続いていく。

無償の愛のつもりでひとりで頑張って、見返りを求めてしまいがちな自分自身を責めて
見返りを求めまいとますます頑張って、最後にはぼろぼろになってしまいがちなわたしなのですが
お互いの優しさがあってこその無償の愛なんだよね、と昔とは違う感想を持ちました。
しかしとにかく何もかも優しい展示だった。

友達の作品のコーナー

2022-09-20 | 芸術、とか
友達のイラストレーターの方が、仕事の絵ではなく創作活動で描かれた絵の
個展をするようになって2、3年。

ご夫婦でイラストレーターの仕事をされてますが、
それまでもグループ展や、ご夫婦での2人展をされてて
次は個展をやってくださいと言ったら半年後くらいに個展をされました。

絵の作品ではなくその頃始めたコラージュ作品ですが、
コラージュがとても彼にあっていたのでしょう、どんどん素晴らしい作品ができ
その後も個展を続けています。

「まあいっか」のかたまりのわたしとは正反対で
とても繊細で丁寧でこだわり抜いた、手のかかる制作をされる人です。
この数年でいくつか作品を買ってあちこちに置いてたのだけど、まとめることにして
寝室のデスクの上を片付けて飾ってみました。
右下のコウモリの作品は、良い夢をもたらしてくれる天使と思ってます。
左上の作品は1何最近のもので、プリントの紙の質感もよく
洋梨の陰影が素晴らしく。こしぃの雰囲気も好きで気に入りました。

コラージュは絵と違って、自分の中のもので0から作りあげるというより
素材によってインスピレーションがわいたり刺激を受けたりして思いもよらない何かが起こり
新しいものができてきたりするのが面白いとわたしは思います。
それは写真を撮ることとも少し似てるかも。
コラージュのシリーズはまだ続くそうなのでこれからも楽しみです。

芸術家の娘

2022-08-25 | 芸術、とか
李禹煥の作品がこの→リンクの展示の後、兵庫県の県立美術館にも来る。
世界的に有名な芸術家で、彼の作品は昔から好きなんだけど、
30年以上前にソウルに留学してたとき、彼の娘と同級生だったことがありました。

ソウルのとある大学に留学生向けの学部があって、そこは留学生のための学部で
200人くらいの留学生のうち190人くらいがアメリカから、他はヨーロピアン数人、日本人数人、
在日韓国人はわたしと彼女だけでした。
日本人も男子ばかりで女子はやっぱりわたしと彼女だけだったから
話したり出かけたりする機会は結構あったけど最後まで友達ではないままで終わってしまった。

その後30年以上経ってもまだ彼女は、わたしが人生で面と向かってひどいこと言われた
トップ3に入る人なので、いまだにこの高名な芸術家の名前を見かけると
その頃のことを思い出して微妙な気持ちになります。

彼女はいじめっ子というタイプでは全くなくむしろ逆。超真面目に勉強してました。
周りの9割がアメリカ人で金曜の夜になるとウェーイと街に繰り出すんだけど彼女は大体来なかったし、
勉強に関係のない友達付き合いもほとんどしてなかった。
(ちなみにわたしも引きこもりだったんだけど、陽気な友達に押しかけてこられて
もうパジャマ着てても上からコート着せられて連れ出されたりしてました…)
確かわたしより2歳くらい下で、成人するまで一度もポテトチップスや
インスタントラーメンなどのジャンクフードをを食べたことがないという
厳しく大事に丁寧な育てられ方をした真面目で純粋な子だったので、
わたしを見るだけでちゃらちゃらと気楽な成金のバカ娘と許せない気持ちになったのだと思う。
わたしも自分なりに真剣に悩んで死ぬほど苦しんでいた時期でもあったのだけど
バブルの頃の女子大生だったわたしはバカ女子大生に見えたのだろうし、
彼女はわたしよりさらに若かったのだから仕方ないか、と思います。

芸術家の父を見ていて創作の苦しさがわかってるので、
自分は批評の方の勉強をしたいと言ってたけど今はどうしてるのかなぁと
ふと思いついて初めて検索してみました。
何度か思い出したことはあったけど、ググるのは初めてでした。

同名で神奈川県立近代美術館主任学芸員になったあと、東京芸大の准教授にになってた方がいた。
写真も見たけどこの人と思う。もっとよく調べたらお父さんとの関係もどこかに出てくるかな。
彼女には姉妹があって、会ったことはないけどその人の名前も覚えていて、その人は陶芸家になってた。
世界的な芸術家を父に持ち丁寧に育てられ真面目に勉強し真摯に芸術に取り組み
それぞれ良い仕事をされているようです。
彼女は真面目だったのですごい親を持ってしまった苦悩もあったようだけど
芸術を仕事にするのに得難い環境で育って、二人ともサラブレットだなぁと思う。
なんでそんな恵まれた人にあんなに憎まれてひどいこと言われないといけなかったのか
彼女の気持ちもわかるものの、まだもやもやする。

留学期間が終わってももっと勉強したくて日本に帰りたくない彼女は、
まだしばらく残ることにしたわたしに
「あなたのようないい加減でダメな人は、どうせすぐにみんなに嫌われて
誰にも相手にされなくなる。あなたなんかここに残ってもどうせなんにもできないし
なんにもならないし、周り中に嫌われるだけなのに、なんでまだ残るの?
あなたなんかここにいる権利ない。さっさと日本に帰るべきよ。」
というようなことを、すごい剣幕で言われ罵倒されたのでした。
言われた場所も覚えてる、大学のキャンパスの中、大きな芝生の広場の横で、
帰国の話か何かをしてたら急に怒りだしたのでした。
近くにいた友達が、彼女怒ってたみたいだけど何を言われたの?と聞くので
言われた通りに伝えたら、わたしのためにすごく憤って慰めてくれたのも覚えてる。

彼女は友達も作らず必死で勉強してたけど、本当は寂しかったんじゃないかと思った。
そして、友達に大事にされて、時間もあるわたしが妬ましかったのかなと。
わたしは留学中はなぜかたくさん友達ができて楽しく過ごしてたけど
日本ではずっと学校に馴染めずに寂しく過ごしていたし、
無理解で封建的な家庭で外出さえ自由にさせてもらえない支配の下にいて
どこにも味方はいなかったし、やりたいこともできずどこにもいけず孤独に絶望していたのに
彼女はそんなわたしではなくソウルで楽しそうなわたししか見えてなかったのでしょう。
でも、だからって羨まれたり妬まれたりしても困る。困ったし納得もいかない。
だって彼女の方こそ、わたしが欲しいものを全部持っていたのにねぇ。

やりたいことを必死でやる人生、したい勉強をする人生、目指す仕事がある人生、
全部わたしにはなかった。
日本では仕事どころか外出さえ不自由な環境で恋愛も友達付き合いもできず
お見合いばかりさせられてたわたしが、初めて一息つけたのがソウル留学だったのです。
日本に戻ればまたお見合いと家事手伝い以外は禁止された生活で
誰かと結婚するまでただ家ですごさないといけない。
そんなわたしの欲しかったものを全部持ってた彼女に、ひどいことを言われて
なんか力なく笑うしかできなかった。

そういえば、彼女が一度だけわたしに同情的だったことがありました。
仕事でソウルを訪れてたわたしの父に会って食事した時に、
在日の友達を連れてきなさいと言われて彼女を誘って行ったのだけど、そのあとで
「ああ、すごいお父さんね。これはひどいわ。これだけ俗物の父親だとあなたも大変ね」と
苦笑しながら言われたのでした。
まあ、父に関してはその通りで、わたしも父を憎んでいたけど
立派で尊敬できる高名な芸術家の父親を持つ人が
そんな風に他人の駄目な父親を見下したような言い方をするのは、
それはそれで、やっぱり微妙な気持ちがしたものでした。

彼女のことはもう断片的にしか覚えてないけど、今考えても
彼女の生まれや環境、情熱を持って仕事をする自由のあった人生はわたしには羨ましいもので
そんな人にあれだけひどいことを言われっぱなしだった自分が少しかわいそうになります。

とはいえ、その後彼女がどんな人生を送ったか知らないし、思い出すこともほとんどないし
わたしはその時々でわたしのできるだけのことをして生きてきたのだから、もういいんだけどね。

李禹煥の作品をまとめてたくさん見たことはないので見に行くのは楽しみです。
作品は作品としてじっくり見ながら、
留学時代のことやその後の自分の人生なども少し振り返ってみたいと思います。

歌舞伎に出てくるお化け

2022-08-10 | 芸術、とか
日々の出来事に全然追いつけない。
とりあえず、直近の昨日の話を。

最高気温が36度だった日、一度行ったことのある伊丹の蕎麦屋に神戸の友達と行きました。
そこで、知り合いの絵画作品の展示があるというので行ったけど
お蕎麦屋さんなので作品をギャラリー的にみるのはちょっと難しかった。
作品の雰囲気はお店に合ってたんだけど、合いすぎててギャラリー感が消えちゃってた感じ。
でも、関西の味のお蕎麦とカツ丼のセットを、暑い中でもモリモリ食べました。


そのあと、池田の逸翁美術館で歌舞に出てくるお化けの浮世絵を見ました。

お化けそのものというより、歌舞伎の怪談話の中のワンシーンとして描かれている感じで
怖さはあまりなかった。笑
お岩さんもお菊さんも、ほんま悪い男は悪いなーと思ったり、化け猫がかわいかったり、
お化けの出てくる歌舞伎は仕掛けが多そうでいつか見てみたいと思ったりした。
特に、猫また模様の男物の着物の絵の、その着物すごくほしかったです。笑

それからそのそばの小林一三記念館に行って、ここは近所なのに入ったことなくて、
初めて入ったらすごくよかった!

建物もとても素晴らしくて、たとえば神戸の乾邸は神戸とか阪神間の素敵な感じがあるけど
ここは乾邸のハイカラで表舞台なな感じはなくて、宝塚線の住宅地っぽい少しドメスな雰囲気かな。

それから池田の駅前の角打ち的な立ち飲みにオープン同時に入って少し飲みました。
混んでたらやめようと思ったけど開店すぐはほとんど誰もいなくて
気持ちよく少し飲んで早めに帰りました。
外は超暑くてクラクラしたけど、電車や建物の中は涼しくて生き返りますね。
でもその温度差でアレルギースイッチが入って、
鼻グシュグシュ、くしゃみ連発とかになるのは苦しいけど…

「夜のことば」vol.7

2022-06-25 | 芸術、とか
美術家でダンサーの升田学さんがデュオのダンスカンパニー、セレノグラフィカの
おふたりと続けているパフォーマンス作品を初めて見ました。

升田さんは維新派にいたダンサーですが針金のアートもされていて、
宝塚の人なので地元繋がりで何年も前からたまにご一緒する機会もあったし
即興のダンスパフォーマンスも少し見たことはあるのだけど
作り上げた作品は初めて。今回が7回目でコロナ禍で2年ほど休んだあとでした。
伊丹の旧岡田家という古い日本家屋の畳と板の間の上で3人のパフォーマーが
いくつかのイメージに乗せて動き、踊ります。

今回は7回目でイントロのあとに19・20・21番目の夜のことばが上演されました。



フィリップ・ジャンティー・カンパニーという人たちの夢のような不思議な舞台が
すごくすごく好きなのですが、それを少し思い出しました。
(ブログに書いたことがある気がするけど見つけられない。
 初めて見た時はびっくりしてうっとりして、今も思い出す好きな舞台です)
「夜のことば」はそこまで大きな仕掛けはないけどもっと親密で個人的で
こじんまりとしながら目の前の舞台を超えて広がりのある素敵な作品だった。
ずっと見たかったのをやっと見ることができてよかったです。すごく好き。

観客としての感想とは別に、こういう親密な空間で人の動きにを集中して見ていると
自分の体の動きについても気になってきます。
指先を少し動かす。足首を回す。首を傾げる。
小さなシンプルな動きをあれこれして自分の感覚をじっくり味わってみる。
無意識にしか動いてなかったけど意識的に自分の体を動かすということが
とても不思議で面白いことのような気がしてきました。

何か見て生まれ変わった気持ちになるのは時々あるけど、
大体生まれ変わりはせず、そのまま忘れてしまう。
でもそういうことがたくさんあると、結局はいつか少しずつ生まれ変わっていく気がする。
「夜のことば」で、体が表現することばの「ようなもの」を見ながら、
思いのままとは行かないながら自分の体も、もっともっといろんな動きができるのだ、
いろんな動きをさせたい、柔軟に愉快に、ときにシリアスに、
日常から少し外れた動きをしたいと思いました。
人間は脳みそのごく一部しか使ってないとはよくいうけど、体についても同様だろう。
できる動きの一部しかせずに終わってしまう人も多いだろう。
でもわたしは今気づいて、あんな動きやこんな動きをしたい。
日常にない不思議な動きをして、体にことばを表現させてやりたい。
別の動き、別のことば、別の体に生まれ変われるんだという気持ちになったのでした。

フライヤーの言葉:
「人間は昼の光の中で生きていると思いがちなものですが、世界の半分は闇の中にある」とはアーシュラ・ル・グウィンの言葉。「闇」と行き来するために「夜のことば」を話せるようになろう。それがこのプロダクションのはじまりでした。

薪能と山本能楽堂

2021-11-09 | 芸術、とか
10月入ったばかりの頃、街で翌日にある池田城跡での薪能のチラシを見かけて
まだチケットあるか電話して予約して行ってきました。

電車に乗らずに歩いて行ったら結構汗をかいたのに
開始時間30分前から急に夕立が降り出して20分ほど降り続け
着物でこられてた方は木の下などに避難してたけど随分濡れたようで気の毒。
わたしは日除けの晴雨兼用傘を持ってたので濡れずに済みました。
雨の止みかけの時に虹が出たのはすごく素敵だった。いい予感。

雨上がりのコスモスもきれいだった。

でもこのあと、すごく冷えて、観劇中は随分寒かったです。

一番前から3列目くらいの席に座れたけど池に浮かんだ舞台は少し遠くて
それがまた幻想的な雰囲気にはちょうど良かった気がします。
演目(曲というのかな?)は「井筒」でぼんやりとは知ってた話ですが
リーフレットを見ながらじっくり鑑賞しました。
能自体は数回みたことがあるけど、野外での薪能は初めてで、すごく面白かった。
まだ明るい頃から始まってだんだん日が暮れていく夕暮れ、
そしてすっかり暗くなると焚かれる篝火。
幻想的なライティングの中でお面をつけた人が舞うのは幻想的で夢のようでした。

そして10月の終わりに友達に誘ってもらって、大阪の山本能楽堂での
落語と能の会も行ったのだけど、落語3席(桂吉弥さん、吉坊さん、春蝶さん)のあとの能が
また「井筒」の後場の部分で、薪能で見たところだったのでスッと入っていけました。
薪能と違って至近距離で見るのもまた興味深く
何より音の響きがよくて笛の音、鼓の音が、いちいち背すぎがピキンとのびるくらい
シャープに届くので、目でも耳でも薪能とは印象が全然違って面白かった。

塩田千春 in 岸和田

2020-03-22 | 芸術、とか
ブログ内検索すると2008年に見ていました、塩田千春。中之島の国立国際美術館で
そのときに強い印象を持っていたし、東京の森美術館の展示がすごい評判だったし
関西には巡回しないということで、せめて小さい展示でも
作家トークもあるしと申し込んだけど・・・岸和田、遠っ!笑
2月に頑張って行ってきました。初めて行った気がする、岸和田。だんじりで有名ですね。

岸和田は塩田さんの故郷だそうで、作品とは随分遠い雰囲気の町なのですが
トークはすごく良かったのです。面白かったし。
作品はほんの少しだったのだけど、行ってよかった。





トーク並んでたらすぐ前にお友達の写真家夫婦がいた。彼らとはこういうところでよく会う。

塩田さんのお母様が岸和田のよさこいグループ?を長くされてて、
グループで踊りたいというので3曲踊ってもらいますと集団のダンスが始まって、
いやこのシリアスなタイプの今や世界的芸術家のトークで、いきなり岸和田よさこい?と、
なんか地方の公民館の雰囲気に・・・和みました。
よさこいのあと、にこにこして、明るくて楽しい母で、とおっしゃってて、
家族も岸和田も大好きで、ふんわりとした本当に全く気取ってない感じの人でした。
岸和田での個展は本当に母が喜んでくれて、小学校の友達も来てて、と
すっごい地元感でした。彼女の作品と、いまだに結びつかない・・・w

その後、トーク前半は、今までの彼女の作品のスライドと説明、後半はインタビューで
子供の頃のこととか少しお話されたけど、お話するのは苦手みたいでした。
でもよかったわ。
彼女は今ベルリン在住なのですが、日本人として作品を作られてますか?と言われて、
「あんまり・・・塩田千春として、作っています」と答えてたのが印象的で、好ましかったな。

なぜベルリンに?と聞かれて、
当時のベルリンは世界中からアーティストが来てたんですよということで、
そういう街って今ならアジアかな、台湾とか上海とかかな、と考えました。
東京ではもうないだろうなぁ。

塩田さんの話を友達としてて、友達の言った言葉。ほんとそうよねぇ。
「不思議ですよね。世界の◯◯と言われる人にも素朴な当たり前の地元があって、お母さんお父さんはどこにでもいる庶民派だったりするのを見ると。。どこの誰がすごい宝を秘めてるかわからないな〜〜って思ったり。」

帰り道、1時間半ほどぶらぶら歩いて、海の方へ。

寒くて足も痛くなったので、お風呂やさんでさっと温まって、立ち飲みで1杯だけ飲みました。

知らない街をぶらぶらするの楽しいなぁ。美術展というより遠足に近い日だった。

白い紙に

2020-03-03 | 芸術、とか
北斎の娘、お栄についてのドラマを、宮崎あおいちゃん主演で見たのは
2年ちょっと前のことですが、その時に書いたこと。
こういう気持ちを普段忘れて生きているけど
思いだすと、どうにも切なくて苦しくて、また忘れて生きるのかどうするのかわたし。

ドラマや映画や動画で、白い紙や壁に絵の具を塗るシーンにめちゃくちゃ弱い。
ピンと張った和紙や絹本にするすると線を引くところ、彩色するところ、
たっぷりの水でぼかしたり滲ませたりするところを見ると、気持ちがジリジリする。
色や線ではなく、絹本に太くて平たい筆で礬水をひくシーンだけで、
もうなんかへなへなとおかしくなる。
もう5年くらい描いてない。描き方も忘れちゃった。
お栄のような人生が歩みたかったのになぁ。
でも自分にはうまくなりたいという情熱はもうなくて、ただただ、
白い紙に筆を走らせる快感への憧憬があるばかりなんだけど。

向田邦子「鮒」朗読

2019-11-18 | 芸術、とか
今まで聴いた朗読の中で一番良かった。
いや、プロの役者さんの朗読を生でちゃんと聴いたのが初めてだったかもしれない。
すごいなぁ。

食事をして、あるいはしながら朗読やダンスやお芝居を観るという企画で
狂言で稲垣足穂を読むというのを以前神戸で見てて、それがすごく良かったのですよ。
その時の感想→「狂言師の稲垣足穂」
それで今回は別のもの、と向田邦子の短編の朗読を選びました。
朗読される林英世さんは、以前朗読のワークショップで教わったこともあり
その時に、役者さんってすごいなぁと感動した方だったので安心して楽しめました。

お寿司屋さんでお寿司をいただきお酒をいただき、
それから二階にあがってお座敷に並べられた椅子で聴きます。
林さんはシックなお着物が素敵だった。お寿司屋さんの雰囲気にも合っていました。

向田邦子は何か読んだことがあると思うし、ドラマ化されてるものもあるし
向田邦子の料理本も持ってるし、なんとなく親しみはあるけどこの短編は記憶にない。
でも、これがまたすごくうまい小説で、小説のうまさを隅々まで伝えながら、
その世界に引きずり込む朗読のうまさに、いやはやすっかり舌を巻いた。
朗読自体は30分ちょっとなんだけど、ひとりの声だけで演じるというのは
聴いてる以上にすごく大変なことだろうな。
芝居以上にごまかしがきかないんじゃないかな、何しろ声だけに全てをこめるんだもんな。
ワークショップでもやればやるほど難しくなって声が出せなくなったわわたし。
いろんな声が出るけどどの声をどう選んでどのように出すか、選択の連続。
絵を描くときもそうだけど、絵は考えないでも自然に選んで自然に手順を見つけて描くけど
声でそれをするのに全く慣れていないので、本当に難しかった。
朗読、おもしろいなぁ。
そして少しお酒飲んだ後に1時間弱の短めの舞台を楽しむというのは
体力のないわたしには、大変ありがたい企画でした。

そのあと一緒にいた人と何軒かハシゴして初めての店にも行ったんだけど
初めて行く店に行くのって当たりハズレはあるけど楽しい。
月に1、2軒は初めての店にいってみたいものです。