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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

黒白の桜

2019-04-13 | 写真
新しいカメラ、リコーのGR3、快調。
まだ使いこなせていませんが、とりあえず、起動が早くてびっくり。
12年前のカメラと比べたら当たり前でしょうが。
写りも、やっぱり好みです。
何が違うのか、とにかく好き。
昔持ってたGRD2は黒白スクエアフォーマット専用にしてたけど
新しいのはカラーも楽しいです。
でもやっぱり黒白がいいなぁ。
黒白だとうまく撮れなかった桜の写真も、わりと好きな感じに撮れます。
トップのは曇りの朝の写真。
そしてこれは夕方の桜。

そのあとの夜桜。


おまけに京都の桜。京都っぽくないけど。笑

GR3

2019-03-24 | 写真
GRD2というカメラが、写真をちゃんと撮ろうと思って買った最初のカメラでした。
一眼レフより前に、この28ミリ単焦点を買ったのだった。
高級コンパクトカメラというカテゴリーかな、
機能は多くないけど、とにかく繊細できりっと賢そうに写る。
その後一眼レフを買った後は、GRDは白黒スクエアフォーマット専用にして
たくさん写真を撮りました。気に入ってた。
GRで新しいのがいくつも出ても、10年以上大事に同じのを使ってきたけど
センサーのゴミやらなんやらでここ2、3年は使えなくなっていたのです。
それの新作に少し期待してたら、なんとわたしの誕生日に発売ということで、
誰かくれないかなぁと、あてもないのに1日待って、
もちろん誰もくれなかったので、翌日自分で買いました。
(いや、見にに行くだけのつもりが、つい買っちゃったんですけど・・・。)
でも前のが2007年だから、いくらカメラ買わないわたしでも買ってもいい頃でしょ。
使い倒した前のに続いて、これもめっちゃ仲良くするぞと、
GRだけでなくデジカメ買うの、10年ぶりくらいだからすごいテンション上がってます。
流行に興味がないし、新しい技術にもあまり興味がないので、
好きな感じに写せればいいだけなんですが、
10年前より起動が早いのはうれしいし、あれこれの進化もうれしい。
でも、新しいと、知らない機能が多くてまだマニュアルの半分も読んでない。
ひとつひとつ、これってどういうこと?って立ち止まってます。
たとえば、以前はもちろん、タッチパネルはなかったし、
画像をBluetoothやWi-Fiで送ったりもできなかったもんね。
そして内蔵メモリが増えたのでSDカードとメモリで
データ保存先を選べるのかと調べたけど(デジイチは選べたので)
カード入れたら問答無用にカードに保存されるっぽいとか、
こまごまとしたことをわかるのに、いちいち時間がかかる。

ここ数年、だいたい銀塩と古いデジイチしか使ってなかったので、
絞り、シャッタースピード、露出、それとISO感度、ピントしか触ってなかったし
化石かわたし!?と自分に呆然とする。色々遅れてます・・・。

どんどん新しいカメラやレンズを買って使いこなす人はすごいと思うけど、
わたしは幾つものカメラを憶えて身につけるエネルギーが少ないし、
カメラ買うばかりで全然使いこなせてない人にはなりたくないしで、
10年ぶりに買ったカメラとは、また長く付き合いたいと思います。
同じ誕生日だしね。
ゆるゆると、自分好みの設定にしていかなくては。

自分の撮る写真

2019-03-10 | 写真
一年ぶり?くらいに撮った銀塩の写真を現像してもらったけど、あー、よかった。
自分の撮る撮る写真が好きだー。笑
古いカメラ、古いレンズで、絞り開放でおそるおそる一枚二枚そっと撮っては、
よし、と思うだけの撮り方がほとんどだけど
(デジカメでは時々絞った写真も撮るけど)、いつも思った以上に撮れてる。
光と草花を撮ったものは、大体、良い。近くても引きでも、良い。
カメラとレンズとモチーフと自分の気分が合ってるんだなぁ。
悪く言えば本当に代わり映えしないんだけど、代わり映えしない中に共通している抒情が
自分の写真だと思う。わかりやすい個性は全然ないんだけどねぇ。

一昨年撮った写真と、少し似た構図の写真かあって、なんかおかしい。
撮りながらも、それを思い出してたのだけど。変わらないなーわたし。
どんな写真撮ってるんですか?と聞かれると困る。
遊びなので、ちゃんと撮ってないのもあるけど、風景?人物?などと聞かれると、
そういう風にジャンルで考えたことがないので驚く。
ブログに猫のことも政治のことも料理のことも映画のことも書くように、
写真を撮ってるだけだもんな。

新しいカメラ

2018-08-02 | 写真
この前の高知旅行に、古くてでかいデジタル一眼レフカメラ持ってって難儀したので、
次の旅行用にコンパクトデジカメを探してて、ちょっとググって調べて、
とにかく軽くて簡単なやつか、それなりにいいものかの2種類考えて、ふと、
数年前父が気まぐれで買ったまま眠ってるカメラってなんやった?と弟に聞いたら
それがまさにそれなりにいい方で考えてたカメラだった!
いわゆる高級コンデジという種類のもので、最新のものは14万円くらいします。
ミラーレスでも、ものによっては一眼レフでも買える値段・・・。
わたしのほしいのは、3つ前のモデルなので、その半額以下になってますが
それでもわたしには高いものなので、
わー!わー!それ下さい!下さい!下さいー!と言ったけど却下された。
でも貸してはくれたので、無期限?で借りてみることに。笑

わたしはデジカメはずっと二つしかなくて、
10年前くらいのニコンのデジイチとリコーのGRD2。
デジイチは重い以外は元気に動くし、慣れてなじんで好きだけど
次の旅行にはもう、重いのはこりごり。
でも、小さくて軽いGRD2がもう埃が入ってダメなので、
手軽で小さいのが欲しかったのでした。
GRD2はずーっとスクエアの黒白専門にセッティングして使ってて、
その写りがすごく好きだったので、それの新しいやつを買おうかと思ったけど
旅行には単焦点でないカメラを使ってみたくなったので、今回のチョイスに。
一眼レフも50ミリレンズつけっぱなしなので、ズームのできるカメラは久しぶり。
GRも、またいつか買うつもりだけど、ぽんぽん新しいカメラ買う方ではなく、
しつこく長く使う方なので、いつになるかな〜。

でも、初ソニーカメラ(DSC-RX100M3)に慣れなくて
視度調節どこでするのかわかるまでに随分かかった上に、
直したのに直らない、とか中々てこずってます。
その後、電子ビューファインダーは2段階で引き出すということがわかって
視度調節の問題も解決。
充電の仕方がやっとわかって、スマホへの画像転送がわかるまでに半日。
あいかわらず、のろいわたし。

せっかくコンデジなのでいつもの絞り優先ではなくオートで撮ってみる練習中。
そして、ズームがあることを忘れて、すぐ自分が動いてしまう。
早く仲良くなって、撮りたいように撮れるようになりたいです。

そして、
写真の友達がみんな、口を揃えてこれはいいカメラと言ってくれるので
とてもうれしいな。

沢田教一とその妻、11歳上

2018-05-22 | 写真
3月に、友達がチケットをくれたので、ギリギリ最終日に見てきた写真展。

沢田教一(1936-1970)は有名な報道カメラマンというか戦場カメラマンで、
彼の人生と写真がわかりやすく展示されてて
デパートの中でいろんな人が見る展示としても、よかったと思います。
ピュリッツァー賞を取った有名な写真もありましたが、
ベトナム戦争の頃の写真で知られている人ですね。
ベトナムの後、いっとき、戦場から離れようと考えた時期もあったようだけど
結局舞い戻ってしまって、プノンペン近郊で襲撃を受け死亡。
亡くなる半年くらいまえに、クメール・ルージュに拘束されたこともあるのに
戻ったら翌日からまた普通に撮影に出てたと聞くと、
こういう人はきっと、本人は嫌だったにしろ戦場以外に居場所と思える場所が
なくなってしまったのかもしれないなと思う。

なんかね、元々意識が高くて、正義や平和のために!という強い気持ちで
戦場に行ったわけじゃないと思うんですよ。
なんとなく、そういう流れになって、逆らわないでいるうちにそういう風に。
それで、生死の境目を毎日目にしているうちに、
帰れる場所がなくなってしまったんじゃないかなぁと、思ったりしました。

いや、彼の写真については、今更わたしが何か言うこともないのですが
それより気になったのは(卑近な話かもしれないけど)彼の妻サタ。
11歳上の女性と結婚して、ずっと仲良くしていたというところ。

彼女は、沢田が高校を出て勤め始めた写真館の先輩だったそうだけど、
この時彼はまだ10代ですよ。
18、9歳の子にとって、30歳の人って、すっかりおじさんおばさんの大人のはず。
でも二十歳で31歳のサタと結婚。。。
このあいだのことを、猛烈に知りたい。(興味津々)
サタは写真で見ると、特に目立つ要望でもなく美人というのでもない、
今から見ると年相応に見えるんだけど、沢田がおとなびていたんだろうか。
サタの、そんなに若いと知らなかった、みたいな言葉があって
そりゃ、サタの方が驚いただろうと思う。
でもきっと、彼にとって最大の理解者だったんだろうなぁ。

サタが一緒にベトナムかどこかに行った時の朝ごはんの食器類の展示があった。
朝は洋風に、トーストと卵と紅茶かコーヒーみたいな食事だったみたい。
上質な食器類だったのではないでしょうか、優雅に見えました。
ハイカラなことにも順応でき、写真のことがわかって
やりたいことを支えてくれる、いいパートナーだったのでしょうか。

サタは随分長生きして、2017年に東京で始まったこの写真展の
テープカットをされたそうで、こんなすごい夫が亡くなった後の50年近くを
どのように生きてこられたんだろうなぁ。
いろいろ想像の余地の多い展覧会でした。

沢田教一の眉毛とキラっとした目元が誰かに似てる似てると思ってたら、
帰り道に思い出した。友だちだ。
そういえば、キャパもあんな眉毛だったような気がするな。

2018年の写真展に出した写真

2018-05-14 | 写真
昨日の続き。
毎回、タイトルはよく考えます。
写真にぴったりなもので、説明的でなく、気持ちいい好きな言葉を探す。
一昨年はコクトーや中也の詩のイメージで、去年は短歌にしたけど、
今年は日常的な感じの散文です。
写真がそういう写真だったのです。
家の中の写真とマンションの中の写真ばかり。

毎年、見に来てくださった知らない方から少し、お褒めの言葉をいただける。
今回はプライベートな私的な写真なので、自分ではとても好きだけど
知らない人がどう思うのか、さっぱり予想できなかったのに、
今年も、日常の景色が優しく懐かしいことを思い出したというような感想を
書いてくださった方がいて、すごくうれしいです。

組写真を並べる時は、それぞれのバランスや気持ちの流れなど、
かなり考えるので、途中でわからなくなって、もういいや!と決めちゃうんですが
今年もそういう感じでした。
本当は15枚展示したかったのを減らしたので、悩みすぎずにサクッと決めた。

去年はプリントが思うようにならなかったし、
今年も展示したものより、もう少し彩度を上げた感じにしたかったんだけど
全体的には上手くまとまったんじゃないかと思う。
以下、12枚並べます。
相変わらずフィルムで撮っただけの写真で、周辺落ちなどは古いレンズのせいです。























2018年の写真展

2018-05-11 | 写真
写真の会をやっているのですが、かなりきちんとした会で
年に5回ほどの定例会は撮影会と講座のセット、
年に一度のグループ展と合宿もやります。結構大変。でも楽しい。
それで、去年は秋にやった写真展を、今年はゴールデンウィークにやりました。
おかげでゴールデンウィークはすっかり潰れてしまった。
でも、やってみると結局毎回楽しいのです。

去年は青いオーバーオールを着てやったモップがけですが
今年は茶色いオーバーオール。マリオみたいといわれながら
広い会場を走り回ってモップがけ。(クイックルワイパーだけど)

プロの写真家も、アマチュアと特に分けずに並べて展示する会は珍しいかな。
テーマはなく、みんな思い思いの好きな写真を出しています。
これは搬入のときの様子で、わたしは3年とも12枚の組写真。
大きな1枚だけの人も多いのですが、何しろわたしは小さいもの好きだし
大きな写真は家に置く場所もないし、他の人と比べると1枚1枚は小さめです。
とはいえ、わたしにとっては結構大きい・・・笑


みんなで交代で在廊します。わたしは子供の日の午後にいました。


写真展の期間中には、ポートレートのワークショップをしました。
先生たちにライティングを教わりながら、交代でモデルをやったので
たくさん撮られました。
わたしが撮った分はフィルムなのでまだ現像できていませんが、
撮ってもらった分はいくつか見せてもらいました。
とてもきれいに撮ってもらえてうれしかった、みんなありがとう。

今年の写真は今までよりやや小さめの組写真で、
とてもプライベートな感じのものにしたので、
なんか会場では勝手に照れ臭くて、自分の写真をよく見てない。
いつも通りのフィルム撮りっぱなし写真でしたが、特に何も怒られなかったので
これからも上手くならずに勝手に楽しく撮りたいと思いました。
(怒られないのは、わたしが怖いからではありません)
写真の内容は明日アップします。

ソール・ライター展

2018-05-09 | 写真
大好きな伊丹市美術館にソール・ライター展が来て、すごくうれしい。
東京ではものすごい人だったようだけど、こちらではそれほどでもなくて
雨の平日の午後に行ったら、2つ目の部屋など一人で貸切状態で
静かに好きな順番で見て回れました。
その後、美大生の団体がぞろぞろ来たけど、ぎりぎり追いつかれる前に見終わった!
雨の音を聞きながら、雨の写真をたくさん見て、いい午後でした。


美術館側は、チラシがなんと4種類あるという力の入れようですが、
これはそのうちのひとつで、チケットとお揃いですね。
黒い傘?庇?の部分がとても広く取ってあって印象的な構図になっています。


ソール・ライターは、たくさん見ても疲れない写真家ですね。
ニクイなーと思うセンスだけど、イキリすぎてないのか、疲れない。
数年前に映画が来て、今回これで、なんか盛り上がってるけど
あんまり巨匠扱いしたくないんですよねぇ。そういう感じではないもん。
彼はファッション写真で有名だったのに、いやになっちゃって
引きこもって好きなスナップなどを摂るようになった写真家ですが
どの写真もおしゃれで、誰にでも好かれる写真だと思う。
でも薄っぺらじゃないのは、好きなように撮ってたからかなぁと思う。
すごくうまいスナップを楽しく撮ってたおじさん、くらいの気持ちで付き合いたい。

わたしは自分のフィルムの写真が好きだけど、ソールライター見てると、
それでいいんだなーという気持ちになる。
そこにじっとしててもいい。
そういえば今年のグループ写真展の自分の作品はそういうテーマにしたのでした。

写真は発見するもの、絵は創造するもの、
というようなことを彼は言ってたけど、わたしも確かにそう思う。
でもフォトショップが「発見」の範疇を超えたことをするようになったので、
写真も「創造するもの」に近づいてきたのですね。
それは全然悪いことではないけど、わたしは写真は発見するもの、であるのが好き。
フォトショップを使った加工の仕方の技術やセンスが、
写真がうまいということの要件のひとつになってきているけど、
Photoshopやめちゃったし、また使う気がないし、
自分の作品としての写真は全部、フィルムの、ほとんど加工しない撮りっぱなしだし
あ、と思ったらぱちっと撮るだけの写真で、そんな何もしてない自分の写真は、
うまいとか下手とかなんだかよくわからないんですよ。
上手い下手という土俵にないのよね。その文脈にいないから
下手以下というか下手以前、とも・・・。笑
でも、いいかダメかというと、自分の写真は悪くないと思ってる。地味だけど。
そして、それだけでもかまわないと思っています。
現代の写真を語るときに必要な文脈や流行や背景や方向や、
そういうものはどれも結局評価、評論されるときの軸だから、
アートシーンで表現して生きていきたい人はそれらを踏まえて際立つしかないけど
わたしには関係ないし、関係ないところにいないと楽しくなくなる。
ちんと、好きな場所にじっとして、あら、と思ったらシャッター押すだけ。
そういうスタンスでも、この写真家にはそれでいいよと言ってもらってる気がする。
だからこれからも上手くはならないと思うけど、
好きな写真はたまには撮れると思えるので、写真を続けられそうです。

写真以外にソール・ライターは絵も描いていて
映画の中では壁にかかっている絵が興味深かったんだけど、
彼の描いた絵の作品も結構展示されてました。
写真に色をグイグイ塗った作品はあんまり好きじゃなかったけど
クートラスのカルトみたいな、
ワインの瓶の間の板に、夜中に描いたというたくさんの小さな絵はとてもツボだった。
日本画に復帰する前に、わたしもクートラスみたいにカルトを描く習慣をつけたいなあ。

映画の感想「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」

今年も写真展

2018-05-01 | 写真
明日から神戸の方で、毎年写真の友達や先生たちとやってる写真展をします。
昨日はその搬入、明日から日曜まで展示。
今日は会場が定休日、明日は、わたしは写真展には行かず普通に仕事ですが、
そのあとは4日以外は顔を出すので、ゴールデンウィークはこれでつぶれます。
それで色々忙しいのに、今日も仕事のあと映画を2本見たりして、ブログが滞ります。

写真は今年は少し小さくした。
去年も一昨年も、天使や天使のようなものの視線を考えた構成だったけど
今年はもう、ばりばりインティメイトな個人的な人間っぽい写真なので
高いところへ貼らずに、目線のあたりに並べたかったので。
自分の写真はフィルムで撮りっぱなしのものですが
他の人はみんなちゃんとしてて上手なので、見るのが楽しいです。

写真展や、自分の写真のことを色々書きたいけど時間がないのでまた今度。
DMの写真はメンバーの人が撮ったミャンマーの写真です。
上手いなぁ〜

コントロール

2017-12-09 | 写真
一から自分で取捨選択してコントロールして作り出す絵やアート作品でさえ、
自分の意図とは違う意味を持ったりするんだから、
自分の意図に関係ないものが写ってたりする写真は、もっとそういう部分が多いですよね。
色や光や動きなどに惹かれて慌てて撮った写真に思わぬものが写ってることはよくあるし、
それが写真をよくしたりダメにしたりもするけど、やっぱりそれが面白さだと思う。
いらないものを消し、色も形も整え、絵を描くようにすべて完璧にコントロールして
独自の世界を作るような写真もいいけど、
コントロールされていない写真がわたしは好きだなと思うのは
全部コントロールするしかない絵を描くところから始めたせいかな。

写真は、クジラの親子みたいな雲。
この写真からもっといらないものを撮っちゃったら、
ずいぶんつまんないことになると思う。

二人のロバート:ロベール・ドアノー

2017-12-01 | 写真


ひとりは前に書いたロバート・フランク。映画と写真展のこと。
そしてもうひとりのロバートがこちら、ロベール・ドアノーで、その映画のこと。
ロバート・フランクに比べたら、こっちの方が少しゆるふわ風味に思えるかもしれない。
写真も映画も。
でもね、この人も大した人ですよ。
ロバート・フランクのような、かっこいい新しさではないけど
しみじみと良く、職人技でもあり、こちらも色あせない写真です。
アメリカでいうと、エリオット・アーウィットに近いかなぁ。

軽やかで、パリのエスプリという言葉が合いそうな気持ちいいジャズと共に、
彼自身のドキュメンタリー映像を見ると、作品のイメージを裏切らない人なのね。
当たりが柔らかくて朗らかな人なのに、目の力は強くきらきらとしてて、
写真が好きで好きで仕方ないことがわかります。

ドアノーの孫娘が監督したドキュメンタリーで、80分の短い映画を9章に分け、
1〜9まで、短いチャプターごとの切り口で、リズムよく彼と彼の写真を描いていきます。
各チャプター始めに出てくる、チャプターを表す動くイラストが、とてもおしゃれ。
水で描いた線画にインクを垂らしたら浮かび上がってくる仕掛けのもの。
このイラストがすごくオシャレで素敵なので、探したんだけど
公式サイトにも、どこにも出てないんです。かなりぐぐったんだけど。

子供の頃から家族に飢えてたドアノーは幸せな家庭を築き
自分の作品にもよく子供たちを登場させていました。
彼の作品をスライドで見ながら、親戚や友達が集まって
思い出話をするシーンがあって、とても楽しそう。
子供の時の写真って、みんな、なにか語りたくなるものなんですね。
そして彼を愛した子どもや孫が彼の大事に管理して守っているので、
ドアノーの人生はかなり幸せな人生なのではないだろうかと思います。

家庭人としてのドアノー、写真家としてのドアノー、
どちらもバランスよく描かれている映画、というか
彼自身がうまいバランスで生きたのかもしれません。
芸術に命をかけるというタイプには見えないけど、
実際は、案外家庭を顧みなくなるぎりぎりのところもあったんじゃないかと思う。
いつも家族思いの良きパパの時ばかりではなく厳しい芸術家の面もあっただろう。
でも、彼を愛する家族たちが積極的に協力をして、
良いバランスを保って来れたんじゃないかなと思いました。

アメリカの今の現実を撮るというところから始まり、
硬派で今もファンの多いロバート・フランクとは全然違って、
演出も多くロマンチックだったりヒューマンだったりする写真が多く
大衆迎合的で俗っぽく甘い写真のように思われがちなドアノーだけど、
こうやって一度にたくさんの写真を見ると、やっぱりうまいなぁと舌を巻きます。

なんか今となってはベタすぎて恥ずかしいけど、学生時代のわたしの部屋には
ロベール・ドアノーの有名な「市庁舎前のキス」のポスターが貼ってあった。

1950年に撮影され80年代にポスターになった写真だから
80年代のわたしの部屋に貼ってあった時は旬だったし、
パリに憧れていたのです。とても。そういう若い自分も甘酸っぱく懐かしい。
(もう一枚貼ってたのは、舌を出していないアインシュタインのポスターでした)
スナップ風ですが、これは演出写真で、モデルがいて自然な雰囲気に
作られた写真なのですが、知らない人も多いのかな。
スナップと思ってた方が、よりロマンチックかもしれませんね。

映画のタイトル「ロベール・ドアノー永遠の3秒」は彼の言葉から取られています。
「1枚が100分の一秒だとして、今までに成功した写真は300枚だから
50年でたったの3秒だ」

これは写真をやっていない人にはわかりにくいかな。
写真を撮る時はシャッタースピードというのがあって、
そのシャッタースピードの長さの間だけ光を取り込んで写真が移るわけですが、
100分の一秒は、やや長めのシャッタースピードかな?
三脚なしで手持ちだと場合によってはぶれそうな長さですが、
ドアノーの雰囲気には合ってるかな。
何万枚、何十万枚、それ以上撮り続けた人生が300枚の写真の光を集めた時間、
たった3秒に凝縮されると思うと、とても不思議な気持ちがしますね。
永遠にとても近い3秒だな。

二人のロバート:ロバート・フランク

2017-11-21 | 写真


2人のロバートの映画を見た。
どちらも世界的に有名な写真家で、ひとりはロバート・フランク。
もうひとりはパリのロベール・ドアノー(英語読みだとロバートになるよね)。
どっちもとても有名な写真家で、写真家のドキュメンタリーもいろいろあるけど
この2本は対照的ながら、それぞれ特徴のある良い映画になってたと思います。
2本続けてみたんだけど、全然違うタイプだからこそ、面白かった。

まずは、ロバート・フランク。
デジタル一眼レフを初めて買って、写真の講座などに少し通った頃
写真史の講座で知りましたが、写真やってる人なら誰でも知ってるはずの大家。
写真は今見てもかっこいいですが、今も全然陳腐化してない。現役感あります。
動画をたくさん作ってることとか、超有名な代表作『The Americans』のあと
最近までどんな写真を撮ってるか、あまり知らなかった。

彼に関しては、映画を見た少し後に神戸で個展があったので
それも見に行って、めちゃくちゃ面白かったです。

額縁に入った高価な作品としてではなく、
大きな新聞紙の紙に作品をプリントして天井からぶら下げる展示方法は
今の写真のマーケットへの反抗でしょうか。





天井の高い広い体育館のようなスペースは自然光の中、
たったったっと何度も何度も写真の間を走りながら見るのが楽しい。
走りながら会場中の動画も撮ったけど、このブログにはアップできなくて残念。



これは上から写真中が吊り下げてあって、自由に見ることができる。
天井からの光がきれいでフォトジェニックな空間になってました。

そして展示期間が終わったら、作品はみんな燃やしてしまうという
威勢のいいパフォーマンスつきです。↓神戸市のサイトより。

ものすごく独創的、とは思わないけど、彼くらいの巨匠がこういうことをするのは
軽やか出かっこいいと思いますね。
裾野も広がるし、新たなファンも増えたことでしょう。

行く前に友達がポスターをもらってきてくれたので、
それはうちの書棚の部屋のドアに貼ってあります。
これも新聞紙へのプリント。

新聞社の友達によると、かなりいい方の紙みたいですが、
新聞紙の質感が、作品にも合ってていい雰囲気です。
色あせてぼろぼろになるまで、貼っておこう。

ロバート・フランクはスイス系アメリカ人。
1955年にグッゲンハイム財団からの奨学金で、アメリカを記録するという旅で
27,000枚の写真を撮影。それをまとめて
1958年にまずフランスで、翌年アメリカで出版されたのが『The Americans』。
彼の色あせない代表作で、とっても有名で写真の教科書には必ず載ってます。
映画は、その彼のプライベートも交えて、写真家としての今の彼にも迫る。
映画としてもテンポも良く、音楽も合っていて、いい作品。

言葉と写真

2017-10-16 | 写真
写真のついてのレクチャーと
ポートフォリオレビューの見学に、うちからわりと近い写真ギャラリーに行ってきた。

金村修×タカザワケンジのレクチャー&ポートフォリオレビュー。
こじんまりした中にも抜けの良さがあって、いいギャラリーですが、
こういうイベントのとき、スクリーンやディスプレイが下の方にあると
大きな男の人たちが前に座ったら、小さい自分には見えまぜんね。
もしも生まれ変わってでかい男の人になったら、
自分は後ろに座る人になろうと思いました。
いや、前に座れるように早く行かなかった自分が悪いんですけど。
というか、段差のない床でのイベントは、スクリーンの位置大事ね。
やや見上げるくらいでないと、後ろの人には何も見えない。

レクチャーは、ゆるい感じでおふたりが
関西の写真家について、あれこれ論評されて、面白かったんだけど、
何しろディスプレイが全然見えなかったので
写真が映って、これはいいね〜とか言われても
なんのことやらさっぱり、の連続だったのがとても残念。
写真の話を写真を見ながらするのに、写真がまったく見えないのは苦しい。
それ以外はおもしろかったです。
お二人が有名作家を「興味ないねぇ」とぼそぼそ切り捨てるのも面白い。

文学に文壇という物があるように、
音楽ならギョーカイというものがあるように、
写真にもそういうものがあって、この二人はそこに属してない人ではなく
ややアカデミック系というか、写真専門学校とか大学の写真学科とかを出て
写真の技法も写真史やその文脈も、写真の読み方も一通り修めてきた人たちで、
そういう人同士のそういう匂いもしたけど(それは東京っぽい匂いでもある)
自分からは遠いモノなので、それも面白いです。たまにはね。
金村さんは、はっきりした意見を気だるげにぼそぼそ言うけど
思ってたほど毒舌でも辛辣でもなく、案外ちゃんとしてる。笑
この二人の組み合わせはとてもいいですね。
ゆるい話から、ちょっと面白い方向に話が振れることが多いです。

1時間半ほどのレクチャーというかトークのあと、
6人の人のポートフォリオ・レビューを見学。

相変わらず気だるげにぼそっと話される金村さんと、すっと解説的なことを挟む
タカザワさんだけど、よく聞いてるとなるほどなぁと思うことは多い。
最初の人には、これは記録なの表現なの?
表現ならこれで何言いたいの?この奥に何かあるの?みたいなことを詰めていき
最初、きれいだなぁとぼんやり見てたわたしも、その通りだわと思うように。

日付入りの黒白スナップの人には、日付入り写真の理由が
荒木さんのファンだから、ってそれ、舐められますよと。そりゃそうだよな。笑

カラオケで誰かが歌う数分間を30枚弱に収めた作品の女性は
自分ではフランシス・ベーコン風と言ってたけど
これは先生方の言葉を待つまでもなく、詰めが甘すぎ。
時間が流れるということを描きたいなら自動シャッターで10秒ずつ撮るとか
もっと掘り下げないと、といわれていましたが、真っ当すぎる評。
思いつき程度のコンセプトでは、思いつき程度の写真にしかならないんだなぁ。

最後の人のカラーフィルムの郊外写真の中から、余分なモノを捨てて、
コンセプトをはっきりさせるように先生たちは組んで選んでたけど
その捨てられた方の、やや叙情的で、写真家の心情がふと漏れそうな半端な写真が
自分の撮る写真に一番似てるなぁと思ったりしました。

いつも自分たちの写真の会の先生たちの講評を聞いて勉強しているけど、
たまに別のタイプの人の講評を聞くのはおもしろいですね。

写真の言葉のことを考えると、言葉はすごいなぁと思う。
複雑で味わい深く語られた写真が、案外薄っぺらでがったりだっすることはよくあって
言葉ばかりが良すぎるのもなんだかなぁ、と。
論評を読んでたのしみにしてた写真展や写真集が、なんだこんなもんかという時。
でも逆に、とてもいい写真が、社会問題に絡めたありきたりなテーマで、
独自の切実さも伴わず、あまりに安直に説明されると、いつもがっかりして、
聞かなきゃよかったと思う。
なんか、そもそも自分はいつも驚かされたがってて、
子供の絵本なんかは、ぼーっと見てても相変わらず驚きがあるんだけど、
写真は難しいですね。
いや、写真や写真家のせいではなく
単に自分の、驚ける能力が擦りへってるだけかもしれない。
ああ、わたしのみずみずしさは、どこに・・・

マン・レイの映画

2017-10-07 | 写真
うちの沿線は、大阪から近いけど住宅路線だからか
街のような文化的な施設もおしゃれなスポットも、せいぜい点在というくらいで
先端的なものはあまりないんです。
でも、その路線の、普通電車しか止まらない駅に小さな写真ギャラリーがあって
うちから電車で10分ちょっとで行ける行きやすさがよくて、時々行きます。
その駅も、服部天神という、友達が住んでる駅で、駅の周りの雰囲気がまた
なんかいいんですよね、雑然としてて、
いきなり立ち飲みやディープな感じの飲み屋があったりして。
このギャラリーに行った後は、そういうところで1杯飲むのも楽しみです。
「ギャラリー176」ですが「176」と書いて、イナロクと読む。
国道176号線沿いなのかな、この国道をみんな「イナロク」と呼ぶのです。
ちなみに関西での176のイントネーションは「一昨年」と同じです。笑

そこで、8月のことだけど(時差ありすぎ・・・)
マン・レイの映画の上映会というのがあって行ってきました。
マン・レイ自体は、特に好みじゃないんです。
ダダのあたりの人に、あまり興味がない、古典な人間なので(笑)
でも、この無声映画に、生演奏がつくというのに興味があっていってみたら
この伴奏のピアノ生演奏(生ピアノではなく電子ピアノですが)が
想像以上によくて、楽しかった。
ぜひ、また聴きたいと思うほどでした。
映像は、まあ想像通りという感じだったけど、
古いフィルムの味わいは、それはそれで面白かったです。

ギャラリーに行く前に駅前で軽く1杯飲みましたが、

上映会と軽いパーティの後、大阪で二番目に美味しいらしい
餃子で、もう一杯飲みました。
やっぱり好きな街。


世界報道写真展

2017-08-15 | 写真
毎年やってるけど、いつも暑いさなかだし、駅から遠いしで
見逃してきた写真展ですが、今年は友達がチケットを送ってくれたので
うれしくて、見てきました。

昨日のブログの、ペルーからのピアスもだけど
郵送で何か届くのって本当にうれしい。うれしい。
しかも、わたしがうさぎ飼いだったのを知ってて、切手もうさぎ。
裏のシールもうさぎ!と、わざわざ考えてくれてるのがうれしいな〜。

写真展は、広い部屋に大きな写真がたくさん展示されてて
見やすい展示でした。
そして報道写真でありながら、過去の報道写真かとは違って
写真のうまさはもちろん、センスもすごく求められてるんだなぁと思った。

写真でも死んだ人や動物の写真は衝撃が強いものですが、
あまりにスタイリッシュな写真はその衝撃を弱めます。
弱めていいのか悪いのかもわかんないけど、
ふわっと見れば見られてしまいそうな写真も多かったかなぁ、
よく見ると悲惨な写真でも。
インスタ映えしそうなスタイリッシュな写真も、
イマドキの現代アート文脈の中の写真っぽいものまであって
見ごたえはありました。
夜8時までやってるのもいいですね。