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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

続々うどん合宿

2017-07-08 | 写真
カメラを、デジタル一眼レフを持たずに、小さいGRDと古い銀塩で行ったのですが
フィルムの方の写真をアップします。
そのときや、すぐあとは、やっぱりデジイチがあった方が
あれもこれも撮れたのになぁと後悔したりするんだけど
半年もたつと結局フィルムの写真が一番好きだったりするから
なんかもうデジタルでたくさん撮る気がしなくなってくる。
フィルムの50ミリか35ミリのレンズで撮れるものだけ撮れればいいや。
こういう欲のない気分は、ラクだし楽しいです。
そして、一枚ずつじっくりのろのろ撮るフィルムの写真は
大体、なんでもない風景が多いです。
自分という人間の、なんでもなさ、が表れてるなぁと思う。笑
















続うどん合宿

2017-07-07 | 写真
2日目は、フェリーで、瀬戸内国際芸術祭の中の男木島へ。
猫がたくさんいる島です。
風が強くてすごく寒かったんだけど、面白かった。
島っていいなぁ。瀬戸内海っていいなぁ。












うどん合宿

2017-07-06 | 写真
昨年の秋、それまでうさぎがいたので参加できなかった
写真の会で行く合宿に行きました。
前の年は鳥取に行ってて、みんなの砂漠の写真が羨ましかったし、
1泊の旅行もなかなかできなかったので、久しぶりの旅行は楽しかった。
うどん合宿とみんな言ってたけど、一応撮影旅行でした。
半年遅れですが、写真をアップしとく。

1日目は、朝早くに出て何台かの車に分乗して
何軒かうどん屋さんを回りました。
車でしか行けない小さな製麺所のうどんやさんのできたてのうどん。
大好きな讃岐うどんだけど、何軒も行くからと我慢して少しずつ食べました。
でももっと食べたらよかった。笑










それから電車に乗ったり、大きくてきれいな商店街を歩いたりして宿へ。








KYOTOGRAPHIE 2017

2017-05-11 | 写真
写真祭的な展示のイベントで、今ブログを確認したら
2013年と2015年に見に行ってる。一年おきだわ。
→2013年京都グラフィーと小野規さん
→2015年KYOTOGRAFIE

今回は北海道から泊まりに来てた友達と一緒に観に行きました。
とてもいいお天気の中、全部で7つくらい見たかな。
会場としては5会場。
かなり好みのモノが多くて、非常に満足で楽しい日でした。

しかし、京都の美大生だった10年前は、年に50日くらいは京都に通ってたのに
いまだに、名古屋の人や北海道の人に道を案内されている始末のわたしって・・・。

まず京都駅の美術館「えき」でアニエス.bのもの。
このポスター素敵だなぁ。

30年も前、初めてパリに行った時に、アニエス.bは憧れで
彼女のギャラリーにも行ったと思う。
(うろ覚えだけどマレ地区?pんピドーセンターの近くだったかな?)
そこで、フィルム状の細長いものにプリントされた
写真のポジっぽい、カラフルなきれいな空のいろの栞のようなものを買って
それは大事にしてて、まだ家の中のどこかにあります。
そのアニエス.bのコレクション展で、現代の写真家のものが多かったけど
やっぱりわたしの印象の中の彼女で、とても素敵だった。
昔買った、その栞のようなものと、やっぱり通じるところがあるなぁと思う。
アニエス.bの活動のこれまで、ファッションもアートも含めてまとめた本があって
とてもほしかったけど、このあとあちこち歩くのに、とても重いので断念。

地下鉄少しと、あとは歩きでいくつか見た中で(無料のも有料のもあります)
楽しかったのが古いお家(嶋臺ギャラリー)の床に枯葉が敷き詰めてある展示会場。

分かりにくい写真でごめんなさい。
中に入った途端に、少し甘いような柑橘っぽい自然な香りが漂ってて
何だろうと思ったらこの枯葉たちだった。
踏むとサクサクして、本当にいい香りで、
たまに作品展示に香りを使ったものはあるけど、香りは好みがあるし
あまりいいと思ったことがなかったのに、これは最高でした。
そして写真の展示もとてもよかった。
おじいさんとその妻、兄弟を撮ったもので、
今回買ったポストカードは、3人のおじいさんが野原の中でお風呂に入ってるもの。
きれいな写真に、そこはかとなくユーモアや温かさ、不思議さや寂しさもあって、
この作品以外にも好きな写真がいくつもあった。
オランダの写真家ハンネ・ファン・デル・ワウデの作品です。
別の部屋には、クシャクシャのシーツが敷き詰めてある中に
おじいさんと奥さんの眠る姿の写真があって、これも好きでした。


京都文化博物館では二つ見て、ひとつはフランスのショーヴェ洞窟を360度撮影して
大きな4K画面に映し出されるインスタレーション。ラファエル・ダラポルタ。
36000年前の世界最古のアートと言われる壁画のある洞窟の映像が
ゆっくり上下し、床に置かれたビーズクッションにもたれて寝ながら見ると
自分がどんどん、どんどん地下に落ちていくような不思議な浮遊感覚が面白い。

もうひとつは、新婚旅行での妻を撮ったルネ・グローブリの写真。

1954年の白黒写真だけど、ひっそりと二人の関係を感じられるような、
こういう個人的な小さい世界の作品も好きです。

被写体女性の胸の形がとてもきれだなぁとうっとり見ました。
あと白いシャツの、ちょっと抜いた襟元の感じも好きだなぁ。

元・新風館でやってた吉田亮人の展示は、
祖母とその介護をしていた20代前半の若い孫との毎日を従兄弟が撮ったもの。
説明を読まずにずっと見てて、予想以上によくて、この若い男の子に
ものすごい好感を持ったあとに、彼がすでに自死していたことを知り
胸が詰まってしばらくしゃべれなくなった。
祖母の死で幕を閉じる写真だろうと思って見ていたのが、全く違う結末で
とても悲しい。
写真の中のふたりの仲の良さ、彼の思いやりの深さやさしさが、余計悲しくさせる。

友達が結構褒めてて、期待して見に行った香港のヤン・カレンの写真展は
個人的にはいまひとつだったかなぁ。
古い町屋の無名舎で、1階、2階と展示があり、和紙にプリントされた
古い道具などの写真は、技術もセンスも非常に優れていると思うけど
わたしにはあまり響きませんでした。広告っぽいと思っちゃった。
好みっていろいろよね。
人が褒めているものが響かなかったりするのって、その逆の場合でもそうだけど
自分で理由がわかっている時には面白いものです。

写真の大きさって

2016-11-10 | 写真
先日、ここ数年出してきた、写真のグループ展があって、
毎年一人1枚くらい出すのですが、今年は出さなかった。
大きさがね、大きかったんですよ。全員A1サイズ。大きいの苦手なので。笑

テーマのないグループ展って、個展の集まり的なものになるかな。
二人展とかだと、予めの意図があってもなくても、
響き合ったり不協和音出したり、お互いに何らかの効果が起こると思うけど、
大勢でのグループ展はバラバラの小さい個展の集まりみたいなもののように思う。
壁の面積だけあてがわれて、好きにしていいなら、
その中で流れを作ったり遊んだり考えられるけど、
ひとり一枚ずつだと、自分はどうしていいかわからなくて、難しい。
大きな写真一枚で何かを表現するようなタイプの写真撮れないし。
絵も写真も内容に合ったサイズがあるしなぁ。

日本画やってたときも卒制で100号描いたあとは、
ずっと描き続けても大きくて50号までだなと思ってた。
自分はこじんまりしたものが好きだから。
でもごくたまに、なにか大きくてすごいものを見たときに、
これ200号くらいで描けたらいいなぁと思うことはあるのです。
とはいえ、画力不足だし、体力もないので、やっぱり描けないと思うけど。
絵も、10号くらいのサイズの連作で表現する方が好きだったと思うし、
絵を描いてたときから連作を組んで構成するのが好きだったのね。
文章書くときでも、やはり流れは気にするし意図的に構成するので
写真でもそういう方がラクだなぁ、わたしは。

さて、その写真展ですが
これが、展示を実際に見てみると、かなり見やすくて、疲れなくてよかったです。
サイズが揃って、きれいに並ぶとストレスなく、1枚1枚の写真を見ていける。
工夫を凝らした、様々な大きさや並べ方の展示でいいものもあるけど
テーマのない雑多なグループ写真展では、こういう風にそろってるのが
きれいでいいなと思いました。
来年は、大きく伸ばすことを怖がらずに、出せる写真があったら出そうかなぁ。

大原治雄展

2016-07-16 | 写真
伊丹市美術館の大原治雄展、とてもよかった。評判通り。
なんというか、常温の水が優しくしみ込むように、しみました。
この写真家の話では植田正治の名前もよくあがるけど、
植田正治はモダニズムや芸術が先にあって、
大原治雄は生活や土や太陽が先にある感じがした。
泥っぽいという意味ではありません。
モダンな写真も家族や仕事の写真も、どれもセンスはとてもいいのです。
泥臭さではなく、地に足はついてるけど軽やかな姿勢みたいなものを感じるのです。
でもやっぱり何より、しっかり生きている人間としての生活感を感じる。
特にテーマを持って、自分の個性や作風の確立なんて考えたりすることなく、
芸術論やアートシーン、マーケティングや戦略なんかとは遠いところで、
本当に自分がよく知っているものを撮り続けた人なんじゃないかな。

たとえば娘が傘を持ってはしごから飛び降りている写真は、
なんどもやり直させたとどこかでみたけど、
写真家も家族も気負いがなく
「あーっと、んー!もっぺんやってみてくれる〜?ごめんな〜」
「はいは〜い。しかたないなぁとうちゃんは」
みたいな感じだったんじゃないかと思わせる気安さがどこかある。

ちょうどアメリカに移民した日本人の小説を読んでたので、
同じ頃のブラジル移民の大原治雄は、そういう方向からも興味深かった。
でも写真見てるうちに、写真の素晴らしさですっかりそのことを忘れちゃったけど。

移民後の彼と彼の家族や親戚一族は、わりと成功した方で、
あまりひどい貧困に陥ることはなかったのか、子沢山ですが
全部の子供を苦労して大学までやったと書かれてた。
開拓農家の労働は大変だっただろうけど、
収穫の喜びや働いた後の家族の団欒の幸せなどを常に忘れない人だったようです。

日本にいた小学生時代は、勉強のできる子だったという記録があって、
大人になってもやさしい優等生で、朴訥で真面目な人柄だったのではないかと思う。
かといって、そういう真面目な人や、
あるいは芸術家にありがちな頑固さや頑なさは、あまり見られない。
人柄の良いおおらかな人だったのだろうか。
造形の面白さをシャープに撮ったような写真もあるけど、
それはそれで面白くて撮ってみただけみたいな感じで、我の強さは感じない。

美術展は、いいものや好きなものでも、集中力が途切れたりして
見るのが疲れることも多いんですけど、
これは珍しく、すっかり全部引き込まれてしまいました。
ほんとうにしみこんだ。

もうすぐ終わっちゃうけどリンク→伊丹市美術館大原治雄展

続々:写真展の写真

2016-07-12 | 写真
タイトルとステイトメントというか、ひとこと。は、これ。
(名前はイニシアル以外消してあります)

咲いている花を見ながら、その花の散る様子をぼんやり想像するとき
自分の目が少し高いところからふわふわとそれを眺めているように思えて、
天使もこんな風に、定まらない視線で美しいものばかり見るのだろうかと。

展示も多めの枚数をまっすぐ上に縦に長く積み上げたので
はらはらと散るはなびらや、その合間をふわふわと落ちてくる
何かを想像しながら見てほしいと思いました。
ちょっと女子っぽいというかフェミニンな感じです。

ゆるふわ?と聞いたら、写真家の先生にゆる重、と言われたけど。笑

牛乳鍋ほどこぼれる天使はコクトー。
千の天使は中也の詩の中でバスケットボールをする。

続:写真展の写真

2016-07-11 | 写真
この並びで展示しました。
横は写真家の浅田さんの、超かっこいい写真でいい感じでうれしい。
でも、この下にこうしてアップした写真を順番に見るより、
この展示でじかに見た方がずっとよかったです。
写真って、写真集みたいに見るのがいいのも、展示で見るのがいいのも、
ウェブで見るのがいいのも、あると思うけど、
この組み写真はは展示が一番よかったのではと思う。
プリントも好みの感じにできて、うれしかった。
でも一応記録に貼っておきます。
























写真展の写真

2016-07-10 | 写真
最近ずっとほったらかしてたデジイチを、持ち歩くようにしてよく撮ってるんだけど
iPhoneのかわり程度くらいにしか使えてないというか、使ってない。
もちろん、カメラの方がずっときれいに撮れるけど、iPhone的にしか使ってない。
これで作品的なものを撮るのをどうしたらいいのか、
もうなんだかすっかり忘れてさっぱりわからない。

ゴールデンウィークにやったグループ写真展に出した12枚は、全部フィルムのもので、
銀塩カメラで撮る時は、まっすぐの目と気持ちでただ撮るだけで、
色も構図もデジカメのときほど、あんまり試行錯誤しない。
ピントさえ、あまり合わないし、光も運が良ければ~くらいの気持ちでほいっと撮る。
でもデジイチで撮る時は、わたしの目よりずっと賢いAFが働いてきちんと撮れる。
賢いAFが働くし、賢くないわたしも少しは働く。
光の具合をうまく収めようとするし、ホワイトバランスに気を使うし、
構図や露出も調整するし、好きな色になるよう何枚も撮る。
ごく普通のことだけど、でもそうやって普通のわたしが普通のことをして
きれいに撮れた写真は、ブログに添える写真にしかならない。
まあ、ブログに添える写真が撮れるだけでもいいんだけど。笑

フィルムの写真を撮る時は、そういうデジカメのときの手順をほとんどやらない。
カメラが自動でやってくれるわけでもない。
なんとなく、まあこの辺、って決めてほいっと撮るだけで、
かなり、なにもかもを、運や天に委ねてる。
ほとんど自分が決めることがない状態で、「自分」があまり介在しない写真。
たまに、とても上手で撮影技術に優れセンスも素晴らしい人が、
完璧な未加工・撮って出し作品を作れるのとは根本的に違って、
下手な人間(わたし)の作為を入れたくないからの未加工なのでした。
でもそうやって撮った写真なのに、みんなが、わたしらしい写真だというのは、
それは仕方ないことで、どうやっても「自分」は残るし、どうしようもない。
・・・でも、ああ、わたしはつくづく、自分に飽きてるんだなぁ、と思う。

わかりやすくてきれい、と知らない人にも何人かに言われて、
それ褒めてるのかよくわかりませんが、(多分褒められてる)
自分ではできるだけ空っぽに撮りたいと思って撮ってるそういう写真は
未熟なわたしにはデジイチでは中々できないから、
やっぱり時々銀塩カメラで撮るしかないなぁと改めて思いました。

そして、
写真を展示することに対して興味がなくて、今回は流されるままやってみたけど、
面白い友達や尊敬できる人がたくさんいて、
それぞれのレベルで楽しんでいるのが心地よくて、結果的にはよかったです。
展示も、わたしの写真はちょっと外れた壁に
プロの人の写真と一緒にすごくうまく収まって気持ち良い。

展示の前は、あるプロジェクトが進んでて、なんだかみんなそこに参加して
同じ方向に切磋琢磨しないといけない雰囲気がちょっと流れて、
窮屈で息苦しくなりそうに思ったんだけど、
結局好きにしてていいんだと、しみじみわかったので、気が楽になりました。

センチメンタルな旅のこと

2016-07-04 | 写真
写真集についてのトークを聞きに行ったとき、
有名な写真集「センチメンタルな旅」のことを話されてて、その方は、
これは本当はあまり好きではないとおっしゃる。
この写真集は、夫婦の愛情が溢れているような評価をされているけど
この写真たちはあくまで「自然な演出写真」であるので、
愛ということで評価されるのがいまひとつ納得いかないのだということでした。
たとえば妻の陽子さんの写真には笑顔がひとつもない。
ひとつもないのも不自然で、これは写真家の夫の要求に
妻が一生懸命応えて作っている表情にちがいない、
頑張ってるなぁと思ってしまう、と。

なるほどなぁと思う。
愛情を、そうやって作為を持って作品にしてみせるというのは、
結局ネタとして消費するような部分がないとは言えない。
物を作る人間のエゴが愛情を支配し、操作、脚色しているとも言える。
そう考えると、確かに何かすごく美しい混じり気のない愛のような評価のされ方は
どこか納得いかなく感じるだろう。
わたしもいつも言うように、本当に切実なものを作品にして見せるということは
ものすごく難しいことだと思っているからよくわかる。

でも、演出と愛は矛盾しないで両立することができるし、
ここではできているのではないかとも思う。だからこそ胸を打つのでは。

結局、映画でもなんでも、作為のないドキュメンタリーなんかなくて、
どこまで誠実に作為の排除に取り組むかで判断するしかないのかなと思っている。
あるいは、作為や嘘も嘘じゃなくなるくらいの、誠実さと覚悟、かな。
ごまかしや隠蔽は見る人が見ればわかるし、
いっそ開き直ったプロパガンダの方が清々しいくらいのことも多いけど、
では自分はどうすればと、また別のところで考える。
自分が何かを表現するときに、その点はどのようにすればいいのだろうかと。
自分の好きな人たちの方法さえ意地悪な見方で見ながらよく考えようと思う。

写真展KHFC

2016-05-07 | 写真
このゴールデンウィークには、写真展をしました。
友達とやってる写真の会があって、
そこはプロの先生たちもアマチュアの人もいる素敵な会なんですが、
今回初めて、グループ展をすることになった。

わたしは以前から何度も書いてるけど、表現ということに対していろんな思いがあって
というか思いがなくて?自分の作品の展示にあまり興味がなく少し躊躇したけど、
結局みんなと一緒に出すことになって、12枚の写真を出しました。
30人くらいで、プロの人も三分の一くらいいるけど
会場のどこにもそういう表記はしないで、プロもアマチュアも同じように
フラットに写真だけ並んでて、そういうオープンな感じが、とても好きです。







うんと大きな写真1枚だけの人もいれば、
インスタグラムを金属にプリントした小さな正方形写真を24枚出した人もいて
それぞれが自分の好きな作品を好きな形で展示していました。





わたしは、普段からあまり大きなデータを持つのが嫌いで
jpgでしか写真を撮らないし、複雑なレタッチをするのも気が進まないので
銀塩一眼レフのフィルムで撮った写真を、A3くらいの大きさにして
縦に長く12枚展示しました。


あまり難しい写真はいやだし、自分がきれいと思う好きな写真のなかから、
なんとなくのテーマを作りながら選び、決めましたが、
先生たちのアドバイスを全然聞かずに勝手なことばかりしてしまった。
でも、それはそれで受け入れてくれる居心地のいい懐の深い会なんです。

写真展までには、写真のレタッチについて、データの作り方について、
写真のセレクトについて、と何回かワークショップも開催して
充実した数ヶ月だったし、展示も気持ちのいい感じにできたと思います。

写真展開催中は遠方からの方や、久しぶりの方が来てくれて、うれしかったし、
やってみると、やっぱりグループ展は楽しいですね。
搬出はサクサクっと終わって、いつもちょっと寂しい。

てばなす感じで撮る

2016-02-27 | 写真
撮るときにはピント合わせようとするけど、
撮った後は合ってなくてもあんまり気にしない。
フィルムで撮った写真はわりと撮りっぱなしで、ほとんどレタッチしないです。
いらないものが写ってたり、いるものがぼけてたりぶれてたりすると、
それが本当にあったものだという気がする。

たまにAFのない古いカメラで写真撮ると、これくらいピントが合ってるのは、
半分くらい、というゆるさ・・・

もっと絞ればましになるんでしょうが、開放で撮りたいものが多いので。
カメラによりかもなぁ・・・
GRD2はモノクロで、絞って撮ることが多い。
デジイチは、いろいろだけど、
銀塩一眼レフは、だいたい35ミリか50ミリのレンズで、ほとんど開放。


ピント合わせる時、集中はするんですけどね、続かないの。
必死でピント探って、わかんなくなって集中が途切れる直前くらいに、
ふっと、あ、いいや、もう、と手放す感じが来た時にシャッター押します。
わたしはフィルムの写真は撮る時に、自分のものにした感じとは逆の、
ほいって手放す感じで撮ってる気がします。
デジタルとはぜんぜん違う。デジタルは撮った時は、取り込んだ感じがする。
なんでだろう?自分でフィルム現像しないからかなぁ?
結局データにしてもらって、後でレタッチとかするのは、同じなんだけどねぇ、
でも、やっぱりフィルムの写真のシャッター押す時は、すごく楽しいし
その写真への気持ちも違う。
気のせいかな?なんでだろうな。

御影公会堂

2016-02-23 | 写真
に、オムライスを食べに行ってきました。
じゃなくて、写真を撮りに行ったんだった。
いや、もちろんまずはオムライスを食べましたが。笑

もうすぐ大改装が始まって1年間お休みになるのです。
それで食堂で集合して、お昼を食べて、それから撮影会という段取りで
セッティングしてもらって、それに行ってきたのです。

お昼はオムライスが有名なので、いただきました。
オーソドックスなオムライスで懐かしい味でした。
他のみんなは、オムハヤシ(ハヤシライスのソースがかかってる)に
した人が多かったです。他のもおいしそうでしたよ。


それから公会堂内外を撮影。
この日はお天気のいい祝日で、コスプレの撮影の人たちが
ほぼ全ての部屋を借りて、あっちでもこっちでもモデルさん撮影されてて
公会堂内の写真を撮るのは難しかったです。
いや、他の友達はきれいに撮っていたので、わたしの集中力不足ですね。
コスプレというもののセンスがヤンキーくらい理解できないのですよ。
世の中の、アニメというか萌え絵とかも全然わかんない。
何もかもが安っぽく薄っぺらに見えるわたしは、
もう骨董品のような古い人間になっちゃってるのかも。

そしてお昼の営業時間が終わった頃から食堂を撮影させてもらいました。
貴重なお話もいろいろ聞くことができて、楽しかったです。
厨房やその奥の使われてないいくつもの部屋まで案内していただいて、
とても興味深く撮影しました。楽しいお休みだった。
 

 

 

 

今日の近所

2016-02-13 | 写真
先日書いた横木安良夫さんの写真のワークショップで、
いつものメンバー何人かの写真作品を見たのだけど、
ああ気持ちいいなぁと思ったのが友達が作った小さなフォトブック。
毎日の自分ちの近所の写真をインスタグラムにあげた中から1年分選んだもの。
だから全部iPhone写真なんだけど、
横木先生もこれはいいね~気持ちのいい作品になってるね~!と褒められてて、
ホントそうだなぁと思った。

上手い人のきれいに仕上げた写真はどれも素敵なんですけど、
たくさん見ていると少し疲れてくる。
彼女の写真はそうい疲れと無縁なんです。
余計な自意識のない風通しのいい写真。
うまく撮ろうと考えていない、とても素直な写真なのが気持ちいいとおっしゃった
横木先生の言う通りだわ。
そうして、あれこれ考えて、わたしはまた全然写真撮ってない。。。
ああもっと自由になりたい。

(上の写真は、わたしの、うちの近所写真です)笑

GRDのストラップ

2016-02-11 | 写真
が、切れちゃった。

このカメラは、8年くらい前に買ったリコーのGRデジタル2というやつで
当時、まだ一眼レフを持ってなかったわたしが
でも、ちょっといいカメラを買おうと思って買ったものでした。
非常にいいカメラで、プロや写真好きの人の中の多くが、
一眼レフとは別に持ってるカメラ。単焦点レンズのわりに結構高いけど。笑
わたしが参加してる写真の会でも、結構みんなサブカメラとして持っています。

今は、わたしの2のあと、3、4、新しいGR、その次、まで出ていて
2を持ってる人はもうあまり見ませんが
今もたまにこれを使うと、いい感じに写るなぁと感心してしまうカメラなのです。

買った時も、なんだかうれしかったなぁ。
当時一眼レフは買わないつもりでいたので、メインカメラにと
あれこれあれこれ悩んで買ったんだった。
まだ写真のことも全然わかってない時に(今もだけど)

その時に、首にかけても痛くない小さく軽いカメラなので
ストラップを編んだのでした。
麻糸でエビコード編みだったか、なんだったか
やったことのない編み方で、でも丈夫そうだったので本を見ながら編んで
カメラに取り付けました。
考えてみると、こんな細いストラップが8年間、よくもったなぁ。
まだ、壊れるまでこのカメラは使うつもりなので
次のストラップをつくらなくちゃなぁ。
それとも切れたストラップをまた編みつけようかな。